第七章 特別な存在
必修の授業であるためか、魔獣生態学の講義が行われる講堂の中には多くの見習いたちが居た。必修とは言っても一度の講義を全員が受講するのではなく、日に何度か開講されるためだろう、アルナイルが知っている顔は集まっている見習いたちの中にはなかった。
「アスカル、大丈夫かなぁ。スティリアも気になるし……今日部屋戻った時に話出来れば良いんだけどな」
そう呟いて、アルナイルは溜息を一つ。気にしていない風を装ってはいても、やはり気になってしまうのだろう。アルナイルがお人好しで友人想いであることは、ここ数日でアルザもよくよく理解している。気にするな、と言うのも無理な話なのだとアルザは思った。
と、講堂の扉が開いて、小柄な影が一つ入ってきた。かつん、とヒールが床を叩く音が響く。
しんと静まる講堂の白板前に立ったのは、白衣姿の女性だった。決して背が高い方ではないが姿勢が良く、すらりとした印象を与えた。長い髪は毛先が桃色に染まっている銀髪で、後ろで邪魔にならないようにか緩く結んでいる。眼鏡のレンズ越しに見える瞳は長い睫毛に縁取られていて、色は鮮やかな夕焼け色だ。
凛とした瞳でぐるりと講堂内を見渡した彼女は口を開いた。
「初めまして、の者が殆どだろう。一応自己紹介を」
やや低いがよく通る声でそう言った彼女はにこりともせず、白板に自身の名を書いた。やや右下がり気味の文字をとん、と指先で示して、彼女は名を名乗る。
「私はアリス・モイスト。普段は竜種の研究所で竜種の能力に関する研究をしている。つまり、私は教師ではない。故に、君らの指導にも少々至らぬ点があるかと思うがご容赦願いたい」
彼女はそう言って、頭を下げた。すぐに顔を上げた彼女はさて、と冷静な声で言葉を紡ぐ。
「オリエンテーションと聞いているかもしれないが、私はあまりこの竜の巣に頻繁に来ることはできないのでね。申し訳ないが、授業を始めさせてもらおう」
そう言いながら、彼女は白板に書いた自分の名を消した。一瞬ぽかんとした見習い騎竜士たちは慌ててノートと筆記用具とを用意する。その様を見てぱちりと瞬いた彼女はふっと小さく笑った。
「そう焦らずとも、今日の内容は君たちもよく知っていることだ。基本中の基本だからな」
この程度知っていてくれないと困る。そんなアリスの言葉に、見習いたちの背筋が伸びる。
「ドラゴンと一括りに言っても様々な種類が居る。種族、血筋、育ち方……それによって、様々な呼び名が付いている。ま、君たちもそのことはよく知っているとは思うけれど」
そう言いながら、白板にさまざまなドラゴンの写真を貼り付けた。大きさも、特徴も様々なドラゴンたち。それらの写真を示しながら、彼女は見習いたちを見つめ、首を傾げた。
「さて、では君たちに質問だ。ドラゴンは血の混ざり方によって三種類に区分されるな。その呼び名は?」
その問いかけに、講堂内でばらばらと手が上がる。研究者の言う"基本的なこと"に少し身構えてしまっていたが、事実基本中の基本ともいえる事案で安堵したように。
「じゃあ、そこの君、答えを」
細い指で指名された見習いはその場に立ち、答えを述べた。
「純血種、混血種……そして雑種です」
「その通りだ」
雑種、と言う言葉と同時にアルザの方へ幾らかの視線が向いた。好意的とは言い難いその視線に、アルザは少し身を縮める。アルナイルはそんな彼を励ますように撫でながら、自分の相棒に向けられた無礼な視線に抗議するように、険しい表情を向ける。
「あぁ、そう言えば今年の見習いには雑種の相棒を連れた子が居るんだったか」
アリスはふと思い出したようにそう呟いた。その夕焼け色の瞳が、アルザとアルナイルを捉えた。その視線は先刻向けられた無礼なそれとは少し異なる、けれども好意的とも違う……好奇心に近いものだった。
「勘違いをしてはいけない。どれが一番優れている、などと言う考え方は古いよ。それぞれに、優れたところがある」
目を細めた彼女はそう言って、白板に貼られた写真の下にすらすらと文字を刻んだ。純血種、混血種、雑種……その三つを書き記しながら、彼女は写真を指先で叩き、言った。
「純血種はその血筋が持つ力を強く発揮することができる。現れる形質が明らかであるため、相棒として選ぶ者も少なくないな」
そう言いながら、アリスはぐるりと講義室内を見渡す。講義室に集っている見習いたちが連れたドラゴンの内、半数近くは純血種のようだ。
「混血種は様々な形質を併せ持つことができることが特徴だ。正反対の性質を持つこと……例えば、淡水で生きる水竜と海水で生きる海竜をかけ合わせれば、場合によってはそのどちらにも生息できる種になるやもしれん。異なる形質を持つことができるというのは強みだ。本来炎に弱い形質の氷竜が鉱石竜との掛け合わせで炎に耐えうるようになったという研究もある」
興味深い話だ、と呟き、彼女は笑う。その表情は見習いたちに講義をする"講師"の表情と言うよりは、研究者のそれのようだ。
「アリス先生」
一人の生真面目そうな少年が手を挙げた。
「何だい?」
「雑種に優れているところがあるとは思いにくいのですが」
控えめな、けれども強い想いの籠った言葉。それを聞いて、アルナイルは唇を噛む。
反論したい。けれど……それが、この国における"基本的なこと"だ。雑種は、他のドラゴンに劣る。血が混ざりあい、純粋な血筋のそれよりも能力が劣化しやすい。どういった能力が発現するかもわかりにくく、扱いにくい。騎乗するには、騎竜士のパートナーにするには不適な存在……そう言われるのはわかり切っていて、その上でアルザをパートナーに選んだのだけれど、やはり悔しくて。
「雑種、という呼び名、私はあまり好きではないのだがね」
ふ、と溜息を吐き出した彼女は少しずれていた眼鏡を押し上げてから、言った。
「雑種の特徴は、様々な可能性を持ち合わせていることだ」
「可能性?」
「そう。様々なドラゴンの血が混ざっているということは、そのいずれかの力を発揮できるということ。或いは、それら全ての形質を発揮できる可能性があるということだ」
淡々とした口調で語る彼女は、またちらりとアルザに視線を向けた。それから、静かな声で言う。
「炎を扱うかもしれない、水を泳げるかもしれない、雷や風を操るかもしれない。或いは、それら全てをこなすことが出来る雑種が居ないとどうして言い切ることができるだろう? 理論上は可能だろう?」
そう言って、彼女は微笑む。その言葉に、質問を投げた少年は眉を寄せる。
「詭弁では?」
頑なな声で少年は言う。彼女の言っていることは確かに間違ってはいない。けれど、"なるほどそうか"と納得できるようなものではないのは事実で。アリスは少年の言葉に口角を上げた。
「詭弁かもしれないな。だが、私は心からそう思うよ。純血種が絶対に持つことができない形質を雑種ならば持つことができる。混血種では通常表れないはずの形質が雑種ならば表れる可能性もある。優劣はない、と話したが……より多くの可能性を持つと言う点で行けば雑種が一番優位だ」
きっぱりとそう言い切るアリス。ざわざわと、講義室の中が騒がしくなる。
雑種の優位性。そんなもの、これまで一度も聞いたことがなかった。事実、世の中では純血種或いは優れた混血種が高値で取引され、相棒としても最適とされている。雑種は荷運びなどの単純な労働に使う以外"使い道"はないとされているのに。
「そも雑種、というのは様々な血筋が混ざり合って生まれるものだ。掛け合わせでわざと産ませるということはほぼないため、悪質な繁殖業者で事故として産まれたものか、或いは野生種か、だが……諸君、考えてみて欲しい。何故、野生で血筋の異なるドラゴンが交わるのか?」
その問いかけに、講義室内はしんと静まり返る。手は一つも上がらない。アルナイルも小さく首を傾げた。
「確かに……何でだろな? アルザも、元々は野生種なんだろ?」
アルナイルの言葉にアルザは小さく頷く。
「うん……親の顔とかは全然知らないけど、研究施設とかの生まれじゃあないのは確かだ」
アルザはそう言いながらそっと息を吐いた。幼い頃の記憶はもはや曖昧だが、物心ついた時から彼が居たのは外の世界だ。竜の群れに紛れ、生活していた。自分が居た群れは何故か炎竜の群れで……雑種である自分が歓迎されていなかったこともよくよく覚えている。散々小突き回され、追い回され、しまいには弱って墜ちたところを竜の巣に保護された形だ。
そうアルザが語るのを聞いて、アルナイルは眉を寄せる。
「……そっか」
色々言いたいことはあったが、この場で話すことではない。そう判断したのか顔を上げ、アリスの方を見るアルナイルを見て、アルザはそっと笑った。自分のために怒ってくれる優しい相棒のことが、少しずつ好きになり始めていた。……変わり者だ、と言う想いは一切変わらないけれど。
「君たちが教育されてきた通り、純血種が一番優れているとするならば、野生種で血を混ぜる必要など一切ないだろう。本能に従うだけのただの獣ならばいざ知らず、竜種は高度な知能を持った魔獣だ。適当な交配をすることは考えにくいだろう?」
アリスはそう言って首を傾げる。ほう、と息を吐き出した彼女は言葉を続けた。
「野生種で何故血が混ざるのか? それは長いこと研究者たちが調べてきたが……未だに明確な答えは出ていない」
「単に、生存戦略の一環ではないのですか。野生生物にはよく見られる現象でしょう」
一人の少年がそう声を上げる。その言葉にアリスは頷いた。
「その説が一番主流だな。血の存続が一番大切なのは生物として正しい反応だ。そのために、強い血を残そうとするのも。しかし、それならばより上位種のみが生き残るはずであるし、様々なリスクを考えた時に同一種族での交配しか起こらないはずだ」
そうだろう? そう言った彼女は講堂内に居るドラゴンたちを順番に見つめた。大きさも、纏う魔力も、雰囲気も、顔つきも……全く異なる、ドラゴンたち。それを見つめた彼女は、一頭のドラゴンに近づいた。
「この子の種族は?」
アリスに問われたパートナーと思しき少女は少し戸惑いつつ、答える。
「あ……風竜と植物竜の混血です」
「なるほど。穏やかで騎乗に優れた血筋だな。騎竜士のパートナーに適している」
良いドラゴンだ、と言って離れた彼女はふっと息を吐いて、言った。
「この講堂内のドラゴンの半数近くは混血種のドラゴンだが……混血種というのは正直、奇跡のような存在だ。
種族の異なるドラゴンの交わりで子をなすには障害が多い。体の大きさ、魔力の強さ、性格、性質……それが上手く噛み合って初めて交配が成功する。それは、君たちも知っているだろう? 交配がうまくいったとして、無事に子が誕生する確率は決して高くない。同じドラゴン族とはいえ、かなり種族差があるからな。そう考えた時、そんな奇跡のような交配を繰り返して生まれる雑種というのはある意味とても特別な存在だとは思わないかい?」
「特別……」
アリスの言葉を繰り返して、アルザはそう呟く。
特別、と言う自分に一度も向けられたことのない言葉。何者でもない、出来損ないの竜。力仕事、単純作業しかできない雑種。そう言われ、虐げられ続けていた。それが当たり前だと思っていたのに……アルナイルが自分を相棒だと断言した時のことを思い出す。その時に似た、暖かい感情がじんと染みわたってきて、目頭が熱くなる。
俯くアルザを見て、アルナイルは空色の瞳を細める。そして優しくその頭を撫でながら、言った。
「特別だって。凄いな、アルザ」
にかっと笑いながら、彼は言う。それを聞いたアルザは少し困ったように笑う。しかし彼の言葉を否定することはしなかった。まだ、自分の在り様を認めることは出来そうにない。けれど……アルナイルが自分を認めてくれることも、アリスの先刻の言葉も確かに嬉しかったから、もう少しだけ、自分の在り方を前向きに考えてみたいと思って。
そんな彼らの様子を見てふ、と笑みを零したアリスは言葉を続けた。
「そも、雑種はドラゴンたちの中ですらも迫害されやすいと聞く。事実、竜の巣で保護されているドラゴンも多くは雑種だ。正直、生存戦略として取るにはあまりにリスクが高過ぎるだろう。そう考えると、そもそも野生で異なる血筋の竜が交わるのは、人と同じように情があるからではないか、と私は考えている。
……まぁ、後半はあくまで私の持論だ。試験には出さないし、人によっては受け入れ難い仮説だろう。あまり深く考えなくて良い」
アリスはふうと息を吐く。ぐるりと講義室内を見渡して、苦笑する。真剣な顔で話を聞いている者も多少居るが、殆どはぽかんとしている。少し話しすぎたかもしれない。講義と言うよりは、研究の考察を語ってしまったしな……そう思いながら、彼女は軽く肩を竦めた。
「何が言いたいかと言えば、ドラゴンも人と同じだ。色々な種類が居る。理解しがたいこと、相容れない者が居るのはある程度仕方がない。だが……」
そこで一度言葉を切ったアリスはすっと表情を消す。空気感の変化に講堂内の見習いたちは背筋を正す。そんな彼らをゆっくりと見渡した彼女は静かな声で言った。
「くれぐれも、ドラゴンの種族や血筋によって差別、迫害することがないように。一般の人間の認識を変えることはなかなか骨が折れるが、騎竜士として生きることを望む君たちはせめて、柔軟な思考を持ってくれることを期待するよ」
彼女がそう言うと同時、終業を告げる鐘が鳴り響いた。それを聞いて、アリスは"時間か"と呟く。そして、手近の書類を纏めると、ひらりと見習いたちに手を振った。
「では諸君、また来週。私が話したことを忘れずにな」
そう言って笑みを浮かべると、靴音を響かせて、彼女は講義室から出て行った。
***
「お疲れ様。今日の講義はこれで最後かい?」
講義室を出たアリスを呼び止めたのは、蜂蜜色の髪の青年だった。その姿を見てアリスは目を細め、口角を上げる。
「おや、誰かと思えば最強の騎竜士殿じゃあないか。暴れモノのクラ坊は元気かい?」
くつりと喉奥で笑いながらアリスが視線を向けるのは青年……エルティムの背後。
「殺すぞクソ女」
ぐるる、と低く唸りながら深紅のドラゴン……クラリウスがエルティムの隣から声を上げる。牙を剥き出しにする彼を見て、アリスはくすりと笑う。
「口が悪いぞ。人に危害を加えたら施設送りになるんだから大人しくしていた方が良い。それとも私の新しい鎮静薬の実験台になりたいかい?」
「やれるもんならやってみろよ」
低く唸るクラリウスとそれを面白そうに見つめるアリス。暫しその睨み合いが続いたところで、ぱんぱんっと軽く手を打つ音が響いた。
「こらこらクラリウス。アリスもあんまり煽るようなことを言わないで」
そう言いながらエルティムは自身のパートナーを宥める。ち、と舌打ちをしてアリスを睨みつけるクラリウスを見て困ったように笑っている彼を見て、アリスは夕焼け色の瞳を細めた。
「相変わらずだなエルゥ。まぁ、そんな君だからこの暴れモノと一緒に居られるんだろうけど」
ふっと笑って肩を竦めるアリスを見て、エルティムは苦笑を漏らす。
「君も変わらないな。あんまり人を煽るような物言いはしない方が良いよ、敵を作るから」
「生憎と生まれつきこういう性質でね。なかなか改まらないよ」
慣れたやり取りをして、くすくすとエルティムは笑った。そして、アリスに問いかける。
「で、どうだい? 今年の子たちは」
そんな彼の問いかけに、アリスは少し考え込む顔をする。それから、少し表情を緩めて、口を開いた。
「今年も面白い見習いが多いな。殊更、あの……雑種の竜を連れた子とかな。雑種を連れている子は私の記憶にある限り初めてだ」
彼女の言葉にエルティムは琥珀の瞳を細めた。
「良さそうな子だろう。好奇心が旺盛で正義感が強い。騎竜士を目指すのにぴったりな子だ」
「まぁね。ただ、真っ直ぐすぎるとこの世界でやっていくには難しいのでは?」
そう言いながらアリスはちらとエルティムを見る。エルティムはその言葉に小さく笑って、言った。
「でも、あのままで居てほしいなぁと私は思うよ。とても良い子だ。上手く育てば他の子たちを引っ張っていけるような子だよ」
少しでも多くの子が無事に騎竜士になれれば良い。そう紡ぐエルティムを見て、アリスはふっと笑った。
「本当、変わらないな、君は」
そう呟いた彼女の頭によぎるのは、自分たちが見習いだった頃の記憶。明るく、真っ直ぐな気質だった少年は、"最強の騎竜士"と呼ばれるようになった今も変わらない。あの未熟な見習いたちも、今の自分たちのように育っていくのだろうか? そう考えたアリスは小さく笑った。
「真っ直ぐなままで心折れず、なんて相当難しいと思うけど……ま、それに期待するのも一興か」
そう呟いたアリスは時計を見る。鞄を持ち直した彼女はひらひらとエルティムに手を振った。
「さて、そろそろ行かなくては。あまり遅くなったらあの子が心配するしな」
彼女の言葉に釣られたように、エルティムも時計を見た。確かに、大分時間も遅い。
「あぁ、もうこんな時間か。引き留めて悪かったね」
「じゃあまた。クラ坊、あまり騒いでエルゥを困らせるんじゃあないぞ」
そう言ったアリスはやや速足で去っていく。その背を見送って、エルティムは小さく笑った。
「ほら、クラリウスもそんな顔をしないで、私たちもそろそろ帰ろう」
「っとに、彼奴はいけ好かねぇ」
深々と溜息を吐き出すクラリウスを見て、エルティムは声を上げて笑う。昔から変わらないやり取り。それを愛おしく思いながら。
―― あの子たちもいつか此処での日をこうして懐かしく思い出せたら良いのだけれど。
そんなことを考えながら、エルティムはクラリウスの背を軽く撫でたのだった。