絡新婦の意
「んじゃちょっと行ってきますわ」
「はいはーい、お気をつけてー」
単身、袁家ご一行から離脱する俺である。愛馬である烈風にまたがり、出立はこれから。
見送るのは七乃だけである。
麗羽様たちは洛陽に向けて先行してるし、美羽様はちょっと拗ねちゃってるらしい。
旅支度については、いつものように陳蘭に任せてるから問題ない。
「冷えてきましたし、行き倒れたりしないでくださいねー」
「おうよ、あんがとな。
美羽様のことを頼むわ」
まあ、多少回り道で道草食っても洛陽周辺で合流できるはずである。
「お任せくださいなー。
でも、ちょーっとだけ待ってくださいねー?」
「ん?いいけど」
美羽様の馬車に歩を進め、何やら話しているようだ。
と、しばしして美羽様が出てきた。
七乃にだっこされ、こっちに近づいてくる美羽様である。涙目である。
うん?なんで涙目?
「ほらほら美羽様ー、二郎さんに言いたいこといっちゃえー」
なんじゃそりゃ。と思ったのだが。
「じ、二郎のあほー!
どことなり行ってしまえばいいのじゃー!
う、う!」
叫ぶと、今度はぐずり始めた。
え?ええと。
大音量でむせび泣く美羽様を見て下馬し、近づく。
七乃の胸に縋り付く美羽様を引きはがしてだっこする。そして抱きしめて耳元でささやく。
「美羽様。ちょっと寄り道するだけです。ちゃんと帰ってきますから」
逆効果であったでござる。
べそをかく美羽様が更に音量を上げて……わんわんと声を上げて泣き出す。
「あららー、いけないんだー。
美羽様泣かせちゃってー」
嬉しそうに七乃が俺を責めたてる。いや、ここまでぐずられるとは正直思ってなかった。
ってほんとに嬉しそうだな、七乃よ。
おっかしいなあ。俺、幼女の扱いには自信があったんだけどなあ。
「あの、美羽様?」
「ぐすっ。
知らんのじゃ。二郎は妾のことなんてどうでもいいのじゃ」
「んなわけないですってば」
「嘘じゃ、嘘じゃ。
二郎は口ばっかじゃ」
困ったな。
ちら、と七乃を見ても助け船を出してくれる様子はない。
……だから何でそんなに嬉しそうなんだよお前。
「嘘じゃありませんよ」
俺の言葉にツーンとしながら、縋り付いてくる美羽様。
困ったなあ。
聞き分けのいい美羽様にしては珍しい。
「そうだ、俺が戻ってくるまで、俺の大切なものを美羽様に預けましょう。
絶対戻ってくる証拠に、ね?」
じ、と上目づかいで俺を見つめてくる。
涙と鼻水でくしゃくしゃだが、可愛らしいことこの上ない。
将来は美人さん間違いなしだな。流石は袁家の血筋やでえ。
「三尖刀です。美羽様にお預けしますので、俺が帰ってくるまでよろしくお願いしますね」
その言葉に美羽様の目が丸くなる。
「三尖刀じゃと?し、しかしそれは……、紀家伝来の宝貝であろうに」
「帰ってきますから、ね?」
俺の言葉にこくり、と頷く美羽様。
だっこしてた美羽様を地面に降ろし、その手に三尖刀を預ける。その重さにたたらを踏むも、必死に支え、踏みとどまる。
七乃が気を利かせて代わりの剣を差し出してくる。
あんがとね。流石に丸腰じゃやばいからね、多少はね。
「んじゃ、行ってきますね」
馬上から二人に挨拶をする。
「は、早く帰ってくるのじゃぞ!
三尖刀を妾が失くしてしまっても知らんぞ!」
「というわけなのでとっとと用事を済ませて合流してくださいねー」
二人の言葉に軽く苦笑し、馬に出発を指示する。
一生懸命に手を振る美羽様と。薄く笑い、軽く手を振る七乃を置いて。
俺は前を向き、歩を進めるのであった。
◆◆◆
一生懸命に二郎さんを見送る美羽様。本当に可愛いなあ。
張勲は笑みを深める。あの男が地平の彼方に消えるまで手を振り続ける主君を優しく見守りながら愉悦に浸かっている。微小な妬心と共に。
「七乃ぉ、二郎は帰ってくるじゃろうか……」
心細そうに呟く主君に緩む頬を引き締める。三尖刀を握って離さないのが実に健気である。
……再度頬に力を込める。
「だいじょぶですよー、二郎さんは帰ってきますってー」
普段聞き分けのいい主君にしては珍しいなあ、などと思うのだが。
「母さまみたいに急にいなくなったりせんかの?」
不安げな目。そしてその目を見て思い至る。だから、優しく抱きしめる。
ただ一つの縁である三尖刀ごと抱きしめながらささやく。
「大丈夫ですよ。二郎さんも私も、お側におりますから」
きゅ、と抱きついてくるのがいじらしい。
「二郎と、七乃と、麗羽姉さまと。
みんな一緒がいいのじゃ……」
ぽつり、とつぶやくその声。その儚げなそれ。張勲は誓いを新たにするのだ。
ええ、ご安心くださいな、と。
この身は美羽様のためにこの世に生を受けたのです。きっと、きっとその願いを叶えて差し上げましょう。
立ちふさがるものはきっと蜘蛛の糸に絡まれ、毒に沈むでしょう。
ですから、今宵は心安らかに。
「おやすみなさい」
いつしか腕の中で眠りに落ちた主君に優しく囁く。
そして、虚空に目を向ける。
思うのは、一人の青年。
蜘蛛の糸に絡まりながらも上を、前を向いて歩こうとする青年。
その歩みを、冷ややかに見ながら。目が離せないという状況。きっとそれは愛する主君の執着が故である。
切り捨てる。排除する。張勲はその選択肢を除外せねばならないだろう。
「困ったなあ。父様の思惑とは違ってきたなあ。これは……割と困っちゃったなあ……」
呟く張勲は、変わらずに笑みを張り付けているのであった。




