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巨星の堕ちた後で

 袁逢様が薬石の甲斐なく、逝ってしまわれた。

 いや、それは違うな。

 元々美羽様の出産が無事だったことすら奇跡だったのだ。

 朝議に顔を出されることもなく。ご尊顔を拝すこともなく。

 実務は麗羽様が執られ、田豊師匠がそれを助ける。そう、いらっしゃらないのが当たり前の状況ではあったのだ。

 それでも。

 それでも袁逢様がご存命というのは大きかったのだな、と痛感する。


 若くして袁家を継がれ、三公を歴任された。

 不穏な領内に戻っては癖のある四家当主、「不敗」の田豊、名将麹義などの人材をまとめあげる。


 匈奴の侵攻においては陣頭に立ちこれを撃退。甚大なダメージを負った袁家を戦後も支え続けたのだ。文字通りその心身を削って。


 俺自身も思う所がある。

 色々袁家で好き放題させてもらえたのも袁逢様の後ろ盾あってのことだし……。これでも恩義は感じているのである。


 改めて、袁家への忠誠を誓う俺だったりするのだ。いや、受けた恩だ。返さんと落ち着かないし。


「なあ、陳蘭」

「はい」

「頑張らんといかんな」

「はい……」


 何を、とは言わないしその必要もない。

 これからは俺たちが袁家を背負っていかないといけないのだ。田豊師匠もねーちゃんもいつまでも現役ってわけにはいかんし。


 新たな屋台骨として、頑張らんといかん。……俺なりにだが。

 それが好き勝手さしてもらったことに対する恩返しだろう。そう信じる。


 きゅ、と握られた手を強く握り返す。


 そして誓うのだ。袁家への忠誠、そして平穏を。


◆◆◆


  葬儀は粛々と進んでいく。

 誰もがその死を悼み、失ったものに思いを馳せる。かつて戦場を共に馳せた戦友、政にて補佐した者たち。それぞれが改めてその存在の大きさを感じている。

 だが、後継たる袁紹はすでに袁家の実務を担い、文武の両翼の田豊、麹義は健在である。

 ……たとえ彼女が横死しても袁術という後継もいる。

 四家においてもすでに後継は定まり、袁家を支えるであろう。


 だが、今はただ偉大な故人を悼もう。


「というのが今回の葬儀の筋書きというわけですね

「口に出すな、不謹慎だろうが」


 裏方は俺と七乃である。共にまだ当主じゃねえからな。とーちゃんも久しぶりの公式行事であったりする。


「ああ、哀しみにくれる美羽様可愛いなあ。

 ぷるぷると震えて、涙が零れて、それでも健気に責を果たされてる美羽様可愛いなあ。

 ねえ、二郎さんもそう思いません?」

「あのなあ……」


 こいつが袁逢様の死に何も感じてないのは理解した。

 まったく……。


「まあ、いい具合に盛り上がってますよー?」


 俺の苦言にまったく反応せずに、笑みを浮かべたまま……やめてこういう場で耳とか舐めないで誰かに見られたらどうするの。


「っ。……何がだよ」

「袁逢様の死に紛れて色々画策してるみたいですねえ。

 まったく、こんな時期こそ監視が強まるとか分からない低能が多いですねー」


 ちなみに、あれやこれや俺にちょっかいかけてる七乃なんだが。内勤の処理速度では俺より上なんだよなあ……。それもはるかに。


「釣れたか」

「釣るも何も、網に。大量にかかってますよー」


 大漁です、と言われてもリアクションに困るんだがねえ。


 ……袁逢様から麗羽様への権力の移譲の空白期間にあれこれしようとする奴らは想定していた。のだが。

 だがまあ、実務面ではすでに麗羽様が運営している。だからそこまで蠢動もないかと思ったんだがなあ。


「とりあえず泳がせて背後関係だな」

「はいはーい。よ、この黒幕気取り!てぬるいぞ!」

「看過できないようなら処してもいいけどね……」


 まあ、七乃の千変万化な毀誉褒貶についてはもう、いいや。いちいち構ってられんよ。ああ、暗殺される前に警告くらいはくれると信じたいものである。

 そんな俺の心を読んだのか、いつになくしおらしいのだ。


「ひどいおっしゃりようです。そんな、私は二郎さんの御心のまま、ですのに?」

「そうかい」


 あー。

 俺に手を汚せってことだよねそれは。目線だけでそう言うとにっこりと笑ってくれる。


「ほんと。いつか俺はお前に暗殺されるんだろうなって思うよ」

「やですねえ。美羽様がそれを望まない限りはないですよー」


 即答。

 凄味などない普通の薄っぺらい笑顔。その顔を見て安心するやら戦慄するやら。俺の心は山あり谷ありである。


◆◆◆


「はー、疲れたなあ」


 ため息をつきながら東屋で酒を呷る。いや、疲れた。色々と。

 何か、無駄な気苦労も背負った気がする。


 空には満月。

 なんとなくまたおセンチな気分になりそうでさらに酒を呷る。

 これは泥酔して眠るのが得策ですねえ……。

 と思っていたのだが。


「あら、二郎さん。どうしましたの」

「いや、なんとなく呑んでます。

 むしろ麗羽様こそどしたんすか」

「いえ、少し眠れなくて……」

「あー」


 まあ、ねえ。

 それだけじゃないわなあ。ほかならぬ袁逢様の、なあ。


「ここは冷えるし俺の部屋に行きましょう。

 つまむものとかもありますし」

「いえ、別にお腹は空いてませんわ」

「いや、酒しか持ってきてなくて俺が小腹へったな、と」


 多分今日はなんも食べてないだろうしなあ。おつまみ程度でも口に入れた方がいいだろうて。


「ふふ、ではお付き合いしますわ。

 お酌くらいはしてあげますわよ?」

「あら嬉しい。

 そこらの安酒が天上の美酒になっちまいますね」

「もう、二郎さんは調子がいいんですから」


 よしよし。なんとか麗羽様のご機嫌が上向いてきたぜ。


「いやいや。

 麗羽様のお酌で酒を飲めるとか、羽化登仙間違いなしですってば」

「そんなにお高くとまってるつもりはないんですけど?」


 くすり、と漏らす笑みにちょっと安心する。


「いやまあ、つまり嬉しいってことですよ」

「最初からそうおっしゃってくださいな」

「たは、これは申訳ないっす」


 なんかねー。

 麗羽様とこう、馬鹿トーク(俺が一方的に馬鹿)すんのも久しぶりな気がするなあ。

 そんなことを思いながら、俺の部屋に麗羽様をご招待するのであった。


◆◆◆


「まあ、散らかってますがどうぞ」

「ほんとに散らかってますわね……」

「麗羽様に嘘なぞ申しませんとも」


 えへん、と胸を張る俺。麗羽様からはじとり、とした目線をいただきました。だって最近忙しかったもの。

 でもまあ、そこまで散らかってないと思う。たぶんきっと、メイビー。


「あー、男の部屋ってこんなもんすよ」


 多分明後日あたりに陳蘭が掃除してくれるはずだし!


「そうですの?殿方のお部屋なんて見ることがないのでよくわかりませんわ」

「まあ、そりゃそうですよね」


 むしろ。麗羽様が男の部屋に入り浸ってる方が問題である。そんなの許しませんわよ!


「でも、雑然とした雰囲気が二郎さんっぽいですわね」

「ええと、けして誉められたわけではないというのは理解しました」

「ふふ、なんだか落ち着くということですわ」

「そりゃ結構なことで」


 気のない返事をしながら酒を用意し、適当なつまみを出す。

 豆を炒ったり、小魚を干したりしたものだから間違いなく麗羽様は食べたことがない。

 もの珍しそうに眺めている。


「ま、おひとつどうぞ」

「あら、すみませんわね」


 くぴ、と酒を呷る麗羽様。

 んー。


「今日はお疲れ様でした」

「ええ、二郎さんもご苦労様でしたわね」


 しばし沈黙が落ちる。

 ええい、めんどくさい。正面突破だ。


「麗羽様……」


 言葉を紡ごうとして、情けなく詰まる。そして詰まった俺に、また。

 くすり、と笑みを浮かべる麗羽様。


「いえ、いいんですの。

 お心遣いだけで。ええ、それだけで嬉しいですわ」

「いや、あのですね」

「いいんですの。

 わかってますわ。

 二郎さんや猪々子さん、斗詩さんがどれだけわたくしたちのことを思ってくれているか。

 今日はそれを痛感しましたわ」


 軽く苦笑する麗羽様。

 そんな顔は似合わないな、と思う。


「二郎さん。わたくしは上手く、ちゃんとできてましたかしら。

 袁家を背負う者として、お母様の死を悼みながらその職責を背負う。

 その役割を務められてました?」


 にこり、と精一杯の笑みを浮かべる麗羽様。その双眸に薄く湧く、それは真珠のようで。


「ねえ、きちんと凛々しく。華麗に振舞えてました?」


 その声が、僅かに震えていたのは錯覚ではなかったと思う。

 だから、俺は。麗羽様を抱きしめていた。


「い、いけませんわ、二郎さん。

 いけません。

 そんなことされたら、甘えてしまいます……。

 いけません……」


 震える背中を優しくさする。その震えが一層激しくなる。


「いけません……。

 わたくしは袁家を背負うのです。背負ったのです。

 ですから、泣いてはいけませんの。

 いつも笑顔で臣下を導かなくてはいけないのです。

 わたくしにはそんなこと、許されてないのです……」


 震えるその身体。

 そのあり様が、美しく、愛しい。そう、思う。


「確かに公私混同はいけませんね」


 その言葉に麗羽様は身を震わせる。そして俺から身を離そうとする。

 が、弱々しい力では俺の拘束くびきを解き放つことなどできない。


「じ、二郎さん……」

「いけませんね。

 今は私の時間です。

 お立場とか気にする必要はないのです。だって。ここには俺しかいません。

 俺のほかに誰もいませんよ」


 その言葉に。決壊する、思い。


「う、う!

 うー!

 お、母様!

 う、う!」


 嗚咽があふれる。

 それでも抑制されたであろうそれ。それを俺は優しく受け止める。

 そうだ。

 逝ってしまった人にはそれを悼む時間が必要だ。そしてそれは、生きている人間にこそ必要なことなのだ。


 そんな思いを込め、麗羽様を抱きしめる。ぎゅ、と抱き返してくるのが愛しく、哀しい。

 そう、こんなにも、麗羽様も俺も生きているのだ。


「俺がいますよ。猪々子も、斗詩も」

「いなくなったり、しません?」

「麗羽様がいらない、と言われるまでお側におりますよ」

「いらないだなんて、ありえません……」


 そう言ってぎゅ、と抱きついてくる。

 応えるように俺も腕に力を込める。


「二郎さん……もっと、もっとぎゅっとしてくださいな……。

 二郎さんを感じさせてください……」


 無言でさらに力を込める。


 はぁ、という吐息が痛ましい。


 安心した風に頬を俺にこすりつけてくる。その頭をなでながら、背中をぽんぽん、とたたいてあやす。


「じろうさん……」


 細く響く声が庇護欲をそそる。

 べそ、べそとすする声がか細くなっていく。そしていつしか、すぅ、という寝息に変わっていった。


 あー、ちっちゃいころから変わらないなあ。泣いて、抱きついて、泣き疲れて、寝て。

 一つ軽く苦笑を漏らして、麗羽様の額に軽く口づける。

 そして、俺もいつしか妖精の撒く砂にまぶたを閉ざされるのであった。

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