第27話 名前
名前を付けるって難しい。
俺は帰ってからご飯を食べてる間、風呂に入ってる間も、ずっと主人公とヒロインの名前を考えていた。
漫画の登場人物なんだから、派手な方がいいだろう。多少キラキラネームでも許されるはずだ。折角なら人の記憶に残るような、そんな名前がいい。
でも、その一方であまりにも現実離れした名前は避けたいという気持ちもある。恋愛ものだから読む人には多少のリアリティーを与えたい。だからインパクト優先の名前だと、漫画の雰囲気に合わないと思った。
悩みに悩んだ結果、漢字辞典をパラパラとめくり、目に入った漢字を繋げていくつかの名前を作った。勿論主人公の名前は男の子らしいものを、ヒロインの名前は女の子らしい漢字を使い、ちゃんと読めるものにした。
・・・・・・・・・
今日の国語資料準備室の鍵当番は緑青だったが、文化祭の準備が休みになっていた俺が交代した。
職員室に入ると、白井と目があった。久しぶりに見た気がする。先日感じたもやもやが湧いてきたが急いで蓋をして、挨拶をした。
「こんにちは。白井先生、鍵を借りてもいいですか」
「やぁ黒石くん。はい、どうぞ」
白井は俺に気さくな笑顔を向けた。眼鏡ともさもさとした癖のある髪のせいでわかりにくいけど、やっぱりイケメンだなぁと思う。俺は小さな敗北感を感じたが、知らんぷりをして職員室を出た。
国語の宿題を終わらせた頃、緑青がやってきた。長い髪を一つに束ねていて、初デートの日の緑青が俺の脳裏に鮮やかに蘇った。
「髪……」
「ああ、これ? 暑かったから」
そう返す緑青の頰は少し赤らんでいた。歩くたびにポニーテールが揺れる。つい、目で追ってしまった。
緑青が席について鞄を下ろしたので、俺はさっそく考えてきた名前をノートに書いて見せた。緑青は椅子を近づけて、それをチラリと見るなり呟いた。
「いまひとつ、ピンとくるものがないわね」
「だよな……」
そう言われるだろうなとは思っていた。ちぐはぐな、とってつけた名前なのだから仕方がない。それにどうやら、俺にはネーミングセンスがないらしい。
「そうね、主人公はもう少し普遍的な……一般的な名前でいいんじゃないかしら」
「それは、鈴木とか佐藤とか?」
「ええ、そうね。主人公の苗字は鈴木か佐藤でいいんじゃないかしら。問題はヒロインの名前ね」
「うーん」
ヒロインはかなりのハイスペック美少女。弱点の怖いものが嫌いってところも、親しみが持てるし可愛いからとくに欠点ではないと思う。そんな現実味があまりないヒロインの名前は、華やかで魅力的なものがいいに決まっている。
「やぁ。お二人さんお揃いで、精がでるね」
軽やかな声とともに、扉をあけて白井が室内に入ってきた。
「何をしてるんだい?」
にこにこと笑みを浮かべながら、俺と緑青の机の近くに職員用の回転する椅子を近づけてきた。
「……漫画の登場人物の名前を考えてるんです」
白井は俺が漫画を描いていることを知っている。それに場所を提供してくれている恩もある。よって邪険にすべきでないと判断した俺は正直にこたえた。
「なるほど、確かに悩むよね。名は体を表すっていうからなぁ」
名は体を表すって……じゃあ俺は黒い石っころかよ。……いかん。なんか白井に対してイライラしてしまっている。白井は何も悪くないんだから、落ち着け俺。でも、俺が黒い石で、白井が白い井戸か。
「その点、緑青はいいよな。綺麗な名前だし」
「そんなことないわよ」
緑青にそう返事をされ、思っていたことが口に出てしまっていたことを悟る。
「緑青って、錆のことなのよ。そんないいものじゃないわ」
緑青はポツリと、独り言のようにそう付け加えた。そんな彼女の顔は、なんだか胸を締め付けられる表情だった。
「でも……あ、そうだ」
「……何かしら」
「虹みたい、って思ったんだ」
そう、初めて彼女の名前を知った時、彼女の名前を見て思ったんだ。虹みたいな名前だなって。
「……どういうこと?」
緑青が不思議そうに尋ねた。
「虹の色って赤、橙、黄、緑、青、藍、紫だろう? ほら、緑、青、藍で、緑青藍! だから綺麗な名前だと思ったんだよ」
俺が思ったことをそのまま伝えると、緑青の目が大きく開かれ、キラリと光った……気がした。そしてふふっと小さく笑った。
あれ? 何を今更当たり前のことを、ってことか? 発想が小学生みたいだったかな……、と思っていると、緑青が小さく嬉しいと言って微笑んだ。
ああ、本当に虹みたいだ。
綺麗で、でも消えてしまうような儚さが滲む笑顔。俺には、遠すぎる。手の届かない、人。
そう言ったあと緑青は目を伏せたが、頰はほんのりと桜色に色づき唇がゆるやかな弧を描いたままだった。それを見て、俺の頰も熱が帯びるのを感じる。僅かな沈黙が流れた。
「黒石くんは日の光だね」
その沈黙を破った突然の白井の言葉に、俺もハッと目を見開いた。
「日の光で晃。いい名前だね。それに虹と日光なんて、なんだかお似合いだよね」
「「な……っ」」
白井の発言に言い返そうとして、緑青とハモってしまった。俺はかぁーっと顔が赤くなって、そっぽを向いた。横目でみやると緑青も同じような反応を示している。
「青春だね〜」
と、白井は呑気に笑うと冷蔵庫から烏龍茶を取り出して、三つの紙コップに注いだ。緑青はキッと白井を睨み、紙コップを何も言わずにとってごくごくと飲み干した。俺も紙コップを受け取り、体温が下がることを祈って喉に流し込んだ。
烏龍茶を飲み終えると白井は職員室へと帰って行った。緑青はもう来ないでほしいと呟いたが、それが本心なのかは俺にはわからない。そして俺と緑青は名前についての話し合いを再開した。




