4 名付け親
あの少女が回復してから二日が経った。
リナは巡回の仕事が入ればそれを行い、余った時間は訓練に当てたり、あるいはレイナが甘えてくるのに付き合ったりと言った具合に過ごしている。
例の魔獣は未だ発見には至っておらず、上層部はいつまでもリナの隊をレレムで借り入れるわけにもいかないと、撤収の話まで持ち上がっていた。
少女に関しては結局名前すら聞くことができておらず、未だミコトが面倒を見ているようだ。
すでにこの都市に駐在している人族の商人連合には本件を通達しているのだが、行方不明者がいないどころか、女の子の連れは自分たちにはいないと返されたのである。
この段階で何かトラブルに巻き込まれた子だと考えるべきであろうが、ミコトはどう見てもあの子と何かしらの関係があるように見える。
彼女はこれまで奴隷としてシュジュベルにいたわけで、あの子と関係を持つにはよっぽど限られた背景が必要だ。
――たとえば、あの子もミコトと同じく奴隷だったとか……。
汚水を飲み込んだような思いを胸に、医務室の前に到着する。
今日はリナのことをあの子に紹介すると事前にミコトから申し伝えられている。
部屋へと入ろうとしたのだが……、
その瞬間強い違和感が背筋を走った。
――何か、いつもと違う。
扉を開けながらその感覚に苛まれていると、
飛来物……!
咄嗟に手で受け止めてしまうも、ナイフを手掴みしたときのような痛みを覚える。
手の中を確認すると……、飛んできたのは本当にナイフだった。
手が血にまみれる。
何事かと部屋の中を見ると、普通に少女とミコトが座っており、ミコトが投擲のポーズとなっているので恐らく彼女から投げられたのであろう。
「ちゃんと収差演算の訓練はしてるみてぇだな」
なんて言葉が飛ばされたものだから、訝し気な表情を返してしまう。
「……ちょっと、できてなかったらどうするつもりだったのよ」
「腹が血まみれになったんじゃねぇか?」
「なに普通の事みたいに言ってんのよ! 大事じゃない! 第一手が血まみれよ!」
「てめぇの治療魔法なら手だろうが腹だろうが治せんだろ。いちいちんなこまけぇことでキレんなよ」
「ナイフを投擲されたら普通キレるでしょうが!」
怒鳴るリナの言葉に返答を返してきたのは、ミコトではなく翠の瞳を持つ少女からであった。
「ナイフだけに、よくキレるってことね!?」
その言葉に思わず彼女のことを見てしまい、胸の内で沸騰していたものは差し水をしたかのごとく収まっていく。
「……ぇ?」
小さく発したはずの言葉が部屋にこだまし、尚のこと、この寒空に放り出されたような空気を実感してしまうのだった。
一体どうしてくれるんだと思っていたこの沈黙を破ったのはミコト。
「んで、こいつのことなんだがよ――」
――スルーした!?
「気付いてっかもしんねぇが、記憶喪失だ。名前だの家族だの最近何してたかだのは思い出せてねぇ。極度に魔族を恐れてる節があったんだが、あーしが説明したら納得したようだ。てめぇとも会うっつー流れになった」
その説明と共に、少女がペコリと頭を下げてくる。
「あの、リナさん、この前はすみませんでした。私、右も左も分からない状態で」
「別にいいわ。気にしてないから。今はもう大丈夫?」
「はい! ミコトのお姉ちゃんだとのことで、是非私とも仲良くしてください」
おねえちゃん? と言おうとしたところで、ミコトに隠れてどつかれる。
「そういうわけだ。よろしくなリナおねえちゃん」
「えぇ……」
たぶん、彼女を安心させるための作り話であろう。
魔族と人族の混血というのも世の中には存在していて、生まれてくる子どもは魔族のこともあるし人族のこともある。
別に姉になることを拒絶するほどではないが、何となくミコトは妹って感じがしない。
というか、見た目の年齢を除けば彼女の方が姉貴分な感覚だ。
「んで、こいつの名前なんだが、なんかいい案はねぇか? 忘れちまってるから。適当なのをつけてやりたい」
「適当って……。本人を前に酷い言い様ね。私がつけていいの?」
「うん! 私を助けてくれたお礼に!」
と少女が目をキラキラさせてくる。
「うーん……じゃあ、安直だけどリュッカとか。緑の髪って珍しいから、大樹の精霊リューケレスカを略した名前なんだけど」
おとぎ話に出てくる有名な精霊だ。
けど、この名前は彼女のあまり受けがよろしくなかったようで、
「えー、もっとスケールのおっきな名前がいい!」
と返されてしまう。
名付けを頼んできたのに文句をつけるとはこれいかに。
「……例えば?」
「ミナ・コズミックとか!」
ミナとは伝説の勇者ミナ・ミナツキのことだ。
コズミックという言葉はよく知らないが、たぶんすごいものなのであろう。
「じゃあそれでいいんじゃないの?」
「リナお姉ちゃんにつけてほしいんだけど」
だったら文句を言わないで欲しいと思ってしまうが、子ども相手に小さなことを気にするわけにもいかず。
仕方なしに名前を考えていくつか候補を出していった。
……のだが、すべてダメ出しをもらう。
「もう自分で考えてよ。こだわりすごく強いじゃん」
「んー、やっぱリュッカでいいや。よく考えたら大樹の精霊ってすごいし!」
「私の苦労は一体……」
思わずそんな愚痴が漏れ出てしまうのだった。
「で、てめぇには頼みごとがあんだが」
ミコトの言葉に、まだあるの? と顔をしかめる。
「しばらくこいつの面倒を見てやって欲しい」
「あなたじゃダメなの?」
「あーしはこいつの身元を探る」
「言っとくけど、私も結構探ったわよ?」
「安心しな、てめぇじゃできねぇやり方をやっからよ」
どんな? と聞くも、ミコトはいつもの無視を決め込んで話を進めていく。
「まずは飯でも食いに行くか」
「私の質問に答えてよ」
「何時か答えてやるよ」
釈然としないドロドロとした思いを抱きながらも、リュッカのお腹の虫がちょうど鳴いたところだったので、仕方なくその言葉に従うのだった。




