4-1 友の調べに
シュジュベルの外門へと近づいたところで、一人の少女がリナの前に立ちはだかった。
今、一番会いたくて、そして今、一番会いたくなかった人物。
会いたかったのは、リナがその人物のことを愛しているから。
会いたくなかったのは、その人物が抜き身の剣を持っていたから。
降り出した雨は、まるでこの行く末を暗示しているかのようで。
その雲は切れることのない厚いものであった。
彼女の姿に、リナは膝から崩れ落ちそうになるのを必死に堪える。
「レイナ……」
呼びかけとも独り言とも取れるようなリナの言葉にレイナは苦笑いすら返さない。
「やめようリナ。もうここでお喋りしても話は進まない」
レイナが剣を構える。
「ふざけないで!」
「ふざけてないわ。大真面目よリナ。シュジュベルに今いる奴隷は全部人族なの。本当はあたしの手で殺したかったけど、リナを止める方が結果的に人族を殺せる可能性が高そうだったから」
どうして、そうまでして……。
「私なんかじゃリナには勝てないって思った? でもね、この問題は私にとって勝てるとか勝てないとかの問題じゃないんだ。恨みを晴らしたいか晴らしたくないかなの。だから――」
氷のような瞳がただただリナの心を蝕んでいく。
「私はそのためならあなたを殺す覚悟がある。あなたにはある? 奴隷を救うために親友を殺す覚悟が。私の大好きなリナちゃん」
そのままレイナは走り込んできてリナへと剣を振るってくる。
リナはこれを光剣で受けることしかできない。
反撃して彼女が傷ついてしまおうものなら、とてもじゃないが心が耐えられない。
彼女とはちゃんとわかり合いたいんだ。
戦って雌雄を決するなどあってはならない。
「リナは強いよね。あたしが知ってる誰よりも強い。でも相手を倒せないんじゃ戦えないのと一緒よね」
レイナが口だけ微笑みながら、剣を幾度も振り下ろしてくる。
その重みで腕が千切れてしまいそうなほどに。
「リナ、あなた勇者になりたいんでしょう? なら親友を殺しなさい。じゃなきゃ奴隷たちは皆殺しよ。この場において、私は明確な悪だわ」
リナが攻撃できないことを良いことに、捨て身攻撃で次々にリナへと生傷を与えていく。
「それとも勇者になりたいリナちゃんは、親友が相手になると途端に差別しちゃうの?」
差別……。
そうだ。
私はレイナだから傷付けたくない。
だが、レイナじゃなかったらいいのか。
唇を強く噛む。
その思想を持った瞬間、私の正義は正義でなくなってしまう。
「なんで……なんでそんなこと言うのよ!」
レイナの攻撃が一瞬だけ止む。
「私ね、あなたに魔王になって欲しいの。人族を救う勇者じゃなくて、人族を滅ぼす魔王に。別に地獄の門に選ばれるとか選ばれないとか、もうどうでもいいの。リナが人族の敵になればそれでいいんだ。そしたら全部うまくいくのに。……リナは本気で勇者になりたいと思っているの?」
「私は――」
「カナルカを蹂躙するってことだよ」
ナイフのような言葉を突きつけてくる。
「カナルカに住む魔族の家を焼くと言うこと。あなたのお父さんを殺すと言うこと。魔族のあたしにその光剣を突き立てるということ。勇者になるってそういうことだよ。本気でそれが分かって言っているの?」
「違うわ!」
「何が?」
「そうじゃない! 私はそんなのになりたいんじゃない!」
リナは勇者選定の一次試験で落とされた。
今でもその悲しさを覚えており、悲しいと思えるくらいに勇者になりたかったと言うことはわかっている。
だがそれは、決して今レイナが言ったようなことのためではない。
リナが選定のために必死に努力した理由――
それはレイナのために他ならないんだ。
「私はあなたを救うために勇者になりたかったのよ!」
「ふっ。仮にあなたが勇者一行になれたとして、魔族を救うことなんてできないわ。ましてやあたしを救うなんて」
人族は魔族を軽蔑する。
逆に魔族は人族を軽蔑している。
それでも――。
「できるわ!」
「できないわ。なぜなら魔族は魔王様に救ってもらうことを夢見ている。逆に、人族は勇者に救ってもらうことを夢見ているわ。魔族のあなたがいくら勇者になって人族を救ったって、誰も感謝しない。だれもそんなことは望んでいない」
「私は誰かに感謝されたくてやっているんじゃない。あなたに感謝されるためじゃなくて、あなたを救うためにそうしたいのよ」
「だったら魔王になって救ってよ」
「種の差って、そんなに大切なもの?」
レイナが呆れた敵意を向けてくる。
「リナって頭はいいのに頭の中はお花畑よね。いつも隣にいたあたしの何を見ていたの? あたしがどれだけ人族を嫌っていたか、まだわかってないの?」
そんなの十分わかっている。
わかっているからもう逃げちゃいけないんだ。
レイナがずっと苦しんでいることを知っていたからこそ、何かしてあげたいとリナは思ってきた。
不器用なりにいっぱい考えて、彼女に寄り添えるよういろんなことをしてきたんだ。
けどその反面、リナは彼女の肝心な部分にはずっと触れずきている。
レイナ自身が変わるのをただ待つだけで、そこに踏み込むのを恐れていた。
傷ついたり、傷つけられたりすることを恐れれば、一生レイナは救われない。
親友だから、踏み込まないんじゃない。
親友だから、踏み込まなきゃいけなかったんだ。
「ショックだなぁ……。リナが人族を魔族と同じように見ているのは知ってたけど、それでもあたしを選んでくれるって思ってた。あたしがリナを好きなように、リナもあたしのことを好きだと思ってたもん」
「……そんなの私だって一緒だよ」
レイナならきっとわかってくれるって思っていた。
だからずっと怖かったんだ。
お互い一緒にいたいと思うからこそ、彼女との関係が壊れてしまうのを極度に恐れてしまう。
でも違うんだ。
リナはその覚悟を決めて、レイナの顔を真っ直ぐと見る。
彼女の言う通り、私もレイナを愛している。
「ねぇリナ。魔王になってよ。リナが魔王になって魔族の私を救ってくれるんなら、私はそれを歓迎するわ。人族を全部滅ぼして、私の恨みを晴らして? そしたら私、リナと結婚したいってくらいにあなたのこと好きになっちゃう」
「ふっ。別に今だって私と結婚したいとか言っちゃうくせに」
「ふふ。そうね。今もすごく好き。だから、ずっと一緒にいたい」
期待を込めたレイナの言葉に、リナは首を振る。
「いいえ」
光剣を強く握りしめる。
「私は魔王にはならない。……それだとあなたは救えない」
静かに放ったその言葉に冷ややかな表情が返される。
「はっ。何それ。さっきから勝手にあたしのこと救うとか救わないとか、何様なの? いいわよね天才リナちゃんは。何でも持ってる。人族を圧倒するための魔法力。人族を殺傷するための戦闘力。人族を追い詰めるための知略。あなたには全部ある! あたしが欲しいと願っても絶対に手に入らなかったものを!」
レイナが憎しみを剥き出しにしながら怨恨の瞳でリナを睨みつける。
「違うわ。レイナを救いたいと思ったから全部手に入れたのよ」
「だったら! その力で人族を殲滅してよ!」
「人族も魔族も同じよ。みんな必死にこの世界で生きている」
「違うわ!」
レイナが歯を剥き出しにする。
「パパとママはただ隣町のお手伝いに行っただけなのよ! 軍事施設を作っていたわけでも、魔族軍へ協力しに行ったわけでもない! ただ隣町の壊れた風車の修理を手伝いに行っていただけ! なのに何で殺されなきゃいけないのよ!」
呪いにかかった彼女は今、悪魔のような表情で憎悪に囚われている。
「人族がただの蛮族だからでしょ! 同じですって!? 同じなわけない! 滅ぼさなきゃいけないのよ!」
「いいえ、同じよ。私たち魔族と同じように、親の腹から生まれてきて、レイナと同じように愛を持って育てられ、そして――」
リナは悲しく微笑む。
「――私とレイナのように、たくさんの弱さを持つ同じ生き物よ」
レイナの手が震え。
その手には血が滲み。
噛みしめた唇にも同じ赤。
「違う! 絶対に違う! 人族と一緒なんて、そんなのあり得ない! 絶対に違うわ!!」
レイナが怒り狂いながら否定を履き散らかす。
――そうよ、レイナ。
レイナのご両親を殺したその人たちとあなたは違うのよ。
人は弱い。
けど、けっして弱くなんかない。
だからそれを私に教えて。
今まで私はずっとそんなあなたを信じ切れずにいた。
心のどこかであなたのことを、恨みに囚われた弱い人だと勝手に思い込んでいた。
だから怖かったんだ。
でも今度はちゃんとあなたのことを信じるから。
信じて見せるから。
光剣をその手に、意を決してレイナへと突撃を仕掛ける。
対するレイナも、いきなりやってくるリナに驚きつつ応戦の構えだ。
刺突に構えたまま彼女へと迫る。
でも、レイナの表情を見て一目でわかった。
彼女は私を倒す気なんてさらさらない。
レイナが想定している結末はきっと二つだ。
私がレイナの説得に応じるか、彼女が私に断罪されるか。
最初っから、私の阻止なんて眼中にない。
親友だからこそ、そこまで手に取るようにわかるんだ。
きっと私が覚悟を決めるのを待っていたんだろう。
そうやってリナに断罪されるのなら、まあいいかくらいに思っている。
けど、そんなこと、絶対にさせない。
今までの彼女との思い出が走馬灯のように脳内に浮かんでは消えていく。
物心ついたときから、ずっとあなたと一緒。
これからも離さない。
――レイナ。
もう目の前だ。
――大好き。
レイナの剣が迫る中、リナは光剣の魔法を解除する。
そして彼女の刃を――。
そのまま体で受け止めた。