第39話
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よろめきこけそうになっただけだった。
モニカが悲鳴をあげたのは、ただそれだけのことだった。その事実は彼を安心させてくれるものであったのだが。
それでも彼が振り向いてしまったという方の事実は、鬼蜘蛛にとってなにより嬉しく、待ち望んだ好機を生み出すものであった。
一匹の鬼蜘蛛が、団体行動を乱す。
生み出されたチャンスに思わず飛び出してしまったのだ。鋭い牙がレオの無防備な首筋を噛みちぎろうと迫る。
「ッ!!」
自分が犯した失敗に、彼が素早く振り向く時にはもう遅く、目の前にまで敵が迫っていた。しかも、避ければモニカのほうへと鬼蜘蛛が行くことになる。
ザグ、シュ!
「あァ! ぐぅぅウウウ!!」
《《盾にした》》左腕に、鬼蜘蛛の牙が喰い込んでいく。
腕を斬り飛ばそうとギチギチ締め上げる牙が、レオの腕の肉を切り裂いていく。美しいほどにまで赤い血が、決壊したダムのようにどぼどぼと零れ落ちて行く。
気が飛びそうになるほどの痛みのなかで、彼は木の枝を握る右手に力入れる。
そして、
「ギュギギィィィイ!?」
鬼蜘蛛の丸過ぎてどこか分かりにくい顔に枝を無理やり突き刺した。
溜まらず牙を離し、地面にのたうち回る鬼蜘蛛は傷口から体液をびゅるびゅると噴出させていく。
「走ってェ!!」
「~~ッ!!」
残りの鬼蜘蛛が動き出す前に、彼は振り返って、なりふり構わずモニカの手を取って走り出した。
絶命していく仲間の姿に一瞬固まっていた鬼蜘蛛達も、獲物が逃げ出したことに釣られて走り出す。
カサカサカサカサッ!
八本の足を器用に動かして、地面だろうか岩だろうが、木だろうが。障害物を気にせずに立体的な動きをもって追いかけてくる。
「レ、レオ……ッ! レオ、腕、腕ッ!」
「いいから! 今は走って!!」
切羽詰まる少女の声。彼女の視線はレオの左腕へと向けられていた。盾として使ってしまったその腕は、あと少しで切り飛ばされる寸前であり、傷口からは白い骨が見えてしまっていた。
これほどまでの深い傷を負ってまでして自分を守る彼の姿に、モニカのなかでどんどんと困惑が大きく育っていく。
※※※
視界がどんどんと悪くなっていく。
物理的な話ではない。山の中なので視界が悪いのはその通りなのだが、別段周囲の様子が変わっているわけではないので、悪くなっていく理由にはならない。
ただ、血がどんどんと流れていっているのだ。
動けば動くほどに血のめぐりが早くなり、傷口からどんどん漏れ出していく。それでも、止まるわけにはいかない。
今にもすぐ後ろに迫る鬼蜘蛛の足音が聞こえていた。止まればどうなるかは考えたくもなかった。
狭まっていく視界と、重くなる足に諦めたくなる。
すべてを諦めてもうこの場に倒れたい。
それはしないのは、右手に少女の体温を感じるから。
自分を信じてくれたわけではないだろうとは思っていた。そこまで彼も楽観的ではない。そもそも、彼女から伝わってくる感情には、安心などとは程遠い、恐怖や困惑が大きかった。
それでも、と彼はまた一歩足を前に出す。
彼に取って、彼女が彼を信じてくれていないことは悲しいことではあるが、どうでも良いことでもあった。
自分が彼女を守るのだと、彼が決めたのだ。
なら、彼女に嫌われるとか、彼女に恨まれるとか、そんなことは彼に取ってはどうでも良いことであった。
絶対に何があっても彼女を守る。
この想いだけが、彼の身体を突き動かした。
とはいえ、
問題はいくつもあったのだが、一番の問題は、ハコブの村がどこにあるか分からないこと。つまりは、状況を考えずに可愛く言えば、迷子の子猫ちゃん状態であることだった。
だって初めて来た場所なんだから仕方ないでしょ!!
誰に言われたわけでもないが、彼は心の中でなかば自棄で叫ぶ。
おそらくはこちらだろうと思う方角へと走っているのだが、悲しいことに彼らはどんどんとハコブの村から遠ざかっていた。
箱入り娘のモニカと、血を流し過ぎて朦朧としているレオに方角がズレていることなど分かるはずもなく、彼らは更に山の奥地へと足を踏み入れていく。
鬼蜘蛛以外にも多くの危険な生き物が住まう山の奥地へと。




