第15話 距離
「そういえば黒石くん。あなたは何をやるの?」
「え?」
「この主人公と同じで、お化け役なのかしら」
「いいや、俺は大道具係になった」
「そうなの」
「主人公は一応俺がモデルだけど、俺そのものってわけじゃないからな」
だからちょっとイケメンに描かいたのは、美化したからではなく、キャラクターとしての魅力アップのためだからな、と心の中でつけたしておく。
緑青は本を鞄にしまうと立ち上がった。
「私はもう帰るけど、あなたはどうするの? もし残るのならここの鍵を渡すわ」
「うーん、そうだなぁ……俺も帰ろうかな」
明日までの宿題もでてしまったことだし、もう帰って家で勉強した方が良いだろう。
「そう。なら私が鍵を閉めるから、あなたはもう帰っていいわよ」
「……俺が鍵を閉めて返しておくから、鍵を貸してくれ。白井先生に渡せばいいんだろう?」
「どうして?」
緑青は小首を傾げて、不思議そうに俺を見つめる。
「いや、職員室寄って帰るの面倒だろ。いつも緑青にやってもらっちゃ悪いと思って……俺だってこの教室使わせてもらってるんだから。今度から交代制にしよう」
「……ふっ、ふふっ」
「なに笑ってんだよ」
「使わせてもらってる、だなんて……私に強要されて、嫌々ここに来ているわけではなかったんだなぁと思って」
「そ、それは」
確かに、最初は嫌々だった。誰かに一緒にいるところを見られるかもしれない不安もあったし、緑青が怖かったから。でも今は、こうして二人で会話をするのも、緑青に漫画について批評をされるのも、悪くないと思っている。それどころか楽しい、なんて思うことも少なからずある。
「せっかくだから、お願いしようかしら」
緑青が俺に鍵を差し出したので、素直に受け取る。
「明日は来れるかわからないけれど、メールするわね」
そう言い残して、彼女はドアを開けすたすたと廊下を歩いていった。俺は窓が閉まっているか確認し、電気を消して鍵をかけた。そして職員室に行き、白井に鍵を手渡した。鍵を受け取り、コーヒーを飲みながら白井はへらへらと笑う。
「黒石くんが来たからびっくりしたよ」
「俺が行くって言ったんです。今度から交代で鍵借りに来ますんで」
「わかったよ。気をつけて帰ってね」
「はい」
職員室の中は、俺の教室や国語資料準備室よりもずっと冷房の設定温度が低いらしく、ひんやりとしていた。
・・・・・・・・・
「おはよー! 黒石くん」
「おはよ黒石」
靴箱で上履きを履いている時、外からやって来た黄瀬と松来から挨拶をされた。ぎこちなくおはよう、と挨拶を返す。俺は松来がちょっと苦手だ。ギャル系の見た目で少し怖い。
「あ」
何かに気づいたように、松来の視線が廊下の方に固定されている。何かと思い、俺もその目線の先を見ると渡辺が一人で歩いているのが目に映った。
「菜乃花ごめん、私先行くわ」
「うん、わかった」
松来は急いで靴を脱いで上履きをはき、渡辺の方へ駆けて行った。そうか、なんとなくわかった。松来はおそらく、渡辺のことが好きなんだろう。どうせ教室で会えるのに、わざわざ追いかけるということはそういうことだ。
残された黄瀬が上履きに履き替えた後、俺ににこやかに微笑んだ。
「黒石くん、教室まで一緒しよっか」
「お、おう」
黄瀬は松来より地味で大人しい印象を受けるが、顔立ちが整っているので隣を歩くと男子の目線が少し気になる。でも同じクラス委員長だから、という免罪符があるので恨まれることはないはず。
「あ」
こちらに向かってくる人物の存在に気づき、思わず声が漏れてしまった。その人物は、緑青だった。長い髪を靡かせ、姿勢良く堂々と廊下を闊歩している。圧倒的なまでの存在感。
「あ、緑青さんだ」
黄瀬も気づいたらしく、ぽつりと彼女の名を呟いた。だんだんと近づいてくる緑青に、なぜか胸が苦しくなる。すれ違った時、思わず目を背けてしまった。
「やっぱり緑青さんって綺麗。なんていうのかな、オーラが違うよね」
「……あ、ああ」
昔の俺が知っていたのはあの緑青だ。気高く、美しい孤高の美少女。でも、今となっては違和感がすごい。どうやら俺をからかって笑う緑青が、今の俺にとっての緑青になりつつあるらしい。
でもそれは、あの国語資料準備室でだけだ。普通の学校生活で、俺と緑青にはやっぱり距離がある。現に挨拶すらされなかったし、しなかった。できなかった。
もやもやを残したまま、教室へ向かうと高砂にどつかれた。黄瀬ちゃんと登校するとかずるいぞ、と言われたので、偶然会ったんだよと言いながらどつきかえした。
・・・・・・・・・
講習が終わり、昼休みになったので高砂と購買へパンを買いに行った時、スマートフォンがポケットの中で震えた。
見ると緑青からメールが来ていたので開く。
今日は国語資料準備室に行けそうにないわ。
たった一文、それなのにどうしてか朝のもやもやが一気に吹き飛んでしまった。
「おーい黒石、お前買わねーの?」
「あ、買う買う」
「何にやついてんだよ」
「は?」
にやついてる? 俺が?
急に恥ずかしくなり、高砂から離れるようにパンを販売しているコーナーに向かった。人混みに揉まれながら、にやついてなんかない、と自分に言い聞かせた。