凡人の交友関係
今日も今日とて鍛錬の日々である。固定値は裏切らない、というのは数少ない真理であると俺は固く信じている。そして鍛錬、座学と一口に言ったってやるべきことは多い。まあ、この時代ではありえないほど効率的にこなしているという自負はあるけどな。
・・・だが、今。ものっそい眠い。煌々と贅沢にも輝く灯火を頼りに書を紐解いていたのだがどうにも、ね。
「おや、お疲れのようですね。そろそろ一区切りにしましょうか。今、そこまで根を詰めても仕方ないですし」
でも対面の沮授の方が疲れてるはずなんだよなあ。俺と違って既に実務の一端を担っているのだ。んでもってそれが田豊師匠の補佐なのだからその負荷は推して知るべし、である。いや、ガチでこいつは化け物だわ。俺みたいな凡人とは格が違った。――知ってたけどな。
そんな沮授とのあれやこれやの打ち合わせやら相談――ぶっちゃけ俺から沮授への一方通行で、沮授にとっては負担でしかない――は更なる深夜に及んだため、まーた田豊師匠の屋敷に泊まっちまったのである。多分週の半分くらいは入り浸ってる気がするなあ。
そして一番鶏が鳴く頃に肉体的な意味で俺の鍛錬は始まるのだが。
「じろー、もっとはやくー」
俺を乗り物か何かと思っているのかな?麗羽様が当然のごとく肩車されている状況で俺に更なる加速を強いる。いや、遊んでるわけではなく、ウォームアップのための走りこみの中の負荷――ということにしている。気にしたら負けだ。
ちなみに右腕には猪々子――文醜の真名である――を、左腕には斗詩――これは顔良の真名――を抱えてのランニングだ。
まあ、幼女とはいえ、三人抱えればそれなりの負荷になるからいっかーとか思ってる。基礎スペック強化と共になんかイベントとかの伏線になってるかもしれんしね。
なお、猪々子と斗詩との真名交換はまた政治的なあれやこれやで強制イベントであった。まあね、武家四家の跡継ぎ同士だからね、仕方ないね!
つうか、ここに爆弾の一つも放り込まれたら袁家の未来はマッハで終わること請け合いである。いやマジで。袁家、顔家、文家と紀家の跡取りが全滅したら色々えらいことになりそうである。まあ、だからこそ見えないところで護衛がついてるはずなんだけどね。袁家配下の武家四家のうち張家はそういうのもお仕事だからして。
と、もぞもぞと猪々子が動き出す。おいばかやめろください。バランスが!
「ちょ、動くなってばよ。って危ない、落ちるぞ?」
「へへへー、一度やってみたかったんだー、とおっ!」
どこぞのバッタモデルの改造人間みたいな掛け声を上げて俺の腕から飛び出る。
「ふぇ?き、きゃっ!」
なんと並走していた陳蘭に飛びついた。お、上手いこと負ぶさったな。なんつー運動神経だ。流石未来の猛将だな。などと思っていたのだが・・・。
「アニキー!いっくぞー!」
こっちにまた飛んできた。猿かお前は。
ちょっとバランスを崩したが何とかワンハンドキャッチ。また俺の右腕に納まる。
「へへへー」
「うー、いいなあ」
「姫もやってみたらー?」
「う、うまくやれるかな……?」
やるんかい。
結果、三人中二人の幼女が俺と陳蘭を空中で行き来することになったのである。あ、斗詩は大人しく俺にぎゅっとしがみついてたよ?これは、ほんまええ子やでぇ・・・。
でもこの三人組がこのままのノリで成長すると理不尽に斗詩が苦労するような気がする。そう思って撫でくりまわしてやる。嬉しそうにしているが、君の将来は七難八苦マシマシになりそうなんだぞ。頑張れよ?うん、頑張れ!
ま、麗羽様も猪々子も大人になれば落ち着くだろうて。多分、恐らく。きっと、メイビー。
「しっかし麗羽様も結構師匠のとこに入り浸ってるよなあ」
朝練の後。軽く水浴びをした後に水菓子を齧りながらふと思ったのだ。確か袁紹と田豊って不仲じゃなかったっけか?まあ、いい流れではあるな・・・と思っていたら俺の言葉に呆れたように沮授が。
「二郎君。・・・君が本気でそう思っていると言うのを僕は理解しています。ですが、世の中はそうではない。そして君の立場以上に袁紹殿はですねえ。そこのところを分かっていると思っていたのですが――」
ええと。でもまあ、そういや麗羽様ってば政争の中心だったか。田豊師匠のとこに来るのはまずい?でも沮授が止めないということは師匠も問題視していないということであろう。
「むう。俺は袁家の政争に参入するつもりはないぞ」
そりゃあ、麗羽様は今のところ俺に懐いてくれてるからして。上手くやればあれこれ好き放題できるだろうとかいうのは下衆の勘ぐりと言う奴だ。麗羽様を通じての袁家の舵取りとか俺の手に余るに決まっている。
「やれやれ、困ったものです。二郎君はそれでいいのでしょうけど。田豊様の思惑、知らないとは言わせませんよ?」
え?なにそれ。ガチで知らないんですけど。知らないんですけど。知ってることになってるの?やめてよね。俺が本気出しても師匠の思惑とか分かるわけないじゃん。
「知ったことかよ。紀家は武家だぜ?そういうのは田豊師匠とかお前にお任せって感じさね」
ここは逃げの一手である。大体腹芸とか向いてないしね。見ざる聞かざるである。
「――困ったものです。袁家の躍進、繁栄に大いに貢献している次世代の旗手である二郎君の言葉とも思えませんね」
褒め殺しですね分かります。俺如きの動きが大身たる袁家にそこまで影響があるわけないですしおすし。まあ、俺が紀家を継ぐ時のバックボーンとしての下駄を履かせようとしてくれているのには感謝しといた方がいいのかな?
「いや、それもこれも袁家、ひいては漢朝への忠誠あってのことさ」
日和った俺の言葉に肩をすくめて苦笑する所作はマジイケメン。座してイケメン、立ってもイケメン。歩く姿は超イケメンである。妬ましいことこの上ない。
「いえ、それほどでもないですよ」
いつの間にか口に出していた俺のジェラシー混じりの雑言すら軽く受け流すこいつは輝くイケメンである。しかも爽やか系のだ。
ぐぎぎ、ガチで俺とは格が違った。口惜しいから蹴ってやろう。げし、げし。
夕餉を皆でつつきながら更に沮授と雑談する。幼女三連星の面倒は陳蘭が見ている。念願のお姉さん的立ち位置だぞ頑張れ。というか頼むわマジで。俺には無理だ。
ちなみに屋敷の主である田豊師匠はいない。最近はよく政庁や袁家に泊り込んでいるらしい。偉い人は大変だなーと思うのである。激務とはこういうのを言うのだろうなぁ。うちのとーちゃんとはえらい違いである。
「しかしまあ、麗羽様と田豊師匠の関係がいいなら俺には言うことはないな」
当初二人の関係についてはある意味諦めていたのだ。しゃあないしゃあないって。でも、その関係性がよくなりそうな可能性があるならば後押しせねばなるまいて。いや、俺に何ができると言われたら困るのだけんども。
「――しかし田豊師匠は忙しそうだな」
「ええ、ただ充実はしてらっしゃるみたいですよ?」
「それは実に結構なこったね。まだまだ倒れられたら困るからな」
俺の言葉にくすり、と沮授が笑う。
「そうですね。それを狙ってる人もいるみたいですけどね」
「はぁ?今の田豊師匠を狙うアホがこの袁家に――いないではないかもだがなあ。
外からの介入、か?」
政敵である麹義のねーちゃんだって流石に田豊師匠をどうこうとかせんぞ?袁家の行く末を考えれば猶更、だ。
「いえ。むしろ内部ではないかと」
常ならばくすくすと可笑しげに笑うであろう沮授。だがその表情に一切の感情は浮かんでいない。そしてそこまで言うということは。つまりそれは既にある程度尻尾を掴んでいるということなのであろう。むむむ。
「・・・いらんことを聞いたか、すまん。だが麗羽様の守護に関しては全力を尽くすから」
「そうですね。逆に、あのお方に何かあったらその責は田豊様と二郎君に向かうでしょうし」
ふむ、なるほど。まあ、田豊師匠にあれこれ聞いても答えてはくれんだろうし、師匠が暗殺云々で死ぬとも思えないけどね。
「二郎君も気をつけてくださいよ?」
「俺の心配する前に田豊師匠の一番弟子で腹心のお前の方がやばくね?」
「僕はまだまだ塵芥程度の小物なので気に留める人もいないでしょう。大体、二郎君の方が派手に動いてますし」
ふむ。沮授がそうまで言うならば俺をどうこうしようという動きもあるのかな?
「まー、毒でも盛られない限りなんとかなるな」
「おやおや、珍しく強気ですね」
まあね。も少ししたら俺は軍務に就くからして。身の安全を考えれば万全だし。軍事スキルが伸びるしな!これからの乱世、軍事スキルは必要不可避なのだよ明智君。
「まあ、なんにしても、さ。これからようやく実務に関わるからさ、よろしくどうぞ」
あれやこれやと沮授とガチトークし、そののち馬鹿トークに移ろうとしたのだが。
「おやおや、大した人気のようで。羨ましい限りですね」
「ぬかせ」
呼び出しである。沮授と余人を交えないミーティング(意味深)をしている俺を一方的に呼び出すことのできる人物なぞ片手で足りる。そして俺なんぞを呼び出すのは――。
「好かれてますねえ。いや、次代の袁家は二郎君を中心に動きそうでなによりです。その際はお引き立てのほどを――」
沮授がいい笑顔で揶揄するわけである。呼び出しの主は麗羽様。要旨はまあ、あれだ。暇だから来なさい!ってことである。まあ、主君の無聊を慰めるのもお役目というものである。