第43話 花火大会
緑青と黄瀬の二人に読んでもらった後、俺はその原稿を折り曲げ・水濡れ厳禁と赤の油性マジックでおおきく書かれた封筒に入れ、足早に郵便局へと向かった。
重さを測ってもらい、提示された金額を支払う。手を離れた封筒に、名残惜しいような、まるで子供を送り出す親のような気持ちを抱いた。
結果がわかるのは10月だ。しかもちょうど、文化祭の前日。ほんの少しの期待と、大きな不安、そして何ものにも代え難い清々しい達成感がじわじわと俺を満たしていく。ノートに落書きをしていた頃は想像もしていなかったことを、成し遂げたのだ。自分が誇らしい。思い返してみれば、たった一ヶ月でいろんなことがあった。
目まぐるしく過ぎ去った夏の日々を思い出す。別に大冒険をしたわけではない、学校と家の往復に加え、少しばかり買い物をしたぐらい。それなのに、こんなにも世界が開けて見えるのだから、驚かずにはいられない。ちょっとしたことで、日常は見違えるほど変化する。
夏休み前、緑青に声をかけられていなかったら、俺はきっとこんな充実した気持ちになれてはいなかっただろう。落書きは楽しい。好きな時に好きなだけ描けばいいし、決まりもないから自由だ。でも、落書きは誰の目にも止まらない。俺の漫画は俺だけのものとして、完結していた。それを緑青が見つけ、世に放つ手助けをしてくれた。
彼女は台風のようにやってきて、そして去っていくのだろう。それをどうしても繋ぎ止めたくて、俺は花火大会に誘ったのだ。
もうすぐ夏休みが終わる。夏期講習に文化祭の準備、少しの休暇、そして漫画制作。
最後の締めくくりは、花火。
告白を花火大会でするなんて、漫画の主人公みたいだと小さくほくそ笑む。
本当はとても怖い。
緑青に拒絶されたら、と思うと決意が揺らぐ。告白するということは、とても勇気がいることなんだなと、改めて思う。好きという一言が、そのたった一言が、なんて重たいのだろう。
恋人になりたいなんて、そんな大層な願いは持っていない。ただできることならば、彼女の頭の中が一時でも俺のことで満たされたら、と願う。俺を恋愛対象として少しでも意識してもらえたら、と期待してしまう。
漫画制作という接点がなくなっても、俺は緑青と一緒にいたい。
・・・・・・
花火大会の当日。俺は朝から落ち着きがなかった。寝癖もないのに洗面台の前で髪を撫で付けては鏡を凝視していたせいで母親に怒られた。勉強も手につかず、本を読んでも内容が頭に入ってこなかった。ぼーっとしていると、母親にお使いを頼まれたのでスーパーに行き、帰ってからシャワーを浴びた。
そんなこんなしているうちに、約束の時間が近づいた。
甚平を着て行こうか悩んだ末、結局普段着に落ち着いた。自分なりに考え、お洒落とまでは言えなくとも、清潔感のある一張羅を着込んで俺は家を出た。
目的地に近づくにつれ、通行人が増えていく。微かにお囃子が聞こえ、なんだか浮き足立ってくるのを感じながら、俺は歩いた。
夕暮れの空がだんだんと青く、暗くなっていく。約束の場所である、神社の入り口が見えてきたので俺はキョロキョロと緑青の姿を探した。
提灯のやわらかい光に照らされて、浴衣を着た女性が姿勢良く立っている。道行く老若男女が、ちらりと彼女を見つめては、うっとりと見惚れている。中には足を止めるものもいた。俺もその顔を一目拝もうと足を早めた。
女性が顔を上げた瞬間、俺は息を飲んだ。
緑青だ。
濃い青色の、朝顔柄の浴衣を着ている。淡い薄紅色と薄い青色の朝顔が咲く濃い青地に、緑青の抜けるように白い肌はよく映え、まるで発光しているみたいだと思った。
いつもは垂らされている長い髪は結い上げられ、朝顔の飾りがついた簪でまとめられていた。
「わ、悪い。待たせたか?」
俺は直視できなくなり、視線を宙に地面に泳がせながら声をかけた。
「いいえ、今来たばかりよ」
「浴衣……」
「ああ、これは母が昔着ていたものを借りたの。どうかしら」
「い、いいんじゃ、ないか?」
綺麗だよ、とまでは言えなくとも似合っているよ、くらい言えよ俺! と自分にうんざりするも、
「そう? 嬉しい」
と緑青が浴衣の袖を見せるように両手を曲げて微笑んだので、よしとする。
「とりあえず、歩くか。そんで何か食べよう」
「ええ」
俺たちは人混みの中へ歩き出した。
カランと緑青のはくゲタが鳴る。俺はちらりと緑青を見つめては視線を地面に移した。
髪が上げられているから白くほっそりとした彼女の頸が丸見えなのだ。みてはいけないものを見てしまっているようで、なんだかそわそわとしてしまう。
それに、普段の緑青もとても綺麗だが、今日の緑青はもっと綺麗なのだ。
美しいといって仕舞えばそれまでだが、彼女の浴衣は母親ではなく彼女のために誂えたかのように似合っている。凛とした佇まいなのに、どこか儚げな、妖艶ささえ感じる。
隣に並んで歩くに、俺はきっと相応しくない。




