第31話 絵で勝負
「おはよう。黒石くん!」
「おはよう。相変わらず早いな」
いつもより早めに投稿した俺は下駄箱で黄瀬とばったり遭遇し、一緒に教室まで行くことにした。朝早い時間なので、あまり一目につかないから一安心だ。
「あっついね〜。来るだけで汗かいちゃうからやだよ」
「そうだな。年々暑くなっている気がするよな」
「だよね。……黒石くんさぁ、あの、またパン屋さん来ない? 紅葉さんが次は昭仁さんを紹介したいって言ってて」
「あ、近々パン買いに行きたいと思っていたところなんだ。母さんがすごく気に入ってさ、他のパンも買ってきて欲しいってうるさくて」
「じゃあ、また行こう!」
「ああ、楽しみにしてる」
そう言った俺の顔を、黄瀬はじーっと見つめてきた。何か顔についてるのだろうか。
「黒石くん、変わったよねぇ」
「えっ」
「なんていうか、こう、にこってするようになった」
「にこ?」
「笑顔がね、自然になったの。前は距離があるっていうか、どこか壁を感じたから……。それを私が言うの、おかしいか!」
黄瀬はあはは、と小さく笑った。
確かに、俺は変わった。それは人の目にもちゃんと映るんだな。なんだか、心がぽかぽかしてきた。
「きっと、緑青と黄瀬のおかげだよ」
「や、やだ黒石くん惚気?」
「違う!」
そういえば、黄瀬は誤解したままだったな。俺は、緑青と別れたこと。そもそも、二人の間に恋愛感情はなかったことを伝えた。黄瀬はえーっと驚き、ふむふむと頷き、なるほどと納得したようだ。勿論、緑青の秘密には触れずに、俺の漫画を描かせるためだったと強調しておいた。
「そうだったんだね。でも、やっぱりすごいよ黒石くん! あれでしょ? 完成したら雑誌に応募するんでしょ?」
雑誌に応募。そういえば、一度本格的に描いてみるという目標で始まった漫画制作だが、完成後どうするか考えていなかった。緑青と黄瀬に見せて終わりでは、少し寂しい。一度、自分の実力をみてもらうのもいいかもしれない。
「そうだな。出してみる」
「うんうん! いい結果が出るといいね」
応援してくれる人がいると、こんなにも前向きになれるのか、と俺は改めて黄瀬に感謝した。
・・・・・・・・・
夏期講習は前半と後半で分かれている。お盆の間は流石に休みだ。よって明日で前半の夏期講習は終わる。しばしの休暇を俺は漫画を描くことに当てるつもりだ。慣れないペンで大きな原稿用紙に絵を描くのは、すごく難しそうだ。練習しなくては。
そんなことを考えながら、文化祭の準備をしていると松来が、黒石これ重いから手伝ってと声をかけてきた。松来の手には大きなゴミ袋が二つあった。
渡辺に頼んで二人で抜け出せばいいのに、と思いつつ睨まれるのが嫌なので渋々ゴミ袋を一つ掴んだ。教室を出てしばらく経ってから、松来は口を開いた。
「あのさぁ、菜乃花のことなんだけど」
「え、渡辺のことじゃないのか?」
「ちょっ! 名前出すとか馬鹿なんじゃないの? もうほんっとうに最低」
「わ、悪い」
「……菜乃花のことなんだけど! あのこさぁあんたに結構気ぃ許してるじゃん」
「そ、そうか……?」
「そうだよ! あんたに対しては菜乃花すごくリラックスしてる感じするもん。あんた何したの?」
「な、何もしてない」
「嘘! 私らのほうがずっと仲良いのにおかしいもん!」
「それ、黄瀬に直接言ってやれよ」
「はぁ? もうほんっと使えない」
松来はぷんぷん怒って先をずんずん歩いて行ってしまった。どうやら俺は松来の機嫌をかなり損ねてしまったらしい。でも、松来は思っていたよりいい奴なんだなとわかった。友達思いで、黄瀬のことをよくみている。
松来とはそのまま別行動。俺は彼女よりだいぶ遅れて教室に戻ってきた。すると教室内はもう片付けモードに入っていて、俺は慌てて作業途中だった道具を片付けた。掃除をして解散になった後、俺は真っ直ぐに家に帰った。
緑青と決めたのだ。
原稿用紙を学校に持ってくるのは控えたほうがいい。作業は基本的に俺が家でやること。
これには理由がある。原稿用紙の大きさだ。俺の買ったプロも使う投稿用の原稿用紙はB4サイズ。通学用の鞄に入らないし個人用のロッカーにも入らない。次にインク。墨汁で代用可能だと言うので墨汁を使うにしても国語資料準備室で万が一こぼしたら取り返しのつかないことになる。大切なプリントや参考書、辞典を危険に晒すわけにはいかない。そしてなにより、机が小さすぎる。狭い国語資料準備室には職員用のものを除けば木の机が二つしかない。そこにやれペンだのインクだの大きな原稿用紙だの置いたら大変だ。腕の置き場がなくなる。
よって作業は俺の自室で行われることに決定。俺の机は高校入学時に新調した割と大きめの机で、原稿用紙を回転させても問題がない。まぁ、妥当な判断だと思う。
だから、俺が見せたいときに呼んでほしいと緑青に言われた。
できることなら、びっくりさせたい。緑青は今まで俺の落書きしか見ていない。でも、今度は違う。何重もある迷い線ではなく、一本のはっきりとした線で描く。雑ではなく、可能な限り丁寧に描くつもりだ。話はもうすでに知られているなら、今度は絵で勝負だ。
俺は気合を入れて、原稿用紙の封を破った。




