第八章 共に歩めれば、それで
様々な講義の概要を聞き、怒涛の一日が終わった。見習い騎竜士たちはやや疲れながら、しかしこれから始まる訓練の日々に少なからず期待を抱きながら、自分たちの寮に戻った。
アルナイルとアルザも同じように、寮に戻る。同室のシグレは既に戻ってきていて、ベッドに腰かけたまま本を捲っていた。今日一日何処でも会わなかった彼に、"ただいま"と伝えてから、アルナイルは彼に問いかけた。
「あれ、アスカルとスティリアは?」
シグレは本から顔を上げ、緩く首を振る。
「スティリアたちはさっき一回帰ってきたけどまた出かけた。アスカルはまだ帰ってきてない」
「そっかぁ……」
アルナイルはそう呟き、溜息を一つ。ちらりと自身の相棒に視線を向ければ、彼も同じように困ったような、心配そうな顔をしていた。頭にあるのは、昼間のやり取り。やはり気まずい、という思いがあるのだろうか。そんなことを考えていれば。
「何かあった?」
そうシグレに問いかけられて、アルナイルは視線を揺るがせる。
「ん……」
本人たちが居ないところで話しても良いものか。アルナイルはそう悩む。そんな彼の様子をじっと見つめたシグレは、静かな声で問いかけた。
「……スティリアの様子もちょっと変だったんだけど、なんか関わってる?」
問い詰める、というのとは少し違う、けれども確信を持っての問いかけに、アルナイルは堪忍したように苦笑を漏らした。
「……鋭いなあ」
まだ幼いと言って過言ではないシグレだが、非常に賢く、鋭い。周囲の人間の様子をよく見ているのだろう、ということは、まだ出会って間もないながらに感じていた。彼に隠し事をするのはなかなか難しいだろう。何より、同室者の話だ。伝えておいた方が、今後何かと良いかもしれない。
「喧嘩、って程じゃないけど……ちょっと、あってさ」
そう前置いて、アルナイルは昼食の時のやり取りを掻い摘んで説明した。
昼食の時に騎竜士になりたい理由の話になったこと。特に目指したい理由が明確でないアスカルと、明確な理由があるスティリア。どちらが悪いという訳でもないが……甘い覚悟で此処に居るべきではないというスティリアの言葉にアスカルが落ち込んでいたこと……
スティリアの言い方は確かに少しキツかったとは思う。けれど言っていることが事実だったのは、アルナイルとしても理解していた。また、アスカルも、そのパートナーであるフェッルムも、そこは理解していたように思う。けれど、アスカルのように"明確な動機のない"騎竜士見習いだって、少なくないのではないか? アルナイルはそう思っていた。
「俺もどっちかって言うとやりたいこと、ふわふわしてるからさ」
困ったようにそう言って、アルナイルは話を打ち切った。
あの日出会った、自分を助けてくれた騎竜士のようになりたい、ドラゴンと寄り添い合いながら生きていきたいという願いはあるけれど、スティリアのように明確な思いや願いではない気がする。自分も、彼にとっては"目標もない、甘い覚悟で此処に来た者"になってしまうのだろうか。
「アルザと一緒にやりたいこと、俺も見つけていきたいと思ってるんだけどさ。騎竜士になって、どういう風に生きていくか……それはまだ、全然固まってないんだ」
そう言って、アルナイルは隣にいるアルザの頭を軽く撫でた。優しいこのパートナーと一緒にしていきたいこと、できること。そのビジョンはまだ明確になっていない。やりたいことは山のようにあるけれど……そのどれが一番か、はまだ決められそうにない。
アルナイルのそんな言葉に、シグレは小さく頷いた。
「なるほどね」
彼は彼で、漸くスティリアたちの表情の意味が理解出来ていた。
アルナイルが帰ってくる少し前、スティリアとラピスは一足早く寮に戻ってきた。シグレしか部屋に居ないのを確認して、何やら安堵していた風に見えたのである。ラピスが"素直じゃないね"と呟いていたのも聞こえていた。
―― 少し、出かけてくる。あまり遅くはならないようにするから。
そうシグレに言い置いて、スティリアはラピスと共に出かけて行った。行ってらっしゃい、と普通に見送ったのだけれど……やはりあれは様子がおかしかったのだな、とシグレは理解する。
「騎竜士になる理由か」
小さく呟き、そっと息を吐きだしたシグレは眉を下げるアルナイルに言った。
「良いんじゃない。寧ろ、俺たちみたいに将来が決まってる人の方が珍しいでしょ」
シグレは最初から将来するべきことが決まっている。龍神の神子。それがシグレの、そして双子の妹であるヒサメの役割だ。ゆくゆくはパートナーであるフブキやミユキと一緒に、彼らの家が治める地域の守り神として生きていくことになるのだろう。そのための勉強、社会勉強であるとシグレも認識している。
その境遇に、自分たちの未来に嘆きはない。竜と共に生きることに恐れはないし、何より双子の妹とともに生きていけるのは安心できた。
けれど……ほんの少しだけ、未来が定まっていない他の見習いたちを羨ましく思うこともある。自由に道を選べたのなら、自分たちは何処を目指しただろうか、と。
「やりたいことがあるのも、やりたいことを見つけたいのも、どっちも此処に居る意味になると思うし。アスカルだって、適当な気持ちで"竜の巣"に来た訳じゃあないでしょ、きっと」
それはスティリアもきっとわかってると思うけどね。そんなシグレの言葉に、アルナイルは青空色の瞳を瞬かせる。それからふっと表情を緩めて、笑った。
「シグレ、達観してんなー」
この部屋で最年少の少年。もっと言うなら、今年の入団生の中でもかなり幼い方であろう彼は、まるで大人のようなことをいう。育ち故だろうかと思いつつアルナイルがそう言えば、シグレは蒼の瞳を細めた。
「……まあね」
ふふん、と少し得意げになるシグレ。そういう反応は子供らしいな、と思い、アルナイルは笑う。
「妹は呑気なのにねぇ。お兄ちゃんは大変だ」
くすくす、と笑いながらそういうのはシグレの相棒であるフブキだ。ベッドサイドに置かれた水槽の中から顔を出して、鼻先でシグレの腕を小突いている。ぱしゃぱしゃと跳ねる水飛沫を避けながら、シグレは言った。
「うるさいよ、フブキ。良いんだ、ヒサメはあれで。俺がこうだから、あの子はあれで良い。ちょうどバランスが取れているんだよ」
気を張るのは自分がやれば良いことだ。そう言って目を細めるシグレは、きっと良い兄だ。
そうして寄り添って、支えてくれる人間が彼にも居れば……――
「……よし!」
不意に声をあげたアルナイルはパンっと自分の頬を叩く。隣にいたアルザが深緑色の瞳をまん丸く見開いた。
「アスカル探してくる! いこう、アルザ!」
そう声をあげて、アルナイルは笑う。
"寄り添ってくれる人間が居れば"と思うのなら、自分がそうなれば良い。誰か、と頼るのではなく、自分が動けば良い。そう気が付いたアルナイルは部屋を出ていこうとした。
「アルナイル」
そんな彼をシグレが呼び止める。振り向く彼に笑いかけて、シグレはひらりと手を振った。
「いってらっしゃい。あまり遅くなると罰則もらうよ」
案じるようにそう言って、彼は再びベッドの上で本を開く。そんな彼に笑いかけて、アルナイルは力強く頷いた。
「気をつける!」
***
ずっとずっと、一人だった。人と話すのが怖かったから。会話の流れに乗れないことも、相手の表情が曇ることも怖くて怖くて堪らなくて。
臆病者。
出来損ない。
異端者。
そんな言葉を投げつけられても平然と笑える程、彼は強くなかった。
父が嫌いな訳ではない。母を憎んだ訳でもない。兄弟姉妹を疎んだ訳でもない。ただ……ただ、普通でありたかった、それなのに。
竜種と言葉を交わせることを隠せるようになればよかったのだろうか。竜種に冷たく当たれば良かったのだろうか。家の他の人々のように、魔獣と戯れるなど汚らわしいと、そう思えるようになれば、"普通"になれただろうか? ふとそんなことを考えてもみた。けれど……そんなこと、出来るはずがなくて。
―― 大丈夫かい、君。
年に数度の夜会の時、会場の空気に耐えかねて逃げ出した少年が出会った、屋敷の外れの森に棲んでいたドラゴンはそう声をかけてきた。
黒い岩盤のような体は夜の闇に溶け込むようだった。じっとしていれば岩に見えそうなくらい大きな体躯に似合わないくらい、夜の闇でも目立つ銀の瞳は優しくて。問いかける声も穏やかで、柔らかくて。
―― 嗚呼、駄目だ。
竜種のことを嫌うことなどできるはずがない。そう、改めて感じてしまった。
―― さびしいんだ。
少年は、そうドラゴンに言った。
傍に居てほしい。話をしてほしい。……愛してほしい。その願いを想わず口に出してしまうくらい、少年は他者の温もりに飢えていた。
親に庇護されるべき年齢の少年の切なる声を聞いたドラゴンは少しだけ驚いた顔をしていた。けれどすぐにその表情を緩めて……――
***
はぁ、と溜息を吐き出す、紫の瞳の少年……アスカル。ふわふわとした淡青色の髪が、吹き抜ける夕風に揺れた。膝を抱え蹲るアスカルの傍に寄り添うのは彼の相棒であるドラゴン……フェッルムだ。
通常、竜の巣に居る時ドラゴンたちは小型形態をとるが、現在の彼は通常形態のまま。落ち込み、一人蹲る自身の相棒を守るように通常形態をとっている彼は黙り込んだままの相棒をじっと見つめた。
彼の表情の理由はわかっている。励まそうと思えば幾らでも言葉を尽くせる。けれどそれでは意味がないことも、フェッルムは理解していた。人の子の営みはそう単純なものではないと、彼は理解していたから、ただ寄り添って彼を見守っていた。
とはいえ、ずっとこのままで居る訳にもいかない。どうしたものか……そう考えていれば、ふと気配を感じて。
「ん……」
フェッルムが顔を上げると同時。
「こんなとこにいた!」
蹲るアスカルの前に立つ影。聞こえたのはそんな声。びくりと肩を跳ねさせたアスカルはそこに立っていた人物を見て、目を見開いた。
「アルザより早く俺が見つけたな!」
彼の前には、にっと明るく笑う、空色の瞳の少年……アスカルの同期生、同室者のアルナイルで。いつも一緒にいる相棒のドラゴンはどうやら別行動中らしく、近くに姿は見えない。
「見つけられてよかったあ! アルザと別れて探してたんだ!」
曰く、アスカルを探しに来た彼は、会う人会う人にアスカルを、フェッルムを見ていないかと問うて、此処を突き止めたらしい。アルザも別の手段で彼らを探しているようだった。
見つけられてよかった、と言いながらアルナイルはアスカルの隣に座る。冷たくなり始めた風が二人の髪を揺らしていった。
「ご、ごめんね、すぐに戻るつもりでいたんだけど……」
申し訳なさそうに眉を下げ、消え入りそうな声で言うアスカル。怯えたように身を竦ませている彼を見て、アルナイルは不思議そうに首を傾げた。
「何そんなにビビってんの? 別に俺、怒りに来たわけじゃないぞ」
そんな怯えなくて良いのにさ、とアルナイルは笑う。それを聞いたアスカルはゆっくりと瞬いて……困ったように眉を下げた。
「ごめんね、関わり方が良く、わからなくて。ぼく、誰かと一緒に過ごすこと、なかったから……」
探しにきてくれたのは、嬉しい。けれど申し訳なくて……謝るべきなのか、礼を言うべきなのか、よくわからなくて。そんな自分が嫌で、或いはそんな自分が誰かを不快にしている気がして萎縮してしまう。そう言って、アスカルは溜息を吐き出した。
俯き、そっと目を伏せた彼の紫の瞳が揺らぐ。暫し沈黙の後、ぽつりと言葉を紡いだ。
「さっきも、そうだったんだ」
「さっき……って、スティリアとのこと?」
アルナイルの問いかけに、アスカルは小さく頷く。
「言いたいことは、あったんだけど、理由ってほどの理由だって思えなくて……言えないな、って思っていて」
そこでアスカルはちらとアルナイルを見た。呆れた顔をしているのではないか、突然こんなことを言われて怒っているのではないか、と。しかし、アルナイルは何も言わず、ただ真っ直ぐにアスカルを見つめているだけだった。
だから、彼は少し安堵して……ぽつりぽつりと、言葉を紡いだ。
「ぼく、ずっとこの調子だから、人とコミュニケーション取るの、下手で……友達も、居なかったんだ」
途切れ途切れの、迷いながらの言葉。それを聞きこぼすまいと、アルナイルはアスカルをじっと見つめていた。
「人とは、仲良くできなくて……偶然出会ったドラゴンが、フェッルムだけが、ぼくの友達で……でも、何の役割もないドラゴンと一緒に暮らすのは、ぼくの家では、難しくて」
だから。そこで一度言葉を切ったアスカルは、深く息を吸う。そして、微かに震える声で言った。
「フェッルムと、ずっと一緒に居たい。騎竜士になれば、それが叶うから。……それがぼくの、騎竜士になりたい理由」
先刻、スティリアには語れなかった騎竜士になった理由。胸の奥にずっとずっと抱いていた、ただ一つの願い。
フェッルムと一緒に居たい。共に過ごし続けたい。それが願いであり、騎竜士を望む理由なのだと、アスカルはそう言った。
切実な彼の声を、言葉を聞いたアルナイルはゆっくりと瞬く。
「それで騎竜士の試験受けたのか?」
そんな彼の問いかけに、びくりと肩を跳ねさせたアスカルは泣き出しそうな顔で笑った。
「う、うん。……く、くだらない、よね?」
「くだらなくないよ!」
即答。響いたアルナイルのよく通る声に、アスカルも、その隣にいたフェッルムも目を丸くする。アルナイルは晴れ渡った空のような瞳で友人を見つめ、はっきりと言い切った。
「誰かと一緒に居たいって、立派な動機だろ? 別にいいじゃん! 寧ろそのために頑張れるって凄いと思う!」
慰めのためではない。アルナイルは心からそう思っていた。
明確な動機がないと、アスカルは言っていた。それをスティリアに咎められて、彼は小さく縮こまっていた。そんな覚悟で此処に居るのが申し訳ない、と。
けれど、違うではないか。大切な相棒と一緒に居るために、ドラゴンと共に生きることが当たり前の騎竜士を目指すのは、至って自然なことだ。誰かと一緒に居たいという気持ちは、立派な動機だ。……きっと、スティリアだって、その言葉には頷いてくれるはずだ。
アルナイルの言葉に、アスカルは丸い瞳を更に大きく見開いた。……そして。ぽろり、とその頬に雫が零れ落ちた。
「う、わ、なんで泣くんだよ?!」
アルナイルは驚き、慌てた声を上げる。泣きながら顔を膝に埋めてしまったアスカルはぶんぶんと首を振った。
「ちがう、ちがうんだ、ごめんね。そんな風に、言ってくれる人、今まで居なかったから……」
ぼろぼろと溢れる涙を必死に拭いながら、アスカルは言う。
「父様も、母様も、家の人たちも、みんな、おかしいって言ったから……お前は、人間と交流できないお前はおかしい、って……ドラゴンとばかり会話をする、他者には理解できない相手としか交流ができないお前は、おかしいって」
思い出してしまうのは、幼い頃から見続けてきた、冷たい視線。ドラゴンの声が聞こえる、言葉を交わすことができる自分を、異形を見るかのような目で見つめる人々の視線。人との交流を恐れ、ドラゴンとばかり交流する自分を恐れ、嫌う家族の冷たい声。それを聞く度に、それを目にする度に、どんどん人と関わることが怖くなって……
おかしいのは自分だ、そんな自分と親しくなってくれる人間など居るはずがない。そう思えば思う程、他人と関わるのは、言葉を交わすのは、怖いと思ってしまっていた。
だから……今のアルナイルの言葉が嬉しかったのだと、アスカルは涙混じりの声で言った。
「な……」
なんでそんなことを。アルナイルは小さく呟いた。
確かに、ドラゴンと言葉を交わせる人間はあまり多くない。けれど、それはある種の才能で、羨まれることこそあれど、疎まれることなどあるとは思えなくて。
「仕方がないことなんだ」
そこで言葉を紡いだのは、此処までただ静かにアスカルに寄り添っていた彼のパートナー……フェッルムだった。銀色の瞳を細めて、そっとアスカルのことを翼で抱き寄せた彼は、アルナイルを見つめ、いった。
「ホルテンシア家。聞いたことは、ないかい?」
その問いかけに、アルナイルは緩く首を振る。家柄だとか家系だとか、そう言ったものに拘りも思い入れも無い彼には耳馴染みのない名だった。
「そうか」
と、頷いたフェッルムは目を細め、アスカルを見ながら、言った。
「国内でも指折りの貴族の家系なんだ。アスカルはその家系の子だ」
そう。彼の家は有名な貴族の家系。ホルテンシア家といえば、魔法の名家なのである。有能な魔法使いを多く輩出している家系なのだと、フェッルムは語る。その屋敷の近くの森を住み処としていたフェッルムは長く、その家の繁栄の様子を見続けてきた。
「ホルテンシア家の子は、本当ならば危険と隣り合わせの訓練をしてまで騎竜士になる必要なんてない。家系的に生まれる子たちは魔力量は多いけれど竜種と言葉を交わせる者はこれまで産まれなかったらしいんだ。
……けれど、アスカルは竜と会話ができた。それを、彼の両親は疎んでね」
そこで言葉を切ったフェッルムはそっと息を吐く。そして、静かな声で言った。
「魔獣と言葉を交わせるなど穢らわしい、と言っていたよ」
「魔獣、って……竜種のことか?」
アルナイルは言葉を失う。アスカルを見れば、彼は微笑んでいた。諦観を色濃く灯した顔で。
それを見て、アルナイルはぐっと唇を噛む。そんなことを言うなんて、アスカルにもドラゴンたちにも失礼だ、とでも思ったのだろう。そんな彼を見て、フェッルムは諭すように、宥めるように言葉を紡ぐ。
「考え方が違う人間は沢山いるんだ、知っておいた方が良い」
ふ、と息を吐き出すフェッルムは銀の瞳でアルナイルを見つめた。
長く生きてきた彼は、多くのものを見てきた。眼前にいる少年よりずっとずっと、多くのものを見て、聞いて、知って、触れてきた。……今隣で小さくなっている少年のことも、その周りのこともずっと見てきたのだ。
「君のようにドラゴンと過ごすことを望み、言葉を交わすことを喜ぶ者ばかりではない。竜種といってもあくまで魔獣だ。それも、強大な力を持っている。故に、恐れる者も、疎む者もいる。
騎竜士もそうだ。竜種と手を組むなど、と疎んだり恐れたりする者も居る。正義の味方と憧れる者が多いのは事実かもしれないが、恐れられたり嫌われることだって少なからずあるさ。
無論、私たちも同じだ。ヒトの子を好いて傍にいる者もいれば、そうでない者もいる」
淡々と、フェッルムは語る。眼前にいる少年が真っ直ぐな気質な子であることは共に過ごした時間がごく短いフェッルムも感じ取っていた。その真っ直ぐさは間違いなく美徳だ。けれど……それだけではどうにもならないことがあることも、知っておいてほしい。それは、長く生きてきたもののエゴだった。
自分の子を愛さない親が居ること。竜種を受け入れない人間が居ること。冷たい言葉を容赦なくぶつける人間が居ることも。今の内に知っていれば、その柔い心を無暗に傷つけられることは減らせるだろうから……と。
しばし黙り込んでいたアルナイルは顔を上げる。そして、ほんの少し迷うような顔をした後、口を開いた。
「……フェッルムは、人間が好きか?」
躊躇いながら問いかける。それを聞いたフェッルムは目を細め、答えた。
「人間に関しては、どうとも思っていない。好きでも、嫌いでもない」
その言葉に一瞬、アルナイルとアスカルの表情が強張った。しかし、そんな彼らの様子を見て小さく笑うと、フェッルムはアスカルにそっと頭を寄せて、言った。
「人間はどうでも良い。だが、私はアスカルの純真さが好きだ。だからこうして傍に居る。彼と共に歩むことが出来れば、それで良いと思っているよ」
私にとっての特別はアスカルだ、と彼は言う。出会った時から変わらない、優しく穏やかな声で。
その言葉にアスカルは大きく目を見開いた。
「フェッルム……ありがとう」
彼の言葉に瞳を僅かに潤ませて、アスカルはフェッルムの頭を抱く。喉の奥を静かに鳴らしながら、フェッルムは目を閉じた。
そんな二人の様子を見て、アルナイルはゆっくりと空色の瞳を瞬かせる。それから、ふっと微笑んだ。
「……そっか。考え方も、あり方も、それぞれだよな……」
良くも、悪くも。そう呟くアルナイルを見て、アスカルは小さく頷いた。
「人の思考も、色々だから……スティリアが怒った理由も、わかるんだ。ぼくが、適当な覚悟で此処に居るように感じたんだと思う。彼も意地悪で言ったわけではない、ってわかってるよ。だから、大丈夫」
ちゃんと話せる機会があれば話すから。そう言って、アスカルは微笑んだ。
「アスカルは、優しいなあ」
あんな風に傷つく言葉をぶつけられても受け入れられるお前は優しい、とそう言って、アルナイルは笑う。それを聞いて、アスカルはぱちりと瞬いた。それからふわりと笑って、首を振った。
「そんなこと、ないと思うよ。優しいのは、アルナイルの方。ぼくのこと、探しに来てくれたんでしょう? ありがとうね。凄く、嬉しかった」
そう言って照れたように笑った彼はフェッルムの頭を撫でてから、立ち上がった。
「帰ろうか。戻らないと、罰則をもらっちゃうね」
「そうだな。……あ、アルザのこと忘れてた!」
アスカルやフェッルムと話し込んでいて、自分と同じように彼らを探しているはずの相棒のことを忘れてしまっていた。竜笛で呼んでやれば良かった、と慌てる彼を見て、フェッルムはくつくつと笑った。
「そこにいるよ、私たちが真剣な話をしているものだから声をかけるタイミングを流してしまっていたんだろう、アルザ?」
フェッルムが呼びかけた先は、少し離れた茂み。がさり、と音を立ててそこから出てきたのは小型形態のアルザだった。決まり悪そうに眉を下げた彼はすごすごと三人の前に来ると、フェッルムに言う。
「……バレてたんだ」
「ふふ、私は君よりずっと長く生きているからねえ。気配には鋭いんだ」
そう言って、フェッルムは笑う。アルザは小さく声を上げて、肩を竦めた。
「ごめんなぁアルザ、すぐ呼んでやれなくて。アスカルたちと話すのに集中しちゃっててさ」
アルナイルはそう言いながら、すまなそうに小さなアルザの頭を撫でる。
「良いよ、無事に見つかって良かったね」
アルザはそう言いながら笑っていた。
そんなやり取りをする二人を見て、フェッルムは目を細める。そして、自身の相棒に耳打ちをした。
「どうだい、アスカル。彼らなら、信じても良いんじゃあないかい?」
きっと彼らならば、君の願いも叶えてくれる。そんなフェッルムの言葉にアスカルは迷うように目を伏せる。
「信じても、大丈夫かなぁ」
「きっと大丈夫。私の人を見る目は確かだよ。君も知っているだろう?」
そう言って微笑むフェッルムを見て、アスカルもまだ涙の乾かない目を細めながら笑ったのだった。