凡人と幼女たち
――さて、幼女とは些細なことで衝突をするものである。そしてあっけらかんと仲直りすると相場は決まっている。のだが。衝突する幼女が背負うものによっては周囲の胃袋はストレスで胃がマッハである。
つまり眼前で繰り広げられる口論に俺のsan値が直葬されそう。
「もう!知らない!だいきらい!」
「アタイだって姫のことなんか、だいっきらいだ!」
売り言葉に買い言葉ですね分かります。ってどうすんだこれ・・・。本人たちが後日和解するにしてもお付きの人員とかのメンタル、洒落にならんでしょ。俺とか豆腐メンタルなんだぜ。
斗詩は猪々子を宥めながら、ちら、とこちらに目礼して猪々子を連れて出て行く。任せましたと言わんばかりの信頼に溢れた視線が痛い。どないせいと。
・・・説教なんて柄じゃない。でもただまあ、ほったらかしにしとくのも、なあ。ほっといても平気な気もするが、長引くと周囲がいらん邪推をするし、こじれたらかなわんからなー。ここは介入の一手しかあるまい。と決意する。損な役回りだぜ、と言ったら後日張紘に苦笑された。赤楽さんには舌打ちを頂いた。
解せぬ。
夕餉と入浴もそこそこに麗羽様は布団という絶対防衛ラインを崩そうとしない。他者の介在を拒むそれはまさにATフィールド。そりゃ近侍とかは何もできないわ。だがしかし、である。将来の袁家統領とその筆頭武将の不和なんて俺が看過できるわけもない。介入するべし、である。
めりょ、と布団をめくってやる。何かじたばたと抵抗があったが営業トークで排除の一手。そして後ろから麗羽様を抱きしめる。もとい、拘束する。ん、逆か?
「じろー・・・」
むっすりとしていた麗羽様の態度が大幅に軟化している。おこちゃまとは言え地頭はものっそい聡明なのだ。そりゃあ袁家に付き従う武家四家。その筆頭たる文家の次期当主(見込)との関係改善については思う所があるのだろう。
「はいな、二郎ですよ」
それでも思う所はあるのだろう。ぶすっとして呟くのだ。なにこのかわいいいきもの。
「わたし、悪くないもん」
力いっぱい自分の正当性を主張する。確かにささいな言葉の行き違いから発展した案件だからして、どっちが悪いとかはこの際どうでもよかったりする。まあ、とりあえず俺としてはこの涙目な麗羽様をどうするか、だ。
「だって、大嫌いっていっても、そんなこと思ってないって わかってるはずなのに」
あー、取っ組み合いになるきっかけはそれだったなあ。ふと、じたばた暴れる――俺からしたらか弱いものだが――麗羽様を抱く手をほどき、正面から向かい合う。むす、としている麗羽様の耳元で優しく囁く。
「実は俺、麗羽様のこと、嫌い、なんですよ」
麗羽様の目が大きく見開かれる。最初に混乱。そして何を言われたかを理解し、そしてまたパニックところころ表情が変わる。
見る見るうちに表情が歪み、ぱっちりとした双眸に大粒の涙が溢れてくる。
「え、じ、じろー?うそ、でしょ・・・?」
「ええ、嘘ですよ」
「え、あ、ぇ?」
「勿論俺は麗羽様のことが大好きですよ」
「な、え?え?」
混乱しているのだろう。ずびずびとむずがる麗羽様を抱きしめ、頭を撫でる。
「この二郎が麗羽様のことを嫌いなわけないでしょう?」
「で、でもきらいっていったもん!」
そう、放った言葉を取り戻すことはできないのだ。よしよし、と頭を撫で繰り回しながら囁く。
「麗羽様、言葉というものはね、思ったより大きな力を持ってるんですよ?」
「――!」
「だから、ね?大好きな相手には、きちんと言葉にして伝えないと」
「ぅ・・・」
「時間が経つと、仲直りしづらくなりますよ?」
「・・・うん、わかった。
でもじろー?ほんとにわたしのことすき?」
上目遣いでおそるおそるといった風で麗羽様が聞いてくる。双眸に溜まっていた涙は絶えず流れ落ち、頬を濡らす。俺に問う声も震えて、嗚咽混じりである。む。これはやり過ぎたかもわからんね。ここはフォローの一手である。
「何度でも言います。麗羽様、大好きですよ」
ぎゅっと麗羽様を抱きしめる。すがり付いてくる麗羽様にちりちりと良心が痛む。いや、これほんとにやりすぎたなあ、と。
「ほんと?ほんとにほんと?」
「ええ、ほんと、です」
「じろーがわたしのこときらいだっていった時ね、胸のおくがきゅっとして、泣きだしそうになったの」
麗羽様を抱きしめる腕に力を込め、耳元で囁く。
「麗羽様、大好きですよ」
それでも、びすびす、と嗚咽を抑えきれない麗羽様の可愛さが俺の中でストップ高である。
「ほんとにほんと?」
「勿論ですとも」
「だって・・・」
それでも、ぷう、と頬を膨らまして思いのたけを吐き出す麗羽様がとてつもなく、いとおしい。この思いが通じたらいいのにな、と思いながらひたすらに耳元で謝罪と甘やかしの言葉を囁く。
「じゃあ、言うことひとつきいて!」
「仰せのままに」
「今日は朝までいっしょにいて!」
それは不味かろう。流石にそれは各方面から睨まれている視線が更に厳しさを増す気がするのではあるが。
「言うこと聞くっていったもん!」
「そうでしたね」
癇癪を起した体で、その実俺の反応を不安げに見る麗羽様を見るとなー。まあ、仔細についてねーちゃんと師匠にソッコー報告しといたら何とかなる。と思う。どっちから行くかについては深く考えないようにしようそうしよう。
「でね、ずっと大好きって言ってね?わたしが眠るまで」
「ええ、承知しました。二郎は麗羽様が大好きですからね。お安い御用ですとも。まあ、麗羽様より先に寝ちゃう可能性もありますけどね」
「じょうじょうしゃくりょうはするから安心していいからね!」
ぺったんこな胸――袁逢様の胸部装甲を見ると将来性はあると思う――をそらせて麗羽様は笑う。その屈託のない笑顔を、俺は大切にしたいと思う。
翌日、きちんと仲直りをしている幼女を見ながら呟く。
「子供ってすごいなあ」
「どうしたんですか?」
不思議そうに陳蘭が問いかけてくる。
「いやー、すぐ仲直りできるってすごいな、と」
「ああ、昨日の喧嘩は激しかったですもんね」
子供の特権。あんなに激しく喧嘩してても今泣いたカラスが、って感じである。俺がなんかせんでもよかったんじゃないか、と思っていたのだが。
「アニキー!」
ドゴォ!という勢いで飛びついてくる猪々子を抱きかかえてやる。流石有名武将。幼女とは言えじゃれてくるのをあしらうのもそろそろ一苦労である。地味に肋骨が痛い。
「ありがとな。姫とすんなり仲直りできたよー」
それに対して何か恰好いいことを言ってやろうと、キリッと表情を整えている間に俺の双の腕から離脱完了である。麗羽様と斗詩に向かって駆け出し、三人でキャッキャウフフとしている。
うーん、この。いや、まあいいんだけどさ。
それはそうと今日も今日とて鍛錬である。固定値は裏切らない。身体をいい感じに痛めつけて疲労困憊コンバイン。目指すは湯殿。そう、孤独で、だからこそ救われるような。そんな入浴で俺の鍛錬は完結するのである。
そんなルーチンを淡々とこなすはずだったはずなのだが。
「そりゃー!」
俺の声にきゃあと嬉しげに声をあげる麗羽様に遠慮なく湯をぶっかける。どしゃ、とな。怒涛の水流。かーらーのー洗髪である。俺なりに麗羽様の頭をごしごしと洗う。
はい、麗羽様をお風呂に入れています二郎です。まあ、湯殿への道でインターセプトされたからね、仕方ないね。「お風呂?じゃあいっしょにはいるー」と言われたら「はい」か「yes」で応えるしかないじゃない。
――麗羽様の御髪とか、本来はものっそいトリートメントとかせんといかんのだろうなーと思うのだが俺にそんなスキルはない。構わずに光輝が顕現するような金色の髪の毛を、わしゃわしゃと遠慮なく洗う。
てきとーな俺の洗髪が新鮮なのだろうか。割と麗羽様は俺に髪を洗ってもらいたがる。いいのかなあ。痛くないのかなあ。
「よーし、目をつぶってー」
「つぶったよ!」
「どっせい!」
「きゃーっ!」
ざばばんと頭からお湯をかける。どばっとかける。遠慮なくかける。それに無意味にはしゃぐ麗羽様。うむ。ここからが本番である。
「溺れたら、め!ですからねー!」
「きゃー!」
喜色満面な麗羽様を広大な湯屋に放り投げる。捻りと回転を加えるのがコツだ。絶叫系の娯楽施設であるかのごとく、その軌道が過酷であるほど麗羽様の満足度は高まる。それはそれでどうなのよ。
ぶくぶくと沈み込む麗羽様を回収するのも俺なのだからまあ、いいとしよう。
でもまあ、こんなに乱暴に扱うのも俺くらいなもんだろうな。故に楽しく感じるのだろう。お風呂だけではない。かなーり俺にべったりである。
・・・十年後はともかく、幼女の裸体に欲情する性癖なんぞはないから何も問題ないし、無邪気にはしゃぐ麗羽様を見ているとそれだけで癒されるというものだ。
「ふあぁ・・・」
「そろそろのぼせてきましたか?」
「もうちょっとー」
そういって麗羽様は俺におぶさってくる。これはのぼせてきたがまだ上がりたくないというサインだ。中々にお風呂好きの幼女である。だが脱水症状で倒れられても困るのでそのまま湯船から出る。
「あー、じろーのいじわるー。まだ入ってたいのにー」
「俺がそろそろ上がりたいんですよ。それとも一人で入ってます?」
「うー。じゃあいい。のども渇いたし」
「じゃあ、後でお水もってきましょか」
「うん、まってる!」
満面の笑みはまさに太陽のように光輝を放つ。その光輝にあてられて、まあなんだ。この方のためならばと普通に思っちゃうのは仕方ないよね。これが天性のカリスマってやつだな。ほんと、将来が楽しみである。
「ねえ、じろー」
こくこくと冷やした蜂蜜水を飲みながら麗羽様が俺に問いかけてくる。
「ほいさ」
「じろーは、ちゅうってしたことある?」
ぶほ!
錯乱ボーイに何を言うのだこの幼女は。つかその意味分かってないでしょぉ?
「は、はあっ?」
「んーとね、母上が言ったの。寝る前に大好きな人に
ちゅうをしてもらったら怖い夢を見ないって」
「は、はあ。と、言うと・・・?」
袁逢様、娘さんに何を吹き込んでるのですか。と内心でクレームの嵐である。
「でね、昨日ね、怖い夢をみたの」
ちょっと潤んだ目で上目遣いとか。効果が抜群すぎて困る。これ将来えらいことになるんだろうなあとか思いながら続きを促す。
「誰もね、いないの。かあさまも、じろーも、いいしぇもとしも、ちんらんも、でんぽーも。
周りに誰もいないの。ううん、いるんだけどいないの。だれも私をみてないの」
――聡い子だな。そう思う。それが幸せかどうかは微妙なところだが。知らないほうが幸せってこともある。袁家の跡取りであるから自分がちやほやされているというのを感じているのだろう。本当に、聡い。
「じろーはどこにもいかないよね?」
涙ぐむ麗羽様に俺は何と答えるだろう。どう応えられるだろう。だが、俺が頼りとばかりに縋り付く麗羽様。・・・思えば袁逢様の意向で交換した真名。だがそれはきっかけだ。俺は、俺の意思で麗羽様を守りたい、と思っている。
「どこにも行きませんよ。お側にいますよ」
「うん、そうだよね・・・」
まだどことなく不安げな麗羽様。それがとても心細そうで、寄る辺なさそうで。
「きゃ?」
俺は麗羽様をぎゅ、と抱きしめる。
「二郎はここにおりますよ。ね?」
「ふぁ、あ、うん。じろーはいるね。わたしのそばにいるね。じろーをかんじるよ・・・。
もっと、もっとぎゅっとして?おねがい・・・」
無言で俺はさらに抱きしめる力を強める。おそらく苦痛を感じてしまうだろうほどに。
「じ、じろぅ・・・」
「いらない、と麗羽様が言われるまでお側にいますよ」
「いらなくなんて、ならないよぅ・・・」
潤んだ目で麗羽様が俺を見上げてくる。袁家、というバックボーン。それは光も闇も内包している。それはどこまでこの、聡い子の心を責め立てたのだろう。抱きしめる腕の力を込めるほどに嬉しそうに顔を綻ばせる。
「すん・・・」
感極まったのか、麗羽様の双眸から涙が漏れてくる。
「麗羽様・・・」
「じろぅ・・・」
そっと、その双眸に唇を寄せ、涙を吸い取る。
「ぁ・・・」
続いておでこに唇を寄せ、頬に口付ける。
「俺がお側におりますよ」
「ん・・・」
きゅ、と麗羽様が俺にすがりついてくる。潤んでいた目と、ぐずりつつあった鼻を押し付けてくる。何かをごまかす様に。
「あ、ありがと。じろー、だいすき!」
「俺も、ですよ」
「うん。ずっとだいすき!だからいつもみたいに、お話、して?」
今泣いたカラスがなんとやら。ああ、麗羽様には笑顔が似つかわしいなあ。そしてその麗羽様がリクエストをしてくれる。
「いいですよ。――むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんがいました。
おじいさんは山で雌竜を狩りに、おばあさんは、川で雄龍を狩りにでかけました・・・。
おじいさんは大鎚、おばあさんは双剣を得物としていました・・・。おじいさんは罠を仕掛けて・・・」
「くー」
安らかに寝息をたてる麗羽様。安心しきって幸せそうなその寝顔。誓いを新たにする。三国志なんて、やらせはしない。
麗羽様のヒロイン力が・・・上がっていく・・・?