計画
空汰が妖長者となって半年。早くも長老の長、フィリッツに二人の目論みが暴かれてしまった。もともと勘の鋭いフィリッツを半年間、騙せていたこと自体が奇跡に近いらしいが、それでも、半年でばれてしまったのは、二人が事を急ぎすぎたことにあった。
誰を責めることも出来ない。
翡翠は陰ながら空汰を助けていたし、空汰は表立って頑張ってきた。
お互いある意味似た境遇を持つからこそ、分かりあえたこと。今でも分かりあえない溝があること。近くも遠くも無い双方の存在は、適当なバランスを取れていたかのように思えたが、どちらも支えつつ、壊しつつというものだった。
空汰はフィリッツに任された公務の書類の数々に目を通していた。無論、生誕祭最終日は残っている。フィリッツの計らいにより、翡翠に妖長者の印と妖石が返され、そのまま生誕祭に出席。そして、空汰は公務をするのだった。
翌朝、生誕祭を終え翡翠が疲れを隠さず部屋に入ると書斎に座ったまま机にうつ伏せ寝ている空汰が居た。
起こさないようにしようかと思ったが、空汰は翡翠の気配を感じたのか顔をあげた。
「翡翠……」
「起こしたか?」
「お前、だいぶ疲れているな」
「お前のおかげでな。参加した妖全員に謝罪の言葉と挨拶を各々してきたのだ」
「ごめん」
「いや、いい。俺もお前に頼りすぎた」
頭を抱えながらソファに座った。
「これからどうなるんだ?」
「フィリッツの心行き次第だが、とりあえず、フィリッツは二日間俺らの前には現れない」
「え!?」
「今日から明日まで、長老会議だそうだ」
「長老会議……。それって!」
「俺もフィリッツが俺らの事を話すのだろうと思っていたが、本人曰く次の公務についてのみしか話さないらしい」
「フィリッツを信じるのか?」
空汰は背伸びして立ち上がり、二人分の紅茶を注ぐと翡翠の前のテーブルに置いた。
「お前はどう思う?」
「俺は正直あまり接点がないから、よく知らない。長老の長としての静けさと誠実さはあるように思えたけど……」
「あいつなんだ」
「え?」
「俺の本名を唯一知っているやつは」
空汰は驚くことも無く紅茶を一口飲み、フッと笑った。
「今更?」
「……は!? 今更? って、お前」
「だって森を出たとき、お前言ったよな。どうして名を縛らなかったんだって。それって、フィリッツが本名を知っているってことになるよな」
「お前も少しは利口になったな」
「前から利口だし」
「フィリッツに俺が名を教えたのは、ここに連れてこられた初日だった。怪しげな妖二人は、泣く俺を無理矢理施設から抱え上げ連れ出した。そこで、脅された。家族を殺すと……。知っての通り施設育ちの俺にとってみれば、あそこが俺の家族だ。家族を殺すと脅され、無理矢理連れてこられ、泣き叫んでいた俺の目の前に現れたのがフィリッツだった。フィリッツははじめから優しかった。どんなに俺が睨んでも臆することはなかったし、珀巳と出会う以前までは一番俺に優しい存在だった」
「珀巳が現れたら二の次か?」
「珀巳が現れた途端、フィリッツは俺にとって優しい妖から俺を妖長者として見る長老の長に変わった。その時はかなり苛立ちを覚えていたし、フィリッツに裏切られたのだと心底思っていた」
そう言いながら紅茶に手を伸ばし、一口飲んだ。そして穏やかな笑みを浮かべた。
「でも、今はあの時の自分はバカだなと思うよ」
「何故?」
「あれは、長老としての立場と妖長者としての立場を保とうとしたのだと思う。長老と妖長者はあまり干渉しあってはいけない。双方の立場が感情的に、指示を拒んだり強制的に従わせたりするようなことはあってはならない。それをフィリッツは重々承知していただろうから、俺との距離を置いた」
「……お前はフィリッツを信じたいのか?」
「少なくても俺は、フィリッツのあの言葉を信じてもいいと思っている」
「なら、異論はないな」
「え?」
「お前が信じるなら俺も信じる。お前が疑うなら俺も疑う。そんなものだろ?」
翡翠はスッと立ち上がり、空汰を笑顔で見下ろした。
「ふざけたやつだ」
「お前もな」
❦
数日後、二人は妖長者の自室内にある図書室に居た。特に会話を交わすことも無く、それぞれが好きなように過ごしていた。
空汰は幾銭もある本の中から一冊の本を手に取りペラペラと捲った。ここにあるものは娯楽のための本ではなく、そのほとんどが小難しい本ばかりであったが、気分転換には十分な内容であった。
「お二方いますか?」
二人が本棚から顔をのぞかせると、入口のところにフィリッツが立っていた。長老会議を終え、その日のうちに来るのかと思っていたが、結局来たのは長老会議を終えた数日後となった。
フィリッツは二人の顔を確認すると、クリップで留められた紙の束を掲げた。
二人は手にしていた本を本棚に戻し、フィリッツの元に近寄った。
フィリッツの持っている紙には『妖長者 翡翠裕也 暗殺計画 極秘文書』と書かれていた。空汰は驚いて束をフィリッツから奪い取るように手に取ると、一枚捲った。
(妖長者、翡翠裕也を殺害することとす。これは、長老会議で決定したことであり、正式な決定であることを示す)
冒頭はそう書かれていた。
空汰と翡翠はフィリッツを見据える。
これは翡翠に絶対に見せてはいけないものである。それをいとも簡単に見せている。
「これで、少しは信じていただけますか?」
その問いをされる前に、二人は既に信じることを決めていた。
「信じてもいいの?」
「信じる信じないは、二人の決めることです。もちろん、私は長老会議でスカイの名も妖長者が二人存在することも話してはいません。寧ろ、この計画について話をしたまでです」
「これが、計画の全てですか?」
「残念ながら違います。この文書は長老と他の裏切り者ならば全員が持っています。それ故、あまり詳しくは書かれていません」
「その詳しい文書は?」
フィリッツが口を開くよりも先に翡翠が口を開いた。
「長老会議室奥書庫」
フィリッツはフッと微笑んだ。
「よくご存じです。流石抜け出しては色々なところを見て回っただけありますね」
「そこにすべてがあるのなら、フィリッツが取りに行けばいいだろ?」
「翡翠様、それをご無理承知でおっしゃっているのですか?」
空汰は話が見えていなかった。
「どういうこと?」
「私達長老が会議を開く場所は、私の自室に隣接された長老会議室で行われています。そのさらに奥の部屋に書庫と呼ばれる資料室があります。そこには妖世界の数千年の歴史のたわものと共に極秘文書の数々が整理されています。言うまでもないですが、翡翠様殺しの計画書もそこにあります。
そこに入れるのは長老のみです。もちろん、例外を除き妖長者様が入ることも許されません」
「それなら、翡翠の言うようにフィリッツが取りに行けばいいだろう!?」
「早い話そうですが、書庫に入るには五つの認証番号が必要です」
「五つの……。確か長老は五人」
「その通りです。各一人ずつが一つの認証番号を知っています。一人は一つの番号を知っていますが、他四つの番号を知りません」
「ほかに入る方法は?」
フィリッツは何も言わず翡翠を見据えた。何か言いたげにしていたが、やがて小さく首を振ると翡翠から視線を逸らした。
「あるにはあります。ただし、それはお二方にとってリスクの高い選択でもあります」
「それって……」
フィリッツは静かに翡翠に視線を向けた。
「翡翠様はご存知ですね?」
翡翠は何も言わず、真っ直ぐにフィリッツを見ていた。
空汰は翡翠を見据えていたが、あることに気付いた。
「えっと、ちょっと待って」
「どうかなさいましたか?」
「さっき『この文書は長老と他の裏切り者ならば全員が持っています。』と言ったよな?」
「はい」
「裏切り者は長老だけではない!?」
「……私もすべてを把握しているわけではありません。ただ、ここまでのことを長老だけですべて行えてきたわけがありません。誰が裏切り者だと今までの中で確定しましたか?」
「オーガイ」
「一人だけですか?」
「皆が怪しく、疑心暗鬼になっていても仕方がない。珀巳の証言から、オーガイは裏切り者であると思っている」
「珀巳……。あぁ、そういえばそんな計画もしていましたね」
「他人事だな」
「申し訳ありません。あれは、ほぼオーガイの勝手な行動なのです」
「ツェペシ家をまさか脅しているとは思ってもみなかった」
「ツェペシ家も裏切り者だと思いましたか?」
「まぁ、少し」
「彼らは、根はいい人ですよ」
「知ってる」
「話が逸れました。確かにオーガイはこの計画をよく考え、一番動いた人物でした。しかし、オーガイの力だけでは動かぬ者も動かないことも動いています。特に、夜に奇襲を仕掛けるなど、難しいのです。何故なら、翡翠様、貴方様は察しの良い方でした。奇襲を仕掛けても貴方様は必ず気づきます。それを分からないほど、オーガイも落ちてはいないでしょう」
「それでも奇襲を仕掛けたのは、翡翠が逃げないという確信があったか逃げたとしても捕まえる自信があったから」
「結果逃げ出していたのですから、あったとしても後者でしょう。翡翠様は妖長者の印と妖石を持っていましたから、確かに探し出すことは容易だったはずです。でも、そこで妖長者の印と妖石以外に探し出し捕まえることが出来ると踏んでいなければ、逃げ出した後のことまで考えられないはずです」
「じゃあ、かなり翡翠の動きを熟知していたことになる」
「その通りです。オーガイは長老になった時は、妖長者様に忠誠心を抱いていました。数年もすると、今のように変わってしまいますが。とにかくオーガイは翡翠様が嫌いでした。というより、妖長者という者が嫌いでした。翡翠様に限った話ではありません。その影響もあったのでしょうが、翡翠様に興味はありませんでした。翡翠様がどんなに抜け出そうとも病気に成ろうとも、あぁまたか程度にしか思っていなかったはずです。それくらい翡翠様に興味を持っていませんでした。
ですから、オーガイが翡翠様の動向をそこまで熟知していたようには思えません」
「耳打ちした者がどこかにいる……」
「私はそう考えます」
黙って話を聞いていた翡翠は、壁に背を預けため息を吐いた。
「裏切り者の深場、黒幕ねぇ……」
「翡翠」
「何だよ」
「心当たりはないのか?」
「あったら今ここでその名を口にしている」
「だよな、ごめん」
「お前は本当に事あるごとに謝るよな」
「え、あ、ごめん」
「別にいいけど。俺には謝らなくていいって」
スッとフィリッツが空汰の持っていた紙の束を手に取ると消えた。
「翡翠様、一応言っておきますが」
「ん?」
「妖長者の印と妖石は、スカイに返しておくようによろしくお願いします」
「何故? もうお前にばれたのだから、そ……、スカイに返しても仕方がないだろ?」
「いいえ。まだ今後の公務があります。それに、翡翠様にはこの間くらい少しは自由を満喫してきてほしいのです。スカイ様には迷惑を掛けますが、事が終われば貴方様は今一度私達に縛られるのです。貴方様がどれほど嫌がっても、その時は貴方様の名を縛ります」
「……好きにしろよ」
そういうと体から妖長者の印が抜け出し、空汰の体に入っていく。空汰に妖石を手渡した後、フィリッツと共に図書室を後にした。
❦
『俺を殺せばいいだろ?』
『不思議なことを言いますね』
『あいつを殺されるよりましだ』
『貴方は彼を利用しているだけではないのですか? 情がうつりましたか?』
『俺を……殺せよ』
フィリッツは見直したという表情で翡翠を見ていたが、手に持っていた鍵を翡翠の腕輪にさしまわした。カチャッという音が鳴り、腕輪が床に落ちる。
翡翠は驚いてフィリッツを凝視した。
『私は貴方様の本当の名を知っています。今ここで名を縛ってもよいのです』
❦
その日の夕暮れ、空汰と翡翠は地下牢にやってきていた。フィリッツの話によると、クロイは地下牢に閉じ込められているのだという。
水が滴る音、喚起の悪い石壁、いくつもある牢屋の中には飢えきりこの世のものとは思えないほどの禍々しい姿をした妖、いつから閉じ込められていたのか人間の骨と骸骨までもある。少し臭い。
角灯の光を頼りに進んでいくと、封じの腕輪をされ項垂れているクロイがいた。ただし、妖力が使えないため、黒猫である。
鍵を開けると、黒猫が頭をあげた。一瞬固まっていたが、空汰と翡翠であることに気付くと渋々牢から出た。三人は、牢から一番近い空部屋に入った。クロイの封じの腕輪を解くと、クロイは窮屈だったかのように背伸びをした。
「やっと、出られた。あそこ最悪だろ」
空汰は苦笑を浮かべ、大きな窓から外を眺めていた。翡翠は面倒くさそうに部屋にあった椅子に座った。
「知らなかったんだ。クロイが牢に閉じ込められているとは」
「そうかよ。ま、俺は妖長者様を殺そうとしたやつですから~、殺されても仕方ありませんけど」
「落ち着きなよ、クロイ」
「で、一体何の用です? 俺を殺す? もしかして解放? どちらにしても、俺は不幸ですよ」
「死ぬよりましだろう?」
「そういえば、陛下のお名前を聞いていませんでした。そこに座っている方は妖長者の印を感じられませんが、あのときの翡翠様ですよね?」
翡翠はクロイに分かりやすいように、森で出会った時の姿に変えた。
「俺は、スカイという名で通している」
「スカイ。ということは本当の名ではないのですね」
「ごめん」
「ま、構いませんけど。それで、スカイ様、俺をどうするおつもりです?」
「解放しようと思っている」
「……俺にあの集落に戻れと言っているのですか?」
「まさか」
「では、俺に放浪人になれと? 森を下級妖同然に彷徨いながら生きろと?」
「違う」
「では、陛下は何を御考えですか?」
「行く場所がないのなら、ここで働かないか?」
「働く? どこで? 誰が?」
「クロイがこの妖長者の屋敷で」
「俺は前に言いましたよね? 貴族は嫌いだと」
「でも、俺らのことは信じてくれるんだよな?」
「まぁ、そうですけど」
「ここで、守護者として過ごしてみたらどうだ? 妖長者付になれば、長老も下手に手出しは出来ないし集落の者達も手は出せない。一番安全で自由に生きられる道だと思う」
「俺は貴族のイヌではありません」
「ではやめておく?」
「……陛下は意地悪ですね。俺に選択肢なんてないことを知りながら」
「まぁ、そうだな」
「いいですよ。貴族のイヌにはなりたくないけれど、陛下付なら貴方様に従いましょう」
「決まりだな」
それまで黙っていた翡翠が立ち上がった。
ほぼそれと同時にクロイは何かに気付いた。瞬時に空汰に飛びつく。
「陛下!」
「え!?」
クロイに押し倒されるのと同時に窓ガラスが割れ、一本の矢が飛んできた。見事というべきか最悪というべきか、矢は一直線に空汰を庇ったクロイの背に深く刺さっていた。
「クロイ!」
空汰が事態に気付いたときにはもうすでに遅かった。致命傷だった。
空汰はクロイの矢にあまり触れぬようにそっと抱え上げクロイの名を呼んだ。
「クロイ! クロイ! 大丈夫か!?」
スッと外を見るが、そこには誰もいなかった。
クロイがうめき声をあげた。
「ウッ……」
「クロイ!」
「は、ははっ……。守護者になる前に……ゲホッ…陛下を守ってしまいました……」
「クロイ……何で……」
「気づいたから……」
「何に!?」
クロイはフッと笑みを浮かべた。
「俺……フィリ…ッツ……」
クロイが力尽きたのを見て、空汰はクロイの名を呼んだ。しかし、その呼び声に答える声は無かった。
悲しみもある中、二人はクロイの最期の言葉に動揺を隠せないでいた。
クロイが最期に発したその名は、まぎれもなく、フィリッツその者だった。