第九章 絡まりを解いて、結んで
まるで迷子のようだ、と先を歩いて行く相棒を見ながらラピスは思う。きっと、何の事情も知らない人間が見たらただの散歩に見えるだろう。しかし、彼のことをよくよく知っているラピスにはバレバレな、思考整理中の相棒……スティリアの癖だった。
目的地もなくただ歩き回る。〝竜の巣〟の敷地からは出られないため、行く場所は限られているけれど……それでも歩き回りたいくらい、彼の思考は、感情は、乱れてしまっているようだった。
慣れてはいる。これは、出会った頃からずっと変わらない癖だから。例えば親から小言を言われただとか、何か嫌なことがあっただとか……そういう時、彼は決まってこうして不機嫌に目的もなくただ歩き回るのだ。
ただ、今日はいつもより少し速度が速い。本気を出せばあっさりと追いつける距離ではあるけれど、小型形態で追いかけるには少々骨が折れる。そう思ったラピスは一つ息を吐いて、前方を歩く彼を呼んだ。
「ちょっと待ってよスティ」
その呼びかけに、彼は足を止めた。そして、くるりと振り向いた。想像通り、不機嫌そうな顔だ。
「……うるさいな」
吐き捨てるように呟くスティリアを見て、ラピスは小さく息を吐きつつ、羽ばたいて、彼の横まで追いついた。そして鼻先で軽く彼の肩を小突く。
「まだその顔してる」
そんな彼の言葉にスティリアはゆっくりと瞬いて、眉を寄せた。
「どの顔だよ」
低く唸るようなスティリアの声は酷く不機嫌そうに聞こえる。恐らく彼との付き合いが浅い人間は怯むであろう声音。しかしラピスは一切怯むことなく、言葉を続けた。
「後悔でいっぱい、って顔。自覚ない?」
呆れたような声音で、ラピスは言う。その言葉にハッと息を呑むスティリア。その瞳が小さく揺れる。何か言い返そうとして開きかけた口はすぐに閉じられて。
「……お前、ほんとうるさい」
そう呟く声は微かに震え、掠れていた。
大人びてはいても、まだまだ子供だ。そう思いながら、やれやれというように首を振ったラピスは、彼に言葉をかけた。
「言い方気をつけろよって今まで何度だって伝えてきたのに聞かないスティリアが悪いよ」
わかってるでしょ、とラピスに言われたスティリアは俯いた。
言葉を発さないが、わかる。それが肯定であることは。付き合いはそれなりに長いのだ。その証に、ラピスに言葉を投げられたスティリアは苦いものを飲まされたような顔をしている。ふぅと息を吐き出したラピスはそんなパートナーに問いかけた。
「で? どうすんの。スティが後悔してるのはわかったけど、分かったのは俺だけだよ。彼とのこと、そのままにしたらずっと周りと気まずいだけじゃない?」
ラピスの言葉にスティリアはそっと息を吐き出した。そして言葉に迷うような沈黙の後。
「アスカルも……本気で、やりたいことがないとは、思わない」
絞り出すような声でそう紡いだ。アスカルにぶつけた言葉が全て本心ではなかったかと言えば嘘にはなるが、彼が何の目的もなく竜の巣に来たわけではないことくらいは、理解できていた。それなのにああも強い言葉をぶつけたのは、どう考えても自分の落ち度だ。それを彼は自覚しているらしい。
「そうだね」
頷くラピスをちらと窺うスティリア。ラピスはその言葉の先を促すように、緩く首を傾げる。しかしスティリアはそれ以上に何を言えば良いのか、どうするべきなのか図りかねているようで、黙り込んでしまった。ラピスはそんな彼を見て苦笑を漏らすと、もう一度スティリアの肩口を小突いた。
「あとは単純な話じゃないか、ごめんなさいが言えますかー? って話だろ」
軽い調子で言うラピス。それを聞いたスティリアは眉間に皺を寄せて、黙り込んだ。……彼もとっくにわかっているだろう。取るべき行動も、告げるべき言葉も。それを行動に移すには不器用すぎるだけで。
そんな彼の表情を見て、ラピスは苦笑を漏らした。
「……お前な」
「わかってる、わかってる、が……」
これ以上の小言はごめんだというように、スティリアは首を振る。まるで子供のような彼の様子に、ラピスは深い青色の瞳を細めて、言った。
「はは、不器用なパートナー持つとドラゴンが苦労するんだよなぁ」
このまま放っておいたら恐らく、彼は自分からアスカルに声をかけることができない。或いは、何とか声をかけられたとしても、アスカルを委縮させてしまうだろう。自分が間に入るしかないな、とラピスは思う。……それこそ、今までも何度かあった状況だ。
「探してきてやろうか?アスカルのこと」
ラピスはスティリアにそう問いかけた。彼の覚悟が揺るがないうちに行動に移した方が良いだろうと、そう思って。
しかし。小さく溜息を吐き出したスティリアは緩く首を振った。
「……いい。頭冷やしたら、自分で戻る」
「戻る?」
どういうことかと言うように首を傾げるラピスを見て、スティリアは深く息を吸いこんだ。
「……アスカルを、探す。ちゃんと、……いうべきことを、伝える」
一世一代の決意と言わんばかりの表情と声音に、ラピスは小さく噴き出した。不器用で口下手で、誤解されやすい気質ではあるが、スティリアは決して冷淡な性格ではなく……自分の非は非であると認めることが出来る素直さも持っていることもラピスはよくよく知っていた。
「それでいいんじゃない?」
そう言って喉奥で笑うラピス。スティリアはそんな彼をじとりとした目で見た。薄情者、と言いたげな彼を見つめて、ラピスは鼻を鳴らした。
「俺は知らないよ。スティが売った喧嘩だろ」
俺は見守るだけだよ。ラピスはそう言って肩を竦めた。スティリアはそんな彼を見つめて、そっと溜息を吐き出した。
「……お前ってやつは……相変わらず性格悪いな」
「今更知った訳か?」
軽口を返しながら面白がるように目を細めて、ラピスは笑う。スティリアはそんな彼の顔を見て、ふっと息を吐き出したのだった。
***
スティリアはラピスと共に、寮に戻った。ほんの少し、その足取りは重たい。緊張しているのだろうな、とラピスは思っていた。その足が止まりそうになる度にその背を軽く鼻先で小突いていれば。
「あ、スティリア……」
自分たちの部屋へ向かう廊下。その前方から聞こえたのは、探し人の声だった。眼前の少年は紫の瞳を細めながら、口を開いた。
「よ、良かった、会えて。探しに行こうと、してたんだ」
そんな彼……アスカルの言葉にスティリアの身体が僅かに強張ったのがラピスから見ていてもわかった。……彼は存外不意打ちに弱い。さて、どうするか……そう思った、その時。
「え、っと……ごめん」
スティリアと向き合っていた少年……アスカルが、そう言葉を紡いだ。謝罪の言葉。それは、スティリアが彼に告げようと思っていたもので。
「な……」
驚いて目を見開くスティリアを見て、アスカルはぎゅっと拳を握った。困り果てたように眉を下げ、それでもスティリアの前から逃げ出すのではなく、彼は言葉を紡いだ。
「ぼ、ぼく、あんまり自分の考え方伝えるの、うまくなくて……でも」
そこで一度言葉を切ったアスカルの視線が、隣に居る相棒の方を向いた。小型形態をとっている彼がゆっくりと頷くのを見て小さく息を吐いたアスカルは真っ直ぐにスティリアを見つめて。
「適当な気持ちで、竜の巣にいるわけでは、ないから……それだけは、わかって、ほしくて」
そう言った彼はぎゅっと唇を噛む。握りしめた拳は小さく震えている。……相当な勇気を振り絞ったであろうことは、ラピスに……きっと誰より、スティリアにはよく伝わったことだろう。
「……悪かった」
スティリアが、そう言葉を紡いだ。一つ息を吐き出した彼もまた、真っ直ぐにアスカルを見つめて、言葉を続ける。
「お前の、その気持ちはわかった。……すまなかった、お前を、傷つけるようなことを、言った」
そう詫びるスティリアを見て、今度はアスカルが驚いた顔をしている。しかしすぐに彼は表情を緩めて、首を振った。
「大丈夫、本当のことだったから」
「い、いや、でも……」
しどろもどろになっているスティリア。ラピスはそれを見て思わず噴き出した。
「ふは、馬鹿じゃん。アスカルの方が大人で良かったね、スティ」
そんなパートナーの言葉に、スティリアは眉を寄せた。……その頬は気恥ずかしさ故にか、薄紅に染まっている。
「うるさいな」
そう言ってついとそっぽを向くスティリア。そんな彼とラピスの様子を見て、アスカルはくすくすと笑っている。彼らの様子を見守っていたフェッルムは穏やかに目を細めた。
***
そのまま、アスカルとスティリアは一緒に部屋に戻ることにした。フェッルムとラピスとは少し後ろを、小型形態のままについていく。
「すまないね」
ぽつりと、そう詫びたのは、フェッルムだった。ラピスは不思議そうな顔をして、首を傾げる。
「え、何が? どっちかと言うと、うちの相棒が悪いと思うんだけど」
そんなラピスの言葉に、フェッルムは苦笑混じりに首を振った。
「いやいや、確かに言葉は強かったが……彼の言っていたことは真実だ。ああいわれた時にどう返すかは、あの子……アスカルが考えなければならないことだったから。それを、ああいった形で伝えさせてくれて、感謝しているよ」
そういって、フェッルムは穏やかに微笑む。柔らかく銀色の瞳を細めながら。そんな彼の言葉に、ラピスはぱちりと瞬いて、ふっと笑った。
「それなら、良かったんだけど。……ま、上手に仲直り出来た方かな」
ラピスは前方を歩く二人の背を見つめた。積極的に会話をしている訳ではなく、ぎこちなさもなくなった訳ではないが……それでも、彼らの間に刺々しい雰囲気はない。そのことに、ラピスも少なからず安堵していた。
今まで何度も、彼が誰かと決別するのを見てきた。不器用で、言葉が強い彼はどうしても敵を作りやすい。パートナーである自分でさえも、よく彼と喧嘩をするくらいなのだ。少しは言葉の伝え方に気を遣えと何度も何度も伝えてきた。あり方を変えることはないと思っているが……それでも、辛い想いをするのは、悩むのは、結局彼なのだ。……相棒が嫌われて愉快に思うドラゴンは、いない。軽口を叩くラピスも、同じだった。
だから、今回は決別するのではなく、伝えるべき言葉を伝えあって、絆を結びなおせて、スティリアは勿論……ラピスも、安堵しているのだった。
「……アルナイル達にも、謝らないと、いけないね」
アスカルはそう言って、苦笑を漏らした。その言葉にスティリアも小さく頷いて、ドアを開ける。
それと同時、部屋の中に居た少年……アルナイルが明るい空色を瞬かせて、声を上げた。
「お帰りアスカル! あ、スティリアたちも帰ってきたのかー!」
「おかえり」
読んでいた本から視線を上げてひらりと手を振るもう一人の少年……シグレだが、その表情に滲むのは明確な安堵で。……二人とも、自分たちのことを気にかけてくれていたらしいと理解したスティリアは少し気まずそうに、アスカルは照れ臭そうに笑って、頷いた。
「……ん、ただいま」
「ただいま」
そんな二人を見て、アルナイルは目を細める。
昼間に別れた時のぎこちなさは、もう二人の間にはない。フェッルムとラピスの表情も穏やかだ。……仲直り出来たらしいことは、目に見えて。
「ほら、一緒に夕飯食いに行こうぜ!」
そう言うと同時、アルナイルはスティリアとアスカルの間にずぼっと入り込んで、肩を組む。アスカルは〝うわ?!〟と驚いた声を上げ、スティリアも声をあげないまでも、大きく目を見開いている。
「アルナイル、いきなりそんなことしたらびっくりするよ」
アルザが慌てて止めているが、アルナイルは二人と肩を組んだままに、嬉しそうに笑っている。
「みんな一緒だ!」
〝シグレも!〟と言ってアルナイルは笑っている。シグレはそんな彼を眩しそうに見て、目を細めた。
「……仕方ないな」
そう言いながら、シグレも本を置いて彼らの方へ歩み寄る。絡まり合うようにしながら笑い合う相棒たちの姿を見守りながら、四頭のドラゴンたちもまた、表情を綻ばせていたのだった。