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凡人と焦がれる女 その二

「困りました~」

「お主が言うとまったく困ったように聞こえんのう」

「そんなことないんですけどね~」


 のほほんとした声に黄蓋が苦笑する。


「で、どうしたんじゃ」

「実はですねぇ~」


 陸遜は打ち明ける。

 なかなか紀霊に抱いてもらうところまで持っていけない、ということを。


「ちょっといい雰囲気になったことはあったんですけど~。

 誘ったら袖にされてしまって~。

 それまではおっぱいとか触ってきてたんですけどそれもなくなって~」


 これで陸遜は結構焦っているのである。紀霊篭絡というのは、公私ともに至上命題であるのだからして。


「ふむ、穏の胸を見てあやつが自重するとはのう」

「祭様はよくお尻とかも撫でられてるのに~」


 のほほんとした口調ながらもその内容に黄蓋は唸る。解せぬ、と。


「なんじゃなあ。あの助平が据え膳食わんとは意外なのじゃが」


 黄蓋とて木石ではない。

 これであの男――紀霊のことである――に恩義もあるので迫られたらまあ、一夜くらいは付き合ってもいいかな、と思っていたりもする。

 今のところ軽くちょっかいを掛け合う関係が続き、それが結構気に入っている。だから自分から仕掛ける気はないのだが。

 こういうのは自分から行ったら負けなのは世の定め。しかし、端から抱く気もないとすれば話は違ってくる。


「う~、どうしたらいいんでしょう~」


 困った風に身をよじる陸遜。


「なんじゃのう、こういう時はあれこれ考えても仕方ない。

 よし、わしが仲をとりもってやろう」

「どうされるのですか~?」

「決まっておろう」


 にんまりと笑みを浮かべる黄蓋。そう、窮地でこそ、黄蓋の輝きは本領を発揮するのである。


「正面突破じゃ」


◆◆◆

「なぜ穏を抱いてやらんのじゃ?」


 危なく口に含んだ酒を吹き出すとこだった。いきなり何を言うてはるのこの人。ちなみに今は楽しい楽しい黄蓋との晩御飯の席である。褐色の肌は南皮では珍しい。そして極上のお胸様である。楽しくないわけがないだろうよ。


「あれが貴殿に寄せる思慕の情。それが分からんとは言わせんぞ」


 さらに追求してきますよこの人。


「いや、だって、なあ」


 明確なハニートラップは勘弁であるのだよ。だから、どうしても一線を越えるのに躊躇するというか、警戒しちゃうというか。

 などというあやふやな説明で黄蓋が納得するはずもなく。


「なんじゃ、胸を揉むのはよくて抱くのが駄目とかよく分からんぞ」


 いや、そこには大きく違いがあると思うんですけどそれは。そして揉んでもいないし!


「おぬしのよく分からんこだわりであれを泣かすでない」


 説教食らっちゃいました。


「そもそも気を持たせ過ぎじゃろ。

 あれだけ助平な視線を向けといて梯子を外すのはいただけんのう」


 まあ、エロい目で見ているのは確かなのですが。具体的なセクハラはしてないよ!多分ね!


「あー、その、なんだ、一言もない」

「ふん、じゃったら行動で示すんじゃな」

「えと、今度そういう感じになったら前向きに検討する」


 なんというその場しのぎ。先送りと人は言う。

 だがまあ、黄蓋も満足そうなのでとりあえずはこれでよしか。


「聞いたぞ。ではそれで納得してやるとしよう」

「そりゃどうも」


 ふう、と息をつく。


「後はその今度、とやらがいつか。じゃが」


 いつになるのかねえ。また今度、つうことでひとつ。


「思ったより早く機会が来そうじゃぞ?」

「へ」


 にんまりとした黄蓋が口を開く。


「穏!機は熟したぞ!」


 げえっ!陸遜!

 ジャーンジャーンという銅鑼の音が脳内に響く。


 そこにはにこにこといつもの笑顔の陸遜がいた。


「さて、あとは若いもんに任せるとするかの」


 にやにや笑いながら黄蓋が席を外す。

 ちょ、待てよ!俺が一方的にものっそい気まずいぞこの流れ。


「失礼しますね~」


 さらりと黄蓋の席に着く陸遜。むう、身のこなしに無駄がない。

 こやつ、できるっ!

 じゃなくて。


「あの、陸遜さん?」

「はい~、なんでしょう~」

「いつからこのお店に?」

「ご想像にお任せします~」


 あ、あわてるな!これは陸遜のわなだ!

 でもそれって俺じゃ看破できないよねー。

 これは気づかなくても仕方ないな。うん。


「ええと、陸遜。まあおひとつどうぞ」


 開き直った俺は杯を進める。

 必殺営業モード!

 接待相手に邪な気持ちなど抱きはしないという悲しい自衛策だ!接待でキャバクラとか行っても嬢の笑みに何も感じない氷の心。鋼の自制心。


「ありがとうございます~

 でもでも~、一つお願いがあるんです~」

「なにかな?」


 俺の言葉に陸遜はふわり、と笑いかける。

 ああ、美人だなあこの子。

 っていかんいかん。黄蓋に注がれた酒精が地味に効いている。まあ、許容範囲内だが。


「陸遜だなんて他人行儀じゃなく~。

 穏って、呼んでほしいんです~」


 そうきたか。


「んじゃまあ、俺も二郎でいいよ」


 その言葉に穏は嬉しそうに笑う。少し頬が紅潮しているのは酔っているからだろうか?

 まあ、どっちでもいいや。

 今日はおとなしくおうちかえるんだから。

 うん、おうちかえるー。


◆◆◆


 陸遜は心からの笑みで紀霊を見つめる。

 恋い焦がれた男が目の前にいるのだ。

 自分の登場に一瞬顔が歪んだのを見た瞬間など絶頂すら覚えそうになったほどだ。


「失礼しますね~」


 火照る身体を椅子に座らせる。一挙手一投足を見逃さずに脳裏に焼き付ける。

 絶好の機会に袖にされて以来、ここまで近づくことはできなかった。

 戦場においても微妙に遠ざけられているのを勘付かないほど陸遜は鈍くない。

 それはまあ、拙速だった自らに帰するものだ。そこに反省はあっても後悔はない。

 あの席までに入手していた情報では自分は幾度でも同じ選択をするだろうから。


 そう、過去のことは貴重な経験とする。それでいい。

 大事なのはこれからだ。

 軽く会話を交わしながら紀霊の表情を、声色を読み取っていく。自分の中の紀霊との齟齬を埋めていく。


「ええと、陸遜、まあおひとつどうぞ」


 僅かな間に表情を立て直して杯を勧めてくる。にこやかな笑顔は完全武装を思わせる。

 くすり、と笑みがこぼれそうになる。

 そうではなくては。だって、この身を委ねるのだ。

 恋い焦がれてしまっているのだ。


 自分を手玉にとるほどの男であってほしい。


 劣情に溶ける身体。

 冴えわたる思考。


 真名を交換しながら、目前の獲物を見る。


 既に陸遜の中では、紀霊を籠絡することそのものが目的となっていた。


◆◆◆


「えっと~、早速なんですけど~。

 どうして二郎さんは私を抱いてくれないんでしょうか~」


 なんという単刀直入。

 もっとこう、高度に比喩とか暗喩の応酬で追い詰めてくるのかと思った。

 まあ、どうせ断るんだ。ぶっちゃけよう。


「や、情が移ったら困る」


 これに尽きる。

 にこにことしたままの陸遜……穏に畳み掛ける。


「穏が俺をどう思ってるか知らんけどさ。

 結構情に流されやすいのよ俺。

 だから、お前を抱くわけにはいかない」


 これ以上ない拒絶の言葉のはずだが、穏は蕩けるような笑顔を浮かべる。

 思わず聞いてしまう。


「いや、何で嬉しそうなのさ」


 その言葉に穏はその唇を開く。


「いえ~、嫌われてるわけじゃないと知って、です~。

安心しました~」


 そりゃまあ、こんなおっぱいを嫌いになるわけない。

 まあ、それだけじゃないけど。


「いやまあ、俺個人の好悪とか関係ないし」


 偽らざる本音である。

 孫家なんて特大の爆弾みたいなとこと個人的なコネクションというか、だ。しがらみを作るメリットなんてない。


「その上で私としては抱いていただきたいんですけど~」

「無理」


 即答の俺カッコいい。惚れろ。いや逆だ。惚れるな。


「それは困りました~」


 だからなんでいい笑顔なのかね、ほんと。


「穏が言うと困ったように聞こえないのが不思議だな」

「よく言われます~」


 軽く小首をかしげる。


「でもでもぉ、お互いにとっていいお話だと思うんですよぉ~」

「だからその気はないって」

「二郎さんは孫家に援助をしてくれてますよねぇ~。

 でも、孫家を結構警戒されてると思うんです~」

その通り。

いつ手を噛まれるか……。いや、腕ごと食いちぎられるかわかったもんじゃない。


「犬は餌で飼える。

 人は金で飼える。

 虎を飼う事は何人にも出来んだろうさ」


 ま、だから檻で囲い、鎖に繋ぐつもりなんだがね。


「そこなんですよねぇ~。

 二郎さんはそんな孫家をどうして援助してくれてるんでしょうか~」

「そりゃあれだ。江南は武力で抑え込まないと治まらんだろうが」

「そうですねぇ~、豪族が強くて厄介なんですよ~」


 軽く首を振る穏。

 ぷるん。

 うむ。


「そんな江南、しかも扱いづらい孫家にどうして二郎さんは援助の手を伸ばされたんでしょうか~」


 そりゃあれだ。

 説明しづれえなあ。


「孫家でもそれについては最優先事項です~。

 理由もなく伸ばされた手など、いつ無くなるか分かりませんしねぇ~」


 そう言われてもなあ。


「知ってますか~?

 二郎さんが江南に救いの手をのべた理由。

 大徳をもってそれを為した。

 或いは祭様の色香に迷った。

 どちらか、らしいですよ?」


 知ってるよ俺がその噂を流したよ。だから。


「ほう……」


 としか言えないんですけど。それも含めて見抜かれているような気がしないでもない。

 これだから頭のいい奴との会話は疲れるのだよ!


「それ以外の理由があるのか、ないのかについても孫家では憶測しかできていません。

 判断材料がありませんし~」


 あかん、色々見透かされているような気がしてならない。という圧力を与えているのだろうけどね。まあ、色々考えても下手の考え休むに似たり。


「んなこと言われても、なあ」

「確かにそうなんですよねぇ。

 ですが、早くもそれをもって袁家と手を切るべきという方も出てきているのも事実です~」


 なんだそりゃ。ちょっと食う余裕が出てきたらそれか。


「それは流石に、気に食わんな」

「そこですぅ~。

 結局、江南……孫家への援助は二郎さんの一存ですよね~」

「それについて誰かに文句を言われたことはないな」


 軽く儚げな表情をする穏。


「ですから、なんとしても二郎さんの歓心を得ないといけないのですよ~」

「穏ほどの人材がするこっちゃないだろうそれは」

「いえいえ、ご評価はありがたいですけどねぇ」


 ころころと笑う穏。

 その笑みに暗さはない。


「今の袁家が本気になったら孫家なんて鎧袖一触にもなりません~。

 そして、たぶん二郎さんは私の想定することなど軽く超えて孫家を殲滅されるでしょうね~。

 正直、そうなると打つ手がないのですよね~」


 まあ、今の段階で孫家が何をしてもどうとでもなる。それくらいの布石はするっちゅうの。


 沈黙を是と受け取ったか穏が続ける。


「ですから、私に手を出していただきたいのです~」

「んで、結局俺は助平心で魯粛や虞翻や顧雍を死地に派遣する阿呆だと思われるわけか」


 俺の言葉に穏は笑う。

 天真爛漫に見えるのが恐ろしい。


「不本意ですか?」


 今日一番の笑顔で聞かれる。


 は。


「望むところさ」


 俺の風評一つで孫家の反乱分子を抑えられるなら願ってもない。


「だから。だったらきちんと抑えて見せろよ」


 これが俺の要求だ。


「孫家もろとも江南を灰塵にしたいなら、別だがね」


 精一杯凄味を効かせたが、穏は満面の笑みで俺の腕を取る。どこか艶然とした表情が俺の背筋に冷や汗を生じさせる。

 抱き寄せた身体の熱さに戸惑う。

 脳裏に鳴らされる警鐘を甘言がかき消す。


「優しく、してくださいね~。

 その、初めてなので~」


 その言葉と甘い吐息に意識を混濁し、俺は白い身体を蹂躙するのであった。


◆◆◆


「ん……」


 穏の身じろぎで意識が浮上する。

 結局、昨夜は穏と同衾してしまったのだ。


 そんなつもりなかったのになあ。

 どうしてこうなっちゃったんだろうなあ……。


 いやまあ、やっちゃったもんは仕方ない。

 こっからどうするか、だな。


「あ、おはようございます~」


 のそり、と穏が寝台に身を起こす。

 夜具からたわわな胸が零れ落ちる。とりあえず揉んでおこう。


 やん、という声を無視しながら昨夜の痴態を思い返すのだが。


 この子ほんとに生娘だったのか、という乱れっぷりではあった。

 いや、生娘なのは確認したから確かなんだが。


「心ここにあらず、ですねぇ」


 そんな俺に声をかけてくる。


「いやまあ、どうしたもんかなあ、と」

「後悔されてるんですか?」

「いやそれはないけどね」


 役得、と割り切ることのする。

 などと考える俺に穏が抱きついてくる。


「どしたの」

「いえ~、やっと抱いていただけたので、今の幸せを満喫してるんです~」


 えへへ~と笑う穏。これは演技じゃないみたいなんだよなあ。

 正直なんでそこまでという気がする。


「どう思われてるかは想像がつきますけど、この思いはほんとですよ~?」


 なんでさ。

 って聞くのも野暮だわなあ


「抱いていただくために私は南皮に来たようなものですし~」


 ほう。


「誰の意向で?」

「ん~、発案は私ですね~。ほら、男女が分かりあうには交わるのが一番っていうじゃないですか~。

 二郎さんのことをもっとも~っと知りたくて~。

 ですから公私混同しちゃいました~」

「会ったこともないのに?」

「会ったことがないから一層思いが募りました~。

 孫家と江南の命運を握っているのは二郎さんじゃないですか~。

 だから~、四六時中二郎さんのことを考えてたんです~。

 うふ。一日中……二郎さんのことを考えてる日もありました~」


 こ、こわっ!


「それって、恋着と何が違うんでしょうね?」

「少なくとも聞こえが違うと思うんだ」

「あ~、これは一本取られちゃいましたね~。

 でも、心からお慕いしてるのはほんとですよ~?」

「んじゃ、孫家と袁家が対立したらどうすんの」


 その声に動ずることもなく、さらりと穏は答える。


「やですね~。

 それをさせないために私がここにいるんですよ~?」


 柔らかに笑いながらそう言うのだ。

 その覚悟。

 それは信じてもいいと思うのだ。

 まあ、孫家と仲良くできるにこしたことはないからな!


 まあ、策に絡めとられたのも業腹なので、穏の白い肌に紅い痕跡を残すことにする。

 所有印的な。


 むしろ喜ばれてしまったのであるが。解せぬ。


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