3-3 疾風のザクリア
聞こえるはずのない声と想定外の音が耳へと入る。
矢を放つ音だ。
まだリナが槍兵をやり過ごす前であるというのに、弓矢の斉射音が聞こえたのである。
これでは味方も巻き添えにした攻撃になってしまうのでは、という思いが胸の中に沸き立つも、リナを包囲する側面の部隊が、後方からの隊列を崩していく。
他の部隊も、リナよりそちらへと視線が奪われてしまっているようだ。
「突き崩せ!」
相手陣を食い破るは、リナを包囲する者たち同じ制服のシュジュベル警備隊。
その先方にはスナク・メスベルの姿あり。
雪崩のように駆け込んできて、リナの周囲をあっという間に固めていく。
「遅くなったな!」
「スナク、さん……!? あなた、どうして!」
「多くは語るな!」
そう言ってリナを制し、ただ一言だけ。
「貴様の勇者の道、一人では走らせん!」
スナクの顔を見上げてしまう。
不敵な雄々しいその表情にリナの心の炎が息を吹き返す。
「貴様の部隊も連れて来てある。予め伝えておいてもらえればもう少し早く来れたんだがな! ――カッケイの陣! 左翼を打ち崩せ!」
スナクが文句を言いながら、敵陣へ猛攻を加える。
ザクリアの部隊は人数こそ勝っているものの、リナ相手どころではなくなりつつある。
「うろたえるな! 応戦しろ! 槍兵前へ!」
部隊同士が衝突し、一気に混戦模様へ。
光剣を持ち直しながら、スナクへとお礼代わりに強がりを言うことにする。
「元々一人でやるつもりだったんだもの。言うわけないじゃない」
「お前らしくもない。もっとも確度の高い選択肢を排除するとはな」
「選択肢?」
「俺と共闘するという選択肢だ!」
彼の回答に鼻を鳴らしながらスナクたちがやってきた方を見ると、リナの部隊員たちが心配そうにこちらを見ていた。
みなリナに何かあろうものなら命を懸けても戦うという表情だ。
巻き込むつもりはなかったんだけどなぁ、と小さくほくそ笑みながら、やむを得ずリナも覚悟を決める。
「スナクさん、私の隊も指揮下に入れる?」
「構わないが、お前は?」
リナは顔をクイと捻って、慌てふためく市長の方を指す。
「あっちの大物を独り占め」
ふっ、なるほどな、とスナクも笑う。
「今度こそ文字通りの合同軍事演習か。俺の仕事が多めだな。まさか魔族の部隊も一緒に面倒をみるとは」
リナの肩に手を置きながら、スナクは背を向ける。
「死ぬなよ」
「あなたに言われなくても。一人でも切り抜けるつもりだったわ」
「戯言を」
二人で笑いながら行動を開始する。
リナの隊にはスナクに従うよう指示を出し、戦場を駆けながらザクリアの元へと迫る。
スナクが敵兵を抑えてくれるため、リナはさほどの妨害を受けることもなく、ザクリアへと対峙することができた。
ようやく当初の目的が果たせそうだ。
ザクリアは焦りの色を浮かべながらも、鞘から両刃刀を引き抜いていく。
彼とてネームド軍人。
疾風のザクリアの名は伊達ではないはずだ。
「私を倒したとて状況は変わらないぞ。奴隷売買が止まればシュジュベルは貿易赤字が拡大する。人々はたちまち困窮して、再び奴隷という欲に目がくらむだろうさ」
「そうかもしれないわね。でも、それを決めるのはあなたじゃないわ」
光剣を向ける。
「試してみる? あなたの言うように、一般市民のすべての者が利益を前に人道を反するかどうかを」
「家族が食うに困ればそんなものは無価値だ! 私はかつてそうだった! 軍人として武勲をあげられたからよかったものを、汚いスラムの生活がどんなものだか、貴様は想像できまい! 人道が一体誰を救ってくれる! 真に困っている者の前ではそのようなものなど意味をなさない!」
「そうかもしれないわね。そしたら裁判所でも同じ文言を言う事ね!」
リナが走り込む。
ザクリアは細かくステップしながら隙のない剣捌きでリナの光剣と打ち合う。
この魔法剣はただの金属であれば溶解切断できるが、相手の剣にも魔法が宿っている場合、普通の剣のように扱われる。
彼もタダでは勝たせてくれないようだ。
いったん距離を取ろうとするも、
「【ウインドスラッシュ】」
空気が金切り音をあげて、かまいたち四連撃がリナへ。
飛来物を光剣で叩き落し、今度はこちらの番とばかりに魔法を詠唱。
「【フロストキャノン】」
天色の魔法陣から繰り出されるは氷の砲弾八発。
断続的に放たれたそれは経路上のすべての草花を凍りつくし、掠めたザクリアの体表には小さなつららが生じていた。
だが構わず空を翔けるザクリア。
ダメージと引き換えに距離を詰めて、両刃剣を風ごとく振るう。
疾風のザクリアは彼の二つ名。
その速さ嵐のごとく、その威力竜巻のごとし。
大傷こそ負わなかったものの、傷だらけの体がさらに赤く染まる。
「ふっ、どうした? 勇んで戦いを挑んできたと思ったらこの程度か?」
「余裕でいられるのも今の内よ!」
瞬時に魔力をかき集める。
八卦魔法陣、七紋章。
「【ホーリーバスター】!」
大口径の光線魔法。
連続したエネルギー放射で全てを薙ぎ払う。
空中機動でこれを避けていくザクリアは、いくつものナイフをリナへと投擲し、魔法をザクリアへ向けさせまいとし。
対するリナは距離をグイグイ詰めて、連続放射できるメリットを生そうとする。
逃げるザクリアに追いかけるリナ。
しかし、しばらくそれが続いて、彼が捕まらないとわかるや魔法を解除。
当たらないのであれば打ち続けるだけ魔力は損耗していく。
いくら魔法力の高いリナとは言え、それが無尽蔵にあるわけではない。
「どうした。もう息切れか? 今代の魔王は魔法力に自信ありと聞いていたが、実は大したことないのか?」
ザクリアの子馬鹿にした笑いを受けながら、私は魔王じゃないっての、と息を吐き出す。
我ながら安い挑発に乗ってしまうものだ。
これから自分がやろうとしていることに呆れた笑みをこぼしてしまう。
ザクリアが武器を降ろして、余裕綽々に構えているのは、こちらの大技を誘っているからであろう。
大丈夫、万が一失敗しても対策はあるし、むしろ挑発に乗る方がいいかもしれない。
そう判断したリナは意識を集中する。
「いいわ。じゃあ見せてあげる。私が魔王と呼ばれる所以。魔族たちが私を無理矢理にでも魔王にしたがる理由」
通常戦闘では魔力充填に時間がかかって実用的ではない魔法。
光剣を消しさって、杖に膨大な魔力を収束させる。
おそらくザクリアの狙いは、そうやって大技を振らせたところで、リナの隙を狙うというものであったのだろう。
だが――。
リナの魔法は、彼の想像を遥かに超えたものであった。
溢れ出る魔力でリナの体が青白く輝く。
空気が震え。
天が唸り。
地が揺れる。
その光景を、ザクリアは茫然と眺めてしまっていた。
展開魔法陣、こと二十三。
燃ゆるは光りて炎をなし。
魔の模様にて根源を成すこと。
その深遠には自然の摂理。
輝く死の色は十三の炎。
破壊にたるは根源となりて。
森羅を焼き尽くすは万象の死火なり。
轟くその名は!
「収束爆炎魔法! 【ソレイユ・ディ・エンド】!!」
光の蠢きが弾け飛ぶ。
周囲には赤、青、紫の光の粉が舞い散り。
そこには、星の死があった。
もちろんそんなものを見たことがある者はいない。
けれども、星の死とはこのようにあるのだろうという大火がそこにはあり。
周囲を焼き尽くす炎は、大火におさまらず、拡散爆炎を伴って。
木々は炭化し、草原が炭粉と変わり、地面はガラスと化す。
獄炎の空気があらゆる物質を焼き尽くし、マグマとなった地面をも焼き飛ばすほどの崩壊が起こっていた。
その効果時間三十秒ほど。
ただ待つには短く、崩壊を凌ぐには長すぎる時間が過ぎた。
ようやく周囲が落ち着きを取り戻したころ、自然発火が始まりかねない熱風の中で、リナは再び杖を掲げてザクリアへと迫る。
彼はズタボロの状態で地面に横たわっていた。
だがその肺はわずかに上下しており、生命活動が止まっていないことを確認できる。
これほどの熱量がうねる中なぜ彼が無事なのか。それは――
「わざと掠めたのよ。次は灰すら残さない」
杖をザクリアへ向けると彼は目だけを動かして、なおも不敵な笑いを浮かべてきた。
「はは。もう止められないぞ」
「今さらなに?」
息も絶え絶えにザクリアは言葉を続ける。
「勇し……いや、冒険者パーティにメメリモ通りの破壊するよう仕組んである。魔族との関係を切るために奴隷解放を名目としてな」
「それが?」
あんな市場ない方がいい。
自ら破壊してくれるのなら壊すに任せた方がよいであろう。
「解放した奴隷たちは警備隊が保護することとなっている。そのまま全員、証拠隠滅のため殺処分とする予定だ!」
その言葉に身体が震える。
ザクリアに対する嫌悪感は最下層にまで来ていると思っていたのだが、どうやらまだ底が知れないらしい。
彼のやりようにはらわたが煮えくり返る。
「愚かな……っ。なんて愚かなことを! そんなことをしてなんになるの!」
怒りのあまりに視界が真っ赤になり、食い締める歯が痛みを覚えるほどだ。
「はんっ! そんなの人族に転封するためだ! 奴隷たちはみな人族だ。この事実は魔族による虐殺として人族に伝わる手はずとなっている。今シュジュベルを訪れているお前の部隊の手によるものとしてな! くたばれ魔王がっ!」
もはや開いた口が塞がらなかった。
ザクリアの計略高さにある意味脱帽するとともに、彼の愚劣さがこの世のものとは思えないことに吐き気を催す。
スナクたちの方へ視線をやるもまだ戦いは続いている。
となればリナが止めに行くしかない。
「今さら止められない! 奴隷を保護する警備隊を邪魔すれば、お前は悪人と映るだけだ」
「黙れ! お前はもう喋るな! 【ホールドクラスト】」
拘束魔法を何重にもかけて、すでに動けなくなっているザクリアを魔法で縛り上げる。
とにかく移動だ。
彼の言い方からするに、すでにメメリモ通りの破壊は進行中なのであろう。
今度は時間との勝負になる。
先ほど二百名の衛兵を相手にしたときよりも脂の混じった汗をまといながら、リナは演習場から駆けだした。