第38話 告白
松来はその日一日中、そわそわと落ち着かない様子だった。黄瀬が心配そうにそれを眺め、休憩のたびに話しかけているのを、俺は離れて見ていた。
そういえば最近黄瀬と話していない。休み前、一緒に帰って以来ずっとだ。心配してもらったというのに、そっけない態度を取ってしまったんだったな。後で謝ろう。
そんなことを考えているうちに、準備が終わったので俺は渡辺に近づいた。ちょっとこの後、俺と一緒に中庭まで来て欲しいと言うと渡辺は快くOKしてくれた。笑顔が爽やかで、松来が惚れるのもわかる気がする。
中庭に行くと、もうすでに松来と黄瀬がいた。松来は渡辺に気づくと顔が真っ赤に染まり、黄瀬はそーっとその場から遠ざかろうとしている。俺も黄瀬と同じように、そーっと二人から距離をとった。そして近くの蛇口の後ろに隠れた。
「ごめん。こんなとこ呼び出して」
「全然、それで話って何?」
「あ、あのね!」
声が聞こえる。聞いちゃまずいよなー、と思う反面、どうなるんだろうという野次馬心が邪魔をする。もしかして出歯亀……。いや、これは見守っているだけだ。隣にしゃがんでいる黄瀬は手を組んで祈りのポーズをしている。
「私、その……渡辺のこと、好き、なんだよね」
直球な告白。渡辺はなんて答えるのだろう。緑青に振られて一ヶ月くらいか。
「俺、松来のこと好きだよ。いつも明るいし一生懸命だし、話してて楽しい。でも、それが恋愛的な気持ちかって言うとよくわからない」
「……そ、そっか」
「だから、これから松来のこと考えるっていうのでも、いいか?」
「え? うん、いいよ。……たくさん考えて」
これは……成功? それとも……。
「じゃ、さっそくなんだけど一緒に帰るか?」
「いっ、いいの?」
「いいに決まってるじゃん」
そっと陰から覗くと、なにやら甘い雰囲気の二人。大成功じゃないか。おめでとう、と小さく拍手を送る。
「よ、よかったぁ……」
隣で見守っていた黄瀬は、自分のことのように喜んでいる。ホッとしたのか、力が抜けたみたいにその場にへたりこんだ。
「黄瀬」
「な、なぁに? 黒石くん」
「その、この前はごめんな」
「え? なんで黒石くんが謝るの?」
「なんでって、折角心配してくれたのに無碍にしてしまったから……」
「謝るのは私の方だよ。お節介だったなって後で反省したもん」
「なんでだよ! ……俺は嬉しかった」
「そう? なら良かったぁ」
黄瀬はぱぁっと明るい表情になった。黄瀬は笑顔がよく似合う。
「黒石くんもう帰る?」
黄瀬は立ち上がり、背伸びをした。俺も立ち上がり、膝裏を伸ばすように前かがみになった。
「うーん、あっ、そうだ」
「何?」
「バイト先、また行ってもいいか? 今日じゃなくてもいいんだけど」
「いいよ! 大歓迎! このまま行っちゃう?」
「いいのか?」
「今紅葉さんに連絡する」
黄瀬はスマホをさっと取り出し、電話をかけた。
・・・・・・・・・
紅葉さんからまたもやサービスといってパンをご馳走になり、昭仁さんとも挨拶を交わし、母親が喜びそうなパンを買って俺は店を後にした。前回と同様、駅まで黄瀬が付いて来てくれた。
「悪いな。また送ってもらっちゃって」
「いーのいーの。気にしなさんな」
「それにしても、松来嬉しそうだったな」
「うん」
「青春だな」
俺は緑青に、告白できるだろうか。あんな風に、思いの丈をぶつけられるのだろうか。
「……黒石くんはさ、どんな子がタイプなの?」
「え?」
「彼女にするなら、どういう子がいいの?」
「え……」
「ちょっと気になったからさ! 髪は? 長いの? 短いの?」
俺は緑青を思い浮かべた。長く、枝毛一つなさそうなサラサラの黒髪。
「長い、ほうが好きかも」
「……そっか。じゃあ、可愛い系? 綺麗系?」
「綺麗……系」
「綺麗系だと、クールな感じ? それともミステリアス? はたまたセクシー系?」
「クール、だな。多分」
「……性格は?」
「性格か……。一見冷たそうだけど、優しくて思いやりのある……そんな感じかな」
「そ、そっか……」
黄瀬はなんだかあまり楽しくなさそうだ。俺の答え方が不味かったのだろうか。
「黒石くん、なんだか実在する人を思い浮かべて答えてるみたい」
ぎくっ。鋭い。
「緑青さんでしょ?」
「なっなんで」
「わかるよ〜。だって黒石くんのこと見てたし」
「え?」
見てた、ってどういうことだろう。
「ほら、黒石くんを緑青さんが呼んだ日あったでしょ? あの時から黒石くんのこと気になってたの。だって緑青さんだよ? すっごい美人でなんでもできて、こんな人本当に存在するの? ってくらい完璧な人が、理由はどうあれ一人の男子生徒を指名呼び出ししたんだもん。あれは衝撃だったなぁ……。前は黒石くんのこと、同じ委員長で、周りに壁を作っている人だなって勝手に親近感覚えてたけど、それだけだった」
黄瀬はバス停のベンチの前で立ち止まった。俺も足を止める。バスに乗らないのに、誰も待っている人がいないから二人で腰掛けた。
「あの時から、緑青さんと漫画作りが始まったんだよね? 黒石くん、どんどん変わっていったからびっくりしちゃった」
ふふふっ、と黄瀬が手で口を隠して笑った。
「変わったって、どんな風に……」
「放課後バタバタしてて、なんか憂鬱そうだったり、楽しそうだったり。黒石くんってあんまり表情が変わらない人だったのに、私が見ちゃったって言った時、すごい動揺してて面白かった! 全然、違うんだもん」
「あの時は本当に、心臓が止まるかと思ったよ……」
「緑青さんはね、私の憧れの人なの。あんな美人さんにはなろうと思っても無理だけど。立ち振る舞いとか、堂々としててかっこいいところとか、いいなぁって思ってた。周りを気にして、いい子ちゃんを演じ続けてる私には真似しようにも、ちょっとね……」
「緑青だって、弱いところはあるよ」
「え?」
「完璧な人間なんて、いないよ。いや、もしかしたら世界は広いから完璧超人もいるかもしれないけど。少なくとも緑青は、完璧じゃないよ。そう見えるのは、努力の証なんだと思う」
「……緑青さんのこと、理解してるんだね」
「そんな、まだまだ知らないことばっかりだよ。でも、これから知っていけたら、と思ってる」
「……いいなぁ」
「黄瀬は真似なんかしなくても、十分魅力的だし良いところを沢山持ってるじゃないか」
「な、なに急に」
黄瀬の頰が色づいた。照れているんだろうな。
「いい子ちゃんを演じてるって、言ったけどもうそれ素だろ? 松来のこと、本気で心配して自分のことみたいに喜んでたじゃん」
「だ、だって友達だし!」
「前、必要に迫られて人付き合いしてるって言ってたのにな」
「なんで覚えてるのぉ……。だって、有里華私のこと本気で心配してくれてて、私今まですごく失礼なことしてたな……って反省したの! ちゃんと、上辺だけじゃない私で向き合うことにしたの。いずれバイトのことも言うつもり」
「よかったな」
「……うん。ねぇ黒石くん」
「なんだ?」
バスが目の前に止まった。扉が開き、何人かが降りて、また走り出した。
「私、黒石くんのこと、好きだよ」
黄瀬は俺の方を見ず、前を向いて呟いた。俺も前を向いたまま、口を開いた。
「俺も、黄瀬のこと好きだよ」
本心だった。好き、なんて照れくさくて中々口に出せない言葉だけど、黄瀬になら滑り落ちるように簡単に、言うことができた。
「友達になれて、本当によかった。ありがとな」
「……うん、私も」
オレンジ色に染まる町並みを、ベンチに座ってしばらく眺めたあと、俺は黄瀬と別れて駅へと向かった。