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第22話 寝起き

 俺が国語資料準備室に来てから30分が経過した。未だ緑青は机に突っ伏したままだ。

 流石にそろそろ起きてもらわなければ困る。昇降口の施錠がされてしまうまで残り約20分。

 寝ているのが男子だったら躊躇なく揺すって起こすことができるが、緑青は女子だ。無闇に触っては起きた時にセクハラを疑われるかもしれない。本当の彼氏彼女だったら、なんの問題もないのにな、とひとりごちる。


「緑青、起きろ」


 少し大きめの声を出すが、駄目みたいだ。小さく寝息を立ててぐっすりご就寝の模様。


「よ……」


 よ?


「……ようちゃんの……ば、か……」


 寝ているはずの緑青から小さな声が聞こえてきたが起きた様子はない。

 寝言、だよな? ようちゃんって誰だ。てか馬鹿って……。


 そういえば、寝言に返事をするのは危険だと聞いたことがある。都市伝説なのか科学的根拠があるのかはわからないが、今声をかけるべきではないかもしれない。でも、自然に起きてくれそうもないし、時間は刻々と過ぎていくし。


「…………」


 最終手段でスマートフォンのアラームを緑青の耳元で鳴らしてみた。


 ピピピピピピピピ


 効果覿面。体をピクリと小さく震わして、彼女はゆっくりと頭を上げた。


「う……ん」


 目をトロンとさせて、ぽけーっとしている。寝ぼけてるなと思っていたら、ゆっくりと首を動かし周りを見渡し始めた。


「ここは……どこ……? 朝……?」

「ぶっ」


 思わず吹き出してしまった。普段の凛としていて澄まし顔の緑青とあまりにもギャップが激しかったからだ。


「あははっ」

「う? ……」


 だんだん緑青の目が開かれ、表情がぼんやりからシャキッと変化した。すっかり覚醒したらしく、自身の置かれた状況と犯した痴態を悟り、みるみる顔が紅潮していく。ワナワナと震えつつ、小さな声で呟いた。


「……忘れて」


 いや、それは無理な相談だ。さっきの気の抜けた緑青はそうそうお目にかかかれるもんじゃない。いつも揶揄われてばかりいるんだ。ちょっとくらい、仕返ししたっていいだろう。


「忘れなさい」


 緑青の口調が強くなり、ふるふると肩を震わしている。俺はなんだか愉快になってきた。なんだろう、これがいじめっ子の気持ちなのかもしれない。


「忘れなさいと言ってるでしょ!」


 顔を真っ赤にして、寝起きだからか目を潤ませて叫んだ緑青は、必死でとても完璧とは言い難い。

 それがなんだか嬉しくて、余計顔がにやけてしまう。


「……これ以上笑ったら許さない、から」

「……え?」


 あれ? なんか流れ変わった……?


「立場をわきまえなさい」

「……は、はい」


 久々に現れた女王の風格に圧倒され、俺は萎縮した。ちょっと調子に乗り過ぎたかもしれない。


「忘れるわよね?」


 にっこりと、それでいて威圧的に、緑青は微笑んだ。イエス以外の答えを許さない、そう顔に書いてある。あれ? これデジャヴだ。初対面の時と同じ。懐かしいな、なんて思いながら俺は望み通りの言葉を口にした。


「はいはい。忘れますよ」

「はいは一回」

「……はい」

「よろしい。……それにしても迂闊だったわ。どうして寝てしまったのかしら」

「疲れてたんだろ」


 緑青の座っている机の横には大きめの紙袋があり、中にはピンクや白、紺色の布が入っている。おそらくウェイトレスの衣装用の布だ。きっとまた、衣装作りを頼まれて持ち帰るつもりなんだろう。でも俺の目から見ても、その量は少しばかり異常だった。一人に割り当てられる量にしては多すぎる。もしかして。


「…………」


 俺の目線が紙袋に集中しているの見て、俺が考えていることを察したのか、緑青は黙って紙袋の取っ手を掴み、もう片方の手で鞄を持つと立ち上がった。


「帰りましょう。もう施錠時間が近いわ。急がないと」

「そ、そうだな」


 俺も鞄を掴み立ち上がる。

 なんだかモヤモヤしたが、紙袋の中身のことを聞くのはやめた。詮索されたくない、という緑青の意思を感じたからだ。


 国語資料準備室を出て、扉を閉めようと緑青が鍵を鞄から取り出したので、俺は黙ってその鍵を奪った。


「何をするの」

「俺が白井先生に返しにいく」

「……そう。じゃあ、お願いするわね」

「まかせろ。まっすぐ帰れよ」

「……明日」

「ん?」

「明日は、ここに寄れそうにないわ」


 その言葉に、思いの外ショックを受けている自分がいることに驚いた。予想していたことだし、そもそも俺の方から文化祭の準備があるからあまりここへは来られないと前から伝えていたというのに。


「……わかった」

「私、行くわね。さようなら」

「おう」

「あ……それと、起こしてくれてありがとう」


 感謝の言葉は不意打ちだった。頰が廊下の暑さのせいではない熱を帯びるのを感じ、慌てて否定するように顔を横に振った。少しでも熱が引くことを期待して。


 緑青の足音が聞こえなくなったあたりで、俺は鍵をかけ閉まっているか再度確認した。大丈夫、ちゃんと閉まってる。


 知らない間に、緑青の存在が俺の中で大きい物になっていたんだな、と改めて実感する。


 明日、活動がないことが、緑青と会えないことが寂しいなんて。


 でも、これでいいんだとも思う。活動の回数をもっと減らすべきなんじゃないかって、ずっと頭の隅で考えてはいた。黄瀬に見られてから、もっと周りに目を配るべきだったと反省したのだ。黄瀬だったから噂にならずに済んで、俺の平穏は守られた。

 でももし知られたのが黄瀬じゃなくて、例えば松来だったら? あっさり友達に話して、その友達が他の奴に話して、どんどん噂が拡散するに決まっている。

 もし渡辺だったら? 渡辺は緑青に告白して振られている。プライドを傷つけられ、俺に対して良い感情は抱かないだろう。今後の文化祭の準備に悪影響が及ぶかもしれない。


 俺は危ないとわかっていながら、綱渡りをしているんじゃないのか。

 それでいてこのスリルを、心のどこかで楽しんでいたんじゃないのか。


 平凡な人間として地味に生きる、それが俺のモットーだったのに、そうすることを第一にしてきたのに。そのモットーが揺らいでいるだなんて、情けない。


 俺は鍵をぎゅっと握り込み、俺は職員室に向かって駆け出した。施錠時間まであと10分。

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