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第39話 ようちゃんと藍ちゃん

 ペン入れが終わったのは黄瀬のバイト先に行った三日後、金曜の明け方だった。緑青に睡眠をとれと言われていたが、ついつい筆が乗ってしまい気がついたら外が明るくなっていたというわけだ。

 手が墨で所々汚れている。俺は部屋を出て、洗面所へと向かった。



 ・・・・・・・・・



 原稿用紙を学校まで持っていくのは一苦労だった。折れないように厚紙で覆い、大きめのトートバッグに入れて慎重に運んだ。

 学校に着いてからはロッカーに入らないので机の横に掛けて置いた。


 文化祭の準備は初めの頃のグダグダとは打って変わって、大変スムーズだ。渡辺と松来も、なんだか見ていて砂を吐きそうなレベルで仲が良い。一応まだ付き合ってないんだよな? と疑ってしまうくらいだ。


 俺も松来が勇気を出したように、頑張らないとな、と密かに決意する。

 意識してもらえるだけでいい。本音は両思いになりたいけど、そこまでは望まない。


 俺は準備が終わった後、国語資料準備室の鍵を白井のところまで取りに行った。今朝、漫画を見て欲しいという旨を緑青に連絡すると、鍵を借りて待っていて欲しいと返信が来たのだ。

 白井は扉を開けて失礼しますと言った俺を見て、にこにこ手を振った。


「鍵を借りに来ました。あと、少しだけお話があるんですけど」

「うんいいよ」


 白井はすっと立ち上がった。一緒に職員室を出て、国語資料準備室へと向かう。場所はどこでもよかったが、白井が指定したのだ。とくにお互い話すことがなくて、無言で廊下を渡り、階段を上った。国語資料準備室の鍵は、俺が開けた。


「閉め切ってる部屋は暑いね」

「……そうですね」


 白井がエアコンのスイッチを入れた。少し埃っぽい匂いがする。


「それで黒石くん。話って、何かな」

「……聞いて欲しいことがあって」


 俺は胸に手を当てて深呼吸をしてから、白井を見つめた。エアコンからの風が微かに俺の前髪を揺らす。


「俺、緑青のことが好きなんです」


 白井の目が丸くなって、それからやっぱりね、というように細められた。


「言う相手、間違えてないかな?」

「本人には、ちゃんと伝えます。でも、その前に言っておきたかったんです。それに、もう気づいてましたよね?」


 白井があの日言いかけて、やめた言葉。君は……藍ちゃんのことが好きなの? だったに違いないのだ。

 白井はまあね、と笑った。


「僕は、お似合いだと思うよ」

「そんなことないです。本当に、そんなことは全く」


 自分自身に言い聞かせるように、言葉を紡ぐ。


「でも、だから頑張るんです。頑張るって、決めたんです! でも、自分の心の中だけじゃ、いまいち決意が固まらなくて、それで誰かに聞いて欲しくなったんです。聞いてもらうなら、白井先生が良かったんです。……一方的に、すみません」

「……応援は、しないよ」


 白井が真剣な面持ちで言った。俺は静かに頷く。


「でも、見守らせて欲しいな。どういう結果であれ、誰かを好きになって傷ついたり癒されたり、そうやって人は成長していくものだからね」

「……はい」


 白井の言葉が胸にしみる。


 俺は白井のことも、好きだなと思う。

 黄瀬の時みたいに言葉にすることは、できないけれど。


「藍ちゃんに彼氏ができるかもしれないと思うと、少し寂しいけどね」

「き、気が早すぎです……それに振られるかもしれないし」

「一回振られたくらいで、諦めるのかい?」

「それは……ない、です」

「じゃあ当たって砕ければいいよ」

「ちょっ、砕けるのは嫌です」


 白井と俺は、見つめあってお互いに吹き出した。

 なんだか、言葉にするって不思議だ。

 力が、ふつふつと内側から湧きあがってくる、そんな感じがする。


「黒石くん! お待たせ」


 扉が勢いよく開けられて、緑青が顔を出した。


「「あ」」


 白井と緑青が見つめ合い、声が重なる。緑青は何でいるの、と小さく呟いた。その表情は苦虫を噛み潰したようだった。


「なぁ、緑青」

「な、何かしら」

「白井のこと、本当は嫌っていないだろ?」


 緑青の大きな目が見開かれ、動揺の色が滲んだ。


「俺の目には、無理をして嫌っているようにしか見えない」


 俺の言葉に、緑青は俯き、唇を噛み締めた。扉についていた手が握り締められ、微かに震えているのがわかった。


「……だ、だって」


 絞り出すような声。


「今更、手のひらを返すようなこと、出来るわけないじゃない!」


 次に吐き出されたのは、悲痛な叫びだった。


「散々八つ当たりして、無視して、それで今になって、許して欲しいだなんて勝手すぎるもの! だから私は嫌ったまま、ようちゃんには嫌われたままでいいの! ようちゃんは、私のことなんて放っておいて、自分のことだけ考えていればいいの……いっそ、突き放してくれれば……」


 そう言い終わると、緑青は項垂れた。白井がゆっくりと、緑青へ近づく。俺はただその様子を見つめていた。


「……藍ちゃんのこと、嫌いになれるわけないの、わかってるでしょ?」

「だ、だけど……」

「甘えていいんだよ。僕は、嬉しい」

「……自分だけじゃ抱えきれなくて、ようちゃんを悪者にして、自分の罪を軽くしようとしてたのに?」

「うん」

「謝るのは、自己満足にしかならないから、だから……」

「うん」

「……ようちゃん」


 緑青が白井に抱きついた。白井は彼女の背を優しく撫でた。幼子をあやす、父親のようだった。

 そのうち嗚咽が聞こえ、緑青が泣き出したのがわかった。


「……た、だい、ま」

「おかえり、藍ちゃん」


 あの時、緑青から感じた不思議な、胸を締め付けられるような感覚が消えていくのを感じた。

 親の迎えを待っているような、寂しくて堪らないというような彼女の表情。あれは、白井のもとに、帰りたかったのか。


 それと同時にはっきりとわかってしまった。

 俺は多分、一生白井には敵わないこと。

 白井と緑青、二人には強い絆があること。


 でも、それが何だっていうのだろう。

 人の気持ちに、関係性に、勝ち負けを見出したって仕方がない。大切なものが、いくつあったっていいのだ。


 俺はそっと、国語資料準備室を後にした。

 二人きりにしてあげたかった。


 後で緑青にメールを送っておかないといけないな。

 俺は原稿用紙の入ったトートバッグをしっかりと肩にかけ直し、歩き出した。

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