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ティーシナルヒビ

てつぶた

作者: あさま勲

 休日の朝、T氏は居間で新聞を読んでいた。日曜版のみの地方ローカル新聞である。

 T氏の自宅は、とあるマンションの一角。奥さんと息子がT氏の家族であった。奥さんは、ベランダで洗濯物を干し、五歳になる息子は居間でおとなしく絵本を眺めている。

 T氏にとって、ありふれた休日の朝である。

 新聞を流し読みしていたT氏の視点が、ある記事のところで止まるのであった。

 鉄ブタ空を飛ぶ。記事の見出しには、そう書かれている。

「てつぶた……」

 T氏は呟く。その響きは、T氏にとって、とても蠱惑的に感じられた。

「お父さん、てつぶたってなーに?」

 呟きが聞こえたのか、T氏の息子は尋ねる。

 T氏は一枚のチラシを手に取り、裏返して手早く絵を描きつつ言う。

「てつぶたってのは鉄製の豚さんの事なんですね。こんな感じじゃないでしょうか?」

 T氏が息子に見せた絵は、尻から火を噴いて飛ぶ蚊取り豚としか形容できない代物であった。サラリと描きはしたが絵心があるようで、なかなか上手に描けている。鉄板を鋲で留めたような描き込みから、豚が鉄製であることを上手く表現していたのだ。

「変なの……」

 T氏の息子は呆れたように呟く。

 絵の上手い下手と変か否かは別問題なので当然である。しかし、その言葉でT氏はガックリと肩を落とした。

「お、お父さん渾身のお絵かきを変なのって……。そもそも変なんて主観的な基準で物事を計ること自体が変なのであって、その基準を万人共通みたいに誤解して使う人たちってのは、ワリと自分勝手な人たちが多く……」

 T氏は指でのの字を描きながらブツブツとわざとらしく呟く。

 息子は、そんなT氏をしばらく眺め、そして諦めたように口を開く。放っておくとT氏が、自分の前で、ずっと、そうしていることを経験から知っているのだ。

「お父さん。この変っ……この鉄の豚さんがどうしたの?」

 思わず正直に変なと言いかけるが、慌てたように息子は言い直す。

 そのことに気付かないT氏ではないが、あえて気付かないふりをして、気を取り直したように説明を始めた。

「うん。この新聞に書いてありますが、鉄の豚さんが窓を突き破って、十メートルも空を飛んだそうです」

 そう言いながらT氏は絵を手に取り、絵を動かしながら空飛ぶ豚を表現して見せた。

「で、なんで豚さんが空を飛んだの?」

「難しい問題ですね。だけど、状況から事件を推察することはできます」

 息子の質問に、T氏は大真面目な顔をして言った。そして新聞記事を指さしながら言葉を続けた。

「まず、事件が起こったのは小さなレストランであることに注目しましょう」

「なんでレストランから鉄の豚さんが?」

 T氏の息子は五歳で小学校入学前。漢字が多用されてる新聞は、チンプンカンプンで理解できない。故にT氏に問うたのだ。

「昨日の夕飯はトンカツでしたね……。トンカツの主な材料は豚肉で、豚肉とは豚さんのお肉なんですよ」

「……知ってる」

 実物の豚は見たこと無いが、トンカツが豚肉で、豚肉が豚の肉だって事ぐらいはT氏の息子でも知っていた。T氏はともかく、T氏の奥さんは、息子の食育に熱心だったのである。

「そしてレストランは作った料理をお客さんに提供する場所であります。つまり、この豚さんは、料理されそうになって慌てて逃げ出したんだと推測できるわけですね」

 息子はT氏の説明に、一瞬納得しかけ、そして慌てたように首を振った。

「でも鉄なんでしょ? 鉄は食べられないじゃない!」

「普通の人間にはね。だけど、先週行った遊園地を襲った悪の怪人なら鉄だって平気で食べちゃうんじゃないでしょうか?」

 先週行った遊園地で見たアトラクションを思い出し、息子は否定できず違和感を感じつつも頷くのだった。

 違和感とはアトラクション会場と、その周囲の雰囲気の違い。何より、あれが催し物であることをT氏の息子は知っていたのだ。

 そんな息子を知ってか知らずかT氏は言葉を続けた。

「つまり、悪の秘密結社の魔手が、この町にも迫ってきてるわけです。だけど心配ありません。正義の味方が……」

「わたしは心配だらけです!」

 T氏の言葉を女性の声が遮った。洗濯物の取り込みを終えたT氏の奥さんである。

「何が心配だというのですか奥さん。お父さんがいる限り、家庭の平和はお父さんが……」

 そう言うT氏のほっぺたを奥さんは抓りあげる。

「この絵はなんですか?」

 にこやかにたずねる奥さん。でも目は笑っていなかった。

「今度、お父さんの会社で採用されるマスコットキャラの候補です……って、奥さん。ほっぺ痛い」

 ちなみにT氏の勤め先は一般商社である。無論、マスコットキャラなど無い。

「てつぶた云々って話してたよねぇ?」

「この新聞記事ですね。ワリと近くなんで危ないねーって話して……」

「怪人や悪の秘密結社とかも言ってたけれど、圧力釜の蓋が飛ぶことと、どう関係あるか説明してくれないかしら?」

 二人のやり取りを見ていた息子は、軍配が奥さんに上がったことを察した。そもそも、T氏に軍配が上がること自体、滅多にない。

「世の中、夢や希望が必要だと……」

「夢や希望と、旦那のホラ話を一緒くたにしない!」

 T氏の言葉を遮り、奥さんは言い放った。

 そんな二人を見つつ、息子は小さく溜め息をついた。

「ねえ、お洗濯終わったんでしょ? 日曜日なんだし一緒に遊びに行こうよ!」

 T氏に抱きつきつつ、息子は奥さんを見上げる。

 そんな息子を見て、奥さんはT氏のほっぺたから手を放した。そしてT氏と顔を見合わせて、本当の笑顔で言う。

「そうね、遊びに行きましょうか」

 これはT氏にとって、ごくありふれた休日の朝の出来事であった。

MBSラジオ短編賞1投稿のため、削除再投稿しました。

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