第三章 騎竜士の儀式
アルナイルとフレースが会話をしているうちに、定刻になったらしい。
厳かな鐘の音が響き渡る。それに驚き、騎竜士候補たちは誰に言われた訳でもなく口を噤んで、ホールの前方に用意されているステージの方を見た。
そこへ進み出る、一つの影。決して大きくはないが、威厳を持った姿に、彼らは少し緊張しながら、そちらへ視線を向けた。
「ようこそ、竜の巣へ」
この竜の巣の所長だという初老の男性が、朗々と挨拶を読み上げ始めた。歓迎の言葉、竜の巣の歴史、誇り高き騎竜士として羽ばたいていくための心構え……滔々と流れていく言葉を聞いている者はどれほどいるかわからないが……滞りなく、式は進んでいく。少し退屈だな、とアルナイルが囁けば、フレースは苦笑混じりに頷いていた。
やがて、一通りの挨拶が終わったらしい。一つ咳払いをした所長はぱたりと手を打って、言った。
「さぁ、儀式に移ろう。順番に呼び出す。呼ばれた者は外へ。外に出たら、ドラゴンたちは通常形態に戻りなさい」
そんな指示を出して、所長は外へ出ていく。
残った教官と思しき人物の一人が前に進み出て、見習いたちの名前を読み上げた。その声に返事をして、一人また一人と外へ出て行く。読み上げられる名前は不規則で、どのタイミングで呼ばれるのか、さっぱり想像がつかなかった。
ざわめく周囲に視線を向けつつ、アルナイルは隣に居るフレースに声をかけた。
「順番になんだなぁ」
「うん、いっぺんにやるとドラゴンたちを通常形態に出来ないからじゃないかな」
竜の巣の敷地が広いとは言っても、そこまで多くの竜を通常形態に戻せるほどの空間の余裕はないはずだ。それに、何かトラブルがあった時の対応も必要になってくる。それが理由ではないかとフレースは言う。
「あー、なるほど」
確かにな、とアルナイルはその言葉に頷いた。大型種のドラゴンたちが狭い空間にひしめき合う姿を想像して、それは確かに可哀想だな、と首を振った。
そして、隣で少し緊張したように固まっているアルザの頭を軽く撫でて、問いかける。
「そんなカチカチにならなくても良いだろ、アルザ? なんか怖い?」
「いや、儀式って……何するんだろうなってさ」
困ったように眉を下げながら、アルザは言う。元々、騎竜士のドラゴンとして働く自分など想像もしたことがなかったため、アルザはこれから自分がするべきこと、自分に起きることが殆どわからないのだ。元々気が弱いことも手伝って、彼はすっかり固まってしまっているのだった。
そんな彼を見て、アルナイルは小さく笑った。安心させるかのようにぽんぽんとその背を叩いてやる。
「大丈夫だって、そんなに緊張することないよ!」
励ましながら、今から流れを説明しようとした、その時。
「アルナイル・イヴルス!」
名を呼ばれて、彼はハッとした。いつの間にか、彼の番が来たらしい。ぴしっと背筋を正した彼は、嬉しそうに笑いながら、フレースにひらりと手を振った。
「呼ばれた! じゃあまたあとでな、フレース!」
「あっ、待ってよ、アルナイル! 置いていかないで?!」
パートナーであるアルザを置いていきそうな勢いで、アルナイルは外へ駆け出して行く。アルザは慌てて追いかけていった。
そんな二つの背を見送って、フレースは小さく笑った。
「元気だなぁ、アルナイル」
「元気だねぇ」
ぱたぱたとフレースの傍ではばたきながら、モーストもくすくすと笑っていた。
***
アルザと共に外に出たアルナイルはまた一つ、感嘆の声を漏らした。大きな中庭のような場所には、通常形態になったドラゴンとその相棒である人間たちがあちらこちらで集まっている。どうやら幾つかの班に分かれ、それぞれに儀式を行っているらしい。
「アルナイル、君は此方だよ」
アルナイルのある班を担当しているのは、先刻アルザを侮辱した青年とフレースの揉め事を止めに入った男性……エルティムだった。彼の隣には大きな真紅のドラゴンの姿がある。先程見たエルティムのパートナーである、クラリウスだろう。小型形態でも十分な威圧感を放っていた彼だが、通常形態となると、より一層の圧を感じる。紅色の体は炎のようで、その頭に光る角は黒曜石のように煌めいている。鮮やかな金の瞳で見習いたちを注視する様はまるで見定めているかのようだった。
暫くして、ホールの方から出てくる人の波が止まった。
「呼ばれた者は皆揃ったね」
そんな彼の横に立ち、エルティムが口を開いた。アルナイルの前後に呼ばれていた見習いたちは一様に姿勢を正す。
アルナイルがそっと視線を周囲へ巡らせれば、自分より後に呼ばれたらしいフレースの姿もあった。彼の視線に気が付いてか、彼女は目を細めると、ひらりと一度小さく手を振った。
「君たちが首から提げているそのペンダントは騎竜士の証だ。隣に居る、相棒との信頼の証にもなる。ペンダントには魔法がかけられていて、鱗を押し当てれば自然とそこにはまるようになっているよ」
そう言いながら、エルティムは自身の首にさげていたペンダントを見習いたちに見せるように翳す。その中心に煌めく深紅はまさしく、クラリウスの色だった。
「自身の相棒となる竜の鱗を自身のペンダントに当てなさい。鱗は、必ずドラゴンの首から一枚取るように。それが契約の儀式だ」
その指示に騎竜士の見習いたちは息を呑む。勿論、この儀式については聞いていた。しかし、いざやるとなると、緊張するものだ。
竜種の首に触れる、というのは禁忌とされている。親しい、それこそ兄弟のように育ったドラゴンであるとしても、首にだけは触ってはならない、と言われている。その理由は単純明快だ。竜種の首……顎の下には、一枚だけ逆さに生えた鱗があり、それに触れれば竜は怒り狂い、その相手を殺すと言う。俗にいう「竜の逆鱗」だ。逆鱗の生えた竜種の首に触るという行為の危険性は、彼らと共に生きる人間ならば皆知っていることである。
しかし、だからこそ……ドラゴンと共に生き、共に生活を、仕事をする騎竜士となるためのこの場所では、敢えて首から鱗を抜き取るという試練を課すのである。逆に言えば、この程度のことができなければ騎竜士になることなどできない、という意味でもある。
共に生きる、とはいうものの、竜種は使役されることを嫌う。騎竜士に……人間に使われる、というのは基本的には竜種にとって屈辱的とも言えることなのだ。だからこそ、その相棒として選ぶドラゴンが本当に自身と共に生きていくつもりがあるのか、それを最終的に確認するための儀式でもあるということを、此処に居る見習いたちは皆、良く知っていた。
彼らの反応は、様々だった。すぐにドラゴンの首元に手を伸ばす者、怯えたように固まってしまう者、戸惑いながらパートナーに声をかける者……ドラゴンたちの反応も様々で、パートナーに嬉々として首を差し出すものもいれば、少し戸惑っているものも、嫌々ながら……というふうに首を差し出しているものもいた。
そんな彼らを見回してから、アルナイルは隣に居るアルザを見た。空色の瞳に僅かに緊張を灯して、彼はアルザに問いかける。
「良いか?」
先刻までの明るいそれとは少し異なる、真剣そのものの声音。それを聞いて、アルザは一つ深呼吸をする。
「う、うん、大丈夫」
アルナイルはそっと、アルザの首に手を伸ばす。そしてそっと、鱗の一枚を引っ張った。パートナーの鱗を取らなければならないと聞いていたアルナイルは正直アルザを傷つけることを恐れていたのだが……触れて、そっと引いた鱗はあっさりと、彼の体から離れた。痛みを伴った様子もない。
彼の鱗を手に取り、アルナイルはほぅっと息を吐く。光に透かせば、アルザの鱗はきらきらと輝く。じぃっとそれを見つめて、アルナイルは呟いた。
「うわ……凄いな」
こんなに間近でドラゴンの鱗を見る機会はあまりなかった。それも、彼は自分の相棒となるのだ。そう思うと、感慨深くて。
「あ、あんまり見られると恥ずかしいよ……」
雑種の自分の鱗など、見ても面白くないだろうに。アルザはそう言って苦笑する。アルナイルはそんな彼を軽く小突いて、自分のペンダントに鱗を押し当てた。
さぁあっと光が溢れて、眩しさにアルナイルは目を閉じる。次に目を開けた時、彼のペンダントにはアルザの鱗が形を変えて、収まっていた。
「わ、すごいな! ほら、アルザ!」
見て、と子供のように(文字通り彼はまだ子供なのだが)目を輝かせながら、アルナイルはパートナーにペンダントを見せる。正式に、騎竜士の見習いとして認められた証だ。嬉しくないはずがない。
そんな彼の隣にいるのが本当に自分で良いのか、とまだほんの少し戸惑ってはいるけれど……それでも、アルザも微笑んだ。自分の鱗を見つめて無邪気に笑うアルナイルの心が、本当に嬉しかったから。
集っている見習いたちは次々と、自身のパートナーの首に手を伸ばす。確かな契約を交わすために。
淡い緑髪をハーフアップに結い上げた少女は自身のパートナーの鱗をしげしげと眺めながら、目を細める。深い緑色の鱗は硬質ではあるものの、若々しい木の葉のような柔らかな色彩だ。まるで大切な宝物に触れるように鱗を撫でながら、彼女は呟いた。
「綺麗」
うっとりと見惚れるように微笑む彼女を見て、隣にいた大きなドラゴンはそっと尾を揺らす。そして困ったように息を吐き出した。
「私の鱗は見慣れているでしょうに。ほら、ミーティア。急いで」
隣に居るパートナーのドラゴンが鼻先で小突いて彼女を急かす。少し困ったように、けれども我が子を見つめているかのように慈愛に満ちた瞳を見つめ返して、少女は頷いた。
「うん、わかった」
ふわりと微笑んで、少女はそっと鱗をペンダントに嵌め込む。光を放ってペンダントに収まった緑色は、陽光を反射して柔らかく輝いた。
そんな彼女らの隣に居るのは、白髪を長く伸ばした中性的な容姿の人物と緑の体のドラゴン。ドラゴンは軽く牙を剥き出して、言った。
「痛くしたら怒るから」
「しないよ。おとなしくしてて、ラピス」
そう言いながら、長い白髪を背に流した人物はパートナーの鱗を手に取る。そして、ひんやりとしたガラスのようなそれをペンダントの中におさめた。煌めくそれはペンダントにはまる宝石となってなお、ひんやりとした冷気を纏っていた。
「ほら、アスカル。前に教えた通りにしてごらん。心配はいらないよ」
大丈夫だから、と自身の相棒に声をかけているのは漆黒のドラゴンだ。体に浮き出た宝石がきらきらと陽光を反射して光る。
「う、うん……ありがとう、フェッルム」
すう、と一つ息を吸い込んだ少年は、そっとドラゴンの首元に触れる。手に取った黒雲母のような鱗をペンダントに押し当てると、彼は嬉しそうに笑った。
「あぁ、これでずっときみと一緒に居られるんだ……」
安堵の灯ったその声を聞いて、黒のドラゴンは少し困ったように笑いながら、そんな相棒の掌に頭をそっと押し当てていた。
大抵のペアは厳かに儀式を行っている。……しかし、一部はそうもいかないようで。
「モースト! 止まって!」
「あはは、フレース怒ってる?」
「怒ってない! 怒ってないけど!」
フレースは、ばたばたと羽ばたくパートナーを止めるのに苦労していた。沢山のドラゴンが、沢山の人間が居るこの空間に、モーストの気持ちが昂ってしまっているようで、落ち着かせるのに一苦労の様子だった。逃げ惑うモーストをフレースは必死に呼ぶ。逃げ惑う、とは言っても、飛行を得意とするモーストが本気を出せばフレースを置いていくことなど容易な訳で、決して本気ではないことは、フレースもよくわかっていることだった。
そんな彼女たちの傍に居るのは翼を持たない二頭のドラゴンと、顔のよく似た二人の子供だった。双子らしい彼らは同時に自身のパートナーとなるドラゴンから鱗を抜き取る。そして、少女の方が明るく笑いながら、言葉を紡いだ。
「じゃあシグレ、せーのでやろう。ね?」
「……別に、同時にやる必要ないだろう」
冷静に、少年の方が返す。それを聞いて、少女はぷくっと頰を膨らませた。
「良いの! 気分の問題よ! ね、せーの!」
鏡映しのようによく似た顔の二人は顔を見合わせながら、同時にペンダントに鱗をはめる。海の泡のように真白の鱗はペンダントに吸い込まれ、まるで真珠のような輝きを放っていた。
「ロージー、緊張してる?」
通常形態をとっても尚やや小ぶりな体のドラゴンは自分のパートナーである少女を見て、気遣うように問いかけた。自身の胸に手を当て、深呼吸をしていた彼女はミント色の瞳に強い光を灯して、笑った。
「……緊張、してるけど、それ以上にワクワクしてるの。やっと、師匠と同じところに立てるんだもの!」
そう言いながら、少女が視線を向けるのは、多くの見習いたちを見守る蜂蜜色の髪の青年。師匠、と小さく呼んだ彼女は小柄なパートナーの首に手を伸ばした。まだ小さな手を傷つけることがないように、小柄なドラゴンは動きを止め、そっと目を閉じたのだった。
一組、また一組と儀式を交わし、正式なペアとなっていく。その様を見つめていたのは、長い黒髪を背に流した少女だ。
「やっと、貴方のパートナーになれるのね。うれしい」
そう言いながら、彼女は隣に居るドラゴンの首を撫でる。首に触れることを嫌がらないドラゴンは新雪のような鱗を煌めかせ、身を竦ませた。降り注ぐ太陽の光に紅色の瞳を細めながら、彼は小さく頷いて見せる。
「……うん、アルテア」
「改めて、宜しくね。フォールティア」
そう言いながら、彼女は白い鱗を自身のペンダントにはめ込んだ。
***
「……うん、大丈夫そうかな」
エルティムは見習いたちの様子を見守っていたが、やがて一つ息を吐き出した。この儀式の際にトラブルが起こったことは過去に何度もある。
信頼関係の出来ていないドラゴンの首から無理矢理鱗を抜き取ろうとして見習いが殺されかけたことがあった。ドラゴンの首に触れるのを恐れて泣き出した見習いが居たこともあった。しかし今年の、この班からはそうしたトラブルが起きることはなさそうだ。少し離れたところから自分と同じようにこの様子を見守っている相棒からの合図も特にない。
「契約の儀式が終わった者はドラゴンを小型形態に戻し、寮の部屋の確認をするように。今この場に居る者たちで相部屋になっているため、協力しながら部屋の環境を整えると良いだろう。今日は疲れた者も多いだろうし、ゆっくり休むんだよ。ではまた明日ね」
そう言って、エルティムはクラリウスと共に建物の方へ戻っていく。彼らの背中には、正式に騎竜士見習いとなった面々の興奮した声が聞こえて続けていた。
「ま、概ね関係性は良好、ってとこかね」
建物に向かいつつ小型形態に姿を変えながら、クラリウスは呟く。エルティムはその言葉に頷きながら、そっと笑った。
「良い子たちが多そうだ。……あの中のどれくらいが、良い騎竜士になれるかな」
そう呟きながら、エルティムは琥珀色の瞳を細める。クラリウスはそんな彼を見て、緩く笑った。
「お前のお弟子はどうだろうな?」
「……さぁ、どうだろうね」
「お? 冷たいな、師匠?」
揶揄うようにクラリウスが言うと、エルティムは困ったように肩を竦めた。
「"師匠"としては当然あの子を応援してやりたいけれど、今の私はあくまでも教官だ。あの子だけを贔屓する訳にはいかないよ」
当たり前のことだけどね。そう言って微笑む彼を見て、クラリウスはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「クソ真面目」
「ありがとう、誉め言葉だよ」
くすくすと笑いながら、エルティムは歩みを進めていく。
―― 願わくば夢を抱えたあの子たちが皆無事に"竜の巣"を旅立てますように。
そう願いながら、彼はゆっくりと歩みを進めていった。




