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凡人と保護者たち

「しかし、やってくれたわね」

「ふむ。我ながら会心の一手であったと思うがな」


 その言葉に麗人は苦笑する。顔の半分を覆う火傷の痕。それがその笑みの凄味を増しているが、相対する人物は毛ほども気にしない。

 余人を交えず、一室で相対しているのは麹義と田豊。袁家を支える武と文のトップである。その二人が護衛もなく相対するのはよほどのことである。


「まあ、今回は譲るわよ。流石にあの子があんなことを考えていたなんて分からなかったしね」

「儂とてそうよ。たまさかに、一度紀家の跡継ぎを見ておこう。それだけのはずだったのよ。それがどうしてどうして。まさかこの中華全土を視野に入れているとはな。

 あれはまさしく麒麟児。いずれ鵬のごとく羽ばたくであろうよ。儂の弟子なだけのことはある」

「待ちなさいな、二郎は私が育てたのよ?そこは譲れないわねぇ」


 両者が数瞬睨み合い、互いに苦笑する。


「――あの子はどうやら中華に乱があることを確信しているようよ」

「成程のう。そこに至るか、あの年で」


 田豊の額に深い皺が刻まれる。漢朝の現在と未来。それはけして明るいモノではない。宦官が実権を握り、私欲の限りを尽くしている。その対抗馬は何進。肉屋の倅と揶揄される諸人である。妹を今上帝に差し出して地歩を固めつつあると聞く。大将軍という埒外の地位を望み、それを得るのも遠い未来ではないであろう。

 そして財政難。その対策が売官という救いのなさよ。宦官の養子が三公の一席を買うなどという異常事態。漢朝の未来はどう考えても淀んでいるのだ。袁家が北方の盾として洛陽から距離をとりつつあるのもそれが故である。

 中央の政争に関わってられるか、というのが最前線の武家の考えである。


「ほんと、あの子は先が見えすぎるみたいね」

「その分、足元が疎かじゃな。危なっかしいことこの上ないわい」


 憮然とした田豊に麹義は深く同意する。


「そうね。あの子はとっても利発よ。だからもう、そのために何をするか分かっている。それで動いた。で、田豊?あの子の視野を足元に向けせさせるのかしら?」


 含みを持たせた麹義の言に田豊はニヤリ、と笑みを浮かべる。


「愚問よな。鵬は天高く羽ばたくものよ。足元がおろそか?そのような雑事は置き捨てるがよいだろうよ。むしろ高みを目指してもらわんと困る。まあ、足を引っ張る有象無象は沸くじゃろうがな」

「露払いは私たちの仕事。それはいいのよ。でも、いつまでも私たちが出張るわけにもいかないでしょう?」

「そうよな。その通りよ。だから、沮授を付けようと思っておる」


 ふむ、と麹義は黙り込む。妻も娶らず、派閥も作らぬ孤高の田豊。その彼が引き取ったという俊才。田豊の後継者として英才教育を受けているその名を麹義も知っていた。


「へえ、大盤振る舞いね」

「賭けるべきじゃと思うのよな。袁胤殿は洛陽に近すぎる。次代の袁家は麗羽様のもと、武家四家、袁家官僚も付き従うべし。

 かつて――あの乱の時にできたことをこの平時にできるやもしらんと思うのは甘いと思うか?」

「甘いと思うわよ。まあ、楽しみなことだけれどもね。

 ――でもね、その賭け、乗るわよ?全力でね。

 勿論協力は惜しまないわ」


 くすり、と笑いを漏らした麹義はこほん、と咳払いをする。そして全身に覇気を漲らせて喝破する。そう、ここからはあくまで対立する文武のトップとしての体裁。

 組織に緊張感をもたらすためにも、彼らは激しく対立していなければならないのだ。そしてそれを緩和し、習合させるのは自分たちの役割ではない。

 だから麹義は全身で吠えるのだ。


「ふざけるなよ田豊!貴様何様のつもりだ!紀家の小倅を抱き込み軍部に唾を付けるつもりか?それはいささか越権行為が過ぎるというものだ。身の程を知れ!」


 並の人物ならば心臓発作を起こしそうなほどの麹義の覇気に田豊は小揺るぎもしない。にまり、と口元を歪めて吠える。


「ふはははは!だから貴様は阿呆なのだ!袁家は一つにまとまるべきなのだよ!その旗印に麗羽様!それを支えるのは二郎しかあるまいよ。なにせ、貴様も儂も紀家には大きな借りがあるでな!

 あの匈奴大戦での最大殊勲は紀家よ。匈奴のハーンを討ち取った紀家。その功に報えたかというと否!絶対に否!」


 実際、袁家の表も裏も仕切るのは紀家であるはずだったのである。しかし、匈奴の汗を討ち取り見事生還した紀家当主。彼が廃人同様であったからそれは見送られてしまっていた。それを好機、と思うほどに両者の心根は腐ってはいない。

 その嫡子。彼に全てを押し付けるつもりはない。だが、その器は麹義と田豊が共に認めるほどのもの。ならば我らは踏み台となろうというものである。喜んで。


「ふざけるなよ田豊!浅知恵で二郎を政争の具とするか!麗羽様との一件も貴様の入れ知恵か!そういうのをな、余計なお世話というのだ。引っ込んでろ!二郎はすぐにでも軍務に就かせるからな!」

「おうおう。吼える、吠えることよのう。虚しくならんかね。二郎の施策は儂の施策。刻すでに遅しということよ。残念じゃったのう」


 かんらかんらと呵呵大笑しながら田豊は更に煽っていく。ブックありきとは言えそれぞれに本音のぶつかり合い。そこに遠慮斟酌なんぞ介在しない。室の外で控える文官武官が身を竦めるほどにその気迫は激しくほとばしる。


「は?聞こえんなあ。もう一度その口を開いてみろ。二郎は私が育てた。譲る訳にはいかんな」


 麹義の口元が凶悪に歪む。そして売り言葉には買い言葉。


「は、儂の弟子をよくもまあ囲い込もうとする!女の妄執というのは度し難いものよな!」


 袁家のお家芸である派閥争い。袁家において緊張状態にあった軍と官僚の亀裂。この時期が最も高まった。と言われている。





「と言う訳で、よろしくお願いしますね」


 にこやかに挨拶かましてくれるのは沮授。田豊師匠の一番弟子であり、将来の袁家の幹部候補生の筆頭である秀才である。K●EIのゲームでも知力90後半あるくらいの傑物であり、いずれ友誼を結ばなければいけないと思っていたキーキャラでもある。それが向こうから来てくれたのだ。拒む理由はない。


「こちらこそ、ドーモよろしく」


 実際挨拶は大事。だが、なんで?と思う。


「おや、信用できませんか?別にそれでもいいですけどね?」

「んー。あれか、ねーちゃんと師匠からのお目付け役ってことか?」

「いやあ、どちらかと言うと転ばぬ先の杖。その杖ってとこですね。

 いやあ、実際転ぶことはできないでしょう?ですから便利に使い潰してくれればよいのではないかと思うのですが」

「その笑顔が胡散臭いことこの上ないんだが・・・」

「それを面と向かって言うのもどうかと思いますよ」


 くすくすとおかしげに笑みを漏らす。いや、徹頭徹尾笑顔を崩さない。俺と同年くらい。それでこの肝の据わり様。これは間違いなく傑物ですわ。いや。その扱いをどうしようかというのは思うのだけれどもね。

 戸惑う俺を見て沮授は耳元で囁く。


「さて、農徳書。その施策は素晴らしいもの。だとしても君個人でやるのはいかにもまずいです。これまで袁家は武家が政治に口を出すのはご法度。まあ、偶然とはいえそれを察知した田豊様はそれを自らの施策であると抱き込んだのですよ?」


 む。む?


「うわ。うわあああああ。うわあ」


 やってもうてた。やってもうたんか俺ってば。既得権益に突っ込むとか。――いや、それを考えなかった俺の未熟さよ!


「これはねーちゃんと師匠に足を向けて寝られないなあ」

「おや、随分殊勝なのですねえ。もっと尖っていると思っていたのですが」

「ふざけんな。俺が隠居することで丸く収まるならばいつでも隠居してやるよ」


 むしろwelcomeな展開ではあるのだがね。そうもいかん。安寧な老後を迎えるにはこの時代とその行く末はアカンのだ。アカンのだよ。マジで。


「これは失礼。しかし、反省されているようですが、後悔してますか?」


 問う沮授の視線が鋭い。にこやかに笑いつつ、視線で刺す。なにそれカッコいい。


「いんや。後悔なんてしてないさ。するものかよ。絶対に必要だからな、食糧の増産は特にな。そして農徳書の理を利に転換する膨大な凡例。それこそが大事なんだよ。そうだな。来季の報告書を添付して内容を改訂しよう。題名も農徳新書、ってな」


 どっかにいるであろう曹操への嫌がらせとどっかにいるかもしれない奴への牽制である。だが、PDCAサイクルについては本気で根付かせようと思っている。2000年経っても報告書への粉飾なんてのはありふれているのだからして。この時代なんてお察しである。

 実際農産物の収穫なんてのは半分天候次第。それを言い訳にするのではなく、それを加味してどうやれば収穫が増えるかというのをきっちりと既知のものとしたいのよ。言い訳とか粉飾に使う官僚の能力を殖産に使うっていうのは当たり前だと思わんかね。


「そして食糧の増産。それはこの中華に必須さ。肥沃な袁家領内大地のこの北方の収穫。それがくしゃみをすれば中華全体が風邪をひく。所詮乱というのは食い詰めが起こすモノさ。

 だから、まずは食わせる」

「成程。孔子もそう言ってますね。衣食住。まずは食であると」

「そうよ。まず食わせるのが為政者の仕事だ、義務だ。それが出来ずして、何が政治家だよ!」


 っていつから口に出してたー!


「いや、割と最初から聞いてましたよ?」


 イヤー!グワー!


「ええと、姉ちゃんにも師匠にも言ったことないことなので、ね?」

「ええ、わきまえていますよ。そして、大したものだ、と思うのですよ。実際、僕にはそこまでの発想はありませんでしたし。

 実際、僕は驚愕しているのですよ?この際だから聞いておきましょう。二郎くん、と真名をお呼びしても?」


 むしろウェルカムである。はいとyesで応えた俺に沮授はにこり、と笑う。


「では、よろしくお願いしますね、二郎君」


 これが、生涯の友である沮授とのファーストコンタクトであった。


袁家次世代、有能。

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