2 巡回任務
カナルカの都市は東にシーアの大森林、北西にティアール山脈が連なっており、自然に囲まれた立地となっている。
そのティアール山脈沿いを馬車で三日ほど進んでいくと、山脈の切れ目には霊峰の山とレレムの街が存在しているのである。
カナルカとレレムは、双方魔族の都市ということもあって、歴史的に親密な関係を構築しており、とくに交易が盛んだ。
鉱山都市であるレレムからは魔石を安価に融通し、逆に平野を多く有するカナルカは食料の輸出を行っていた。
だが、今回カナルカに舞い込んできた話は、レレムへの派兵要請で、その内容は脅威度の高い魔物の討伐である。
ちょうどカナルカは軍事パレードの時期となっていたのだが、このプロパガンダ的活動に否定的な意見を持つリナは、命令裁量権があることを生かして、この依頼に応じ、急ぎレレムへと馳せ参じたのである。
レレムに到着してからは、魔物の脅威度が高いという点に注意して、十人一組の分隊行動を取らせている。
ただし、リナは一人でも魔獣相手にかなり高い戦闘力を有するため、副官であるレイナだけを引き連れて、レレム山の旧街道沿いを用心深く探索していたのである。
探索を始めてすで三日が過ぎているが、今のところ有力な情報は掴めておらず、そろそろやり方を変えるべきかと思い始めていたところだ。
「リナ~、もう帰ろーよー。そっから先は人がそもそも近寄らないって~」
残夏の蒸し暑さにまみれながら、周囲を散策していると、リナの隊の副官であり、親友でもあるレイナからそんな言葉が飛んでくる。
副官であるというのに、まったくもって不真面目なことだなと呆れながらも、ある意味彼女らしい言葉にため息をついてしまう。
「ダメに決まってんでしょ、全くあなたは。ちょっとは真面目に頑張りなさい」
えー、と不満気な声が飛んでくるも、リナはそれを無視する。
どうせ勝手に帰るほどの度胸がレイナにはないだろうし、そもそも給料をもらっている以上、働けと言う話だ。
「だいたい死人が出てるのよ。あなたもちょっとは緊張感持ちなさいよ」
「まあ最初はたしかにビビってたけどさ、もう探索始めて三日も経つんだよ。魔獣のまの字も見当たらないんだけどー」
「生存者の話からすると、今回の魔獣はかなり知性が高いわ。陰から不意打ちしてくることも十分想定されるわよ」
そう説明しながら、リナは自分の頭の中で引っ掛かっている点に思考をやる。
生存者はどうやってその魔獣から生き残ったのだろうか。
その生存者は、新兵と二人で巡回路を探索中に魔獣と出くわし、新兵の方は死亡。
もう一人も重体で発見され、何とか一命を取り留めたとか。
通常、魔獣は縄張りから外敵を排除できれば満足する。
単にその生存者が動かなくなったのを見て、十分と判断したのか?
思考に没頭していると「あ~ん、りーなー、怖いよぉ~」とレイナがわざとらしくもたれかかって来たので、それを腕でガードしながら、ジト目を送る。
「レイナ……、あなた何歳なのよ……」
「ぷりっぷりの十七よ! でもリナはあたしのお母さんにもなってくれるんでしょ! だから、んっ!」
両手を伸ばし抱っこしてのポーズをとって来る。
そんな彼女にはぺちっとチョップを返しておいた。
「んっ、じゃないわよ。第一あなたの方が体が大きいんだから、抱っこって感じにならないじゃない」
「別にいいもーん。足が疲れたよ~。りーなー」
「【ヒールエグゾーション】」
回復魔法を足に向かって飛ばす。
「はい、これでもう大丈夫そうね」
「せ、精神面がまだ回復してない! リナとイチャイチャしないと動けない!」
「私はもう行くから。ここに一人で野宿して魔物を見張ってくれててもいいからね」
そう告げてスタスタと歩いていくと、大急ぎでレイナも追いかけて来る。
「うぅ~、リナが冷たい」
「あのね……。冷たいんじゃなくてこれが普通なの。仕事をする。自分の足で歩く。どこも変なことじゃないわ」
ぶー、つまんにゃい、と唇を尖らせる彼女を横目に、周囲へ目をやると、小さな洞窟を発見した。
木々に隠されるように存在するその洞窟は地図に記載のなかったものだ。
リナが目をやっていたのにつられて、ぶーたれているレイナも洞窟の存在に気がつき、二人して草をかき分けながら入り口へと近付いていく。
入り口の高さはちょうどリナたちの身長と同じくらいであろうか。
スタイルの良いレイナは少しかがまないと入れないくらいだ。
光魔法で内部を照らしてみるも、奥まで光が届かないレベルの深さと見える。
「洞窟……だね。入ってみる?」
「そうね。中に魔物が住んでたら大変だし」
「んー……急に入りたくなくなってきたなぁ」
魔物という言葉にビビったレイナが及び腰となる。
ので、無視して中へと入っていくことにする。
「あ~ん、待ってよリナ~」
腕に絡みついてくる彼女は可愛くもあるが、鬱陶しくもあるわけで。
しかも自分にはない豊満な胸が当たってくるものだから憎たらしく思ってしまう。
中は意外と広いようで、迷路のような構造となっていた。
その一方で、夏の蒸し暑さを忘れられる冷涼な空間ともなっており、ここでしばらく涼んでいきたいとも思ってしまう。
「ね、ねぇ、ちゃんと外に帰れるよね」
「あなたさ、探査魔法くらい使えるわよね。仕掛けてないの?」
「あー……リナがいるから大丈夫かなと」
「そういうの他力本願っていうのよ」
「いいんだもーん。あたしはいつでもリナ力本願だもーん」
しばらく歩くと、冷涼さよりも息苦しさを感じるようになってしまう。
魔素が濃すぎて、対魔防を施さなければまともに活動することもできないレベルだ。
そのせいか辺りには巨大な魔石が生成しており、一つ持って帰るだけでいい小遣いになりそうである。
もちろん、無許可の採掘は許されていないのでやらないのだが。
「魔素貯まりかしら。ずいぶん濃いわね」
「こんなところに魔物なんていないって。むしろこんなとこでも生息できる魔物はあたしたちじゃ敵わないって」
「だったら尚更何もいないことを確認しておかなきゃダメじゃない」
「い、いや、でもほら、いないことを証明するのってできないんでしょ? 何だっけ? えっと、魔王証明?」
悪魔証明、とじれったそうに回答するが、確かに彼女の言う通り、何もいないことを証明するためにはこの洞窟をくまなく探索する必要性がある。
一方で、現状の推定からするとこの洞窟はかなり広そうで、リナとレイナの二人でそれをやるのは現実的に不可能であろう。
「うーん。まあそうね。もう少し見たら帰りましょ」
そう答えるや、奥の方から物音が聞えた。
瞬時に二人して武器を構えてしまう。
レイナは腰に携えていた剣を引き抜き、リナは【フォトンセイバー】の魔法により光剣を創造して、正面へと構えた。
落石とは考えられないような音。
しいて言うなら、獣が倒れたりしたときのような音だ。
この先で縄張り争いでもしていたのだろうか。
レイナへと視線を送り、ゆっくりと歩を進める。
こちらはすでに光魔法で周囲を照らしているので、向こうが気付いていないということはないであろう。
ジリジリと先に進んでいくと、曲がった先のところで――
女の子が倒れていた。
あまりの異様な光景に、二人は茫然としてしまうも、すぐに我に返ってリナはその少女の元へと駆け寄る。
息はあるが、脈は弱っている。
「生きてるわ! すぐに外へ連れ出す!」
レイナが頷くのを確認もせず、重力魔法で彼女を浮かして大急ぎで移送を開始する。
さっきの音は恐らくこの少女が倒れた音だ。
つまり、先ほどまでこの子は意識があったのであろう。
だが……、いくつもの疑問が湧いてくる。
その思いを代弁するかのようにレイナから声が飛んできた。
「この子、なんでこんなとこにいたんだろ」
「わからないわ。迷い込んだ……? それとも魔物から逃げていたのかしら」
「でも足跡とかなかったんでしょう?」
魔物の痕跡がないかは注意深く観察していた。
少なくともリナたちの入って来た側には魔物やこの少女がいたとは思えない。
ただ、この洞窟はかなり多岐にわたって通路が分岐しているため、入り口が一つとも限らない。
魔物に追われて洞窟へと逃げ込み、内部を彷徨った挙句、先の地点に到達したという可能性だって十分に考えられる。
「ええ。まだ何とも言えないわ。それに魔物から逃げてきたと決まったわけでもない。この子、靴を履いてないわ。何かトラブルに巻き込まれたって可能性も否定できない」
「洞窟内は素足で歩くにはかなり辛い場所だもんね……」
尖った岩や魔石で溢れるここを走り抜ければ足は傷だらけになるであろうに、彼女の足にはそう言った負傷が見られない。
そもそも、レレム周辺には魔族しか暮らしておらず、人族の子どもがこんなところを出歩ているというのもおかしな話だ。
「ええ。よほどの事態と見えるわ。なんにしてもまずはレレムの街に戻りましょう」
二人はそのまま少女を引き連れて、レレムへと帰還するのだった。




