1 勇者をかけて
メメリモ通りには火の手が上がっており、現場は混沌した状態となっていた。
雨は今も続いているが、燃え広がる火災を止めるには至らない強さ。
逃げ出したと思われる奴隷たちが右往左往し、至る所で悲鳴や怒号が鳴り響いている。
ただ、幸いなことに警備隊の到着はまだのようで、最悪の事態は防げそうである。
「とりあえずみんなを保護していって。身柄を取られさえしなければ最悪の事態だけは防げるわ」
「うん、わか……」
「待て!」
レイナが言葉を言い終わる前に、前方から声がかかった。
そこには二人の男女。
一人は人族の男性で抜き身の剣をその手に持ち、もう一人は青髪の間から兎耳を覗かせている。
兎人と呼ばれるその少女は槍をリナたちへと向けて、予断を許さない瞳をしていた。
「この一帯は立ち入り禁止だ! ここへ何をしに来た!」
それは知っている。
この通り自体入るのが非常に大変ではあるが、それにも加えて通りへ入るための道には通行止めの表示があった。
リナたちはそれを無視してここへと侵入してきている。恐らくこの二人は市長が言っていた冒険者チームのメンバーであろう。
「あなたが市長に雇われた冒険者ね。メメリモ通りの破壊を依頼されているんでしょう?」
男は疑念の視線を向けたまま。
その手に持つ剣は未だ降ろされない。
「……俺たちの依頼主は市長じゃない。質問に答えろ。お前たちはここに何をしに来た」
リナが一歩前に出て可能な限り敵意がないことを示す。
「私はリナ・レーベラと言うわ。魔族の都市カナルカで兵士をしている。今回シュジュベルの奴隷売買の実体調査を行っていて、ここが売買の現場だと突き止めたわ」
そう言うも二人の警戒心は解けないまま。
「カナト、騙されないで」
「わかっているリーリア。そういう建前だろう? 君が奴隷の少女を取引しているのを俺は見ているぞ」
「購入……? 何の……」
リナは眉を寄せるもすぐに何のことかを察する。
「ミコトの事ね! 彼女はここで殺されそうになっていたところを保護したの。今はディルメイア孤児院に捕らえられているわ」
「捕らえられている? なぜ?」
「その孤児院も奴隷たちの中継地点として使われているからよ。お願い、私たちは敵じゃないわ。じきこの場所に警備隊が来て、解放された奴隷たちを保護と言う名目で虐殺しに来る。私たちはそれを止めに来たの!」
「だから君たちに保護させろと、そう言う事か? 君らが保護した場合も同じような結果になるんじゃないのか!」
「違うわ!」
必死に訴える。
「私はそんなことはしない! 魔族だと言う理由で信用できないのなら、あなたたちの方で保護して、どうか警備隊の手には渡さないで欲しい」
そう言うも兎人の方が反発してくる。
「私たちのパーティーだけでは百人単位いる彼らを全員見ることはできない。警備隊の力は必ず頼ることになるわ。第一、その隙をついてあなたたちが悪さを働かないと言う保証がない」
「私たちはそんなことをしない!」
通りにリナの言葉が響くも虚しく。
二人の表情は変わらないまま、兎人から氷のような言葉が発される。
「魔族を信用することはできない」
「種族は関係ないわ! 誰かを助けたいと思う心に、相手を差別したりはしない!」
「休戦中とは言え戦争相手なのよ。正気とは思えない理屈ね」
「戦争は国家間の外交手段でしかない。私たち個人は関係ないわ」
「理想論よ。実際には人族は魔族を恨むしその逆も然り。違う?」
それは、と口を開くも後の言葉が続かない。
なぜなら、リナの隣に複雑な表情を浮かべる友の姿があったからだ。
「待ってくれリーリア」
男の方が口を開く。
「俺は信じてみてもいいと思っている」
「本気で言っているの、カナト!」
兎人から怒りのこもった声が飛ぶも。
「話は最後まで聞いてくれ。リナ、と言ったか。君は、誰かを助ける心に差別をしたりはしない、そう言ったな」
ええ、とリナは力強く頷く。
「では、それは罪人に対しても同じか?」
罪人……? と一瞬何のことを言われているのかわからず眉を寄せてしまう。
「ここを破壊するに当たって、俺たちは事前に情報を掴んでいる。そこには二名の容疑者の情報があった。一人目は市長ザクリアに関する情報。そしてもう一人は――」
男がレイナを睨みつける。
「金髪に白角を持つ魔族の女性に関する情報だ」
その言葉を聞いた瞬間、リナは自身の心臓を掴まれたような思いをしてしまった。
罪人に対しても差別しない。
つまりこの男はレイナに対してもそうであるのかと問うてきているのだ。
ここでレイナがそれを認めてしまったらどうなるのだろうか。
鼓動が高鳴る。
あの言い方から察するに、十中八九、レイナに対して処罰を求めて来るのであろう。
奴隷売買に関わった者への処罰はどの国でも同じだ。
それがわかっているだけに、どう説明すべきかを迷ってしまう。
「ち、違うわ。彼女は……」
咄嗟にリナは嘘をつこうとしてしまうもレイナは、
「あたしのことよ」
と俯きながら答える。
その顔は何かを諦めており。
そんなレイナだったからこそ、懇願するような瞳を彼女に向けてしまう。
「あたしがカナルカで、奴隷売買の魔族側の仲介役を務めていた」
「そんな。ダメよ、レイナ!」
彼女が何をしようとしているかわかってしまうだけに、リナはその先の未来から目を伏せてしまう。
どれだけ改心しても、罪そのものが消えるわけではない。
「か、彼女はさっき私にその罪をちゃんと告白してきたわ! もうやらないと改心している! 親友の私にはわかる!」
リナは必死にそんな言い訳とも取れない言葉を並べてしまう。
それが言い訳とわかってしまうだけに、男は一切動じることがない。
「親友の君相手だからこそ同情を引いているのかもしれない。第一、それは客観的情報ではない。君は今日、合同軍事演習を行っている最中のはずだろう? とある筋からその情報は得ている。市長はどうしたんだ?」
「市長は……」
呼吸がままならなくなる。
「拘束……してきたわ。逮捕するために……」
「ならなぜ彼女を拘束しない? 道理が通らない」
「彼女はもう改心している!」
「それが真実であるかが俺にはわからないと言っている。それに、改心しているからと言って待遇を分けるのは差別だ。君が正義の行いをしていると胸を張るのなら、君の隣にいる女性は拘束されて然るべきであろう」
――そうだけど、そうじゃないんだ。私が言いたいのはそんなことじゃなくて……。
「……ではそうだな。この場で魔族の法に則って彼女を処罰してくれ」
この上さらに、刃物のような言葉がリナへと突き立ててきた。
「魔族が奴隷売買人に対して、どういう対応を行っているかぐらいは知っている。そうしたら俺は君の言葉を信じよう」
現行犯死刑。
魔族とか人族とかに関わらず、どの国でも同じだ。
「俺は魔族が危険な種族だと教えられてきた。だが、君はそうじゃないかもしれないと思っている。もしそうであるのなら、君が法に基づく秩序を持った種族であることを俺に見せてくれ。そうすれば、君が信用に足る人物であると判断しよう」
どこにも反論の余地のない言葉。
それがただ辛かった。
レイナを救うためには、この場でレイナの罪に目をつぶりながら、自分たちを邪魔したという不誠実な理由で彼らと戦闘しなければならない。
加えて、その後にやって来るであろう警備隊とも対決する必要性が出てくる。
おまけにそれらに勝利できたとしても、奴隷たちはリナが保護せざるを得ず、魔族が人族を誘拐した、と言う風にでっち上げられる可能性が残ってしまう。
その場合はシュジュベルと魔族の対立は決定的なものとなってしまうであろう。
では逆に彼の言う通りにするのか。
レイナをチラと見る。
――いやだ。絶対に嫌だ! せっかく彼女と通じ合えたんだ。これからなのに。やっとこれから彼女と本当の意味で付き合うことができると思ったのにその矢先……。
「リナ」
レイナが前に立つ。
そして、自身の剣を引き抜いてリナの手に持たせてきた。
「今度は私の番だね」
そう言って、優しく微笑んだ。
――そんな微笑みは見たくない。レイナはいっつも太陽のように笑っていて、そんな風に笑ったりしない。
「いや。いやよ。レイナ……っ」
声が震えて、涙が流れてしまう。
「さっきリナの愛をこれでもかって見せられちゃったもんね。次は私が見せる番だよ」
胸に手をあてるその表情は穏やかなもの。
「私は命を賭けるわ。代わりにあなたは――」
「あなたの勇者を賭けて」
少し前なら、レイナから一番聞きたかった言葉。
でも今は、レイナから最も聞きたくない言葉。
首を振りながら後退りし、涙がとめどなく溢れてしまう。
「勇者選定の時ね、あたし、リナについていくかだいぶ迷ったんだ。怖かったの。このままリナが受かったらどうしようって。だから心の中では失敗を期待しちゃってたんだ。あなたをちゃんと見ることができなかったから」
でもね、とレイナは清々しく笑う。
「今は違うわ。リナが望んでなりたかったものをあたしは見てみたい。前みたいに逃げたりしないわ。今度はちゃんと見届けるから」
正しいことだ。
正しいことなのに、心が従おうとしてくれない。
本当は分かっていた。
彼女の処遇をどうすべきかを、リナは見て見ぬふりをしていたんだ。
でもそうじゃない。
それは正しい行いとは言えない。
もしここでレイナだけを特別扱いすれば、リナはザクリアと何も変わらない。
彼はシュジュベルの人々のために、罪を犯してでも利益を求めた。
リナがレイナの罪に目をつぶることと何の違いがあろうか。
炎で建物が焼け落ちて、崩壊音がリナをまくし立ててくる。
いつまでも待てるわけではないと言わんばかりに、男の方も剣の柄を握り直しているところだ。
「さあ、リナ、お願い」
震える手で、剣を握りしめる。
――果たして、私は彼女を斬ってこの後人生をまともに生きていけるのだろうか。親友の一人すらも守ることができないのに。
自身に対する怒りが湧きたつ。
――なんで……。なんでよ! なんでなのよ! 私は魔王なんじゃないのか! ならこんな状況簡単に切り抜けて見せてよ! 魔王ならこんなの朝飯前で全部解決しちゃうんじゃないの。
……勇者なら、迷うことなく答えにたどり着けるんじゃないの。
張り裂けそうな胸を押さえながら、覚悟を決める。
レイナはさっきリナの想いに答えてくれた。
ならば、リナも彼女に答えるべきであろう。
最良の答えが見つからない以上、彼女の尊厳までもを踏みにじることなどあってはならない。
たとえそれが、リナ自身の望んでいない結果であったとしても。
その剣を振りかぶる。
動機が激しくなって、呼吸ができない。
「リナ。大好き」
見届けられなくて、どうしても目を閉じてしまう。
「――さようなら」
その言葉を聞いて、リナはすべての想いを捨てて、剣を――
振り下ろした。




