女子会らしきもの:或いは黒幕会議
「おい、赤楽!次の村落はまだか!」
粗野な声が思索を遮る。即座に思考を切り替えて滞りなく答える。求める答えで応える。
「ふむ、もう少し北西にいったところかな。
なに、絹の生産で潤っているらしいからな。快く寄付をしてくれるだろう」
赤楽のその応えに満足そうにうなずく。声の主は郭図。千を越える義勇軍の発起人にして、それを束ねる男である。
ただ、その瞳は酒精の影響であろう。どろりと濁っている。
「おや。随分と……ご機嫌なようだな」
平淡な声で赤楽が尋ねる。その揶揄を解さぬほどには鈍っていない。だから、こう応える。
「呑んでるさ、呑んでるとも。
何か問題でも?」
文句があれば言ってみろとばかりの気迫。その凄みはそれなりに修羅場を潜っただけのことはある。だが、使いどころを間違えているし、何より……。
かつては玲瓏たる笑みだったのだがな、と赤楽は思う。
「すぐに出発しよう。今から発っても日没までに間に合わないかもしれない。
野宿が続いているからな。流石にこれ以上士気が落ちるのはよくない」
論旨をずらし、喫緊の話題。そして妥当すぎる案を以て反論を封ずる。だから郭図は言わざるを得ないし、納得するのだ。
そして耳に痛い諫言に安堵する。それを容れるだけの器量が自分にあるのだと。そして気づかない。諫言こそ甘言のごとく響く今の有様に。その変容に。
「そうだな、そうするとしようか」
出立の声を郭図がかける。
のろのろ、といった風で集団が緩慢に動き出す。
ほとんどは徒歩であり、騎乗しているものなどごくわずかだ。
身なりは粗末であり、重さ故に多くの者は武具を身に着けず、荷駄に放り込んでいる。
その荷駄を引く牛馬とて、このまま数日経てば屠殺される他ないだろう。それほどまでに困窮している。
赤楽は思う。よくもまあ、ここまで落ちぶれたものだ、と。
それを成したのが自分だとしても、だ。ここまで転げ落ちるとは、というのが赤楽の実際の思いである。
そして、実務面で言うと、もう何日も屋根のない生活が続いている。義勇軍、と華々しく唄った当初の士気や統制など微塵も存在しない。
それでも集団としての態を失わないのは、郭図の一応の人望、そして逃散しない程度に宛がわれる酒食だろうか。
だからその線をつなぐ。逃散されては意味がないから。
「ふむ、では私は先行して宿と食事の交渉をしてこよう」
「ああ、頼む」
騎乗した赤楽は馬の歩みを速める。
「そろそろ、かな」
そんな言葉を呟きながら。
◆◆◆
赤楽が村に着いたのは黄昏時だった。なるほど、一応の防壁に門扉、それなりに裕福なようだ。そんなことを思う赤楽に近づく人影がある。
「やほー、待ちかねたよー」
にこやかな笑みで赤楽を出迎える。そう、彼女らは旧知の仲なのだ。
「世話をかけるな、魯粛」
「んー、いいってことさ!」
にこやかに笑いかける魯粛。その態度は無論背後に控える村落を意識したもの。自らがきちんと義勇軍、というわけのわからぬ武力勢力の幹部と繋がりがあるということを示すもの。交渉ができると示すもの。
それを分かっているから、苦笑して赤楽は下馬する。ここまですれば村落の信頼は得たようなもの。そして邪魔なく打ち合わせできる恰好の、無二のタイミング。早口で情報を、意見を交換する。
「で、どうする?一応百くらいのご宿泊を予定してるけど」
「そうだな、消耗が思ったより激しい。その倍は欲しい」
「分かった、三百ほど手配するね。じゃあ残りにも天幕くらいは準備したほうがいいね」
「そうだな。ここにきて逃散されてはかなわん」
「そだね。お金もちょっと多めに包むね」
「頼んだ」
「そっちこそ、大丈夫?」
「ああ、苦でもないさ」
そして、緊迫した交渉を擬しても会話内容は収斂されるのだ。
「いつも済まないねえ……」
「ふふ、それは言わない約束だろう?」
「そうだったね!」
にしし、と笑みを浮かべ村落に取って返す魯粛。
幾度となく繰り返されたやり取りだ。
ふと、出立する前にされたやり取りを思い出す。
ここまで長期にわたって潜入するとは思わなかったのだがな、と密かに嘆息しながら。
◆◆◆
「というわけで義勇軍とかいうのが発生して、それに困ってるんだよねー」
魯粛の声に張勲がふむふむ、と頷く。
「二郎さんも懸念されてましたねー。
どう動くか分からない武力がうっとおしいみたいですー」
「当然だろう。そしてそれが洛陽の紐付きともなればな」
赤楽の声に張勲は深くうなずく。実際にはこの時点で紀霊にはこの情報は伝わっていない。それを知らぬ魯粛と赤楽ではないが、それを気にする二人でもない。だからこそ張勲の笑みは深まるのだが。
「正直その紐さえなければ取り込む線もあったんですけどねえ。
背後が怖くてとてもとても」
「ふむ、紐はいずれ切られるとみているのだろう?
その隙に抱え込むのはどうだ?」
「それも考えたんですけどねえ。
どうも、既に他からお声があるようですねぇ」
ふむ、と赤楽は頷く。
「およそ天秤にかけられるだけ、か」
「そですねー。
だからまあ、ばっさりやっちゃおうかと」
くすり、と張勲が笑う。その笑みにその場の残り二人は特に反応しない。そして理解する。
取り込むつもりはなく。みせしめとして炎上させるのだと。そして、なるほど。汚れ仕事であるのだ、と。
そして、それについて異論はない。異議もない。
既に自分たちの役割も察している。だから指示されるまでもないのだ。
「では私は潜入し、掌握しよう。
義勇軍を野盗手前の無頼集団に落とそう」
紐があるならば切るべし。そして斬るべし。小火が大火になるのを防ぐべく、草を薙ぐべし。
「じゃあ私は商会を通じて無頼集団に備えるねー。
そうだねー、自警団でも組織するかな」
無秩序なる武力集団には備えが必要なのだ。それがない処は収奪されるだけのこと。
備えあれば憂いなし。備えなく憂いすらないのは単なる阿呆である。
「ふむ。義勇軍と自警団が睨み合うのか。世も末だな」
二人のやり取りに満足そうに張勲が笑う。
「そして膨らんだ義勇軍には退場してもらいます。
幕引きはできるだけ派手に、悲惨にお願いしますねー」
「ああ、任されようとも。
見事な、鮮やかな徒花を咲かせてみせるさ」
余計な問いなどない。なぜ自分らが選ばれたのか。それを理解しているからこその言である。今の袁家領内の安寧の価値を知っているからこその人選である。
「でも、二郎さんは大丈夫?
いい顔しないと思うけど」
魯粛の問いに張勲は貼りついた、いつもの笑みで応える。
「そこはお任せくださいませー」
そして思う。
だってあの人は小心だもの。だってあの人はあんなにも傷心したもの。
手にしたものを喪うことに耐えられないだろう。その小人さに張勲は笑みを深める。
袁家とか漢朝での栄達に価値を見出さないという一点において、彼は信頼できるのだ。きっと自分と同類なのだ。
張勲の言葉に二人はおかしげな、それでいてどこか苦みの内包された笑みを浮かべる。魯粛と赤楽。裏方に回っている故に目立たないが、その能力は折り紙付きである。魯粛は江南の荒廃を治めてみせた。孫家という暴れ馬を御して魅せた。
赤楽はそれほど派手な功績を立てていない。だが、常に張紘の傍にありてその意を滞りなく行う。そしてそれよりも重要なのは。幾人もの刺客を闇に葬ってきたこと。
張紘という袁家の、紀霊の切り札、いやさ鬼札。それを守り切るほどの剣の冴え。刺客を送り出した先を見切る見の冴え。本人が望めば袁家内でもその地位は相当なものになるであろう。
まあ、本人にその気はないようではあるが。
「じゃあ、私はこれで」
席を立つ赤楽に張勲が声をかける。
「あらー、張紘さんと会って行かれないんですかー?」
「ああ、ご存知の通りあいつは相当に甘いからな。いい顔はせんだろうよ」
「あらあら、だんまりで去ると心配されませんか?」
ふむ、と考え込む赤楽。そして見やる先には。
「そこらへんは魯粛に任せるとしようか」
「ええ?私?!
ちょ、ちょっと待って?張紘さんを丸め込むとか無理に決まってるんですけど!」
にやり、と口元を歪めた赤楽。その表情を知ってか知らずかどんよりとした魯粛。
――張勲は変わらずにこやかである。
そして思考は交差し共感するのだ。一つの結論に収束するのだ。
「あの男に余計な労力を割かせるべきでない」
それは彼女らの共通感覚。
この時代において傑物である彼女ら。その彼女らだからこそ心底理解していた。
「紀霊は、異質である」
と。
それは奇しくも彼の親友たちの認識と同じ物であった。
そして思うのだ。
紀霊の異質。それこそが袁家にとっての福音になるであろうと。この複雑怪奇な漢朝での立ち位置、趨勢。絡まる陰謀に利権の渦。それを御しながら匈奴の脅威より守護するという袁家というもの。
名門と言うのは易いが、背負うものは計り知れないのである。
だが、時代の趨勢は彼女らの予見をすら上回る波乱になることをまだ誰も知らない。