凡人と出会系
「商会、ですか?」
沮授の問いである。つっても、もう作ったんだけどね。ずびび、と朝食の粥をすすりながら俺はそう答える。む。流石に田豊師匠んとこの朝食は美味いな。陳蘭が作るとこう、不味くはないんだけど美味くもないんだよなあ。
「おう、ただし袁家には無断での動きさ。むしろ糾弾されてもやむなし。そう認識はしている」
「なるほど。・・・それは二郎君に謝らないといけないかもしれませんね。いえ、認識はしていたし対策も打ち出していたつもりなのですが・・・」
無為無策と言われてもしょうがありませんでしたからね、と沮授が頭を振る。
実際農作物の収穫が増えるにつれ、その価格は下落傾向にあったのだ。沮授の施策で一定額での買い上げは進んでいるが、まだ領内には行き届いていないらしい。ならば豊作だからといって安く買い叩く商家が出てくるのは必然である。
だがそれでは困窮する農家も出てくる。そのため袁家領内での最低買取価格を設定した。そして俺はその価格に基づき、買い付けをする商会を立ち上げたのである。無論安く買って高く売るのが商売の基本ではある。それを俺は私財でカバーしたわけじゃない。もっと高く売れるところへと運んで売る。それだけの話である。天災に見舞われた地域とかな!涼州とか。江南とか!
「商流の管理、が二郎君の主眼ですか?」
沮授がちらり、とこちらを見やるがそんなの無理無理無理無理カタツムリ。である。
「いやいや。ぶっちゃけ袁家領内の物価の安定で精一杯、かな。それでも今のとこ上出来かなと思ってるんだけんどもね」
なお、実務に俺は絡んでいない模様。餅は餅屋。出来る奴に任せる。そいつが俺のやり方、である。
「我々にとってもありがたいですが、初期投資費用はよろしいので?」
まあ、そう来るわな。いくら高く売れるところへ運ぶとなっても初期投資というのは必要になる訳で。ちまちまと貯めた紀家の裏帳簿から出そうかと思っていたのだが、あまり表沙汰にできない金銭が――それも結構な大金である――俺に貸与されたのである。
幾度も、多重厚層的にロンダリングされて流れてくるその金銭。気にしたら負けかなーと思いながらありがたく運用させてもらっている。
多分田豊様あたりからの援助なんだろなーと思っているが定かではない。田豊様の一番弟子である沮授にそんなことを言う必要もないですしおすし。
「おうよ。資金の出所についてはまあ、お察ししてくれよ。そして知る必要はないと思うよ?
それより、だ!思わぬ拾いものがあったんだってばよ」
あからさまな話題逸らしに沮授はにこり、と笑みを深くして。それでも乗ってきてくれる。こいつ、全部分かってて聞いてるのと違うか。むしろ黒幕というのもありえるな。おおこわい、こわい。
「ほほう、拾い物ですか。二郎君がそんなに嬉しそうな拾い物のお話を伺いたいですね?」
「へっへー、沮授には分かんねーかもしれねーなー。へっへっへ。商会を任せるに足る人材を拾ったんだよ」
俺の言葉は沮授にしても意外だったようでその澄ました顔がきょとん、とする。それは滅多に見られない表情であり。つまり、してやったり、である。
「おやおや、会ったばかりの人に二郎君のここまでの努力の結晶を任せるつもりなのですか?それは――ずいぶん高く買ったものですね」
「とんでもない、タダ同然の安値で拾ったんだよ」
ニヤリ、と俺は会心の笑みを浮かべる。だって、それくらいの人材を拾うことが出来たのだから。いやあ、あの時ばかりは神の見えざる手に感謝したね。マジ話。
「おー!やっぱり賑わってるなあ!」
「そうだな、人通りも多いし、活気に溢れている。実に活気に溢れている。流石は袁家のお膝元、といったところかな」
暢気そうに声を漏らした青年をくすり、と可笑しげに見やって。赤楽はそれでも周囲を油断なく見やる。いくらこの南皮の治安がいいとは言っても気を抜く理由にはなり得ない。なんとなれば旅の道連れであるこの青年はどうにも育ちがよすぎるのか、無防備すぎるのだ。呆れるほどに、だ。
「だから、いくら洛陽での修行を終えて目的地に着いたとしてもあまりはしゃぐなよ?」
「分かってるってば」
さて何を分かっているのやらと赤楽は内心苦笑する。そしてお気楽な発言が続いても苛立ちの欠片さえ生じないのは彼の生来の気性、そして受けた恩故か。それとも別の要因によるものだろうか、と内心に思考を巡らすのは数瞬。それでも、機嫌のよさそうな彼の表情に赤楽の口も緩む。漏れ出でる言の葉は事前に考えていたモノとは違ったのだが。
「君には本当に世話になった。私にはどうやって恩を返せばいいのか見当もつかないな」
「おおげさだなあ、おいらは当然のことをしたまでだって」
「だが、君は一度故郷に帰るつもりだったのだろう?」
くす、と艶やかに笑う赤楽にむう、と唸る。
「そ、そうだな。だけど、一度南皮には来るつもりだったしよ・・・」
そう。本来の目的地は南皮ではなかった。彼は洛陽で学問を修め、故郷に戻る途中に連れを拾ったのだ。――赤楽と言う名の自分のことである。そしてそう、文字通り拾ったのだ。拾ってくれたのだ。水害で行き倒れていた自分を。
赤楽、という名前だって便宜上彼がくれたものだ。赤毛をざんばらにしていた自分が貰うには過ぎた名ではあるかと思うのではあるが。
――閑話休題。受けた恩とかはともかく、彼がここ南皮に興味を持ったのはある時期からである。もっと言えば袁家領内の統治にある人物が登場してからであるとのことだ。それを象徴するのが「農徳新書」だ。かの、「神農」の言葉を記したというその書物。まともな知識人であれば奇書として一笑に付したであろうそれ。
袁家という、漢朝でも最大の組織がそれを容れたというのだ。そしてその結果が目の前の繁栄である。そりゃあ、その著者に興味がわく――どころか、会ってみたいとかいうのもごく自然なことである。
洛陽で学び、漢朝の腐敗、汚泥に触れたならそうするのは士大夫として自然なことなのだろう。なお、自分は洛陽で学んでもないし漢朝の実態についても詳細については知らないので割とどうでもいいのだ。目の前の安寧こそ赤楽にとって至上なのである。
だから、眼前で起こるトラブルについても華麗にスルーしてしまおうと思っていたのである。いくら善良そうな子ら。将来が楽しみであろう子らであっても赤楽にとってはどうでもいい事象である。だから可憐な幼女が暴漢に向かってぷるぷると震えながら背後の男児を庇っていても。思う所がないわけではないが優先順位は確定している。さっさとこの場からおさらばしてしまうのが最上だと理性が語りかけてくる。のだが。
「二郎様を、どうにかするのなら!わたしが!」
涙目で放つ言の葉の熱を感じて。ちら、と見た連れはこくりと頷く。まあ、そうだろうなあと思う。捨て置いておけばいいのに、と思う心を置き去りにして身体が動く。
「しぃ!」
やってやれと無言で激励された赤楽は一呼吸で破落戸たちの意識を刈り取っていく。こういう時は中途半端が一番いけない。本当は後腐れなく殺しきるのが正解なのだがな、と思いながら。
何だお前は、と誰何の声すら上げさせることなく赤楽は破落戸たちを駆逐する。幾人かは儚くなってしまったかもしれないが、正直知ったことではない。
「やれやれ。袁家領内と言っても治安についてはこんなものか」
そう言いながらも周囲への警戒は怠らない。徒党でこられたら面倒だ。百人程度であれば問題なく対処できるだろうが。
正直破落戸の百人や二百人であれば俺と陳蘭ならばなんとでもなると思っていたのがまずかったのかもしれない。或いはロクでもない嗅覚にひっかかったか?襤褸を身に纏い、灰や泥で小汚くしても見落としていた点があったのかもしれない。まあ、結論から言うと俺と陳蘭は破落戸どもに絡まれてしまったのである。ほんで、逃げるかぶちのめすかを逡巡していたわけだが。
俺がどうしようかと思っている間にことは解決されていた。
「あ、ありがとうございました!」
「なに、礼なら連れにするがいい。私は君らに興味なかったのだからな」
「なんでそう憎まれ口をきくかなあ」
おおう!流れに乗り遅れた!俺だけ置いてけぼりじゃねーか!くそ!なんて時代だ!
「だから、割とこの先どうしようかと思ってるんだよ」
苦笑しながらも悲壮感のない物言いは万人に好感を与えるであろう。無論俺だってそうだ。人当たりの良さもだが、一を言えば十を察してくる地頭のよさ。これは傑物やでぇ・・・。むしろ中央からのスパイか?と疑念を抱きながら思い切って聞いてみた。YOUは何しに南皮に?って。
「いや、ね。おいら、洛陽で学んでたんだ。それで、この書に感銘を受けてね。
そんで、運がよければ作者に会えるかなー、とか思ってさ」
無理目だろ?と笑う顔には邪気がなく、また、その書が予想外で絶句してしまう。
その書は、「農徳新書」といった。いやいやいやいや。確かに農業のノウハウを拡散すべくばら撒いたのだが、まさか洛陽まで流れているとは。
「おいらも、せめて故郷への旅費を稼ぎたいなあ。日雇いでもして。連れの赤楽が仕事を見つけて、生活に目処が立つまで、かな」
いや、そりゃ洛陽に学問するために行くくらいなら相当なもんだろうよ。赤楽っていった少女も凄腕みたいだし――。何だかぞくりと背筋に寒気が走る。
「あー、どっちも伝手がないわけじゃあないから、当たってみようか?」
「それは助かる。赤楽は、水害以前の記憶がないみたいなのでよろしくな。
おいらは、読み書きとか簡単な計算ならできる」
「おうよ。あ、お前さんの名前聞いてないな」
「お、そうかすまんな。おいらの名は張紘ってんだ」
は?
はぁ?
はあああああああああああああ?
ちょ。ちょっと!マジか。マジなのか。ちょっと眠たかった俺の意識が冴えるというか沸騰する。聞き間違いじゃないだろな。
「あ、すまん、もう一度、いいかな・・・」
「ん?張紘。それがおいらの名さ」
とんでもない大物が釣れました。釣りしてないけど。張紘と言ったら孫家の誇る二張の一角。K●EI準拠ならば政治パラ95以上確定の傑物じゃないですか、やだー。やったー。
って、逃してたまるかこの大魚どころかもう、もう!乗るしかない!このビッグウェーブに!
そこから始まる俺のリクルート。なんやかんやあって、俺のなりふり構わない必死の勧誘に張紘はついに首肯したのだ。
いやあ、今日はいい日だ。マジで人生最良の日と言ってもいいかもしらんよ。くくく。
「で、おいらは何をすりゃいいんだ?」
商会とか言われてもさっぱりだぞと首をかしげる張紘。ここいらへんの切り替えの速さは流石だと言わざるを得ないがなにもおかしくないな。思うところを軽く説明する。のだが。
「なるほど、物価の安定。それが第一義ってことだな」
ふぅむ、と頷く張紘。ある程度の業務内容と企業理念を伝えただけでこれである。一を聞いて十を知るとはこのことか。ちなみに俺は頭が凡人なので三聞いて二くらいしか分からん。沮授は一を聞いて二くらいが精々と謙遜していた。倍返しか!
「おうよ、だから、赤字にならなきゃあ、それでいい」
「どちらかというと、買い上げ価格の広報が趣旨ってことだな」
「そういうこった。その場で買い付けるなり、町に売りにいかせるなり、さ。
どっちでもいいんだ。差益の目安はまあ、後でうちのに相談してくれ」
「それは助かるなあ」
流石に商売のノウハウなんてないしな、と張紘は笑う。沮授が腹黒系イケメンなら張紘は爽やか癒し系イケメンだな、なぞアホなことを思いながら業務内容のばっくりしたとこを伝えていく。
はっきり言って儲けの多寡なんぞは問題ではない。収穫量が急拡大した農作物の物価の安定がその主眼である。それを俺のてきとーな説明で理解した張紘はマジで能吏である。それも破格の。これはすごい人材をゲットしたでぇ・・・。
これは、きちゃったかな。俺の時代が。
「盛り上がっているところすまないが、私は何をすればいいのかな?」
そう問いかけてくるのは燃え上がるような赤毛を三つ編みに括った麗人である。張紘の連れで赤楽と言ったか。さて、俺の三国志知識にない名前だが。
「あ、すまねえ、おいらのことばっかだった」
「いや、それはいいんだ。実際、やりがいのある仕事だと思う。
私も負けてられないな、と思っただけだ。
とはいえ、張紘と違って身体を使う仕事しかできないがね」
ニヤリ、と凄味のある笑みを浮かべて背負った剣をちらりと見せつけてくる。うん。そのオーラといい、身のこなしといい普通に強いなこの人。まあ、無名の武人ってとこか。だがそれは好都合というもの。
「あー、そうだな。とりあえず張紘の護衛をしてもらおう。
しばらくは二人で近隣を回ってもらって商売の流れを掴んでもらうつもりだしな。
最悪、荷とか資金は捨ててくれていい。ただ、張紘だけは無事に連れ帰ってくれ」
「把握した。なに、賊の百人程度ならなんとでもするさ」
なにそれこわい。赤楽さんの凄味に泡吹いて白目向いて卒倒しても許されるんじゃね?とか思っていた俺の意識を現世に呼び戻したのは張紘の一言だった。
「ふむ。つまり、だ。おいらは金では買えないものを持ちかえれば期待に沿える、と思っていいのかな?」
「――然り。だから死ぬなよ。お前に死なれたら困る。
人質に取られたら千金だって積んでやる。だから死ぬな」
「うーん。ずいぶんとおいらを評価してくれてるみたいだけど、なんでだ?」
そりゃあ、K●EI参照しても屈指の内政特化の強キャラだしなあ。とも言えず。
「袁家ってな。化け物みたいな人が普通にごろごろしてるんだよね」
師匠とかねーちゃんとか沮授とかな!
「それで、これでも人を見る目と言う奴はあると言わせてもらおう。そして張紘。お前は、だ。
お前はこの中華でも屈指の才能を持っている。
俺はこの中華、漢朝の治めるこの平和を保ちたい。乱世なんてまっぴらだ。
俺一人でできることなんてたかがしれている。しれてるんだよ。だから、張紘の力を借りたい。お前の力が必要なんだ。
――頼むよ、力を貸してくれ」
思えばここは正念場、である。
張紘に出会えたのはきっと天佑。だがそれを活かすことが出来るかどうかは俺次第、である。断られたらどうしよう。這い寄るプレッシャー。震える両膝、薄くなる酸素。ぐらり、と揺れ。ぐにゃりと歪む世界に射した一条の光。
ぎゅ、と痛いほど握られた手から伝わるぬくもり。そして痛み。いや、割とマジで痛いよ?陳蘭?マジで痛いよ?折れるよ?心の前に!物理的に!ほら、今俺涙目なのは君のせいだからね?
などと目を白黒させ、支離滅裂な思考の海に逃避する俺を現実に引き戻したのは張紘の声であった。
「ああ、そこまで言ってくれるのはこそばゆいけど、承知した。おいらを如何様にも使ってくれ。
その、思い描く治世。それにきっとおいらは役に立つ。役立って魅せるとも」
「頼りに、させてもらうぜ」
張紘と俺との出会いはそういう感じだった。照れながらも手を差し伸べてきた張紘の笑顔を俺は、一生忘れることはないであろう。そう思った。
三国志序盤の醍醐味は人材蒐集。