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凡人の奔走

 さて。洛陽に到着した袁家ご一行である。歓迎の宴が何進主催であるのだが、それまでにしておかなければならないことがある。

 逆根回しだ。

 宴の場でうっかり馬騰さんなり何進大将軍が俺と馬超の婚姻の話題でも出したらそれはもう正式な打診になってしまう。

 これから手を携えて十常侍と対しなければならないというのに、いきなりお断りで空気を悪くすることになりかねん。

 というわけで俺はBダッシュで駆けまわったのだ。無論蒲公英こと馬岱にも同行してもらうのだ。


「ごめんなさーい、たんぽぽ先走っちゃったー」


 てへり、と悪びれないこいつの神経が羨ましい。が、俺一人で事情を説明することを思うと、随分とスムーズに話は進んだ。

 如才ないというか、コミュ力が凄いというか。俺が言葉に詰まるような袁家内部の事情についても適当に話を誤魔化してくれるというファインプレーを幾度も。

 まあ、最初に大失策してくれやがったので差し引きゼロ評価なのだがね。

 そして、何進大将軍はニヤニヤと、馬騰さんは心底残念そうに縁談については触れないことを確約してくれた。


「いやしかし残念だな。良縁だと思っていたのだが、事情がそうなら仕方あるまい。

 まあ、これで話が終わったわけではない。気が変わったらいつでも言ってくれ。馬家は君を歓迎しよう」


 満面の笑みの馬騰さんに何と応えたものか。いや、むしろ俺に対するその高評価はどっからくるのだよとか思うくらいに好意的なのだ。無論、馬騰さんほどの武人に評価されるのは嬉しいんだけどさ。


「でもたんぽぽびっくりしたなあ。何進さんまであんなに乗り気だったってさ!」


 道すがらに蒲公英がしみじみと言う。俺もそう思うよ。

 まあ、馬騰さんを立てたのと、なんか愉悦的なものを感じたんだろうけど。


「何を評価してもらったのかは知らんけどな」

「でも、本当にごめんなさい!」


 間髪入れずにぺこり、と頭を下げる。ぴょこんと一つにまとめた髪が跳ね上がる。

 快活な彼女が心底申し訳なさそうにしていたら、それ以上なんも言えない。そして、だ。


「いや、却ってよかったかもしらん。いきなり宴席で話を振られたらどうしようもなかった」


 偽らざる本音である。それに何進とか馬騰さんが袁家首脳陣に対する縁談を自粛したならば、有象無象からのそういう雑音は排除できるだろうし。


「でしょー?たんぽぽもそう思って前もって、あ痛!」

「調子に乗るなって」


 なにこの子むっちゃメンタル鋼なんですけど。うらやましいわ。


「あくまで結果論だからな、そこのところを認識しといてくれ」

「はーい」

「返事はいいんだよなあ」


 にひひ、と笑う蒲公英を見ていると苦笑とため息が生産される。

 そんな俺の表情なんぞ関係なしに楽しそうに言葉を紡いでいくのを見ると、まあいいか、と思ってしまう。


「でもでもー、聞いた話がほんとならさ。やっぱりお姉さまとの婚姻は難しいって感じー?」

「んー、俺が袁家を離れるわけにはいかんしな。ま、無理だろうよ。

 馬超殿も涼州を離れることはできんだろうし」

「そうなると、本当に無理なんだー。

 ちぇー、残念ー。姉さまがどんな顔して許嫁と会うのか見たかったなー」

「そいつは残念だったな」


 だが、袁家と馬家の結びつきという点で考えると悪い手ではない。いや、妙手と言ってもいいだろう。

 北方より絶えず侵入を繰り返す匈奴。

 それを防ぐ防壁となっている袁家と馬家。この二家が組むというのは実に有意義なのである。婚姻という形は非常に有用で望ましいものである。


「残念ー。でも叔父様は二郎さまを諦めてないと思うなー」

「とは言っても現状ではどうしようもないだろうよ」


 仕方ないね、と言う俺に蒲公英はにひひ、と笑う。


「そうでもないよー?」

「ん?」

「たんぽぽが嫁ぐって線もあるしー」

「ぶは!」


 何を言ってるのこの子。つか、ここぞとばかりにすり寄ってくるなって。また話がややこしくなるだろうがばかやろうこうのやろう。


「お前なあ、婚姻自体がすでに難しいって言ってるだろう」

「んー、だからたんぽぽは妾でも……情婦だっていいんだよ?

 子供さえ授かっちゃえばこっちのものだしー」

「こっちってどっちだよ……

 つか、姪御を妾にとか馬騰さんが許さんだろ」


 それはどうかなー、とほくそ笑む蒲公英。

 つか、なんでそんなに乗り気なのさ。


「えー?だってさ。お相手にはさっさと目を付けとかないとねー。

 いつ死んじゃうか分からない身だしー」


 さらり、と述べた言葉に黙り込む。そう、この子もすでに匈奴と矛を交えているのだ。歴戦なのだ。

 自分がいかに過酷な時代に生きているか。

 つい袁家領内の平和にかまけてそのことを忘れていた。


◆◆◆


 さて、蒲公英と別れ、対外的な処理をした後はそう、内部の調整である。

 その、つまり、なんだ。ため息を一つ吐いて歩を進める。

 俺に気づいた侍女が声をかける。


「袁紹様、紀霊様がお見えです」

「お通ししてくださいな」


 入室を許されてほっとしたよ。出入り禁止とか言われたらどうしようかと思った。


 入った室。麗羽様はまあ、機嫌がよさそうには見えない。いや、むしろ悪いよ。そらそうよ。


「皆、下がりなさい」


 俺が口を開くより先に麗羽様が人払いをする。まあ、みっともない言い訳やらをせんといかんからこれはありがたい。

 室内には俺と麗羽様の二人っきりになる。

 つーんと明後日の方向を向いている麗羽様に、さて、なんと言って声をかけたものか。

 沈黙が金とか嘘だぜ雄弁な銀の方が値打ちあった時代の格言だもの。


「あー、麗羽様。その、怒ってらっしゃいます?」


 ちらり、とこちらを向いて口を開いてくださる。


「ど、う、し、て。ええ、どうして二郎さん。二郎さんは、わたくしが怒っていると思われるのです?」


 いや、怒ってるじゃん。とも言えず。


「いえ、その、何といったものか……。

 ご、誤解なんですってば」


 我ながらなんだろうこの、浮気がばれた的な物言い。


「聞いておりませんし知りませんわ」

「いえですからあれは先方が勝手にですね」

「自分で言ってて苦しいとは思われません?」


 ぐうの音も出ない正論ではある。だが、わが身は潔白なのだからして認める訳にはいかんのですよ。


「一言もございません。

 ございませんが事実です。ほんと、馬騰殿が暴走しただけなんですってば」


 ジト目で俺を見やる麗羽様。そりゃ普通はそんな話が出るってことは俺が賛同したと思うわなあ。


「んー、その、参ったな」


 マジで涙目な俺である。どうしよう。解決の糸口が見えない。


 ええと、女性の機嫌を取るにはどうしたらいいんだっけか。

 そうだ!プレゼント作戦だ!って麗羽様ものっそいお金持ちじゃん手に入らないものなんてほとんどないじゃん。

 知りません、とばかりにまたあさっての方向を見ちゃってるし。これはお手上げ案件である。困った。


「ええと、その、勘弁してくださいよ。

 麗羽様にそんな冷たくされたら、ぶっちゃけた話。本当に辛いです」


 ちらり、とこちらを見やる麗羽様に続けて言う。


「その、勘弁してくださったら何でも言うこと聞きますから」


 もうどうにでもなーれ、の気分である。こんな針のむしろ、いっそ死ねと言われた方が気楽だ。


「今。何でも、とおっしゃいまして?」


 早まったかなあ。でもこれしか思いつかんかった。


「ええ、何でも、です」

「何でも、ですわね?」

「はい、何でも、です」


 念押ししてくる麗羽様。

 ……ここで逡巡してはならない。たとえ広げ過ぎた風呂敷でも、だ。


「ふふ、何をお願いしましょうかしら」


 楽しげに麗羽様が呟く。今の俺は俎上の鯉である。どんとこい。

 ……どんとこーい。


「嫌ですわ、二郎さん、そんなに緊張なさって。そんなに無体なことをお願いすると思ってますの?」

「い、いえ。そういうわけじゃないんですが。そりゃ緊張もしますよ」


 俺の言葉にくすり、と。今日初めて笑顔である。


「そうですわね、特に今はしてほしいこととか思いつきませんし。

 ……また今度にしましょう」


 くすり、と艶やかな笑みでそんなことを言う。生殺しですねわかりますん。

 しかしまあ、この場をなんとか乗り切ったということでよしとせねば。

 内心胸をなでおろす俺に麗羽様が話しかける。


「……ほんとは、本当は。分かってますのよ」

「へ?」

「今回のこと、咎めるとすれば勝手に縁談を進めたこと、でしょう?

 でも、それが誤解と分かれば二郎さんを責めるのは筋違いなのですわ」

「はあ、そりゃまあ……」


 この展開は予想外、である。呆けたような俺の声に構わず麗羽様は言葉を続ける。


「ですから。ですからこれは八つ当たりにすぎませんの。

分かってはいるのですけれども、いけませんわね。

 本当は最初からそう言うつもりでしたのに……。

 二郎さんのお顔を見たらどうしても抑えきれませんでしたの」


 ぽつり、ぽつりと話す麗羽様。

 むう。


「私情を持て余して……。当たり散らして。

 これでは二郎さんに呆れられても、文句は言えませんわね」


 自嘲気味に呟く。どことなく儚げで、瞳も潤んでいる気がする。

 俺はそんな麗羽様を軽く抱きしめる。

 麗羽様も、そ、ともたれかかってくる。その重みが、あの頃と比べて増した重みが、嬉しい。愛しい。

 麗羽様の耳にささやく。


「あー、その、麗羽様がわがままで甘えんぼうなのは昔からなので、俺は別に、なんとも。

 冷たくされるのに比べたらどってことないです」


 俺の言葉にまあ、と声を上げる麗羽様。


「そんなこと言ってよろしいのかしら?わたくし、これでも一杯。たくさん我慢してますのよ?」

「どんとこい、ですよ。まあ、その、できれば無理のない範囲で」


 その言葉にくすり、と笑う麗羽様。


「そうですわね、でしたらしばらく、このままでよろしいかしら」

「お安いご用です」


 ちっちゃい頃のように軽く頭を撫でる。

 くすり、と。

 微かな笑みと共に麗羽様がより、近くなる。


 そして俺が室を辞するまでの半刻の間、言葉なんて、いらなかった。

 肌のぬくもり。それがすべてを覆っていった。

ん?今。

なんでもするって言ったよね?

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