凡人と肉屋の倅
「お前さんが紀家の跡取りかい。お役目ご苦労だな」
さて。俺の目の前には何進大将軍様がいたりする。
曰く、肉屋の倅。
曰く、妹の威光で出世した庶人。
曰く、大将軍。
そんな予備知識がまとめて吹っ飛んだ。なんだこの威圧感、この迫力。
オールバックにした黒髪は艶やかで乱れなぞない。そして目を引くのは傷跡。縦筋に鮮やか。
左目の脇を走るそれはよほどの深手であったのだろう、その縫い後までもが生々しく残っている。肉屋の倅とか言ったの誰だ。これ本人目の前にして同じこと言えるか?俺は言えない。
「まあ、座れや」
ここは何進の屋敷。そしてその私室である。内々の面会ということでここに通されたのだが、ぶっちゃけ圧倒されまくりである。
「何進大将軍にはご機嫌麗しく」
「ふん、虚礼はいらんよ」
その眼光は鋭く、俺を貫く。そしてどこか面白がっているようでもある。
「まあ、よく来てくれた。歓迎する」
「ありがたき幸せ……」
「虚礼はいらんと言ったぞ」
おかしげにこちらを見やる。
「ま、今日は面通しだけだな。詳しい話はまたしよう。
とりあえず洛陽でのお前さんの安全はこの俺が保障する。宦官どもが蠢動するだろうがまあ、腕利きの護衛を付けよう。
お前に死なれたら、喜ぶのは宦官どもだけだからな」
確かにそうだ。
ここ洛陽で俺が死ぬようなことがあれば、袁家と何進が手を組むなどありえなくなるだろう。
「まあ、俺と袁家が組むってのは一応極秘だからな。
そうそう、襲われることもないだろうが、ね」
ニヤリと笑うと手を叩き人を呼ぶ。入ってきたのは妙齢の女性だった。立ち振る舞いに隙がなく、相当の手練れと思わせる。
「華雄、このお方を守れ。お前は死んでも構わん。
ただ、護衛の任は果たせ」
「は、承った」
引き締められた顔からはその命令に対する感情は読み取れない。
ただ、俺をちらりと見た瞬間に僅かに表情が歪む。
ふむ?
華雄に先導され、室を後にする。いやあ、本当に簡略だったなあ。それでも圧倒されたけど。
しかし、蔡邑と組んでたり、華雄を部下にしてたり。これは何進に対する評価を一からやり直さないといけませんねえ。何よりあの威圧感は只者ではない。
「なあ、華雄さんよ」
俺を先導する華雄に声をかける。
「何だろうか」
訝しげにこちらを見てくる。
「さっきの御仁は何進大将軍その人で間違いないんだよな」
これが最初に浮かんだ疑問だ。あれは本当に何進なのか。俺の予備知識との乖離が激しすぎる。
「おかしなことを聞くな。間違いなく何進様だ」
「そうか、すまんね。どうにも風説と人物像が一致しなくてな」
「ふむ、そんなものか。だが、噂などあてにならぬものではないか?」
それを言われると怨将軍という道化としては黙らざるをえないのだが。
何進。
妹が皇帝に見初められ、栄達をし、最後は宦官に暗殺されたという人物である。
最後が間抜けなせいか、或いは出自が卑しいからか某ゲームでも押しなべて能力値は低い。
ん。
何だろうか、この違和感。
妹を皇帝が見初めたというが、だ。肉屋の娘がどうすれば皇帝の目に留まるというのか。……後宮の宦官を通じて妹を差し出したと考えるしかないだろうな。そうすると何かが繋がりそうな気がする。
肉屋、肉屋か。果たして只の肉屋が宦官と通じるだけのコネを作れるものだろうか。
よしんば通じることができても、大将軍となるだけのバックグラウンドはどこから来た?
……金だろう。それは間違いない。だが、一介の肉屋にそれだけの蓄財が可能だろうか。いや、肉屋というのはあくまでも象徴に過ぎないかもしれない。
肉屋の元締めという線はどうだ。これならまだしっくりくる。そういや関羽も肉屋だったか。んでもって侠という闇の勢力をまとめていたんだっけか。あれ、張飛の方だっけ?
ん。
ん?
闇の勢力……、裏社会……。何か見えてきた気がする。ちくしょう、こういう時に沮授と張紘がいりゃあ助かるんだが。
ってそうだよ。母流龍九商会だ。色々現代資本主義の手法を持ってして裏技的に急成長した商会だ。だが、洛陽には食い込むことができなかった。
流石は二百年続いた後漢王朝。ある程度資本主義的な組織がしっかりしていると思ったものだ。
つまり、洛陽には財界のようなものが存在していると考えていいだろう。そしてそれが権力に食い込もうとするのは本能のようなものだ。現在の後漢においてもそう動いているはずだ。
ぞくり、と背筋が寒くなる。
つまり、何進とは。洛陽の財界、そして裏社会のトップなのだろう。
だとしたら、何進と宦官の戦いとは、既存の勢力――既得権益――に対する新興勢力の暗闘ではなかったのか。
統治機能を喪失したとされる後漢王朝を支えたのは実はそういった勢力だったのではないのだろうか。
そして……何進はその権力闘争に勝ちきったのだろう。結局宦官勢力は暗殺という非合法な手段によってしか何進を除くことはできなかったことであるし。
ということは、だ。董卓があそこまで汚名を着せられたのは、その新興勢力の希望の灯であった弁太子を廃したからではないのか。
その結果、結局商人達が権力の中枢を握ることはできず、あろうことか宦官の孫が王朝を築くことになる。
曹操が後世において悪人とされるのはそのためではないだろうか。
いかんな。少ない判断材料で先走りすぎている気がする。だが。俺はひょっとしてものすごい歴史の転換点に立っているのではないだろうか。袁家だけでなく、もっと大きなもの。歴史の奔流の分岐点にいるのではないか。
いや、それでも俺のやることに変わりはないんだけどね。多分きっとメイビー。
メイビー。
……メイビー。