凡人の帰還
「南皮か……何もかも懐かしい……」
懐かしの我が家に帰還、である。ちなみに陳留を去る時にはネコミミと春蘭が見送ってくれた。
塩でも撒かれるかと思っていたので意外ではあった。まあ、ネコミミとは戦友……的なものと強引に言えないこともないし、春蘭とはなんやかやあって真名も交換したしな。
以上ちょっとした現実逃避。
おっかしーなー。
懐かしの……南皮の城壁の上になんでゴテゴテとでっかい兵器が備え付けられてるんだろう。あれ、俺が出発するときにはなかったよね。
投石器に巨大連弩かあれは。城門も鋼鉄製になってるし。空堀三重とか……いったい誰と戦うつもりだ。
いやまあ、備えあれば憂いなし、か。誰に備えているのかを追求するのは後にしよう。きっと使い道のない予算を公共事業で適当に消化したとかそういうことに違いない。俺は詳しいんだ。
軽く頭を振りながら城門を潜る。下馬し、城に向かい歩き出す。
と、声がかけられる。
「二郎さん」
そちらを見ると、麗羽様がそこにいた。艶然といった微笑みをいただけるこの幸せよ。
「あ、麗羽様。なんでまたこんなとこに」
我ながら間抜けな台詞ではある。くすり、と笑いながら麗羽様は口を開く。
「二郎さんのお出迎えに決まってますわ。
洛陽への使者の任、ご苦労様でした」
「あー、二郎、ただいま戻りました。
麗羽様にはお変わりないようで何よりです」
「ふふ、私はそうでも、ずいぶんと変わった子もいますのよ。
ほら、美羽さん?」
見ると、麗羽様の後ろにちっちゃい子が隠れて、こちらをちら、と覗いている。
ん、この子はもしや……。
「じ、じろう……。お帰り……、なのじゃ」
「あらあら、あんなにこの日を楽しみにしていましたのに。
照れ屋さんだこと。ほら」
麗羽様の陰に隠れようとした幼女。見忘れるものか。見失うものか。これぞ、美羽様である。いや、わかるってマジで。
その、おずおずとした美羽様を麗羽様がこちらに押しやる。
そんな美羽様が目を伏せながら、ちらり、と上目づかいで俺を見てくる。
これは問答無用で可愛いですよ。可愛いは正義ですよ。
美羽様の前でかがみ込み、目線を合わせる。
「はい、美羽様、二郎です。ただいま戻りました。
いい子にしてましたか?」
にこり、と笑いかける。と、笑みが咲くのだ。文句なしに満開である。可愛い!
「うむ、お勉強もいっぱいしたのじゃ!」
「二郎さんを驚かしてやるといって、一生懸命でしたのよ?」
「麗羽ねえさま、それは!」
キャッキャウフフとじゃれ合う姉妹が微笑ましいことよ。
あー、帰ってきたんだなあ。そう実感する。
「そりゃ」
「ひゃ?じろう?」
あわてる美羽様を肩車するのだ。幼女にはこれが一番なのだよ。俺は幼女の扱いに関しては詳しいんだ。
「うわぁ、高いのじゃ……」
ほらな。
すぐにおとなしくなり、あたりをきょろきょろとする美羽様。うむ、正しい幼女の姿である。
「あら、美羽さん、いいですわね。
ふふ、そういえばわたくしもよく肩車してもらいましたっけ」
「そうですね。……麗羽様と比べると、美羽様はおとなしくてお利口さんですね」
「まあ、二郎さん、ひどいですわ」
城に向けて歩き出しながら姉妹と談笑する。
ふと、窺えば。猪々子が、斗詩が、凪が、陳蘭が周囲をさりげなく固めているのを認識する。出迎えと護衛、ということなのだろう。
それぞれに軽く目礼をしながらゆったりと歩みを進める。おひさー。
明日からは忙しい日々が始まるだろう。そしてそれを楽しみにしている俺が、いた。
◆◆◆
というわけで宴席である。
うん、とりあえず宴会という袁家の家風って俺にぴったりー。飲めや歌えや……って昭和か!
それはさておき。七乃さんよ。
「あのさ。一応俺の任務内容って極秘だったと思うんだが」
「極秘ですよ?これはあくまで任務で長期出張してた二郎さんの帰還を祝う会です。
任務内容を知ってる人なんてごく一握りですよ」
「あー、そっか、留守してたことには変わりないか」
「そうですよー?どれだけお仕事たまってるか楽しみですねー?」
「うっせー」
まあ、通常業務というか、ルーチンについては問題ない。雷薄と韓浩がいるからね。よほどのことがないと俺まで回ってくることはないし。俺は自動ハンコ押しマシーンであるのだよ。そのハンコすら預けているくらいだしな!
……それはそうと、何で俺が南皮に到着するタイミングを狙って麗羽様と美羽様がスタンバってたかは聞かない。
どうせ七乃の情報網に引っかかったんだろうさ。張家の情報網、こわや、こわや……。
それはいいんだが。
「なんで美羽様俺に貼りついてんの?」
「いやあ、慕われてますねえ。憎いぞ、このー」
俺の服の裾を握ったまま眠っている美羽様である。
「いやまあ、それは嬉しいんだけどさ」
「本当に聞きたいですかー?」
刹那、目を光らせて七乃が笑う。
「聞くともさ。聞かせろよ」
「簡単ですよー。美羽様の周りで、美羽様のことを考えてるのが私と二郎さんしかいない。そういうことですね」
軽く瞑目する。そうだな。幼子というのは、あれで人の悪意に敏感だからな。
「そっか。七乃にも苦労をかけたみたいだな」
「私はいいんですよー。そんなの今更ですからねー。
ですが、美羽様の教育上、悪意と欲望にさらし続けるのはよくないかな、と」
俺の不在がある種の政治的空白地域を作ってしまった、ということなのだろう。そら取り込んだら袁家の中での序列がえらいことになる美羽様である。有象無象が蠢動するのも……むべなるかな。
「俺の不在がいいことに美羽様を取り込もうとした、か」
「ええ、そうですねー」
あくまでにこにこと俺を見やる七乃。おそらく独りで悪意への防波堤を勤め上げたのだろう。
そんな七乃の表情には俺への糾弾も非難の色もなく、薄く笑みを浮かべるのみである。こういう時の七乃は怖いんだよなあ。
「ま、俺が帰ってきたんだ。好きにはさせんとも」
「あららー、二郎さん、本物ですかー?らしくないですよー?」
「うっせえよ。俺だってやる気がある時だってあんだよ」
「頼もしいなー、でもそれがいつまで続くかなー?」
あのなあ……。人が珍しくやる気になっているというのに。
「お前は俺の心を折りたいのかよ」
「まさかー」
にこにことしたまま。巧みに美羽様の手を俺の服から外し、抱きかかえる。
「では、頼りにしてますからねー」
にこり、といつもの、どこか全てを拒絶するかのような笑みを浮かべて退室していく。
残された俺はじっと手を見る。
そしてため息が漏れるのを自覚し、苦笑する。深刻ぶってもいいことなんてない。できることからやってくしかないのだ。
とりあえずは、美羽様のご機嫌を取りに行こうそうしよう。さっきはあんまり話せなかったしね。
そうと決まれば。朝一でアポなし突撃するとしよう。夜討ち朝駆けは営業の基本なのである。




