3 七百年前の勇者
暗がりの中、痛みでリナは目を覚ます。
お腹の辺りに包丁でも突き立てられてるような痛み。
このパターンは……酷く負傷しているときだ。
「【ライト】、【リジェネレーション】」
光魔法で周囲を照らすのと同時に、体へと回復魔法をかける。
回復魔法は自己治癒能力の向上させる魔法で、臓器や骨の修復はできない。
一方で、治療魔法は脳以外の部位であれば破損箇所を治すことができるのだ。
一旦回復をかけておいて、状況の確認ができ次第、細かな治療を行っていこうと思ったのだが――。
周囲に目をやり、息を呑んでしまった。
そこには多数の蜘蛛型魔物がおり、ちょうどこちらの光魔法に反応して振り返ったところだったからだ。
視界に入っているだけでも数十体はいる。
「【ファイヤーランス】!」
死を直感して直ちに迎撃開始。
体を何とか起こそうとするが、うまく動いてくれない。
お腹の負傷は相当に酷いらしく、少し動くだけでも激痛に襲われる。
しかし、この数の魔物と寝っ転がったまま戦うなんて豚の木登りもいいところだ。
魔物たちは生きた肉を見つけられたことに大喜びでもしているのか、猛スピードでこちらへと突っ込んでくる。
なんども【ファイヤーランス】を放っているというのに、倒した端から湧きでてきて。
人生の最期が蜘蛛の魔物に食べられて死ぬなんて絶対に嫌だ。
脂汗にまみれながら何度も何度も魔法を放っていくが、敵の数は増える一方。
遂にはこちら側に到達してしまい、体を噛みつかれていく。
「やめろ! 離れろ! あっちへ行け! 【ファイヤーランス】」
光剣も創り出して振り回すが、右を倒せば左から噛まれ、左を倒せば右から噛まれるという具合に、身体中がどんどん痛み出す。
その内、上から下からどんどん湧き出してきて、絶望の二文字が頭を過っていた。
だがそれでも、自分の生を簡単に諦めるわけにはいかない。
「くそっ! 【エクスプロージョン】!」
至近距離で爆破を放って蜘蛛どもを吹き飛ばす。
自分も範囲に入っていたため体の半分くらいが焼け焦げたが、死ぬよりはマシ。
なのに蜘蛛たちときたら、その勢いに未だ衰えなし。
死体をまたぎながらリナへと群がって来て、身体中が食べられていく。
――いやだ。いやだ! いやだ!
光剣を振るい、魔法を放ち、もはや痛みと血液を振りまきながら蜘蛛たちを殺していく。
「くるなっ、やめてよぉ……っ」
心が折れ始めて、涙が自然と溢れてくるも、手を止めるわけにはいかない。
戦うのを辞めた瞬間、自分の命は尽きてしまうのだ。
光剣を持つ手を噛まれて剣が上手く振るえなくなる。
「やめて、あっち行って! 来ないでよ! 【ファイヤーランス】」
そいつを打ち払った瞬間には次の蜘蛛が。
最悪の最期に涙が止まらない。
体を無理に動かそうとするも、未だ腹部の負傷は酷い有り様で。
おまけにこの蜘蛛は毒も持っているのであろう、体に痺れまで覚え始める。
「【ファイヤーランス】! くそっ! 死ね! 【エクスプロージョン】」
再びの爆破で煙にまみれ、体が痛みに悲鳴をあげる。
一体あとどれだけの蜘蛛を倒せばよいのだろうか。
なんて思っていたら、目の前に蜘蛛の顔があった。
口は既に開いており、このままリナの顔面が食われることであろう。
「いや……、やめて……」
――もぅ、いやよ。こんな最期。
レイナの笑顔を残滓する。
――せめて、最後に彼女のあの笑顔を見たかったなぁ。
そう思って恐怖に目を閉じた時――、
「【聖光剣】」
光りが走った。
それは周囲へと拡散する礫となって、蜘蛛たちを薙ぎ払い。
声の聞こえた方へと視線をやり、少しだけ安堵してしまった。
そこには勇者カナトとリュッカの姿があった。
彼らはそのまま蜘蛛たちへと攻撃を開始する。
「リナ、もう大丈夫だよ。今治すね」
絶体絶命を覚悟していたリナはその光景を茫然と眺めながら、剣を振るって戦う彼と、治療魔法で回復してくれる彼女の方へと身を寄せてしまう。
しばらくそうして戦い続けていると、ようやく魔物の数が途切れ始めたのか、蜘蛛たちは尻尾を巻いて逃げ始めるのだった。
カナトは肩で息をしながら、魔物たちがいなくなったのを確認して、こちらへと向き直って来る。
その剣は未だ鞘に収まっておらず。
彼が戦っている横でリナも治療魔法を施してはいたが、この短期間で勇者と戦えるほどの回復は見られない。
カナトはリュッカと行動を共にしていたが、彼女は人族だ。
対するリナは魔族。
彼が刃を向けるには十分な理由となろう。
そんな彼はこんなことを言ってくるのだった。
「……俺と戦うか?」
おどけたような口調で。
「……。戦えるような体調に見える?」
「ふっ。見えないな。少し待て――。【聖天の祝福】」
剣を鞘に納めたと思ったら、治療系のスキルを使ったのであろうか。
リナの魔法とも相まって、加速度的に状態が改善していく。
「助けて、くれるの?」
「イシュアを助けてくれた分はこれでチャラだ」
そう言って、真横にまで座り込んできた。
もしリナが不意打ちでもしようものなら目も当てられないというのに、ずいぶんと豪胆な勇者だことで。
だが、リナとて命の恩人にそんなことをするほど性格は歪んでいない。
モヤモヤとした思いを胸に抱きながら、寝っ転がったまま傷の回復に努める。
「行かないんだ?」
「もしまた魔物の集団が現れたら君たちは撃退できるのか?」
「護衛までしてくれるなんて、お優しい勇者様ね。たしかに現状だと厳しいわ」
「あ! リナあたしのこと信用してないでしょ。あたしだって強いもーん」
リュッカがプリプリとしてくる。
「はいはい。役に立ってるわよ」
そこで会話が途切れてしまい、互いに黙ってしまう。
別に友達でもなし、知り合いというにもリナとカナトは出会って間もない間柄。
何を話すも露知らず。
そんな彼らの沈黙を破ったのは、快活としたリュッカの声であった。
「え、えっと、そしたらまずは自己紹介! カナトからっ!」
「いや、もうすでに終わってると思うが?」
「え? そうだっけ!? で、でももう一回! 何でもいいから喋って! リナと仲良くして!」
そんな彼女の姿に彼は肩を竦めてくる。
恐らくリュッカとしては、カナトとリナがこの場で殺し合うところなんて見たくないのであろう。
必死に二人を繋ぎとめようとしてくる彼女に心が温まってしまう。
「知っていると思うが、今代の勇者カナト・サクラだ」
「リナ・レーベラ、カナルカ軍の小隊長よ。ありがとうね。助けてくれて」
「さっきも言った通り、イシュアを助けてくれた借りを返しただけだ。気にするな」
「そう? あなたは借りがなくても助けてくれそうに見えたけど。……あなたは私じゃない魔族がここにいたとしても助けてくれた? 例えば、レイナだったら?」
挑発的にそんなことを聞いてしまう。
「レイナ?」
「金髪の魔族よ。私の連れの」
「ああ。彼女か。もちろん助けたさ」
回答を逡巡するかと思ったら、即答してきた。
「そう警戒しなくていい。人族がなぜ魔族と戦うのかを仲間たちに色々と教えられてきたが、根本的になぜ俺が戦うのかと問われると、とくに理由はないんだ。俺は日本から――異世界から来ただけで、こちらの事情はあまりよく知らない」
再び肩を竦める彼にリナは苦笑いを返す。
「自分で言っちゃうのもなんだけど、種が異なるっていうのは理由にはならないの?」
「魔族だからといって特段悪とも思えない。むしろ人族と同じに見える」
「そっか。私も……同じ考えだわ」
そう答えると、カナトは笑って来る。
「普通そうだよな。けど、仲間からするとなかなかそういうわけにもいかなくてな。苦労している」
「イシュアって子が言ってたこと? その……言っちゃあなんだけど、正論だとは思えたわ。でも――」
「「――心が受け入れてくれない」」
彼と声が重なって、何となくそうなんじゃないかと思っていたことが事実へと変わっていく。
カナトはやはり、人族と言う種に対する貢献よりも、人としてのあるべき倫理観を優先している。
それだけで、何となく彼は信用に足る人物だと思えるようになった。
加えて言うならば、自分の目指す勇者像にも近かったので、嬉しくも思ってしまう。
なんて彼に対するプラス感情ばかりを抱いていたら、リュッカが治療途中の私に抱きついてきて、うめき声をあげてしまった。
「い、痛いんだけど、リュッカ」
「ぶー。なんかリナとカナトばっかり仲良くしてるし。ずるい! あたしだって仲良くしたい!」
「いや、ずるいもなにも、普通に話してるだけじゃん。というか仲良くなるために会話しろってあなたが言ったんじゃん」
「全然ふつーじゃなかった! 何かキラキラしてたもん! リナが男にデレデレしてたってレイナに言いつけてやるっ!」
わけのわからない言いがかりに、今度はこちらがカナトへ肩を竦めてみせる。
「愉快な連れだな」
「手を焼かされているの」
「俺と同じか」
そうやって微笑み合いながら、互いの考え方を披露できたので、彼の行動方針が決まったのであろう。
カナトが改まって問いかけてくる。
「リナ、と呼んでいいか? 傷が回復したら、ミコトのところへ連れて行って欲しい。彼女にこの剣のことをちゃんと聞いておきたい」
「いいわ。けど、さっきミコトとは何のことを話していたの? 少し、意味がわからなかったわ。スキャンがどうのって言ってたっけ?」
そう述べると、カナトはややも沈黙したのちに答えてくれる。
「彼女は……俺と同じ日本人。転生者だ。つまり、いずれかの世代の勇者だと思う」
「勇者……? ミコトが?!」
「ああ。彼女の名前は神無月美琴。俺たちの国では性と名が逆に記載されるんだ。【スキャン】は勇者が持つ鑑定スキルで、偽装魔法が施されていても相手の情報を見ることができる」
「そんなスキルがあるんだ」
「名前はどう見ても日本名――俺たちの国の名だ。転生者は勇者しかいないと聞く。ただ、彼女の名前の横には『封印』という文字があった」
「ミコトが封印魔法を施されているってこと?」
「わからないが、勇者というのはだいたい俺たちくらいの年齢の者が転生するんだろう? なら彼女の今の見た目年齢は封印の影響ということじゃないか?」
かつての勇者や魔王たちはその強大な力ゆえに、生き残りさえすれば寿命がなくなると言われている。
例えば、百年前の戦いに勝利した魔王クシャレルナは存命だし、三百年前に転生してきた勇者タイガ・キサラギはガルカ帝国の政策相談役を今でも務めている。
ミコトが転生者であるのなら、その例外からは外れないであろう。
それに、これまでの彼女の挙動からするに、ミコトが絶対に死なない点や、魔法知識に精通していることなどを鑑みると、勇者であると言われても違和感はない。
「じゃあ、本来のミコトはリナやカナトと同じくらいの歳ってこと?」
リュッカの問いかけにカナトが答える。
「実年齢はもっと上だろうが、見た目はそうだと思う」
今度はリナから気になる点を指摘していく。
「私、歴史にはそれなりに詳しんだけど、ミコト・カンナヅキなんて勇者の名は歴史書に記載されていないの」
「……勇者じゃないってことか?」
「いえ、――」とリナは何かおぞましいものを見てしまったときのような面持ちとなりながら答える。
「――ここ千年だと一人だけ、名の知れていない勇者がいるわ」
「名の知れていない?」
「七百年前……。このレームマリナの山に立て籠もった勇者、その剣の創り主よ」
カナトが腰に携えている剣を見ながら述べていく。
彼女が剣の創り主であったのなら、この山に剣があることも当然知っているはずだし、その場所も知れていたことであろう。
鵺に襲われることなく精霊の祠へたどり着けたのにも頷ける。
ただ、彼女はリナたちに対して剣を初めて見る風に嘘を言っていた。
それはなぜなのだろうか。
「リュッカ、七百年前の勇者のことって何か思い出せる?」
そう問いかけるも、リュッカは地面を見つめながら何かを深く思案している。
「え!? あ、ごめん。えっと、なんだっけ?」
「七百年前の勇者のことってなにかわかる?」
「七百年前の、勇者……」
「そう。何か思い出した?」
深刻そうな表情をしている彼女は、何かを思い出したかのように見えたのだが、俯き胸に手を当てながら
「……ううん。わかんないや」
なんて答えてくるのだった。
声に元気がなくなったのは記憶を必死に掘り起こそうとしているからであろうか。
そんな彼女を観察しているとカナトの方から疑問が飛ぶ。
「どういうことだ? リュッカは何か関係があるのか?」
「ああ、関連していると思うからリュッカのことを少し話しておくわね」
リナはこれまでの経緯を説明していき、リュッカと鵺のことや、レレムで起こっている天変地異に関する情報を話していく。
「ほぼ同時に現れた人族の少女と魔獣。いずれも七百年前を生きていた者たちか。そういえば、リーリアが気になることを言っていたんだ。霊剣ズィルカは死者の魂を力に変える剣だと」
「死者の魂を……? そんなの、あることなの? だって魂なんて実体のないものじゃない。第一、そんなことをどこで知ったのよ」
それは……、と言い出しにくそうにしていたが、覚悟を決めて答えてくれる。
「できれば他言しないで欲しいんだが、ルーペロット大聖堂の禁書庫にその剣、霊剣ズィルカのことが書かれていたんだ。俺たちはそれを求めてレレムにやって来たんだ」
「当然他言しないわ。だとすると、場所もあってたわけだし、そのルーペロットに記載されていた内容はある程度信用できるってことね」
「七百年前、人族には多くの犠牲が出ていた。皮肉な話ではあるが、当時の勇者はその死者の魂を使って魔族を倒したと伝わっている。魔族たちに伝わる精霊伝説では、精霊ラナの力を使ったとされているが、実際には死者の力を用いたズィルカによるものと記載されていたらしい」
その言葉を聞いて、リナは最悪の事態を想像してしまう。
「じゃあ、リュッカや鵺が死者だってこと?」
死者を創造体として蘇らせる死霊魔法はたしかに存在するが――
「ええ!? あたし生きてるけど!」
そうだよなぁ、と思ってしまう。
未だに抱き着き続けている彼女からは鼓動の音もちゃんと聞こえてきているし、こうして昔の記憶を残したまま会話までできているのだ。
死霊魔法により蘇った者は知性を持たないし、会話なんてまず不可能だ。
リュッカを死んでいると判ずる方がおかしい。
そうなると、リュッカの出自はやはり封印で、鵺と同時に現れたのは偶然ということになるのだろうか。
「……そうね。たしかにそうだわ。となると、問題はやっぱり鵺かな。尻尾を斬り落したはずなのに、また地震が起こったわ。奴には何らかの能力が備わっていると見るべきよ。地震でレレムがかなり被害を受けているの。あとは――」
周囲へと目をやり、蜘蛛の死骸があったはずの場所を眺める。
さっきは死に物狂いだったのでケアできなかったが、蜘蛛たちは光の礫となって消えてしまっている。
典型的な創造体がやられたときの魔力残光だ。
「――さっきまでいた魔物たちも創造体だったわ。それも鵺の力で現れたと見るべきなのかしら。あんな魔物たちがレレムの山にいるなんて聞いたことがないもの」
そういえば、レレムに溶岩が押し寄せた時、そこからは溶岩に住まう魔物が飛び出して来た。
もしかするとあれも鵺の創造魔法により現れたものだったのだろうか。
「鵺を攻撃したときのことをリナは覚えているか?」
戦闘の際の記憶をすぐさま呼び覚ます。
「出血がなかったし、内部も生き物の切り口ではなかったわ。あれはどちらかというと、創造体に見えたわ」
「俺が戦った時も出血していなかった。鵺も創造体だと推定しといた方がいいだろう」
「でも創造魔法には時間制限があるわ。鵺をずっと出し続けるなんてできるとは思えない。そもそも創造体が別の創造体を生み出すなんて、魔法の常識に反している」
「俺ではわからない。リーリアがいれば何か知恵を出してくれるかもしれないんだが……」
「そう言えばリュッカ、昔の鵺って山に宿る精霊の力で戦っていたとか言ってなかったっけ?」
「うん! 勇者様がそう言ってたよ!」
元気に答えるリュッカにカナトが反論を飛ばす。
「その仮説に則ると、鵺は山の精霊が創造したってことか? そもそも精霊の力なんて存在するのか? 精霊ラナだって、実際はズィルカのことだったんだろう?」
「わからないわ。けど、七百年前はこの山で魔石が採れなかったらしいの。でも周りを見て」
両手を広げて見せる。
「今ではザクザク採れるようになっている。思うに、七百年前も山の魔素はあったけど、それが魔石という形態にはなっていなかったんじゃないかしら。その力を当時の勇者――ミコトが利用して鵺を創ったって考えたら納得できない?」
カナトは難しい表情となるもやがて降参する。
「……今はその山にある魔素を使って鵺が地震を起こしたり、創造体を創っているってことか? でも創造主が誰であるかの説明にはならないぞ。山が創造主というのは正直納得できない」
「うーん……。そうねぇ」
「なんにしても、ミコトとの合流が先決だな。彼女と話せばわかることだ」
そう言って、カナトはあろうことかズィルカをリナの方へと差し出してきた。
「返してくれるの?」
「元々ミコトが持っていたものを勝手に俺たちが奪っただけだ。それに、これを持ったまま俺の仲間と合流したら、仲間たちは絶対に渡すなと言ってくるに決まっている」
「その方が人族にとっては都合がいいと思うわよ?」
「俺はそうは思わない。武力とは抑止のために存在するものであって、何かを奪うために存在してはならないと考えている」
「私が何かを奪うために使うかもよ?」
「君はそんなことをする魔族じゃない。ここまでの会話でそれはわかる。その代わり、このまま俺も同行させて欲しい。ミコトには聞きたいこともある」
ハッキリと断言してくる彼をリナは秋風のような目で見てしまう。
「……そう。大切に預からせてもらうわ。じゃあ、行こっか」
剣を受け取って、二人してミコトの探索へと乗り出すのだった。




