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長老会議


 どうして人間は嘘を吐くのだろう。


 どうして妖は嘘を吐くのだろう。


 どうして誰かを騙し裏切るのだろう。


 その答えを探しても、きっと見つからない。


「どうする?」


「どうすると言われても……。俺はフィリッツを信じたい」


「でも、クロイが死ぬ間際にフィリッツの名を確かに言った!」


「でも、それだけでフィリッツが裏切り者だとは思えないだろ!? 少し落ち着けよ、空汰」


「翡翠こそ、よく考えてみろよ。クロイは何かに気付いたと言った。そのあと、フィリッツという名を言ったんだ」


「少し落ち着けって」


「落ち着いているさ! フィリッツをこのまま素直に信じて痛い目に遭うかもしれないのだぞ!?」


「確かにそれは最悪なことだ。だが、信じても信じなくてもフィリッツはもうすぐ来る。先ぶれだって、来たんだ」


「だから、急ぐんだ」


「仮に俺らがここで、フィリッツを信じないとする。道は開けるのか?」


「何夢物語みたいなこと言っているんだ」


 翡翠は大きなため息をこぼした。空汰は一度感情的になってしまうと、そこから抜け出すのに時間が掛かることはもうすでに十分分かっていた。


「空汰……いいから、少し頭を冷やせ」


「翡翠は何でそこまで冷静になれる!? クロイが殺された原因を、お前だって知っているだろ!?」


「口封じだ。それくらいは分かってる」


「だったら今一番怪しいのはッ!」


「フィリッツと思わせたいだけかもしれない」


「思わせたいだけ?」


「フィリッツが実は裏切り者ではなかったとする。すると、裏切り者にとって、俺らとフィリッツが手を組むことは最悪な展開となる。俺もフィリッツも伊達にこんな位についているわけではないからな」


「だけど!」


「その通り。もちろん、フィリッツが本当に裏切り者の可能性がある。そこは、確かに見極める必要がある」


「だったら!」


「でもここで、感情的に動けばいいという問題ではない! 少しは物事を冷静に捉えろ!」


 翡翠が声を荒げたことで、空汰は黙り込んでしまった。


 しばらく静かな時間が流れる。


 その沈黙を破ったのは、空汰だった。


「翡翠……」


「少しは落ち着いたか?」


「俺には難しい……。誰を信じて誰を疑うとか、俺には分からない」


「こうなることは、俺の頼みを引き受けた時点で覚悟したはずだ。俺は少なくても、そう思っていた」


「俺は翡翠が思うほど、良い男ではなかったな」


「そうかもしれないしそうじゃないかもしれない。それは俺が決めることだ」


「俺がどんなに頑張ってもお前には追いつけない」


「俺に追いつく必要がどこにある? お前はお前の道を行け。俺は俺の道を行く。俺のようになってはいけないと何度も言っているだろう?」


「お前が羨ましいな」


 翡翠は鼻で笑うと、空汰の腕を掴んだ。


「フィリッツが例えどちら側だったとしても、それは後に気付いても遅くはない。フィリッツが裏切り者でないならば、信じて動いていけばいいし、裏切り者ならば、裏切られているふりをすればいい。そのくらい、お前にだって出来るだろ?」


「でも」


「解決策は存在しない。この屋敷内、誰も信じるな!」


「誰もって……。翡翠と澪くらいいいだろ?」


「ダメだ。俺や澪に変化(へんげ)することが出来るやつはいる。別行動をするとき、絶対的な信頼をどこにもおくな。信じるべきは自分だけだ。例え俺でも澪でも、信じるな」


          ❦


 コンッコンッ


 妖長者の書斎にノック音が響き渡り、空汰と翡翠は反射的に扉を見た。まじまじと見ても扉は扉であるが、二人は逃げることも無く見据えていた。


「誰だ」


 扉の奥からくぐもった声が聞こえた。


「フィリッツです」


 空汰と翡翠は顔を見合わせ頷き合った。


「どうぞ」


 空汰の声と同時に扉が開き、フィリッツと栖愁が入ってくる。栖愁がきちんと敬礼をする一方でフィリッツは堂々と空汰と翡翠の前で立ち止まり、口を開いた。


「翡翠様」


「何だ。スカイに用があってここに来たのだろ?」


「それもそうですが、翡翠様にひとつだけ質問があります」


「質問?」


「翡翠様の真意を確かめておきたいのです」


「何の真意だ。ことによっては、フィリッツだろうと話せない」


「話せる限りで構いません」


「それで、その質問とは何だ」


 フィリッツは空汰を一瞥してから翡翠に向き直った。


「翡翠様がスカイ様と何を企んでいるのかは知りませんが、その企みに終止符が打たれたとき、貴方様はその後どうなさるおつもりですか?」


 空汰がつい最近思っていたことである。


 裏切り者をすべて見つけた後、許すのか殺すのか。もちろん、その後翡翠はそのまま妖長者としてこの世界に在り続けるのか。翡翠は大事なことを全く話さない。今はそれを気にするときではないと思いながらも、いつその終わりが来るかは分からない。協力者として最低限の話はしておきたいと願っても間違いではないだろう。


 しかし、翡翠はフィリッツの問いに無表情で黙り込んでいた。何かを必死に考えているようにも見て取れる。まだ決めていないのか、言い難いのか、その顔からは全く分からないが、答えるつもりがないことは目に見えて分かる。


 やがて翡翠は沈黙を破るようにため息を吐き、書斎の机に片手をおくと、憐みにも似た表情でフィリッツを見た。


「残念ながら俺はまだそこまで考えていないと言えば嘘になる。でも、こうするつもりだと伝えられるほどの意思がまだない。その質問への答えは、もう少し待ってくれないか? いずれまた、自分の口から言おう」


「……そうですか、分かりました。では、今しばらく待ちましょう」


 フィリッツはそう言うなり、空汰に向き直りどこからともなく書類の束とファイルを数冊手に取り机の上に静かに置いた。


「生誕祭中のものです。溜まっていますので、お早目にお願いいたします」


「多くないか!?」


「生誕祭の際の出席者全員より文書を預かっております」


「文書?」


 束を捲っていき確認すると、確かに差出人の名前から始まる文書があった。どれも、妖長者家との繋がりを求める文書ばかりである。そこにツェペシ家の名がないことから見ても、ツェペシ家とはすでに繋がりがあることが分かる。


「これ全てに返事を?」


「当たり前です。翡翠様は毎年されています」


 気になっていたことがあった。


「フィリッツ」


「はい」


「公務は翡翠がしなくていいのか? 一応本当の妖長者は翡翠なのに」


「確かに本物の妖長者様は翡翠様ですが、現在妖長者の印を持っているのはスカイ様です。残念ながら、私達にとってはスカイ様こそが今の翡翠様であり、貴方様が妖長者様なのです」


「……まぁ、そうなるか」


「良い体験だと思って、今しばらく頑張ってください」


 フィリッツはそれだけ言うと空汰と翡翠に背を向けた。


「長老会議の件ですが、後日まとめてお話いたします」


 フィリッツはそれだけ言うと足早に部屋を後にした。


 フィリッツが部屋から去っていたのを確認すると、空汰と翡翠は大きなため息を吐いた。


「お前が変なこと言いだすんじゃないかと思った」


「お前こそ、余裕ぶって」


「余裕ぶってねぇし」


「無駄口叩くなよ」


「どっちがだよ。で、俺は公務を手伝った方がいいのですか? 空汰様」


「気持ち悪いから止めろよ」


「俺だって、翡翠様とか呼ばれるのは嫌なんだからな」


「お前はまだ、本名じゃないだろうが」


「それでも、俺はこの名で十年過ごしてきたんだ。もう、俺の名前だ」


「つべこべ言わずに手伝えよ。俺は、この文書の束は知らないからな!」


「一番面倒なのを押し付けてきやがって」

そう言いながらも文書の束を手に取り、ソファに座った。文句を言う割には、丁寧に一枚一枚見ていっていた。


 しばらく羽ペンを動かす乾いた音と紙を捲る音のみが響いていた。


 その静けさを破ったのは空汰だった。


「フィリッツを信じるのか?」


 単刀直入なその質問に翡翠は少し戸惑いながらも、文書から視線を逸らすことなく唸った。

「んー……。俺さぁ、正直なこと言っていいか?」


「あぁ」


「分からなくなってきた」


「お前、さっきと言っていること矛盾しているって気づいてるか?」


「残念ながら気づいてる」


「お前何が言いたいんだよ」


「フィリッツを信じたい、確かにその気持ちの方がまだ強い。だけど、フィリッツが何を考えているのか、今日も全く分からなかった。空汰を利用したいのかそうじゃないのか。俺にどうしてほしいのか、よくわからない。考えても答えは出てこない」


「信じる信じないは後にして、信じてみようって言ったのはお前だろ!?」


「確かにそうだが……」


「リスクを恐れるのか? お前が」


「いや……」


「俺はお前が分からない」


「俺は俺が分からない」


「もう迷うのはやめようよ。信じてみて、裏切られそうなら裏切られたふりをする。それで、いいだろ? とりあえず、それで進んでみようよ。何急に弱気になってんだよ」


「悪い……。俺はもともとこういうやつだ」


「不自然に開き直るな。フィリッツを信じる信じない関係なしにやっていこう」


「……作戦たてるか」


「作戦?」


「前に俺が言ったことで進むということだろ?」


「あぁ」


「なら、まずは様子見だな」


「様子見?」


「フィリッツを信じたふりして、何事もなく日常を過ごす。ただそれだけだ」


「それだけ!?」


「そうだな……期間は二週間」


「何故?」


「俺は明日から二週間ほど、野暮用があるから、ここには来ない」


「……は!? 嘘だろ? このタイミングで消えるのかよ」


「フィリッツには何も言わずに出て行くから、適当に言っておいてくれ」


「いやいや、ちょっと待てよ!」


 翡翠は面倒くさそうに手を止め、顔を上げた。空汰が困った顔をしている。


「何だよ。前から言ってるだろ? 俺は自由で、俺は俺なりに忙しいんだ」


「どこに行くのかくらい教えろよ」


「プライベートだ」


「そういう問題じゃないだろ!」


「ったく、面倒だな。前は俺がいなくたって、一人で過ごせていただろ」


「そういう問題じゃないって」


「じゃあどういう問題だ」


「フィリッツを信じる信じないの話以上に、これから確信をついていくというところで、お前は二週間も消えるのか!?」


「そうだ」


「お前本当にやる気があるのか?」


「お前以上にはある」


「俺の方が断然ある」


「そんな張り合いどうだっていい。簡単だろ? 普通に日常生活を過ごすだけで良い。この間はただののんびりした日常だけだ。特にこれといって行事もない」


「だからと言って」


「不安なのか?」


 図星を突かれ、空汰は黙り込む。


 それを見た翡翠は大きなため息を吐いた。


「お前なら大丈夫だ」


「どうして……お前はすぐ俺を信じる。お前さえも信じるなと言ったのはお前だろ?」


「前に言ったはずだ。お前が俺を信じるなら俺はお前を信じると。それに、俺に言われたからと言って、本当に信じないようにするのはただのバカだ」


「ば、バカっ!?」


「それに、俺は俺の意思で物事を決める。お前だって、高校生だろ。もっと、自分のことは自分で決められるようになれ」


「流石二十歳だな」


「関係ない」


 空汰は羽ペンを置き、座ったまま背伸びをした後、ため息交じりに苦笑した。


「分かったよ。二週間普通に過ごせばいいんだな?」


「勝手に走り出すなよ。此処から先は結構危ない橋渡りになる可能性がある」


「もとはといえばお前のことなのに、俺が勝手に走りだすわけないだろ」


 翡翠はフッと笑うと再び視線を文書に戻し書き始めた。


「お前ならやりかねない」


          ❦


「記憶を失われたから、大丈夫だと思っていたのに……」


「それでも、翡翠様は会場を抜け出しましたね。黄木、お疲れ様です」


 紅茶を差し出された黄木は、小さなため息を吐き紅茶を飲んだ。


「人間でいう二十歳はどのくらいの歳なのでしょうか」


「私には分かりません」


「そういえば、珀巳と柊は何歳?」


 柊は驚いたように顔をあげ、紅茶を手に取った。


「私は……えっと……」


「人間も妖も歳を明かすというものはデリカシーに関わりますよ、黄木」


「珀巳なら何歳か教えてくれるでしょう?」


「私は今年で二百三十四歳になりますよ」


「え!? 私より年下ですか」


「え? 逆に年上ですか?」


「私は二百五十歳です」


「年上なのですね。初めて知りました」


 柊は少し驚いた顔をしていた。


「どうなさいました? 柊」


「珀巳と黄木って、もう少し歳が離れているのかと思ってました……」


 それを聞いた黄木がフッと笑いだした。


「確かによく言われるけど、そんなに離れていない事、私も今知った」


「えっと……私は二百七十九歳です」


「一番若いのかと思っていたら、一番この中で年上なのね」


「はい……」


「柊は知っていたの?」


「二人の年齢までは知らないですが、自分が一番年上ということだけは……」


「名誉なこと」


「え、どうしてですか!? 若い方がいい気がします」


 珀巳はスッと黄木の隣に座り、紅茶を置いた。


「柊は人間みたいな考え方をするのですね」


「え!?」


「妖は長くその人生を歩みます。何か本当に不運なことでもない限り、滅多に死ぬことも消えることもありません。この妖世界で歳をとっていくということは、長年を生きているということになります。皆に慕われて当然です」


 ぽかーんとしている柊に黄木は笑みを向けた。


「でもまぁ、一つ言えることは二百歳代なんてまだまだこの世界ではひよっこということ」


「長く生きている私より、優秀ですね」


「そう?」


 珀巳は首を横に振った。


「そんなことありませんよ、柊」


「珀巳は本当に口が上手ですね」


「そんなことありませんよ。残念ながら嘘を吐くのは苦手みたいなので」


「でも、ここで式をしている長さとしては珀巳が一番上です」


「偶々ですね」


 柊は何も言わず紅茶を一口飲み笑みを浮かべた。黄木がスッと立ち上がり背伸びをすると、小さく息を漏らした。


「さて、私は仕事をします。式として、守護者の長として」


          ❦


「も、申し訳ありませんッ!」


 本棚に体を強く打ちつけ数々の本が落ちてきた。カーテンが閉められ光が何一つない部屋に、本が落ちる鈍い音と黒い人影が見えた。


 ジンは荒い息を吐きながら、背を本棚に押し付ける。これ以上逃げられないことは分かっているが、無意識に逃げようとしていた。


「ま、まさか、こういう形になってしまうとは思わず……」


 人影の足音が近づいてくる。


 その音が一つ鳴り響くごとに恐怖も増えていく。体中から冷や汗が溢れ出し、息をのむ。そして、本が崩れ落ちた床の一歩前で立ち止まり、一冊本を拾い上げた。それを読むわけでも開くわけでもなく、静かに本棚に戻すとそのまま手を置いたまま、ジンを見下ろしていた。ジンは恐怖のあまり、見上げることも出来ず体を震わせながら、床に落ちている本を見据えていた。


 何も言わない人影に、恐怖の最高潮を迎えるその時、無造作に部屋の扉が開いた。二人は反射的に扉を見た。そこには、オーガイが立っていた。


「……ゆ、許してあげてください」


 人影はジンから離れると首をぽきぽきと鳴らしオーガイを真っ直ぐ見据えた。オーガイはその鋭い視線に悪寒がはしる。


「ッ! あッ……」


 人影の表情は暗く読み取れないが、フッと笑ったことだけは分かった。


「裏切り者と気づかれたお前に、もう用はない」


          ❦


 気づけば二週間なんてすぐに過ぎていた。


 翡翠は言った通り二週間の間、全く姿を現さなかった。妖長者となってすぐのころは、翡翠は公務が終わると度々姿を消していた。公務以外で来ることは、たまにしかなかった。フィリッツにばれた今、普通に姿を現すようになったが、それでも、フィリッツ以外には誰も知られていない(フィリッツが誰にも言っていないという仮定に限るが)ため、式や長老、客人が来た時には翡翠はどこかに去って行く。それだけは、変わらなかった。


 二週という間にフィリッツが何度か尋ねてきたが、翡翠がいないことを理由に全く話をしなかった。


 そして二週間を数日過ぎたある日、翡翠が久しぶりにやってきた。


 公務をちょうど終えた空汰にどこからか買ってきたお菓子を差し入れした。


 お菓子を片手に空汰と翡翠は紅茶を飲んでいた。テーブルを挟みソファに座る。久しぶりに会い、他愛もない会話に花を咲かす。


「空汰」


「ん?」


「ノート。お前が持ってるよな?」


「あー多分、持ってるよ」

そういうと立ち上がり鍵付きの引き出しを開け、そこから小さな鍵を取り出した。そして、本棚の隠し扉を開き、ノートを取り出すと翡翠に手渡した。


「ありがとう」


 空汰は扉を閉め、本を片付けながらチラッと翡翠を見た。


「書くのか?」


「あぁ」


「そうか」


 空汰から鍵を受け取り、妖術を使い隠し持った。空汰が再び座りお菓子を手に取るのと同時に、扉がノックされた。


「あ、そういえば今日フィリッツが来るんだ」


「フィリッツが?」


「また数日後に来るって言われて、翡翠が来る前に先触れがあって」


「あぁ、そうか」


 空汰が、どうぞ、というとフィリッツが入ってきた。


「翡翠様、お久しぶりです」


「どうも」


 空汰と翡翠の前にフィリッツが座る。


 翡翠がすぐに口を開いた。


「それで? 長老会議ではどうだった?」


「翡翠様……スカイ様を殺そうとする動きに大きな変化がありそうです」


 空汰が驚いた拍子に手に持っていた紅茶が波打った。


「大きな動き?」


「スカイ様、これから特に気を付けてください。貴方様を殺そうという動きになってきています」


「何故? 少しの間何もなかったのに」


「何もことを起こさなかったのは、翡翠様に、妖長者様に記憶がないと思っていたからです。記憶が無ければ、翡翠様を襲ったということも覚えておらず、すぐに始末する必要はなくなりました。改めてもう一度計画を練り直すことが出来たわけです」


「まだ記憶を戻していないということになってない……?」


「記憶が戻っているかもしれないと思われています」


「何故? 俺そんなへました?」


「気づかれたのがどちらかは知りませんが、以前監視の目をつけられていたことをご存知ですね?」


「気づいたのは俺です。翡翠から話を聞いて、それにある妖から情報を貰って」


「ある妖?」


「それは……言えませんが、その妖の情報もあって監視の目を見つけました」


「監視の目をつけた者をご存知ですか?」


「オーガイだと聞いている」


「その通りです。オーガイはこう考えています。監視の目に気付くにはそれをされる覚えがあるということだと。それは即ち、記憶が戻っているということだと……」


 重い空気が妖長者の部屋を満たしていく。


 少しの沈黙の後、はじめに口を開いたのは空汰だった。


「……その動きは?」


「次の公務の際、守護者らを使い、妖長者様を捕らえるそうです」


 翡翠が口を挟む。


「その公務は?」


「次の公務予定は、妖世界の視察です」


「それは泊りのやつか?」


「はい」


 空汰は首を傾げ、紅茶を置く。


「泊まり?」


「高級妖が泊まるような素晴らしい宿泊処ですので、そこの守護者も護ってくれます。しかし、そこの守護者を買収するなど容易いことです」


「そこで、妖長者を捕まえると?」


「まだ考え始めの段階ですが、そういうことです」


「なるほど」

自然と大きなため息が漏れる。


 しばらく静かな時間が流れた。そんな空気をよそに空汰は全員分の紅茶を入れ替える。どこか余裕に見せる空汰だが、内心どうしていいものかと焦っていた。フィリッツの言葉をそのまま鵜呑みにしていいものなのか、何を話せばいいのか分からなかった。


 耐え難い沈黙の時間が終わったのはそれから十分を過ぎたころだった。


「『妖長者 翡翠裕也 暗殺計画 極秘文書』に書かれていることです。


 現長老メンバーが長老に昇格したのは今から約九十年前です。長老としてはまだ若い長老でもあります。


 長老となったその日から数十年間は、妖長者様に忠誠を尽くし、長老としての立場を忘れてはいませんでした。長老という妖長者様を手助けする立場から、妖長者様を殺めようとする立場に変わったのは今から約六十年前になります」


 静かに口を開いたフィリッツを空汰と翡翠は、ただ見据えていた。


『今から九十年前、私達は晴れて長老となりました。それまで、其々守護者や側近、式を務めてきました。それがようやく実を結んだ日でもあります』


 私は長老の長となるまで、当時の妖長者様の式をしておりました。その時の妖長者様の名は彰人様と申します。


 彰人様は私を信じ長老の長に推薦してくださった張本人です。


「では、第一回長老会議を開きます。新しく長老の長となりました、フィリッツといいます。よろしくお願い致します」


「同じくオーガイです。よろしくお願いします」


「ゴホンッ、同じくケンジです。よろしくお願いします」


「面倒くさいな~、えーっと同じくジンです。よろしくお願いします」


「唯一の女長老です。ナクといいます、よろしくお願いします」


 これから長老としての日々が普通に始まります。長老となって一年、二年、三年……と過ぎて行きました。本当に早かったのを覚えています。


 気づけば十年という年月が過ぎていました。それから五年後に、転機を迎えます。彰人様が逝き次の妖長者が現れました。その妖長者の名を毅様と申します。


 毅様は変わった方でした。妖長者様は権力を思うがままに振り翳す方でした。妖長者様は人間でありながらも、妖世界のために働きかけなければいけません。使いの者以外を承諾なしに働かせたり権力を使い脅したりするなどあってはならないことです。しかし、毅様は権力を使い、弱者を自分のためだけに働かせました。公務をすべて放置し、お金と権力に酔い痴れていました。


 妖長者の部屋にいる姿などほとんど誰も見たことはありません。


 妖世界を統べる者は妖長者様です。妖長者様の妖力の強さと行き届き方によってこの妖世界が動きます。一説によると、雨を降らせるのも晴れるのもすべて妖長者様の力だと言われています。それくらい妖世界は妖長者様に左右されるのです。


 段々と妖世界は瘴気を増しはじめ、妖が妖を殺す事件などが増えていきました。また、弱い妖は瘴気にあてられすぎると、凶変し妖を喰らうのです。普段も少しは喰らいますが、それとは比べ物になりません。


 また木々は枯れ、水は干上がっていきました。普段何も食べずに過ごせる妖ですが、木々と水が瘴気を薄めてくれるため、薄められない瘴気にあたると死んでいきました。


 そんな状態を放っておけるわけがありません。


 私達はどうにか毅様に公務をするように説得しにまいりました。女遊びがお好きな方で、心も体も穢れだらけではありますが、一介の長老如きに毅様を咎めることも出来ませんでした。あまり干渉しすぎてはいけないという決まりがそこに存在するからです。


 結局私達の言葉など毅様には届かず、妖世界は朽ち始めました。


 私達が頭を抱えていた時、オーガイが口にしたのです。


「ええい! 悩んでいても仕方がない! 人間などを妖長者様と崇めるからいけないのだ!」


 会議室の円台をバンッと叩き付けたことで、全員が肩をビクッとさせた。オーガイの文句にケンジも勢いよく立ち上がった。


「確かにその通りだ! 人間如きに何故私らが仕えなければならない!?」


「ケンジの言うとおりだ! 他の三人もそう思うだろ!?」


 ジンは面倒そうにテーブルにぐたぁとしていた。


「今更?」


 ジンの言葉にオーガイとケンジが同じ反応をしめした。


「はい!?」


「私なんか、五年も前に思っていましたよ。でも、人間が妖世界を統べるようになったのは、はるか昔の話でしょ? 今更仕方のないことでは?」


「確かにそうだが! このままでは、妖世界が滅ぶ!」


「まぁまぁ、オーガイ。落ち着きなよ」


「ジン、お前はどっちの味方なのだ」


「それは、もちろん妖側だよ。人間なんて大嫌いさ。ナクだってそうだろ?」


「えぇ……そうですね。よく思ったことは良くも悪くも長老になった時だけですね」


 しばらく言い合いは終わりませんでした。私はその間ほとんど口を挟まず、皆が静かになるのを待っていました。


 やがて言い合いが落ち着いてきたころ、全員が席に座り、オーガイが口を開いた。


「……妖長者を代えよう」


 さすがの私でもこの言葉には驚きました。


 妖長者が代わるときは、妖長者様が何らかの理由で死亡した場合した場合のみ認められるものです。例外に次期妖長者様とその当時の妖長者様が話し合われ、交代することもありますが、当時の妖長者様は交代したあとも、妖長者様のそばに仕えなければいけませんでした。


「妖長者様、毅様を代えるとはどういうことですか? オーガイ」


「そのままの意味ですよ、フィリッツ」


「しかし、まだ毅様は妖長者と成られて一年も経っていません」


「一年も経たずに、妖世界を滅ぼそうとしている妖長者についていけるものか! 妖長者が人間でなくてはならないのならば、仮の処置としてまずは、妖長者を代えなければならない。でなければ、この世界は本当に滅びてしまいますぞ」


「しかし、オーガイ……」


「フィリッツッ! 貴方だって一介の長老でしょう!? 覚悟を決めなければいけません……」


 珍しく声をあげたナクに私は少し驚いていました。ただ、珍しくナクが声をあげたことが私に影響を与えたことに間違いはありませんでした。


「しかし……長老が手を下すなど……」


 私が戸惑っていると、ケンジが大きなため息を吐きました。


「フィリッツは何もしなくて良いです。俺とオーガイで動きます」


 オーガイもケンジの言葉に納得しているようでした。


「そうだ、それでいこう。それなら、フィリッツは何も知らぬ存ぜぬを通せる」


「それは……」


「フィリッツ。私達はもう限界です。このままあの男に妖世界を預けていられない」


 それから一ヶ月後、オーガイとケンジの手により、毅様は不審死を遂げられました。


 それから数ヶ月、次期妖長者と成る器を持つ人間は現れませんでした。その間にも妖世界は朽ちていきます。私の妖力でも、あまり長くは持ちません。


 そろそろ持ちそうにないと感じ始めていたころ、ようやく次の妖長者様が現れました。それが翡翠様でした。翡翠裕也様ではなく、前妖長者様の翡翠様です。


 前妖長者の翡翠様はとにかくお静かな方でした。命令されればきちんとこなしますし、公務もいつもきちんとなされていました。妖力も今までの妖長者様に比べ強く、責任感や正義感もとても強く、曲がったことはお嫌いな方でした。しかし、一つだけ欠点というべきところがありました。お静かでお優しい前翡翠様でしたが、感情を表に出さない人で、笑顔を浮かべることも泣くこともほとんどなく、無表情で、不愛想だと言われておりました。確かに、私自身も前翡翠様の本当の意味での笑顔は見たことがほとんどないように思います。それくらい、無表情な方でした。


 けれど、前翡翠様の力により崩れかけていた妖世界は持ち直し、再び平和な日常が訪れました。


 ただ、ここで大きな溝が生まれました。


 長老と妖長者との関係に大きな亀裂が入ったのが、この頃です。


 はじめ、オーガイも妖長者が人間であることに嫌悪を抱きながらも仕事だとわきまえて、前翡翠様と親しげにしておりました。ケンジやジン、ナクも同じことです。長老として妖長者の立場にある前翡翠様を見守っておりました。しかしそれにも我慢の限界というものはあります。数十年、親しげにこちらが接しても不愛想な前翡翠様の態度に、オーガイもケンジもジンもナクも嫌気がさし始めました。正直なところ、私も少し悩んでいました。


 そしてそれと同時期に、何故か翡翠様が少しばかり反抗するようになってきました。人間でいう四十代の歳でありました。


 見ず知らずの妖狐の男を式に迎え入れたり、公務を放置しどこかへ度々出て行ったりという無断行動が目立ちました。タイミングの悪さもありオーガイやケンジの怒りはかなり度を増していたと思います。それでも、毅様のように手を下さなかったのにはわけがあります。その頃、次期妖長者と成る器の人間が人間界には誰一人おりませんでした。今前翡翠様を殺してしまえば、次の妖長者を見つけるまでの間、その座が不在となり、妖世界は再び朽ち始めます。毅様のとき、その重大さに気付いた私達は、次期妖長者が見つかるまでの間は、前翡翠様も見守り続けることにしました。


 その間もオーガイは必死に、妖長者が人間でなく妖でも朽ちない世界を探し求めました。様々な書物を読み、考え悩みました。見つからなかったのです。どこかにその答えはあるはずだと思って、長老は探しましたが、どこにもそのような文はありませんでした。


 そしてある日、とうとうオーガイが口にしました。


「妖長者を殺す」


 一同は少し驚いていたかもしれませんが、ほとんど表情を変えることなく、頷いていました。どうやら、全員我慢の限界だったようです。


 それから、前翡翠様を殺す計画をたてはじめました。二グループに分かれ一方は次期妖長者を探し、一方は前翡翠様を殺すという計画でした。


 念には念をと、十年弱をかけて考えました。


 しかしそんな中、誰も予想をしていないことが起きました。ある静かな朝でした。前妖長者の翡翠様が天寿を全うされたのです。


 流石の私達でもかなり驚いたことを覚えています。オーガイ、ケンジ、ジン、ナクのその時の心中は分かりませんが、オーガイやケンジは前翡翠様を嫌っていた代表でもあります。彼らはきっと、喜んでいたにちがいありません。


 それから数ヶ月はとても忙しく、計画の話を出来る暇などありませんでした。次期妖長者を探し出し、妖長者不在の間の公務をすべてこなさなくてはなりません。


 そこにようやく実鈴と葉羽が今の翡翠様を連れてきたのです。


 小学生であることは聞いていたものの、小学生にしては小柄で可愛らしい子どもでした。黒銀の髪色に藍色の瞳、歳に似合わず可愛らしくも大人びた男の子でした。


 彼は私にだけ本名を明かしました。妖世界で長く名を呼ばれないと自分の名を忘れてしまいます。そして自分の名を忘れてしまうと、人間界に戻ることは出来なくなります。私をはじめとする妖長者家で過ごす者ならば誰もが知っていることであり、それを逆手に取り、しばらくの間は『妖長者様』としか呼ばないのです。


 本来、本名を長老は知らなくていい立場です。寧ろ、知ることは自粛するようにとあるくらいなのです。仮名を与えられ、妖長者様は日々を過ごします。それは、長老が妖長者を縛れないようにとの考えからです。前妖長者の翡翠様も本名ではないと思います。私は知らないので、残念ながら明白なことは分かりませんが、多分そうだと思います。


 しかし私は彼に会ってすぐ、本名を聞き出してしまいました。葉羽と実鈴はそれを気にしているようでしたが、十年経った今でも誰にも話さずにいてくれているようです。


 何故彼に名を聞いたのかは分かりません。縛りたかったわけでもなく、人間界に戻す気もなく……気づけば聞いていました。


 そして、翡翠様が妖長者と成って数日後、ナクの一言でオーガイとケンジがまた動き始めました。それは、暇つぶしにと談話をしているときでした。


「まさか、また『翡翠』だとは思わなかったよ~」


「確かにそうですな……。やっとあの忌々しい翡翠がいなくなったのに、新たな翡翠が現れた。ジンの言う気持ちも分かる」


「でしょう~? ケンジの言うとおりだよ。なんで、翡翠なの~。もう、最悪だよ」


「ジン落ち着いてください。名前が一緒なだけで、感情は違いますよ」


「でもさ、あの不愛想な翡翠だったら嫌だよね」


「だから、ジン……」


「まぁまぁ落ち着きなさい、ナク、ジン」


 ジンは不満そうな顔をして、ため息を吐いた。ケンジはジンからナクに視線を逸らした。


「そういえば、ナク」


「はい」


「翡翠様の教育はどうだ?」


 ナクは苦笑を浮かべながらため息を吐いていた。


「結構大変ですよ。覚えがいいのか悪いのか……。それに、反抗的な態度をとることもしばしば……」


「反抗的な態度!?」


「え、えぇ……。たまに部屋にいませんし」


「本当に人間というやつはッ!」


 急変したケンジにオーガイも加わる。


「人間如きが妖に歯向かうとは! もう我慢の限界だ!」


 私は苦笑を浮かべていました。


「落ち着いてください、オーガイ。今の翡翠様の前の翡翠様では違います」


「フィリッツ! お前は優しすぎるのだ!」


「そ、そんなことは……」


「この世界は妖世界だ! 人間などに主導権を握らせてたまるか!」


「オーガイ! 少し頭を冷やしてください!」


「冷やすのはどちらだ! フィリッツ! いい加減にお前も考えろ!」


「少なくても皆さんよりは冷静に考えています」


「だが、お前は今何もしていないじゃないか!」


「今のこの状態では、人間である妖長者様が必要不可欠です。ことを起こそうにも起こせません」


「そうやってお前が怖気づいているからこうなるのだ!」


「私の代からではありません」


「俺が長老の長だったら良かったな! お前に任せたのがそもそもの間違いだったのだ!」


「私を推薦してくださったのは彰人様です」


「彰人様の目が曇っていたのだ」


「彰人様の事を悪くおっしゃらないでいただきたい」


「お前はそうやってすぐに人間の肩を持つ! お前はどちら側なのだ」


「私は妖です。しかし、同時に妖長者を手伝わなければならない身でもあるのです。中立の立場にあるのが、長老というものです」


「その長老がしっかりしなくてはいけない!」


「妖長者様によりこの世界は動きます。私達はそれを見守り、手伝いをするだけです」


「その妖長者が、この妖世界を何度陥らせようとした!? 毅様の代なぞ、最低最悪だったではないか! それに、彼を殺めることを許しただろ!?」


「許可を出した覚えはありません」


「お前自身手を下さないということを言ったとき、少しそれならいいと思ったのではないか!?」


「まさか。私が止めるすべもなく、あなた方は殺していたではありませんか!」


「フィリッツが本気を出せば私らを止められたはずだ。しかし、それをしていない」


「確かにその通りです。しかし、それには理由があるのです」


「下らん言い訳など聞きたくない!」


 私はかなり困っていました。オーガイは無条件に人間を嫌っていました。そこにどんな理由があるのか、少し知っていた私も、あまり彼を咎められず、かといって、彼の言いなりになることも出来ずにいました。本当に小心者だと思います。しかし、私は長老の中で一番偉い立場にある者です。オーガイを黙らせることなど容易ではありました。


「オーガイ」


 私もそこまで声を荒げることはありません。今回も声を荒げたわけではなく、静かに低く呼んだだけでしたが、私の声に長老は皆、少し驚いたように私の方を静かに見据えていました。


 ただ、黙らせることは出来ても、心まで動かすことは出来ません。オーガイは握り拳を震わせ、私の言うことを静かに聞いていました。


 そして、オーガイも私に提案します。皆はそれをきちんと聞きました。今度は極めて冷静に……。


「次期妖長者が見つかるまでの間は彼を縛り、長老の思い通りに動かしていく。そして、次期妖長者が見つかったら殺す。その繰り返しだ。どこかにあるはずなのだ。この世界を人間が統べず、妖が統べるように出来る何かが……。それを見つけるまでの辛抱だ」


 オーガイは計画を自ら考えながらも、身勝手に計画を変えていきました。


 ケンジはそんなオーガイの右手となり、対で計画を進行していきます。


 ジンはナクと共に、翡翠様を見張ります。また、裏で動いていきます。


 私は極めて普通に長老の長として日々を過ごしながら、翡翠様の行動を制限していきます。翡翠様に公務を渡すことで、翡翠様はその間、書斎に閉じこもったままになります。翡翠様の監視を緩めることが出来るように、私は密かに手伝いました。


 言い訳になるかもしれませんが、私は、この時から彼らに協力しているように見せかけ、内心は翡翠様を見守っておりました。


          ❦


 空汰と翡翠は口を閉ざすフィリッツを真っ直ぐ見据えていた。


「その話が本当なら、長老全員が裏切り者だということになる」


「その通りです、翡翠様」


「そして、お前も」


「……確かにそうなります。しかし、私の気持ちははじめから翡翠様に向いておりました」


「それを誰が信じる」


 フィリッツは驚いた表情を浮かべていたが、やがて悲しそうな表情に変わった。


「……そうですね。スカイ様でも翡翠様でも信じがたい、話ではあります」


 翡翠が口を開く前に空汰が口を開いた。


「でも、俺からしてみれば、文書に書かれていたこと以外も口にしているところから考えて、俺は信じるかもしれない」


「スカイ様……」


「でも、難しい」


「では、重要なことを教えましょう」


「重要なこと?」


「それは、私が単独で調べたことです。信憑性があるかないかは分かりません。しかし、それに賭けてみる価値はあります」


 しびれを切らしかけている翡翠が、ため息交じりにフィリッツを見据えた。


「それで? その価値あるものとは?」


「以前話しました。長老会議室奥書庫の話です」


『書庫に入るには五つの認証番号が必要です』


「あぁ、話したな。でも、お前はその番号をすべて知らないのだろ?」


「はい。私は知りません」


「……まさかとは思うが、他の四人なら知っているから聞いてくれとでも言うんじゃないだろうな?」


「確かに聞いてくれた方が速い話ですが、無理でしょう」


「だろうな」


 空汰はスッと紅茶に手を伸ばし一口飲んだ。すっかり冷たくなってしまっていた。


「ではどうする?」


 フィリッツはスカイに視線を向けると、隠し持っていた小さな日記帳のようなものを取り出した。


「彼らの自室に、これと色違いの本があります。これは必ず部屋のどこかにあるはずです。この本は代々長老が受け継ぐもので、様々なことが記されており、その最後のページのところに番号が書かれています」


 フィリッツは二人に最後のページを開いて見せた。そこには、妖文字で『4』と書かれていた。どうやらフィリッツの知っている番号は『4』のようだった。


「この本を全員分探せば、全員分が分かる?」


「はい、分かります」


「でも……部屋に行くって言ったって、どうやって? 監視の目があるかもしれない。式がいるかもしれない。かなりのリスクを伴う」


「それはお任せ下さい。今度別件で再度長老会議を開きます。その時間、二日間、合せて四時間です」


「四時間!? 四時間で四人の部屋を探す!?」


「それくらいしか、時間が持てなかったのです。各一時間と考えて、探してください。その間は私の力を使い、結界も監視の目も無効にしておきます」


「長老の部屋は、フィリッツのあの部屋くらい?」


「私の自室は、スカイ様がいつも訪れている部屋ではありません」


「……え? だって、いつもあそこに呼ばれるし、いつもあの部屋にいるだろ?」


「そうですが、私の部屋ではありません。ただの仕事部屋です」


「知ってた?」


 翡翠は不思議そうに空汰を見ていた。


「……当たり前だろ」


「スカイ様はご存じなかったのですね。あの部屋より、はるかに広いですよ。長老の部屋は」


「あれより!?」


「妖長者様の……この部屋の一つ下の階に他四人の長老の部屋はあります」


「フィリッツのは?」


 フィリッツは少し考える素振りを見せた後薄ら笑みを浮かべた。


「いずれ分かります。それから、そこの部屋を探す時は、翡翠様とスカイ様と二人で探してもらって構いませんが、書庫の監視の目は流石の私でも弄ることは出来ません。ですので、翡翠様」


 翡翠は呼ばれてパッと顔をあげた。


「翡翠様のそのお得意の変化(へんげ)の力を使い、私と二人のみで行っていただきたいのです」


「翡翠と二人で!?」


 驚く空汰をよそに翡翠は黙り何を思っているのか全く分からない表情で、フィリッツを静かに見据えていた。


「翡翠様、不安なのは分かりますが、変化(へんげ)の力にかなり長けている貴方様であれば、監視の目に気付かれても妖長者の翡翠様だとは気付かれないはずです。ジンやケンジに姿を変えることだって出来るはずです。それに、スカイ様より翡翠様の方が妖術には長けています。何か遭ったとき、貴方様ならご自分で判断できるはずです」


「……協力するうえで、一番頭に入れておかなければならないことがある。それは、先に裏切った方が利益を得ることだ。信じた方が損をする」


「まだ……私を信じていませんか?」


「いや、信じてはいるが、それだけ、少し確認しておきたくてな」


「翡翠様」


「俺はお前のその提案で構わない。本をスカイと探す。その後、お前と俺で書庫に行く。そして、そこにあるファイルを手に入れる」


「翡翠っ!」


「そ、スカイ、大丈夫だ。お前が行くより俺が行った方が寧ろいい」


「でもッ」


「スカイ。フィリッツを信じると言っただろ?」


 目は口程に物を言うとはよく言ったものである。翡翠の言葉と目が訴えている意味は、全く違うものであった。


 空汰が頷くのを見たフィリッツは微笑んでいた。


「長老会議は一週間後に開きます。それまでに、どこをどう探すか出来る限り話しておいてください。私に協力できることがあればします」


 そういうとフィリッツはスッと立ち上がり、一礼した。扉に向かって歩き出したフィリッツの背を見た空汰はスッと立ち上がった。


「フィリッツ」


 フィリッツは立ち止まり振り返った。


「何故、翡翠を守ろうとしたのです? フィリッツだって、妖だ。人間を庇う必要はない。オーガイやケンジ側についても可笑しくない」


 フィリッツは空汰の言葉を聞き終わるなり笑い出した。大笑いというほどではなかったが、それでも、フィリッツにしては珍しくかなり笑っていた。


 やがて笑いが収まると、空汰と翡翠を交互に見た。


「すみません、スカイ様があまりに面白いのでつい……。そうですね、確かに私は彼ら側でも可笑しくありません。しかし、スカイ様。私は貴方様を守りたいのです。守りたいということに理由は必要ですか?」


「……いえ」


 フィリッツはもう一度浅く一礼すると、部屋を後にした。


 空汰はフィリッツが出て行った扉を静かに見つめていた。それ故気付かなかった。


 フィリッツの背を静かに睨む視線に……。


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