4-2 愛する彼女に
赤く染まっていく服。
最初は温かかった。
けど徐々に体温が奪われて寒さを感じてしまう。
あっという間に赤い水たまりができあがり。
目の前には驚愕の表情を浮かべるレイナの顔と震える手。
急速に血液が失われてしまったことで意識を保つのが難しくなるが、まだここで倒れるわけにはいかない。
最後まで彼女に踏み込むと決めたんだ。
――私はもう、絶対に彼女から逃げない。
「レイナ、さあ、選んで」
フラフラとする頭で言葉を紡ぐ。
「私を殺して奴隷が皆殺しにされるのを見過ごすか。それとも、私があなたのパパと、あなたのママの代わりを全部やるかを。私は見ての通り、命を賭けるわ。その代わり――」
「あなたはあなたの魔王を賭けて」
息も絶え絶えに、血まみれとなってしまったその手を彼女に差し出す。
「私を殺す覚悟があったんでしょう? さあレイナ、その剣を私の心臓に切り上げなさい。私の命と引き換えに、あなたの恨みを選びなさい!」
リナの声とともに街から火災の音が響く。
恐らくメメリモ通りが冒険者パーティによって破壊されている音であろう。
手に汗握るレイナの顔は強張るばかりだ。
「レイナ。生きるって、すごく辛いよね。苦しいよね。そこから逃げたくなってしまうことも、誰かを傷つけたくなってしまうのもわかる。でもね、私はそこから逃げたくない。あなたにも逃げて欲しくない」
失うことがどれほど辛いものかは、あなたが一番わかっているでしょう。
痛みや呼吸の苦しさなどとうに忘れて、彼女の剣を腹元に突き立てたまま、レイナの両肩を掴む。
「あなたと一緒に歩きたい。苦しく辛くて仕方がないのなら、私が必ずあなたを救うって約束する。絶対に一生あなたの傍を離れたりしないわ」
最初は魔王になれば、そして次は勇者一行になれればレイナを救えると信じていた。
役割が人を救ってくれると思っていたんだ。
でもそうじゃない。
勇者だから誰かを救えるんじゃない。
「約束する。だから私を信じて」
誰かを救えるから、私ははじめて勇者になれるんだ。
「だから一緒に行こう。あなたの恨みも、私が全部引き受けてみせる」
ずっと傍にいたいから。
「私の大好きなレイナ」
「ぁ……」
その時、レイナは遥か昔の思い出を見ているかのように目を見開いていた。
その瞳には彼女のパパとママの姿が映り。
遠く彼方から、レイナへと呼び掛けている。
私の大好きなレイナ、と。
言葉にならない声を発しながら一歩、また一歩と後退っていく。
やがて石につまずき、その場にペタリと座り込んでしまった。
リナの血のりでべっとりとなった両手をまじまじと眺め、彼女の持つ最後の希望が失われようとしていることを自覚していく。
両親がいなくなって、すべての関係を断ってきたレイナには、もう彼女しかいない。
どうしてリナとの関係だけは続けられたかというと、彼女も同じように母親を戦争で失っているから。
お互い慰め合って、共に人族を打倒することへ共感しあえると思えたからだ。
なのにリナときたら、レイナとは違って、短い期間で悲しみからは立ち直り。
おまけに勇者一行にまでなろうとする始末。
それでも、レイナはリナの元を離れることはできなかった。
やろうと思えば彼女との距離を取り孤独になることはいつでもできたであろう。
なのに、それを今までしなかった理由、
それが今できない理由は、彼女の瞳からこぼれ出るこの雫にこそあるのだろう。
嗚咽が漏れ、手足が震え、呼吸すらもままならなくなり。
それは自身の中に渦巻いていた怨嗟の感情が別の想いによって上書きされていくことによるものか。
それとも大好きだった両親の幻影を見たからか。
あるいは大切な親友を傷つけてしまったことによるものか。
レイナは血まみれとなったリナの姿を上から下まで眺める。
傷つけたくないと思っていた親友の体は、いま急速に死へと近付いている。
唇は青く、目元は徹夜でもしたのかと思うほど黒ずんでいて、それはもはや、虫の息と言えるような状態となっていた。
「リナ……? ぇ……っ。リナっ。リナ!」
そのままレイナは泣き崩れてしまった。
「リナ、ダメ! ごめん。ごめんなさい。あぁ。ああぁぁ」
緊張の糸も切れてしまい、血を流し過ぎたせいか視界がぼやける。
「リナ……っ。ダメっ、死なないで。お願いだから死なないで……っ。リナぁ!」
今になって必死にリナの傷口を抑えるが、すでに多くが流れ出てしまっている。
死が訪れるのは時間の問題と言えよう。
だがリナの表情は明るかった。
はじめてレイナと心から話すことができた気がしたからだ。
そんな彼女を優しく抱き留める。
「レイナ大丈夫よ。死ぬつもりなんてない。そんなことよりも、あなたといられなくなることの方が死ぬほど辛い」
「でも、血がこんなに……!」
「剣をゆっくりと抜いて」
「死んじゃうよ。ただでさえ血がこんなに出てるのに」
「大丈夫。信じて?」
恐怖で震えながらレイナは頷き、剣の柄に手をかける。
それだけで肉の裂けるおぞましい音が聞え、レイナを躊躇させてしまった。
「い、いくよ?」
「うん」
――。
鈍い音と共にリナは痛みのあまりうめき声をあげる。
酸素が明らかに足りていないのに、横隔膜を動かすだけで傷の内側をやすりで削られているかのようだ。
すぐさま自身の体に治療魔法を施し、脂汗を纏いながら破損した体の組織を修復していく。
「大丈夫。体は何度も治したことがあるの。これくらいへっちゃらよ。他称魔王をなめないでよね」
わずかばかりに残った気力でそんな強がりを言ってしまう。
「でも、リナすごく辛そうだよ」
レイナのことを抱きしめる。
「あなたと一緒にいられなくなる方がよっぽど辛い」
彼女も抱きしめ返す。
「リナ……っ! ごめんね、ごめん。私、ずっと怖かった。人族が嫌いで奴隷売買を仲介するようになって、でも、大切なあなたを見るたびに胸がズキズキ痛んで。何度もやめようって思ってた!」
レイナを優しくあやし続ける。
「私、シュジュベルであなたが核心に迫る度に、生きた心地がしなかった。リナがもしあたしの真実に気付いちゃったら、きっとあたしのことを軽蔑するようになるって。もう一緒にいられないって。それが怖くて怖くて仕方なかった」
彼女からすれば針のむしろだったことであろう。
二人で涙しながら、互いを労わるように撫で続ける。
「ううん。私はレイナのことを嫌ったりしないよ。だってこんなに好きなんだもん」
「でも、リナのことを傷つけちゃった。いっぱい血を流して、命まで賭けさせちゃった。私、友達失格だよ」
彼女とおでこを突き合わせる。
「友達に資格なんていらない。互いを想う心があればそれでもう十分だよ」
リナぁ、とレイナが再びリナを包む。
リナはそれに図らずもうめき声をあげてしまうのだった。
「あ、ごめん。まだ痛いよね」
ザクリア戦での傷はだいぶ塞がってきているが、先ほど得た傷口はまだ中の肉が見えている。下手に動かすと良くないのはわかっているが、まだ立ち止まるわけにはいかない。
「うん。でも、行かなきゃいけないところがあるの」
「メメリモ通りね。あたしも行くわ」
レイナの表情を見る。
そこには先ほどとは違う色があった。
「わかった。レイナ、ありがとう」
人族を救うために行くというのに、彼女の瞳には炎が宿っていた。




