第7話 緑青と白井先生
黄瀬には土曜日に緑青と一緒にいるところを見られてしまったが、それ以外の人間には見られていなかったらしい。特に視線を感じることも、ひそひそと噂をされることもなく放課後になった。
見ていたのが黄瀬だけで本当に良かったと心から思う。事実確認を本人である俺にしてくれたおかげで、誤魔化して噂になるのを防ぐことができたのだから。
教室で人が出払ったのを確認してから窓に鍵をかけ、電気を消し、鞄を持って教室を後にする。国語資料準備室は別校舎にあるので俺の教室からはそこそこ距離があり、行くのが面倒なのだが、人目につきにくいという利点があるので仕方ないかなと思う。
国語資料準備室に電気がついており、鍵が開いているようなので思い切り扉を開ける。中には人が二人いた。緑青と、国語教師の白井洋介だ。
「えっと……」
教師がいるなんて思わなかった。いや、元々この教室は教師が授業で使う辞典や教材を置いておく場所なのだから、教師がいたって何もおかしくない。おかしいのは明らかに、躊躇なく扉を開けた生徒である俺の方だ。
「話は聞いてるよ。入って入って」
一瞬固まってしまった俺を安心させるように、白井が優しく声をかけた。緑青も早く入れとばかりに俺をじっと見つめている。促されるままに、俺は室内に入った。
「藍ちゃん、この子がそうなんだね」
藍ちゃん……? 白井が今緑青のことを名前で、しかもちゃんづけして呼ばなかったか……?
「その呼び方、やめてくださいと言ったはずですが」
「あっ! そうだったね。ごめんね藍ちゃん」
「……いい加減にしてください」
どういう関係なんだ。この二人。やけに親しげに話しかける白井と、それに対して塩対応の緑青。教師と生徒というより、もっと親密な関係なのだろうか。
二人を黙って観察していた俺に、白井がにこやかに話しかけてきた。
「君は、えっと、黒山くんだっけ?」
「……黒石です」
「ごっ、ごめんね。名前覚えるの苦手で……」
頰を人差し指でかきながら、謝る白井はどこか頼りない。でも割と嫌いじゃないタイプだった。授業もわかりやすいし、生徒に対して腰が低く、親しみやすい印象の男性教師だ。
「僕とあい……じゃなかった緑青さんは、親戚なんだよ」
「一応、そういうことになっているわ」
「へぇ……」
なるほど。親戚ならあの親しげなやりとりも頷ける。言われてみると少しだけ似ているような気も……そういえば白井は眼鏡を外したらなかなかイケメンだ、と女子が騒いでいた時があった。きっと美形の家系なんだろう。
俺が一人で納得していると、白井はさらに緑青と自身の説明を続けた。
「あい……緑青さんが放課後自由に使える教室を探しているって僕に相談してきてね。ここの管理責任者は僕だったし、ほとんど使われていなかったから提供したってわけなんだ」
「そうだったんですね」
鍵は白井から借りていたのか。謎が解けてすっきりした。まぁ成績優秀で先生方の覚えもめでたい緑青になら、白井でなくとも安心して鍵を差し出す教師は多そうだ。
「放課後に集まって活動するなんて、まるで部活……この人数じゃ同好会だね。どう? 僕でよければ顧問務めるけど」
「別にいらないわ」
白井の言葉にぴしゃりと言い返す緑青は、やけに態度が冷たい気がする。気のせいだろうか。
「でも二人ともこうしてここにいるってことは部活やってないんだよね? せっかくだし同好会ってことにしたらどうかな?」
「お互い別々のことをしているのに、同好会として申請はできないわ」
「あいちゃ……緑青さんも漫画を描けば」
そう白井が言った途端、緑青は鋭い目つきで睨んだ。いままでよりもずっと冷たい、ぞくっと体全身が強張ってしまうような、そんな目だった。
白井は口を噤んでそのままおし黙る。気まずい。俺はムードメーカーではないので場を和ませる方法を知らないのだ。もう帰ってしまいたい。
「白井先生、もう用がないのでしたらお帰りになったら良いのではないでしょうか」
目だけが笑っていない怖い笑顔で冷たく言い放たれて、白井はさらに落ち込んでしまった。
親戚同士なのになんでそんなに仲悪いんだよ、と俺がうんざりしていると、助けを求めるように白井の目がこちらを見つめてくる。
いや、無理ですよ。申し訳ないですけど俺も緑青が怖いんで……。そんな目で見ないでください。……ああ、もうヤケクソだ。
「あ、えーっと……。先生って漫画とか読みます?」
「読むよ!」
俺が話しかけた途端、急にぱあっと明るくなった白井を見て、緑青はため息をついた。そしてすっと立ち上がった。
「私、飲み物買ってくるわね」
「あ、ああ」
ピシャリと強めに扉を閉めて緑青は出て行ってしまった。残されたのは男二人。
「……嫌われてるなぁ」
「……」
白井は肩を落として、ため息をつくように呟いた。その通りなので、フォローができない。そんなことないですよ、といってやるべきなんだろうが、態度があまりにもあからさまなので上手いフォローが思いつかないのだ。少しの沈黙の後、白井はぼそりと呟いた。
「……これでも藍ちゃんが小さかった頃は、一緒に遊んだりしていたんだけどね」
「そうなんですか」
「黒川くんは……」
「黒石です」
「あ……ごめんね」
名前を覚える気があるのか? と思いつつ、白井の次の言葉を待つ。なぜか黙ったまま、じっと見つめられた。
あ、よく見ると本当に眼鏡がダサいから気づかれにくいだけで、顔の造形はかなり整っているなと思った。髪型も変えればぐんと格好良くなるはずだ。
「少し似ているね」
「は?」
急に何を言っているんだ? 俺が誰に似ていると言うのだろう。それとも何かの漫画のキャラクターに似ていると言いたいのか。
「それは……」
一体誰に? と聞こうとした瞬間、緑青が扉を勢いよく開けたので、びっくりして声が出なくなってしまった。
「あら、まだいたの」
キッと白井を睨みつけて、次に俺をかるく一瞥すると緑青は二つある机の窓側の席に座った。そして机の上に、ペットボトルの緑茶が置かれる。それを見届けて、白井はよろよろと立ち上がった。背が高いんだからしゃんとしたら、もっとモテるだろうに勿体無い。
「……僕はそろそろ、職員室に戻るよ」
「あっ、はい」
とぼとぼと、少し寂しそうに白井が出て行くのを俺は見送った。緑青は窓の外を見つめている。
一体、どういう関係なんだこの二人。