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第42話 ありがとう

 緑青に見せた後、俺は原稿用紙を丁寧に厚紙で覆い、トートバッグに閉まった。


 名残惜しい気もしたが、約束を胸に俺は緑青より先に校舎を飛び出した。

 そしてその足で、黄瀬のバイト先へ向かう。


 見てほしいものがあるから、バイト先に行ってもいいか? と黄瀬に朝声をかけていたのだ。黄瀬は楽しみだな〜、と笑顔で了承してくれた。

 あまり待たせては不味いと思い、自然と駆け足になる。


 初めは見せないつもりだった。だって、恥ずかしい。緑青には強制的に見せることを義務付けられていたけれど、黄瀬に見せる義務はなかった。


 でも、俺が読んでほしいと自然に思ったのだ。

 俺は緑青に、緑青がいないと描けなかったと言ったけれど、黄瀬がいなかったらここまで納得のいく漫画は描けなかったように思う。


 純粋に、俺を凄いと褒めてくれた。友達になってくれた。自己評価が低すぎる、優しい一生懸命な女の子。

 そんな黄瀬が、これを見てどんな顔をするのかとても楽しみだった。


 パン屋の前で、黄瀬は立って俺を待っていた。俺の姿を見つけると、嬉しそうに手を振ってくれた。


「悪い。遅くなった」

「気にしないで。それより、汗かいてる。走ってきてくれたの?」

「まぁ、運動不足だし?」

「なにそれ」


 黄瀬がころころと笑った。

 喉も渇いていたし、早く涼しい風に当たりたくてパン屋に入ろうとしたら、黄瀬が腕を掴んで止めたので少し吃驚した。


「待って黒石くん」

「どうした?」

「その、今お客さんと紅葉さん話し込んでて、他のところの方がいいかも……」

「黄瀬、今日バイトは……」

「今日はもう上がりなの!」


 そういえば、エプロンをしていない。確かに俺の漫画を見せるにあたって、他のお客さんがいるのはちょっと嫌かも。と思い、近くのファミレスへと向かった。


 時間帯が良かったのか、店内は比較的空いていて、角の窓際の席で俺と黄瀬は向かい合った。メニュー表を取って黄瀬が俺にも見えるように中央へと置いた。


「黒石くんなんか食べる?」

「俺は……」


 小腹が空いてはいるものの、今食べると夕飯が入らなくなる気がした。飲み物だけにすると言うと、黄瀬がドリンクバーのクーポン券持ってるよ! と財布から券を二枚取り出したので、ドリンクバーを頼むことにした。


 俺はコーラを、黄瀬はオレンジジュースとリンゴジュースをミックスしたものを席へと運んで飲んだ。喉がカラカラだったので、とても美味しく感じる。なみなみ注いだのに、もう半分以下になってしまった。


 喉が潤ったので、本題へと移る。


「黄瀬に見てほしいの、これなんだ」


 俺はトートバックから原稿用紙を取り出して、テーブルの上をスライドさせて黄瀬へと渡した。


「え? これって……」


 黄瀬は原稿用紙を見るなり、パッと顔を俺に向けた。


「いいの?!」

「ああ、その……あまり、期待しないでほしいんだけど」

「すごいすごい! 読めるなんて思ってなかったから、嬉しい!」


 想像以上の喜びように、口角が上がってしまう。


「よ、読むよ? いいの?」

「是非。感想もできたら聞かせてほしい」

「わかった」


 黄瀬はそーっと原稿用紙を自分の元に近づけ、まじまじと見つめた。そして、一枚とると横に置いた。


 俺は黄瀬が夢中になって漫画を読んでいる間、残ったコーラをちびちびと飲み、彼女の表情を見ていた。


 表情がくるくる変わる。それに小さく独り言を言っている。おお、とかえーっ、とかふむふむ、みたいな。見ていて全然飽きない。


 そしてとうとう、最後のページを黄瀬は横に移動させた。読み終えたのだ。


「ど、どう……だった?」


 緑青の時は、すでにネームの時点で見せていたから話の内容が周知されていたぶん、反応が予想できた。

 でも黄瀬は初見だ。どんな風に、俺の漫画を受け止めたのか、すごく気になる反面不安も大きい。期待はずれだったかもしれない。面白くなかったかもしれない。そんなマイナス思考が、じわじわと胸を巣食う。


 パチパチパチパチ


 いつの間にか俯いてしまっていた俺の耳に、拍手が聞こえ、顔を上げた。


 パチパチパチパチ


 手を叩いて微笑んでいる黄瀬と目があった。言葉などなくとも、痛いほど伝わる。黄瀬が認めてくれたことが、それほど強くない控えめな拍手でもしっかりと。


「な、何から言えばいいのかわかんなくて、でも、感動したから、それを伝えたくて!」


 そう言いながら、彼女は手を叩き続ける。周りの客に配慮した、小さめな拍手だが、ただただ、嬉しい。満たされる。緑青の賛辞に加え、黄瀬にまで、心が潤うどころか、喜びが溢れてしまいそうだ。


「ありがとう、黄瀬」

「お礼を言うのは私の方だよ、黒石くん」


 拍手はやんだ。代わりに、黄瀬は満面の笑みをくれた。視界が微かにぼやける。でも、それはほんの一瞬のことで、鼻がつん、としたのもすぐにやんだ。


 黄瀬は濡れたり汚したら大変といい、原稿用紙を俺に返した。俺はすぐに厚紙でまいてトートバッグへしまった。それを確認した黄瀬は、ジュースを飲みながら思いついたように言った。


「緑青さんには、もう見せたの?」

「ごほっ」


 突然の緑青、という単語にむせた。そういえば、もうバレていたんだっけと思い出す。


「見せたんだね。凄いって言われた?」

「まぁ……うん」

「良かったね」

「ああ」


 黄瀬といると、落ち着く。それについつい、なんでも話してしまいそうになる。例えば、花火を見に行くこととか。でも、さすがに女子に惚気るのはちょっとな。と思い、他の話題を考える。


「なぁ、黄瀬は……好きなやつとかいるのか?」

「ええっ! な、なに藪から棒に……」

「いや、ちょっと気になったというか。別に言いたくないなら、言わなくていいから。悪い、ちょっと無神経だよな」

「……別に言いたくないとかじゃないけど」

「うん」

「失恋、しちゃったからさ」

「えっ?!」


 黄瀬みたいに可愛くて、優しくて、健気な子を振るなんて。なんて奴だと、つい怒りを覚えてしまう。


「好きな人がいるの。私の好きな人」

「そうか……」


 それなら、仕方がないのかもしれない。好きな人が自分を好いてくれることは、そんなに簡単なことじゃない。奇跡みたいなことだから。


「でもね、いいんだ。私、好きな人がいるその人が好きだから。多分なんだけど、その人が恋をしていなかったら、恋をしなかったら、好きにならなかったんじゃないかなって思うの」

「それは……その人の全部が好きってことか?」

「んー、そんな大層なことじゃないけど。その人を構成している要素、誰かを好きって気持ち。それもまとめて好きって感じかな? あれ? 一緒かも。……それに、私その人の好きな人も、じつは前から好きだったんだよねぇ」


 そう言うと黄瀬は切ないけれど、とても綺麗な微笑みを浮かべた。花みたいだな、と思った。菜乃花、菜の花が由来なんだろうと思っていたけれど、やはり白井の言うように名は体を表すのかもしれない。


 大地に力強く根付き、それでいて可憐に花を咲かせる。彼女に、ぴったりの名前だった。


「黄瀬は凄いよ。俺、黄瀬みたいになりたい」

「……もう。煽てても奢らないよ? クーポン券だけでもありがたく思いなさいっ」


 軽くかわされてしまったが、黄瀬の瞳が少し潤んだのを俺は見逃さなかった。

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