消しゴム
「むかしさあ、小学生のころに、好きな男の子のなまえを消しゴムに書いて、だれにも触れさせずに使い切ったら、ふたりは結ばれるっておまじないがはやったの、おぼえてる」
たくみはビールの入ったジョッキを机におくと、そう言った。
「うわあ、そういえばそんなことあったよねえ」
さとみはなつかしむように笑った。
「でさ、あのころのさとみ、井沢くんのことが好きだったでしょう」
「ええッ、もしかして気づいていたの」
「そりゃ、親友だもん。当然よ」
たくみは自信たっぷりの顔つき。
「ばれてないと思っていたんだけどなあ……。でもさあ、あのころの井沢くん、ほんと、かっこよかったよね」
さとみのことばにたくみもうなずく。
「足は速いし、優しいし、クラスのほかの男子とちがって、おとなっぽかったしね。中学生になっても、相変わらずスポーツ万能で、同学年のなかでも目立ってた。きっといまごろはさあ、わたし好みのイケメンになってるにちがいないわよ。ははは」
さとみは笑い終えると、ビールの入ったジョッキを口へと運ぶ。
そして、ふうと、ひと息つくと「たくみはさあ、あのころ、だれが好きだったの」と、逆に聞いてみた。
たくみは質問に答えるべく口をひらく。
「じつはね、わたしも、井沢くんのことが好きだったのよ」
「ええッ、じつはわたしたち恋のライバルだったのッ」
ひとみは驚いたようす。
「ふふ、そうなるわね。まあ、どっちも相手にされなかったけどね」
「おたがい一生懸命、消しゴム使い切ってったのにね。ほんと、報われないよ」
ふたりは声をそろえて笑った。
そして突然、さとみはなにかを思い出したように言う。
「確かたくみって、井沢くんと同じ高校に通っていたよね。それって、もしかして……」
「……うん」
少し間をおいて、たくみは返事をした。
「ははあ、まさか、あんたそこまで一途だったとはねえ。ぜんぜん気づかなかったわよ」
「それは、さとみが鈍感すぎるせいよ」
たくみがからかうと、さとみは唇をとがらせる。
「じゃあ、たくみが高校二年生のとき、理由も言わずにわたしに泣きついてきたのは、井沢くんに告白して、ふられたせいってことだ」
確信にみちた目で、さとみは言った。
「……そのとおりよ。ほんと、あんたって鈍感なくせに、こういうときは頭が回るのね」
たくみは皮肉を言ったつもりだったが、さとみは気づかず得意げな顔を浮かべている。
「それでね、これを見てほしいの」
たくみは鞄から白い封筒を取りだし、さとみに手渡した。
「なになに、って、これ結婚式の招待状じゃん。しかも井沢くんの」
「そうよ。井沢くん、こんど結婚するの。それで、披露宴の二次会を、わたしのお店でやりたいって言ってるの」
「ふった相手にたのむとはねえ。まあ、友人がゲイバーで働いていたら、たのみたくなる気持ちもわからなくはないわよね。ぜったい盛り上げてくれそうだし」
さとみは招待状を机において腕組みすると、丸太のような腕に血管が浮きあがる。
「……なるほど。だからきょう、わたしを誘ったのね。……わかったわ、きょうは思う存分飲んで、思う存ぶん泣きましょう。それで、心から井沢くんを祝福してあげられるようにしましょう。この厚い胸板ならいくらでもかしてあげるから」
「さとし……」
クマがうなるような涙声でたくみは言った。
「こら、本名はやめなさいッ」
この夜、たくみは浴びるように酒を飲み、さとみのたくましい腕のなかで滂沱の涙を流しつづけた。
ふたりの男が抱きあい涙を流す姿は、はたから見ると異様な光景にみえていた。