妹に婚約者クレクレされたけど、もう遅いです。大好きな彼は、誰にも渡しません。
2021-05-16
安価・お題で短編小説を書こう!9
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>>736
使用お題→『馬車』『24億』『オーバー』『もう遅い』
【妹に婚約者クレクレされたけど、もう遅いです。大好きな彼は、誰にも渡しません。】
「ねー、お姉ちゃん。Jくんちょーだい」
伯母のサロンへと向かう馬車の中、妹が突然そんなことを言い出した。
私は彼女の顔を見詰めた。箱形の車体が、がたんと揺れた。
「急にどうしたの、C。……何か悪い物でも食べた?」
無邪気な笑顔は母譲り。緩やかにカールした金髪は父譲り。
甘やかに響く猫撫で声が、子供みたいな口調でおねだりする。
みんな彼女の虜。
「食べてないから。悪いものなんて食べてないから。真顔で変なこと言うのやめて」
不機嫌そうに、だけど目元は笑ったままで、彼女は唇をとがらせた。
それならいいけど。私だって、妹が本当に悪い物を食べたなんて、思ってはいないけど。
「ごめん」
「お姉ちゃんて暗いし。お姉ちゃんにJくんは勿体ないよね」
「だから、どうしたの? 急にそんなこと言い出して」
Jは私の婚約者。R家の長男だ。
「急じゃないもん。お姉ちゃんがずるいんだもん」
ずるいって。とんだ言い掛かりだ。この子はいつもそう。
だけど。
「本当はさ、私のところに来た話だったのに」
ああ、そういうことか、と。私は思う。
確かに私はずるいのかも知れない。妹は運がなかったのかも知れない。本当は。
「本当はさ、私のJくんだったかも知れないのに」
本当は。
だけど。
「ねえ、今からでもなんとかならない? Jくんだって、お姉ちゃんより私の方がいいに決まってるよ」
私の顔を見て、言い募る彼女。
暗がりでもはっきり分かる、星空を思わせる瞳。
「そうかもね」
「そうだよ」
かわいくないって、言われる。笑顔がないって。ごわごわとした黒髪は、思い通りにならないし。低い声は男の子みたいだし。
「だけどね、C」
「何? お姉ちゃん」
だけどそんなの、すべて今更なのだ。
「今は、私の婚約者だから」
妹の顔を見て、はっきりと告げる。
「今は、私のJくんだから」
全部、もう遅いのだ。
*
最初は伯母からの紹介だった。
妹は社交界の人気者で、つまり彼女の周りには、いつだって多くの人々——特に未婚の男性——が、それこそ鈴生りに輪を作る。
彼、Jも、その中の一人だった。
私は、彼を舞踏会で見掛けたことがある。Cに近付きたくて、だけどライバルが多過ぎて。結局最後まで踊れず仕舞い。
ぱっとしない。残念な人。そう思った。
だから、伯母から妹に縁談が持ち込まれて、その相手がJだと知った時。私は、彼を、ちょっと見直したのだ。
「R家のJ様? うーん、ないかな。顔は覚えてるよ。悪くはなかったかも。だけど爵位もないし、すごいお金持ちって感じでもないし。ないない」
妹はそう言って。母も同じ意見だった。
「だけど断っても伯母様に悪いし……。あ、お姉ちゃんは? J様って、なんか地味だし。お姉ちゃんも地味だし。地味同士でお似合いかも」
*
馬車の中で隣に座る、私のかわいい妹。彼女の顔は、もう笑ってはいなかった。
「意地悪。お姉ちゃんの意地悪。性格悪いよ。教えてくれれば、私だって考え直したのに」
私は、彼と会う前に、R家について調べてみたのだ。特に深い考えがあったわけではない。ただ話を合わせるために、少しでも相手のことを知っておこうと思ったのだ。
だけど。
「まさかJくんが、あの怒りん坊のT大老の親戚だなんて。そんなこと分かるわけないし」
「本当は優しい人だとも聞くけどね」
貴族院の大物、気難し屋のT伯爵は高齢で、子供がいなかった。その伯爵家の、一番近い親戚がR家だったのだ。
つまりJの父親は次期T伯で。その息子である彼は、その次で。
「ねえ、お姉ちゃん。本当に、なんで教えてくれなかったの?」
妹の、丸くて大きな目が、ゆっくりとすぼめられる。
馬車が揺れる。
「ごめん。だけどね」
「ごめんじゃないし。だけどじゃないし」
だけどね、C。
「ねえ、C。最初にJくんを捨てたのは、あなたじゃない。ぽいっ、て。私見てたんだから」
叔母の家の封筒から出てきたそれを。一瞥するなり、テーブルの上に投げ捨てたのだ。
「は? 何言ってるの?」
だから。
「私はそれを拾っただけ。あなたが捨てたものを、私が拾っただけだよ」
「二十四億」
妹が畳み掛けるように言った。
「こないだ話してたよね。伯爵家の財産? お姉ちゃんも、結局はお金目当てだよね。隠したって無駄だから」
んん? 二十四億……?
「私は! お金を落としただけだから。お金を拾ったら、落とした人に届けるよね」
「ちょっと待ってC」
「泥棒だよ。お姉ちゃんは泥棒。私のJくんだったのに」
妹は、かわいそうに、怒りで赤くなっていた。
また馬車が揺れた。
「あのね、C。二十四億って、それはいくらなんでも大袈裟でしょう」
私だって詳しいわけじゃないけど。それって、国家予算に匹敵するような数字だ。
「Jくんと話してたのはね、彗星のことだよ」
「彗星……? って、あの、彗星?」
「そう。ほら、そっちの窓から見える、あの彗星」
夕暮れの空に、長い尾を引く、彗星。
燃えるような赤と深い海のような青とが混ざり合う中、まるで月が二つに増えたかのように、白く輝く、大彗星。
「どういうこと?」
「あの彗星までの距離がね、二十四億——」
「そんなの!」
妹は声を張り上げて、だけど、それはさすがに淑女失格だ。
彼女は小声で言い直す。
「そんなの、どうやって測ったの」
「それは……」
Jの説明を思い出そうとする。だけど私の記憶に残っていたのは、少しはにかみながら、それでも精一杯の得意顔で話す、彼の姿ばかりで。
「……昔の偉い人が、何回も測って、あれこれ計算して、それで距離を割り出したんだよ」
そう言ってみたけど、もちろん妹は納得しない。
「後でJくんに聞いてみよう。あっ、そうだ。今日は天文台の偉い人も来るらしいから、CとJくんと私でお願いすれば、望遠鏡を使う許可が頂けるかも知れないよ」
Jの仕事は天文台の職員。偉い先生方に交じって、空の様子や星の運行を観測する。
「ね、C」
妹に呼び掛ける。
だけど。
「もういいよ」
彼女は窓の方に顔を向けて、流れ星のような街灯の、小さな明かりを眺めている様子だった。
私は、また、Jと私が、妹から捨てられたような気持ちになった。
「Jくんはあげないけど。F様は? L様とかS様だって、悪くないんじゃない?」
みんな妹の友達。
「Fくんは、あれは駄目。愛人がいる」
妹は微動だにせず、続けた。
「Lくんは、母親が駄目。本人もお母さんの言い成り。これは私だけじゃなくて、お母様もそう言ってる」
そんなこと、私は初めて聞いたけど。
「Sくんは人の話を聞かない。一応長男だけど、あれは戦争に行って死ぬね」
占い師の老婆みたいなことを言い出した。
また、馬車が揺れた。
「お姉ちゃんはさ」
気が付くと、妹がこちらを向いていた。
「Jくんの、どこが好きになったの?」
私は考えた。
最初は、ぱっとしない彼の、それでも自身を売り込もうとするところが気になった。
だけど彼は門前払いされた。
私は、彼を追い掛けて、その手を取った。ペンだこの出来た、きれいな手。
それから一杯話した。お互いのこと。お互いの家のこと。彼の仕事のこと。
「やっぱり……似てるのかも」
かわいくなくても。ぱっとしなくても。
「そりゃ地味だけどね、私たち」
誰にも渡したくない。渡さない。
「それに将来の伯爵様だしね」
「やっぱり地位が目当てなんだ。知ってたけど」
「C、あなたに言われたくないよ」
伯母の邸宅に着いた。馬車が静かに門をくぐる。
時間通りか、少し遅くなったかも。
玄関へと近付くと、そこには見慣れた人の姿があった。
「あっ、J!」
「えっ、どこ」
「そっちからだと見えないよ。今ね、目が合った」
「気のせいでしょ。暗くて見えないよ」
だけど。
本当に。
目が合ったし。
「あーあ。誰かいい男、いないかなー」
「Jくんに紹介してもらおうか? 職場の人とか」
「いいよ。どうせ根暗か老人ばっかだよ」
馬車が止まる。扉を開けると、少しだけ涼しい夜の空気が、少しだけ熱を持った私の顔を冷やしてくれる。
「J!」
なんて声を上げるのは、淑女失格だろうか。
早足で近付いてくる、青い外套の彼に、だけど私の胸は高鳴って。
大丈夫。きっと私。一番の笑顔。
馬車に同乗した侍女A(自分たち空気だったね)
馬車に同乗した侍女B(忘れられてたね)
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