ズボンの紐
雨が降ってきたようだ。
冷房の吐き出す冷気の音以外の別の音。シトシトと泣いているみたいな雨音は、今のあたしの心の声に似ている。シトシトではなく、シクシクの方が正解だけれど。
「あのね、雨が降ってきたみたいなの」
あたしはベッドに寝ている男に声をかける。
「少しだけ涼しくなるかな。蒸しちゃうかな。ねえ、どっちだと思う?」
重ねて言葉を付け足す。
返事はない。
「聞いてないの。あっそ」
あたしは裸のまま立ち上がって窓際にいきカーテンをそっとあけた。夕刻の4時を過ぎたところ。重たそうな色をした空からはやっぱり雨粒が降りてきている。
あたしは雨の日が大好きだったけれど、今日からは嫌いになった。
とゆうかもう雨の日を好きになる理由はない。カーテンを閉めあたしは男の隣に横になる。男の胸に手を置いた。
「今日はね、お家に帰らないでとか、言わないわよ」
さっきよりも雨の音がやや大きくなっている。
あたしはとても都合のいい女の台詞を口にした。
《今からいく》
男からメールがきた。多分10日ぶりだろう。だいたい10日周期でメールがくる。男は結婚をしている。奥さんとは家族だから。奥さんとはしてない。子どもが大事だし。そんなことを平気で言いのける男に辟易しながらもその裏腹で愛してしまっているので、なにを話されてもヘラヘラと笑うしかあたしの選択肢はなくなっていた。
毎日毎日苦しくて切なくて生きているのか死んでいるのかよくわからない状態が続いていた。
苦しい状態から抜け出したい。
だったら別れたら楽になるのではないのか。けれど会えないほうが辛いだろうかとか。
会っても辛いし会わなくても辛い。もうすべてにおいて限界だった。
「殺して」
あたしは男と身体を重ねている最中その言葉をよくゆっていた。最初男は
「いいよ〜」
などと軽く流していた。それはまるで冗談だったと思い込んでいたのだろう。けれど、それ以降頻繁にその言葉をいうようになり男は尋常じゃないと察したのか
「殺さない。殺せない。家族もいるし。体裁がある。殺人者にはなれない」
真顔でこたえてくれた。
「ありがとう」
そこまで真剣に考えてくれているなどとは思っていなかったのでついお礼を述べてしまった。しかしあとになって冷静に考えてみたら、やっぱり家族のほうが大事なんだなぁとゆう事実を目の当たりに知らしめられて途端に涙がとめどなく溢れてきた。
あたしは困惑をした。
けれど、もうこれしかないと思い計画を練って練って実行に移すことにした。
男は案の定あたしを抱く。
あたしの思考など全く考えないで。無遠慮に入ってくる。好きなの? そう問いただしてもこの5年とゆう月日の中で一度も言葉さえもくれなかった。もし、もしも、たった一度でも好きと嘘でも言葉をくれたのなら諦めれたかもしれない。
言葉は難しい。軽率に吐けない言葉ほど女はねだる。
男の上になったとき、男の顔を見下ろす。
優しい目であたしを真っ直ぐ見つめている。あたしは目の中満タンに水を溜め音の首に手をかけた。
「うっ」
低い声が耳に届く。
男はそのまま目をギュッと閉じた。あたしは、スボンにベルト代わりについている紐をスルッと取り出し、男の首に巻きつけた。素早く二重に。手際よく。
男はハッと目を開け、手で紐を解こうと抵抗をしたけれど、その抵抗がどうしてか忌々しくてあたしは紐を横に躊躇なく引っ張り首を絞めた。ググと紐が首に吸い込まれてゆく感覚が今までに味わったことのない感覚だった。
それでもあたしは紐を引いた。
無心だった。
「終わった」
あたしは男の胸に雪崩れ込んだ。まだ温かい胸に。
やっとあたしのものになった。あたしはほくそ笑む。もう奥さんの元に帰らないでもいい。永遠にあたしのものになった。
幸か不幸かあたしの部屋はワンルームで角部屋の小汚い築30年の部屋。大家さんも遠方にいるため友達のいないあたしが孤独死をしたところで当面は見つからないだろう。
あたしは立ち上がって狭い台所の一口コンロのガスの元栓を開いた。
睡眠薬を大量に持って再度男の隣に座る。
「やっとあたしだけのものになった。好きだよ」
真っ白いラムネのような味の睡眠薬をバリバリと噛み砕いて男の隣で横になる。
目が覚めた時。あなたはあたしの隣で笑っていて。
お願い。
最後のお願いだから。
頭の中がふわふわしてくる。なんだろう。あたしは男の手をぎゅっと握りしめる。冷たくなってきた手を。
意識が遠のいていく中、雨音だけが唯一この世で聞いた最後の音になった。