ライトレ三題噺
「ねぇ起きて」
声が聞こえ目を開けるとすぐ目の前に兄の顔があった。
「どうしたの」
顔を遠くにやるように押しながら目を擦る。まだ部屋は暗く、窓から月が見える。一体なんの用だと言うのだろう。
「連れていきたいところがあるからついてきて」
「はぁ…」
断りたい。だがこの兄は一度言い出したら止まらないのでしぶしぶ布団から這い出る。が、寒すぎて思わず布団に戻る。
「無理…死ぬ」
「えぇ〜頑張ってよ」
と言いながら兄は俺のタンスから半纏と手袋、マフラーあとニット帽を取り出す。俺は意を決して布団から出て、それらを身につけた。
「よし、じゃあ行こっか」
ん、と返事をして玄関へと向かった。
「で、どこ行くの」
家から出て10分。まだ行先は聞いていない。とりあえず繁華街の方へ向かっているようだけど…。
「秘密」
教えてくれそうにないや。なら黙ってついていく他ない。なんて考えていると駅に着いた。
「ちょっとまってて」
そう言って兄は券売機の方へ行ってしまった。
あんまり気にしていなかったけれど、街は明るくたくさんのお店が空いている。それに今から電車に乗る。ということはまだ丑三つ時にはなってないというのがわかる。
「お待たせ」
戻ってきた兄は俺に切符を渡した。行先は…
「ここどこ」
見たことない駅名だ。元々活動範囲が狭いヒキニートなので詳しくないというのも理由の一つ。
「海。すごく綺麗だから連れてってあげる」
「今から?」
「そ、今から」
兄の後に続いて俺も切符を通す。駅構内は残業終わりとか酔っ払いとかのサラリーマンしかいない。俺たちの異質な感じが半端ない。変な目で見られてるんじゃないかと思うと途端に怖くなった。が、隣の兄が俺の異変に気づいたようでそっと背中を撫でた。そんな気遣いができたんだ。あまりにも意外で恐怖なんてものはどこかへ行ってしまった。
そこへ、まもなく電車が到着しますとアナウンスと音楽が聞こえてきた。俺たちが乗る電車だ。
扉が開き、中から出てくるたくさんの人とすれ違いながら俺達も歩き出す。
「扉が閉まります。ご注意ください」
という音声と同時に閉まる扉を見つめる。座りたかったなぁ。まぁ満員電車でなかっただけでも有難い。
長い間電車に揺られ、段々と人が減っていく。俺たちは空いた席に座り、襲ってくる眠気と戦っていた。乗り過ごすわけにはいかないので。
目的の駅名が聞こえる。隣で寄りかかっている兄に起きてと声をかけ揺さぶる。扉が開き、外に出ると冷たい風が体温を奪い去っていく。どうやらここで降りたのは俺たちだけみたいだ。
「あれ」
改札の方へ行くとなんだか変な感じがする。
「もしかしてここって無人駅?」
「そーだよぉ」
寝起きの兄は欠伸をしながら答える。
「へぇ、初めて来た。でも意外と綺麗だね」
俺はキョロキョロと辺りを見回しながら歩く。
「だよね。俺も初めて来た時びっくりした」
こっちだよって兄に手を引かれる。
「兄さん手袋してないじゃん。寒くないの」
「寒い」
食い気味に答える。かなり寒いということだ。なぜ手袋を持ってこなかったのだろうか。あほだからか。納得。
「これ頂戴」
兄はそう言って俺の手袋を片方だけ外し自分の手にはめる。
「は?寒ッ…!!」
ふざけんなと抗議をしていると、手袋をつけてない方の手で俺の手が握られた。呆気に取られているとそのままその手をポケットに突っ込まれた。暖かい何かが手に触れる。それがなにか理解し、俺は無言で兄をじっと睨む。
「ごめんって。そんなに睨むなよ」
「カイロあるとか聞いてない」
自分だけ持ってくるとか酷すぎる。さすが自己中。
そうこうしているうちに目的の場所に着いたらしい。兄はこの辺でいいかと腰を下ろした。海岸へ降りるための大きい階段だ。
「何が綺麗なの」
兄に問うた。だってどこにも綺麗だと思うものが見えない。夜景が広がってたり、夜空らが輝いてたりなんてことはなく光は薄暗い街頭だけであとは闇。どういうことだろう。
「まだだよ」
「え」
「綺麗なのはあと5時間後くらい」
「…嘘でしょ。あと5時間もこんな寒い中待たないといけないの」
凍え死ぬぞ。11月上旬とはいえ今日は気温が低い。耐えられるわけが無い。
「帰る」
そう言って立ち上がろうとした。
「無理だよ」
が、動きが固まる。まさか…。
「だってさっきので最後だもん。次来るの始発」
「はぁぁああ!?」
ちょっと意味がわからない。あと5時間ここで待つなら別に始発でこっちに向かっても余裕だ。
「なんで終電!?始発でいいじゃん」
「いやだって、始発じゃ絶対起きられないじゃん。ていうか今まで何回も始発で行こうとしてたんだよ?でも全部寝過ごして、それなら寝ずに夜の間に行けばいいじゃんって」
「そんなんで俺の睡眠時間は削られたというのか」
だが、ここまで寒いと眠ることも出来ない。結局、時間が来るまで2人でしりとりをしていた。
「す、す、んー、あ!水質汚濁防止法」
「海烏」
「す、すぅぅ…さっきからすばっかりじゃん兄さん」
「この時のために覚えたと言っても過言ではない」
「暇人か」
「ニートなもんで」
得意げに鼻の下を人差し指で擦る兄。彼の昔からの癖だ。
「お、もうそろそろだよ」
そう言って兄は海の方を見る。俺も同じように顔を向けると、少し明るくなった水平線から太陽が僅かに見える。
「これ?」
兄が見せたかったのはこの日の出だろうか。
「んーん、もうちょい待って」
違うのか。もう少しって後どのくらいだろう。じっと眺めていると次第に辺りが赤く染まっていくのがわかる。
あぁこれか。この兄が俺に見せたかったものは。
空も海も、隣の兄でさえも全てが赤く、まるで別世界にいるようだ。
「綺麗」
思わずそう呟くと
「だろ」
と嬉しそうな兄の声が聞こえた。