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凡人と文家の姫 その二

「ふわあ」


 大きく伸びをしたのは文醜。袁家の誇る武家。数あるそのうち四家と言われる中でも筆頭を務める名家中の名家である。のだが。

 木の上である、彼女が今いるのは。

 樹上で月を見上げて文醜は意識をはっきりと取り戻す。さて、自分はなぜここにいるのだろうかと。

 紀霊の祝勝会にて痛飲していたところまでは記憶があるのであるが……。

 まあ、些事であろう。そう割り切る文醜の在り方は、袁家の中で貴重なものであった。


「あれ、あの勝負どうなったんだっけ」


 記憶に浮かぶのは黄蓋との飲み比べ。袁家の沽券を――勝手に――賭けた大勝負の行方はどうなったんだろうかと小首をかしげる。

 いや、本当は殺してやろうと思っていたのだ。黄蓋も陸遜も切り捨ててやろうと思っていたのだが。

 尚、切欠は記憶にない。何か口論になったようなのは微かに覚えているのだが。まあ、それは重要なことじゃないし本質でもない。

 ただ。


「猪々子のちょっといいとこ見てみたい!」


 そんな声にほだされてしまったのだ。乗せられたとも言うが彼女はそこに気付かない。いや、気付いたとしても意に介さないであろうが。


「だって仕方ないじゃんか」


 だって、と思う。


「アニキに言われたらさ、しょうがないじゃんか」


 だって、楽しそうだったもの。姫も、斗詩も。そして言い出しっぺの……アニキも。


 くすり、と笑みがこぼれる。


 殺してやろうとさえ思っていた黄蓋と杯を酌み交わし、なんかなし崩しに真名すら交換し……いつのまにか自分は樹上である、と。


 何かそれがしっくりしているような気がして、声を上げて笑ってしまう。ああ、可笑しい。

 ひとしきり笑って頭上を見上げれば、満月。秋も深まり、自分を見下ろしている。これが親友の顔良ならば、詩でも吟じるのかもしれないけど、無骨な自分にできるのは杯を重ねることだけだ。

 くぴり。


 抱えていた酒瓶から杯に酒を注ぎ、呷る。

 夜風で冷め切っていた身体が熱を取り戻す。ほんとに、こんなに楽しいのは久しぶりだ。これはやっぱり。


「アニキがいるからだよなあ」


 うん、そうだ。そうなのだと文醜は思う。姫と呼び、幼少から仕える袁紹も、幼い時からの親友である顔良も、だ。彼がいると違うのだ。


「今日だってさ。二人ともちらちらと見て、隙あらば話そうとしてたし」


 それは自分もなのだけれども、それはそれ、これはこれ。である

 二人ともあのひとのことが大好きなんだよなあ、と思う。いや、それは昔からだったな、と。

 大概一途だよなあ、と。二人とも。

 くく、と笑みをこぼす。


 と、不意に思う。


 自分はどうなんだろう。


 アタイはアニキをどう思ってるんだろう。


 ふと、そんなことを思ってしまった。


 間違いないのは。


「アタイはアニキが大好きだ」


 口にして思う。確信する。それは間違いない。


 ちっちゃいころ、ぽんぽん投げられてたころから大好きだ。あの頃と気持ちは変わってないと思う。

 だからきっと、顔良の「好き」とは違うんだろう。

 彼と話すときに艶っぽい顔をする顔良。その顔は袁紹や自分に向けられることなんてない。

 そして、仕える主である、袁紹の「好き」とも違う気がする。

 袁家を継ぐ身としての彼女はいつも肩肘を張っている。立場に相応しくあろうと。そしてそれを果たしているのが流石なのではあるのだけれども。

 でも、紀霊といる時の彼女は無防備だ。あんな顔を見られるのは紀霊だけだろうと思う。


「ま、ああ見えて姫は甘えんぼさんだかんなー」


 さて、自分は彼をどう思っているのだろうか。


 ぐび、と酒を呷り考える。実にらしくないことを考えているなあと思いながら。


 そんな時、妙な旋律の鼻唄が聞こえてきた。 


◆◆◆


「じゃじゃじゃじゃーん♪」


 扉を叩くのにこんなにリズミカルなのか。凄いな運命さん。しかし幸か不幸かそんな感じでノックされたことはないなあ。いや、されても居留守万歳であるが。

 そんなことを思いながらふらふらと歩く。


 ああ、いい月だ。いい風だ。花をたくさん愛でた。後は鳥だけか。くらり、とする酩酊感がたまらない。うん、やっぱりこんくらい酔っぱらわないと楽しくないな。


 さてみなさん、お久しぶりです。主人公的存在の二郎でございます。今後ともよろしくお願いいたします。


 ……しかし、月がきれいだ。天女でも降りてきそうだな。と、益体もないことを思ってたら。


「アニキー!」


 脳筋美少女が降ってきた。親方!空から美少女が!いやちょっと待て。


 猪々子が空から落ちてくる系ヒロインになるとは……。これは胸が熱くなりますねえ。


◆◆◆


「えへへ」

「えへへじゃねえよ骨が折れるかと思ったちゅうの」

「えー、昔はよくやってたじゃん」

「結構昔だよなそれ!少なくとも、もっとちみっこかったよ?」


 そんな紀霊のツッコミに文醜ははひしっとしがみついてやることにする。ちっちゃいころは背に回した手が届くこともなかったなあ、などと感慨深いものがある。


「あの、猪々子さん?ギリギリと締め上げられて割と苦しいんだけども」

「てい」


 そんなことを言うのだ。だから彼をとびきりの力で抱きしめてみる。うん、これなら気恥ずかしさもないし。


「ぐぇ……」

「なんだよ雰囲気ないなー」


 蛙がつぶれたような声を出す紀霊。文醜は彼に呆れたように声をかける。


 ふんだ。

 アタイだってドキドキしてんだから、アニキもちょっとは困ればいいんだ。なんて思いながら。


 うん?


 そうだ。今ドキドキしてるのだ。身体だって火照ってるのだ。紀霊をまともに見られない、のだ。そして自分が何を考えてるのかわからなくなる――。


 そんな文醜に紀霊が声をかける。うん?よく聞こえないな……?。


「猪々子、お前……」

「へ?」


 その声が消え去ると同時に文醜は紀霊に抱きかかえられていたのであった。それも、いわゆるお姫様抱っこである。

 思考は混乱し、身体は火照り顔はますます上気していくのだった。


◆◆◆


「えへへ」

「えへへじゃねえよ」


 ほんと、びっくりしたっちゅうの。


 腕の中にいる猪々子を見る。いつも通り、にかりと笑って俺に抱きついてくる。って、痛い、いたたたたたた!


「あの、猪々子さん?呼吸が苦しいんだけども」

「てい」


 ぐわー。


 なんか猪々子が言ってるが聞こえん。身体能力でぼろ負けだから仕方ない。情けないとかいう感傷はすでにない。連戦連敗なのでありますからして、ね。


 ま、それでも気絶せんだけ手加減してもらってると思おう。


 きゅ、とそれでも抱きつく猪々子を軽く引きはがす。それでもしがみついてくる。なんだ、今日は甘えんぼさんだな。


 そう思いながら猪々子見やる。


 ん。


 潤んだ眼。上気した頬。


「ぁ……」


 どことなく儚げな声を上げるのだ。寄せてくる身体の熱を感じるのだ。


 これは、ひょっとして……。


 ごくり、と生唾を飲み込み、上記した頬に手を当てる。うっとり、どこか陶酔したような表情。


「猪々子、お前……」

「へ?」


 そんな彼女に、言う。


「お前、風邪引いてるだろ」


◆◆◆


 そんな言葉に文醜は思わず笑ってしまう。ちょっと身体が火照って、くらくらするくいらいで大げさな、と思う。こんなの、ちょっと寝たら治るのに。

 風邪とか大げさすぎるよ、と。

 そして幾分かの腹立たしさを感じる。もう、ちっちゃいころの自分とは違うのに、と。


「ほら」


 それでも差し出された背中に負ぶさってしまう。あ、これ、いいな。なんて思う。

 アニキの匂いだな、と。懐かしくて、落ち着いて。


 きゅ、としがみつい匂いを胸いっぱい吸い込む。そして思う。


 うん、アタイはアニキが大好きなんだなあ。

 そう思ってしまう。


 ぎゅ。


 抱きついたって、自分のささやかな胸は何も主張できない。こればっかりはどうしようもないので鼻頭をこすり付けてみる。


 なお、特に効果はなかった模様。


◆◆◆


 風邪で発熱した猪々子を背負う。


 まったく、肌寒い季節に樹上で寝たりするからだ。ぷんぷん。いやまあ、飲み比べをけしかけた俺が言うこっちゃないかもだけどね。

 いや、黄蓋と穏を侍らしてたらなんか絡んできたからね、平和裏に治めたんだけどね。



 あー、こっからだと猪々子のそれより俺の部屋のが近いな。


 寝室に連れ込んでベッドに寝かせる。まあ、風邪なんて寝てれば治るもんだしな。

 軽く欠伸をする。

 さて、どっかで適当に仮眠でも摂るとするかね。


「朝になったら起こしにくるからな」

「やだ……」


 予想外なお言葉である。今日の猪々子は甘えんぼう将軍か!


「行っちゃ、やだよぉ。アニキも一緒に、ね?」


 そう言って服の裾を掴む猪々子。これは離れないな、膂力的に考えて。


「あー、わかったわかった、今日だけだぞ」


 そう言って寝台にもぐりこむ。つーか俺の寝床だっつうの。


「ね……」


 ん?と思う隙もあらばこそ、全身で俺にしがみついてくる猪々子。

 意識しないようにしていたのだが……。女の、牝の香りが鼻腔を、だ。


 くら、と揺れる俺を更に揺さぶるのが。


「アニキ、好きぃ……」


 そんなことを言われたら、だ。どうしようもなく、猪々子が女だと意識してしまう。

これまで目を背けていた現実が俺を襲う。


 くらり、と揺れてふらつく。

 俺にしがみついている猪々子を抱きしめる。いや、縋りつく。


「あ……」


 漏れる声はいつになく、弱々しく、艶めいていて。


「猪々子……」


 何を言えばいいんだろう。そんな俺に猪々子が笑いかける。

 いつもの猪々子の笑顔で。


「アニキ……。

 アニキにだったら、いいよ……」


 かすれたその声に、俺は猪々子を押し倒し。荒々しく唇を貪る。

 猪々子を貪る。貪ろうとする。

 もし、少しでも抵抗されたならば俺は踏みとどまっていただろう。


 ……そして、俺と猪々子の関係は決定的に変わることになったのだ。


◆◆◆


 かり。

 腕が軽く噛まれる感覚で俺は目を覚ました。


「なにやってんの」


 腕の中の猪々子が俺の腕をかじかじしている。


「え、アニキの味がするかなーって」


 一体なにを言ってるんだお前は。だがまあ。


「その様子じゃあ、風邪は大丈夫みたいだな」

「うん、なんともないよ。言ったじゃん。」

「そりゃよかった」


 ……同衾した翌朝の会話としてはどうなんだろうな。とか思うのだが。

 と、俺の腕をかじっていた猪々子がすりすりと頬を擦り付けてくる。

 猫がマーキングしてるみたいだな。

 今にもゴロゴロと喉を鳴らしそうなのでこちょこちょと顎の下をくすぐってやる。

 目を細めて嬉しそうにする猪々子。

 うん、猫だな。


「アニキー、ちゅー、ちゅーしてー。

 ちゅー、ちゅーうー」


 猫かと思ったらネズミだったようだ。まあ、いいさ。どっちにしても可愛いし。

 軽く口づけしてやる。


 えへへ、と照れたような笑顔。

 なにこの可愛いいきもの。


「なんかさ、不思議だね。

 昨日までいつも通りだったのにさ」

「あー、確かになあ」


 まさかこんな関係になるとはなあ。

 手、出しちゃったなあ。出しちゃったんだよなあ……。いや、可愛かったしさ。こう、ね。


「でも、嬉しかったよ、アニキ」

「ん?」

「アタイ、女として見られてないのかなーって思ってたからさ」

「ないない、猪々子はちゃんと美少女だよ?」


 いつも言ってたし。


「てっきり口だけと思ってたよー」


 には、と笑う猪々子。


「だっていつも抱きついても特に反応しなかったじゃん」

「流すしかないだろうがそこは。

 流されたらえらいことになるっちゅうの」


 なったし。


「今後はだな、自重するように。

 出来るだけばれんようにせんといかんからな」

「えー。無理ー」

「こら」


 駄目でしょわがまま言っちゃ。


「だってー、いつもアニキに抱きついてたりしたじゃんかー。

 急にやめたらそれこそ怪しいってー」

「ぬう」


 なんという逆転の発想。


「だからー、いつも通りにするってばよー」

「ある程度は自重しろよ?」

「するするー。するからちゅー、ちゅーしてー」


 猪々子ってばこんなに甘えんぼだったっけか。

 今度は本格的な口づけを交わし。


 結局朝から一戦交えることになってしまった。


※斗詩には即バレ余裕でした。

 なお、喜んでくれた模様。

 うん。……うん?


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