表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/11

第十章 変わるものと変わらないもの

 

 

 ―― ずっと、いっしょにいてくれる?

 

 ふわふわの白い頬っぺたを薄紅に染めて、問いかけたその頃の姿は今も鮮明に思い出せる。深い緑色の瞳は大きな宝石のように煌めいて、芽吹いたばかりの若草のような髪が柔らかな風に揺れていた。頭の上に花飾りを乗せたままの舌足らずな声での問いかけは愛らしくて、愛らしくて……あの時程、私が人間だったならと思ったことはなかったわ。私の腕ではあの子を抱きしめることはできなかったから。だからせめて、と私は翼であの子を抱きしめた。

 たった十数年前の出来事。私たち長命種にとってはほんの一瞬前のことのようにも感じる想い出。……だからかしら。あの子のことを手放すことができないのは。


***


 のんびりとティーカップを傾けて、友人たちと談笑する。その時間がミーティアは好きだった。竜の巣に入ってから少し時間が経ち、探り探りだった集団生活にも慣れてきて、上手に距離を取ったり縮めたりすることができるようになってきて、少しずつ楽しみを見出すことができるようになった。

 今日は授業に空きが多いというアルテアとフレースとお茶をしていた。降り注ぐ陽射しが心地よい中庭のテーブルでティーセットを広げて、それぞれに買ってきたお菓子を広げて、談笑する穏やかな時間。


「授業、色々あって楽しいね」


 アルテアはそう言いながらにこにこと笑っている。図書館に寄ってきたという彼女の傍には分厚い本が数冊入ったバッグがある。授業で触れられた参考図書らしく、話を聞いたら読みたくなったのだと彼女は笑っていた。好奇心と知識欲が旺盛な彼女は学校で学んだ様々な物事についての本を読みたいと思っているらしかった。

 そんな彼女の言葉に小さく頷きつつ苦笑を浮かべて肩を竦めるのはフレースだ。


「そうね。覚えることがいっぱいあって、ちょっと大変だけれど」


 彼女もまた生真面目で学んだことを習得しようと一生懸命なのだが、如何せん生真面目が過ぎて完璧を求めすぎているきらいがあるようで……程々に息抜きをすることが大切なのではないか、とミーティアは思っていた。真面目さは彼女の良さでもあるが、それが原因で疲れ果ててしまっては、あまりに……哀しいと、そう思ったから。


「でも、竜の巣に入って良かった、って思ってるんだ、私。此処で学ぶうちに、モーストとももっと上手くやっていけるようになったら良いんだけど」


 そう言いながら、彼女は自分の膝の上で丸くなって眠っているパートナーの頭を撫でている。彼女の相棒であるモーストは先程迄ぐるぐると飛び回ってアルテアのドラゴンであるフォールティアを困らせていたのだが、フレースに再三注意をされ、アルテアにお菓子を貰って一頻り頬張った後に寝落ちしたのだ。(モースト)の名がよく似合う若くて活発なドラゴンで、フレースはしばしば振り回されているようだった。


「きっと大丈夫だよ、フレース。貴女の一生懸命さはモーストにも伝わってると思うからさ。元気が良いのは悪いことじゃないし、ね?」


 アルテアはそう言って穏やかに微笑む。きっと大丈夫、と言う言葉はともすれば無責任にも聞こえてしまいそうなものだが、誠実な彼女の真っ直ぐな表情と声のためかそう感じさせない。事実、フレースも少し強張っていた表情を緩めて、〝そうだと良いなぁ〟と笑った。


 そんな二人のやり取りを見ながら、ミーティアは自分のカップを傾ける。こうしてゆっくりとお茶を飲んで休憩する時間は心地よい。そこに居る友人たちが笑ってくれたら、一層嬉しい。そう思いながらミーティアが深い緑の瞳を細めた、その時。


「あぁ、こんな所に居た!」


 聞こえたのは聞き慣れた相棒の声。ばさばさと羽ばたく音を立ててミーティアのすぐ傍にやってきた深緑の身体のドラゴンは困ったように眉を下げながら、溜息を吐き出す。


「ほら、急いでミーティア! 次は薬学の授業でしょう?」


 のんびりお茶をしている場合ではないわよ、と叱るトーンで言う彼女……マテルの言葉にミーティアはゆっくりと瞬いた。


「あ、そうか……」


 竜の巣は取っている授業によって時間割が異なる。殊更、ミーティアのように医療系の授業を多く取っている者は、他の見習いたちとは時間割が大分変わってしまうのだ。今日はその日で……つい、授業があるのを忘れてしまっていたのだ。


 カップに残っていた紅茶を飲み干してミーティアは席を立つ。少し皺になってしまったスカートを伸ばしている彼女を急かしつつ、マテルは一緒に居た少女たちを見て、申し訳なさそうに微笑んだ。


「慌ただしくてごめんなさいね、アルテア、フレース。またミーティアとお茶をしてあげて?」


 そう言う彼女はまるでミーティアの母親のようだ。……尤も、ミーティアは母親に付き添われるような幼い子供ではないのだけれど。

 マテルの言葉を聞いて、アルテアもフレースも小さく首を振った。ミーティアが薬学の道を志していることは知っているし、自分たちと異なる授業を取っていることも知っている。


「勿論。頑張ってね、ミーティア」

「今日の授業が終わったら、寮の部屋で続きをしよう?」


 二人の言葉に頷いて、ミーティアはふんわりと微笑む。


「うん。また後で」


 そう言いながらひらひらと手を振って、ミーティアは歩き出す。相変わらずにのんびりな歩幅の彼女を急かしつつ飛ぶマテルの様子を見ながら、フレースは小さく笑った。


「本当に、それぞれって感じだよね。ドラゴンとの関わり方って」


 自分の膝の上ですぅすぅと眠っているパートナーを見ながら、思う。マテルとミーティアの関係はまるで母娘だ。マテルはミーティアが幼い頃からずっと一緒に居たドラゴンだと聞いているからそういう関係になるのも至極当然のことだっただろう。ならば、自分とフレースは……どんな関係に落ち着くのだろう? 今は、手のかかる妹のような存在の彼女は……成長したら、何か変わるのだろうか。

 目を伏せ、考え込んでいる様子のフレースを見て、アルテアは目を細める。そして控えめに自分の傍に居るパートナーに視線を向けて、首を傾げた。


「ね、フォールティアは、私とどんなパートナー同士になりたい?」

「え、僕?」


 唐突に話を振られて驚いたようで、フォールティアは紅色の瞳を大きく見開いた。落ち着きなく翼を震わせる彼を見て、アルテアは微笑む。


「そう。私はフォールティアと友達みたいな存在で居られたら良いなぁって思ってるんだ。嫌?」


 そんなアルテアの言葉にフォールティアはゆっくりと瞬く。それから、ふるりと首を振って、言った。


「……嫌、じゃあない」


 僕で良いのなら、とフォールティアは呟くように言う。それを聞いて、アルテアは笑った。


「良かった」


 嬉しそうに笑うアルテアを見て、フォールティアもぎこちなく微笑む。そして、彼女が差し出してくれたお菓子を一つ、口に運んだのだった。


***


 薬学の講義室に入ると、当然のことながら講義室の中には既に沢山の見習いたちの姿があった。幸い授業の開始には間に合ったようで、マテルは安堵の息を吐く。ミーティアが適当に空いた席に座って顔を上げると、少し離れた席に一際小さな影がちょこんと座っていた。彼女……ロージーもまたミーティアの視線に気が付いたようで顔を上げると、嬉しそうに笑って手を振っている。


「あんなに小さいのに凄いね、マテル」


 ロージーはまだ一二歳。部屋の中でも、今期の見習いたちの中でも最年少であろう彼女はしっかり者で、勉学にも誰よりも熱心に取り組んでいる。薬学は正直難しい内容が多い上、医療系の職種に就きたい訳でなければ取得する必要もない授業だからか、周りを見た限り受講者の平均年齢はやや高めだ。そこに堂々と座ってテキストを開いている姿に思わず感心する。


「そうね」


 と、マテルが頷くのと同時、教壇近くのドアが開いた。先生が来たのだろうと察した受講者たちはさっと姿勢を整えてそちらへ視線を向ける。部屋に入ってきたのは少し皺っぽい白衣を身に付けた男性、イヴァンとそのパートナーであるミアプラキトゥス。医学系の授業は全て彼が受け持つことになっているのだと説明会の中で聞いていた。


「イヴァン……白衣、しわしわだよ……」


 呆れたように言うミアプラキトゥス。聞き慣れているのだろう小言に肩を竦めながら、イヴァンは笑って答えた。


「脱いで仮眠をとっている時にお尻の下に敷いちゃってたみたいでね。いやぁまいった」


 そう言って笑っている彼の様子に緊張していた見習い騎竜士たちの表情も少し緩む。ミーティアもくすりと小さく笑っていた。そんな彼らの様子を見たミアプラキトゥスは小さく溜息を吐いて、ぼやいた。


「もう、だらしないんだから」

「ごめんごめん。じゃあ、早速授業にはいろうか」


 そう言いながらイヴァンはぐるりと講義室の中を見渡した。真面目そうな見習いたちは授業内容を書きとめるためのノートや筆記用具を取り出している。準備を整えるためのざわつきが収まった所で、イヴァンはすうと息を吸い込んで、口を開いた。


「選択科目の中で最初の授業だから更に深くキミたちのことを知っておきたいんだけど……」


 そこで一度言葉を切った彼はガーネットの瞳を細めながら小さく首を傾げた。


「キミたちは何故、騎竜士になりたいと思ったんだい?」


 その問いかけに、一瞬しんと講義室の中が静まり返った。イヴァンの声は穏やかで、問いかけも至って普通の……よく聞かれる案件ではあったのだけれど、そのガーネットの瞳がまるで、見習いたちを見極める試験官のように真剣だった。静まり返った講義室の中、一人ひとりの顔を覚えようとするかのように視線を巡らせながら、イヴァンは言葉を紡ぐ。


「薬師にせよ、医者にせよ、ドラゴンに乗らずともできる仕事だ。寧ろ、ドラゴンに乗れるようになるための手間がある分、普通のそれらより大変だろう。それなのに何故、騎竜士になろうと思ったのか、聞かせてもらえないかな」


 誰からでも良いよ、と彼は言う。誰からでも、と言うことは全員のそれを聞くつもりなのだろうか? その場に集まっている受講者たちは思わず顔を見合せた。授業を受ける準備はしてきたけれど、まさかそんな質問を投げかけられるとは思っていなかったのだ。


「面接みたい……」


 誰かがそう呟くように言った。確かに、そうだ。まさか、これに答えられないから追い出される、なんてことはないと思うが……イヴァンがその答えを聞きたがっているのは間違いないだろうと、敏い見習いたちは理解していた。


「教えてくれるコはいるかな?」


 そんなイヴァンの言葉だけが部屋の中に響く。誰も顔を上げない。誰も声を上げない。様子を窺う気配だけが、色濃く部屋の中に漂う。と、その時。静寂を裂くように、すっと、手が上がった。イヴァンはそれを見てガーネットの瞳を細める。


「じゃあ、緑髪のキミ。ええっと、ミーティアくん、かな?」


 名前あってる? と問われて、ほんの少し驚く。まだイヴァンとは碌に言葉を交わしていない。幾つかの授業で顔を合わせてはいるが、竜の巣に居る見習いの人数を考えたら、名前を覚えるのは一苦労だろう。……それだけ誠実な先生なのだと、そう思いながら、ミーティアは席を立った。少し心配そうな視線を向けるパートナーに軽く微笑みかけてから、彼女は口を開いた。


「ドラゴンに乗れば、人間では行くことのできない地域まで、行くことができるから。それに、騎竜士であるということは、社会的信用にもなる」


 静かで、おっとりした、しかし芯のある声で語ったそれは素直な志願理由。


「私みたいな子供が売る薬は、信用がないかも知れない。でも、私は自分が……自分の両親が作る薬に、自信があるから。だから、少しでも多くの人に、薬を届けたい。少しでも良いものを、出来るだけ遠くまで届けたい。だから、私は騎竜士になりたい。……そう思って、此処に来ました」


 そう言って、ミーティアはぺこりと頭を下げて、椅子に座る。おっとりのんびりしている彼女が語った理由とその態度に、室内に居た見習いたちが俄かにざわめく。


 イヴァンの言う通り、薬師になるにしても医師になるにしても騎竜士の資格は必要ない。それでも此処に来た、騎竜士の資格を取ろうと思ったのは……そうした方がより多くの人に薬を届けることができると思ったからだと、彼女は語った。


 そんな彼女の言葉に一番驚いていたのは彼女の傍に控えていたパートナードラゴン、マテルだった。


「ミーティア……」


 薔薇色の瞳を瞬かせて、じっと彼女の横顔を見つめる。幼い頃からずっと見てきた幼い少女。彼女が薬師になる夢を持っていることは勿論ずっと知っていたけれど、それにこうも強い気持ちを乗せていたことは、正直初めて知ったところで。


「そうか。それは立派な夢だ。ありがとう、教えてくれて」


 そんなイヴァンの言葉に、講義室内で小さく拍手が起こる。ミーティアは少し気恥ずかしそうに首を竦めた。彼女の様子を見てそっと微笑んだイヴァンはもう一度講義室内に視線を巡らせてから、言った。


「正直、理由はどうでも良いんだ。いきなりあんな質問しといて何言ってるんだ、って思うかもしれないけれど。ドラゴンに乗って薬を売りに行ったら良いパフォーマンスになるかもしれないとか、仕入れにおいて効率が良いとか、そう言った理由でも良い。くだらないって思われるような理由で何かを志して為した人間は今までも多く居たからね。だから、一番問題なのは〝理由はないけど何となく〟だ」


 そんな彼の声はよく通る。きっと、その言葉が刺さってしまった者も居るのだろう。居心地悪そうに視線を逃がしている者もそれなりに居る。そんな彼らの様子を見て、イヴァンは言葉を続けた。


「何となく授業を受けるのはやめて欲しいな、と思った。それだけは伝えておきたかったんだ。理由は今から探しても遅くはない。ただ、どうしても見つからないのなら……この講義を取ることはお勧めしないな」


 簡単な講義ではないからね、とイヴァンは言葉を締めくくった。そして〝さ、じゃあ授業の内容に入っていこう〟と気を取り直したように言う。見習いたちはその言葉を聞いて、改めてペンを握り直したり、ノートを開いたりしていた。

 少し気まずいような空気が満ちる中、ミーティアの表情は変わらない。周囲の受講者たちと同じようにペンを握りながら、彼女は口を開いた。


「良い先生で良かった。色々教えてもらえば、きっと私も、父さんや母さんのような薬師になれるね」


 そう呟くミーティアは瞳を輝かせている。幼い頃、マテルの角に咲いた花を見て目を輝かせていたように。

 マテルはそんな彼女の横顔を見て微笑むと、〝そうね〟と呟くように言ったのだった。

 

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ