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日常への回帰

 手にした書類を卓に置き、張紘は嘆息しつつ問う。


「魯粛、この報告書の内容は……本当なのか?」

「そだよー。報告書で偽装なんてしないってばさ」


 難しい顔の張紘に魯粛が間髪入れず、答える。その口調は軽く。今日の天気を、或いは昼の定食の内容を聞かれたくらいの気軽さ。


「おいらの目が節穴じゃあなければ、だな。

 袁家軍と商会が結託して、黒山賊もろとも義勇軍を殲滅した。

 そう読み取れるんだが」

「んー、概ねその通りだけど?」


 それが何か?という風で魯粛が首をかしげる。

 それに対する張紘の顔は渋い。


「おいらが事前に頼んだのは、治安の維持、向上だったと思うんだが」

「そだよー。だから私たちは一生懸命、最善を尽くしたつもりだよー?

 くさいものは蓋するんじゃなく根元から根絶、ってね!」


 深まる渋面の張紘に対し魯粛は満面の笑みである。

 そしてその結果について理解できない張紘ではない。ないのだが。


「にしても……えげつねえなあ」


 漏らしたその言葉を聞き、魯粛は表情を消す。


「なに?義勇軍をさ。商会の皆はあれだけ邪魔者扱いしてたじゃん。

 それがいなくなったんだから、もっと喜んでいいと思うんだけどなあ」


 先ほどまでの笑みとは違う笑み。酷薄なその表情を見て張紘の渋面は憂いを増す。


「それでもさ。ここまでやるのか、って思っちまうよ」


 張紘は天を仰ぎ嘆息する。

 義勇軍。……元は義侠心に溢れた集団だったのだろう。その行く末としては、あまりといえばあまりな結末だった。


「張紘、ちょっといいかな?」


 笑みを浮かべたままで魯粛は張紘に声をかける。


「私はね、この南皮を第二の故郷だと思ってる。

 だってさ。町を歩けば知り合いがいっぱいいてさ。みんな、今日より明日がきっと幸せだって、前を向いて生きてる。

 みんな一生懸命に今日を生きて、明日を目指してる。

 袁家領内が豊かだといっても、それはみんなが一生懸命頑張ってるからだよ」


 珍しく真剣な声色の魯粛。その言に張紘は頷くことしかできない。


「そりゃね、最初は違和感もあったよ?

 目が覚めたらやっぱり夢で、今日のごはんもないんじゃないかってね。

 でもね。だんだんと、この町に、人に。親しんでたんだよ。愛着が湧いてきたんだよ。

 そしてね。私が、私たちがこの町を、ひいては袁家を支えてる。そう自負してるよ。

 もう、そう思っちゃったんだよ」


 張紘が軽くうなずく。

 それは彼も感じていることであった。


「だからね。そこを荒らす奴は私の敵だ。

 絶対に許さないよ。

 一度で十分なんだよ。故郷が荒れるのを見るのは。

 もう、骨肉が文字通り相食むのなんて見るのは嫌なんだ。

 だからね。

 私は後悔なんてしていない。

 今回みたいなことが何度起こったって、同じ選択をするよ。

 平和ってね、安寧ってね、結構簡単になくなっちゃうんだよ?

 後で泣くくらいならさ。今この時に血を浴びる道を選ぶよ」


 沈黙が室に降りる。


「すまねえ。無神経だった」

「ううん、私こそちょっと感情的になった。

 でも、嘘は言ってない。

 この平穏を守れるなら私は喜んで手を血に染めるよ?」


 その覚悟に、宣言に張紘は黙り込む。黙り込むしかない。


「そりゃ、誉められるような手じゃないとは思うけどね

 でもね。本当に本当の思いなんだよ。そこを分かってくれたらうれしいな」


 薄く笑いながら魯粛が室を辞する。

 対する張紘の眉間には皺が深く刻まれている。


「……怒っているのか?」


 沈黙を破ったのは赤楽の声だった。


「いや、そうじゃねえ。そんなんじゃねえよ。

 自分の不甲斐なさを痛感してるだけだ。

 考えてみりゃ、おいら故郷が荒れてるとこを見たわけじゃねえんだよな。

 偉そうなこと言えねえな、って」


 自嘲気味に呟く。

 そんな張紘を赤楽は、愛しく思う。その感情に戸惑い、苦笑する。

 こんなにも感情が揺さぶられるものなのかと。


「らしくないな、張紘」

「そうか?いつだっておいらはこんなもんさ。

 そういう赤楽こそさ。

 義勇軍に潜入するとか、どうしたんだ?

 野宿も多かったんだろ?大変なのは分かってたろうに」


 常は張紘の護衛と秘書的なことを適当にやっている彼女である。

 張紘が違和感を覚えるのも無理はなかった。


「なに、思ったより苦じゃなかったな。

 うん、ほんとに苦じゃなかった」


 淡々と、呟く。


「まあ、行き倒れてたくらいだからね。きっと野宿なんて普通だったんだろうさ」


 苦笑する。そう。笑うしかないではないか。宿なしであったのが日常など。


「それに、久しぶりに人を斬った。たくさんね」

「そうなのか」

「うん。成り行きでね。その方がいいと思ったから」


 薄く笑う赤楽。そんな彼女に幾度も守られた張紘は何も言うことはできない。

 そんな葛藤を知ってか知らずか、赤楽は思いを口にする。


「やっぱりね、不思議な感覚だよ。

 剣を修めた記憶はないんだ。でも、身体が勝手に動くんだよね。

 どう動けば一番効率的に斬れるか、それが私には染みついてる」


 だから、さ。

 と、赤楽は呟く。


「何か思い出すかな、と思ったんだけどね」


 張紘はその言葉に身を震わせる。


「やっぱり、気になる、よなあ」

「そりゃあね。自分のことだもの。

 ……ああ、勘違いしないでくれよ?私は別に今に不満があるわけじゃないからな」


 それでも、と張紘は思う。

 いつか、この人は自らを求めて去ってしまうのではないかと。


「ふふ、そんな顔をしないでくれ。

 結構どうでもいいんだよ?

 単なる好奇心さ。そうだな、今日の夕食が何か、くらいのね」


 きっとそれは自分を思いやる言葉なのだろう。

 張紘はそう思う。

 ああ、こんな時に彼女になんと言えばいいのだろうか。どう言えばいいのだろうか。言葉が浮かばない。なんて自分は愚鈍なのだろう。

 いっそ悲痛と言っていいほどの張紘に、赤楽はくすりと笑う。


「ああ、そうだ。一つ嘘があったな」


 うつむく張紘に手をかけ、顔を正面からのぞき込む。


「野宿もさ、人を斬るのも別にどうということはなかったんだ」


 でもね、と赤楽は微笑む。


「張紘の顔を見れないのは、辛かったな」

「なっ!」


 瞬時に真っ赤になる張紘。それが赤楽には愛しい。


「本当のことさ」


 くす、と笑いながらその唇に自分のそれを重ねる。身体を重ねる、絡める。


 寄り添った影は。しばらく離れることはなかった。

蠢動編完結です。

次は拠点フェイズになる予定です。

感想、考察いただければありがたいです。

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