第41話 表紙
「先週は、恥ずかしいところを見せてしまってごめんなさいね。それに、約束をしていたのに破ることになってしまって、ごめんなさい」
緑青は国語資料準備室に入った俺に向かって、深々と頭を下げた。長い黒髪がさらりと垂れる。
「気にしないでいいよ。俺が勝手に帰ったんだから謝るのは俺の方だし。ごめんな。それで、あれから白井……先生とはどうだ?」
緑青はゆっくりと顔を上げた。
「あの後、一緒に帰ったわ。何年振りだったかしら。家が近いから、帰る方向が一緒なの」
その表情はとても穏やかで、俺もなんだか嬉しかった。好きな人が幸せだと、自分まで幸せになるんだな、と実感する。
いつもの席に座った俺はさっそく、トートバッグからトーンが剥がれてしまわないように、そーっと慎重に取り出し、机の上に置いた。ページ番号を確認してから緑青に手渡す。
「わぁ……。本当に、漫画みたい……」
緑青はほう、とため息をついた。感動しているのが手に取るようにわかり、誇らしい気持ちになった。
「……漫画ですからね」
「ふふっ、そうね」
緑青に丁寧に扱ってほしいと告げると、彼女はこくりと頷いた後、机の上に原稿用紙を置いた。
そしてじっくりと、一枚一枚を丁寧に見つめながら、ページをめくっていく。パラパラと読み飛ばすのではなく、一枚がまるで絵画であるかのように鑑賞しているのが嬉しい。
なんだかそわそわしてしまう。恥ずかしくて居たたまれない。それなのに、うっかりにやけてしまうほど嬉しいから困りものだ。
「絵、上手ね」
曇りない、賞賛の声に思わず動揺してしまう。
「……そ、そうか?」
「この校舎とか、文化祭の屋台とか、モノクロ写真みたいだもの。凄いわ」
「ま、まぁ……」
小学校低学年の時によく賞をもらっていたのは、風景画だったことを思い出す。見たものをそのままそっくりに描くのは、得意だった。
因みにこの校舎たちはこっそりとスマホで撮影した我が高校だ。屋台は母親が昔撮った祭りの写真を参考にした。
「それに何より、ヒロイン……藍花の表情がすごく魅力的ね。笑顔が特に、生き生きとしていて」
「あ、そこは……俺も、なかなかうまく描けたなと思ってる」
緑青の笑った顔をイメージしながら描いたところだった。藍花が魅力的なのは、きっと緑青がモデルだからだろう。そして俺自身が、緑青のことが好きだからだろう。
主人公の亮の瞳に映る藍花は、俺の瞳に映る緑青ときっと同じで、きらきらと眩しく輝いているはずだから。
「最後が大きなコマなのもいいわね。すごく印象に残るんじゃないかしら」
「褒め倒しだな」
「本当のことを言っているだけよ」
緑青が微笑んだ。
ずっとこのまま、見ていたいと思った。時が止まればいいのにという、ちょっとロマンチックすぎて恥ずかしい台詞が今なら言えてしまいそうになる。
「一人で、こんなに描けるのね……」
「緑青がいなかったら、一生無理だったよ」
「……大袈裟よ」
緑青の耳が少し赤くなった気がする。
今の俺の言葉も相当恥ずかしい台詞だったかも、と思い、俺の頰もかっと熱を帯びた。
沈黙は気まずい。何か喋ろうと思い、
「緑青は、どの絵が一番いいと思う?」
と投げかけた。緑青はうーんと手を唇の近くに当てて考え始めた。
「そうね……シーンだとラストの大きなコマのところだけれど、好きな絵はこれね」
彼女が両手で持って俺に見せたのは、表紙だった。
縦に線が引かれ、完璧な美少女であろうとする澄まし顔の藍花と、お化けに驚き涙目を浮かべている藍花がそれぞれ描かれている。その真ん中に、ちょっとびっくりした顔の亮がいる。
この漫画は、本当の君が好き というタイトルに決めた。表紙にも、そう書かれている。
完璧じゃない、本当は泣き虫でちょっと天真爛漫な素が出た君が好き、という主人公の気持ちからつけた。
少し地味な気がしたけれど、気に入っている。
そしてその漫画の看板である表紙は、下書きであるネームの段階では描いていなかったため、今はじめて緑青に見せたのだ。
自分で考え、自分で描いた。それが一番気に入ったと言ってもらえて、すごく嬉しかった。
でも、同時にすごく寂しい。
緑青は漫画を読み終えた。
漫画制作は、これで終わってしまったのだ。
それまつまり、放課後、ここで緑青と会う理由がなくなってしまったということ。
いつか、終わりは来る。最初から、わかっていたことだ。でも。
「花火」
俺が口を開く前に、緑青が呟いた。そしてにっこりとそれこそ夜空を彩る花火のように笑った。
「楽しみね」
そうだ。花火大会。
まだ終わっていない。まだ、新しい約束がある。
「……そうだな!」
明るく、俺もそう笑い返した。
決めた。花火大会の日、緑青に告白しよう。




