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肉屋の倅

「ククク、カハ、はっはは!

 これは傑作だ、傑作だとも……く、くくく」


 笑い声が室内に響く。心底楽しげな声が響く。その声の主がこのように感情を露わにするのは珍しい。


「どうか、したのか?」


 笑い声の主は何進。現在の漢朝の最高権力者である。大将軍という隔絶した地位を手にし、卓越した手腕で漢朝を差配する。

 清廉でも潔白でもなく、汚濁と権益によって世を動かす。その権力は肉親たる皇后、そして皇子に由来している。

 不敵に笑うこの男を追い落とそうと幾多の士大夫、宦官が挑んだ。そしてその全てをことごとく退けてきたのだ。

 その凄味を華雄は理解してはいない。ただ自分を屈服させた男が英傑であることを疑わないのみ。故にその英傑を守ることこそが武人としての本懐。

 その、英傑と信じる男がここまで声を上げて笑うことは滅多にないことである。怪訝そうな華雄に何進はニヤリ、と笑って応える。


「ああ、やられた。見事に先手を打たれたのさ。

 流石は田豊よ。不敗の二つ名は伊達ではないといったところ、か」


 不敗の田豊。袁家の最重鎮である。対匈奴の戦役では軍師として戦場に立ち、圧倒的な匈奴の攻勢を凌ぎ続けたと言う。彼のいる本陣は後退することはなく、自ら敵陣に単身切り込むなど逸話には事欠かない。

 当主の袁逢さえもが弓を引くほどの激戦は音に聞こえている。そのような実戦経験がある武家と言えば同じく北方の防壁たる馬家くらいであろう。


「まあ、読んでみろ」


 そう言って何進は手に持っていた書簡を投げて寄こす。

 袁家が一万人兵を増やした、極論すればそれだけである。黒山賊といつぶつかるか分からないし、ありえる動きではあろう。


「これが、何か?」

「ああ、分からんか。まあいい。

 せっかくこちらから救いの手を出そうとしていたのだがな。

 流石死線をくぐり抜けた奴は腹が据わっている。機を逸しちまった、俺としたことが、だ」


 ぶつくさと言っているが、勿論華雄にはその内容は分からない。それをすんなりと口にすることができるのは彼女の美点であろう。多分。


「ふむ、よく分からないな」


 舌打ちを一つし、何進は状況を整理する。


「ふん、凡百なら十常侍……つまり洛陽からの圧力に惑い、従うしかないだろうよ。

 だが、袁家はそれを逆手に取って戦力を増強してきやがったのさ。

 つまり、やれるもんならやってみろってわけだ。

 ここまで強硬に来るとは俺も思ってなかったぜ。武家の矜持という奴を読み誤ったわけさ。俺もだが……十常侍も、だ」


 実際には別に十常侍は漢朝の意思を代弁しているわけではないのだが、それは内部に深く関わらないと分かるはずもない。だから十常侍の専横が止まらないのである。


「では、袁家は漢朝に叛くと?」


 直截的な問いに何進は苦笑する。


「そこは違うな。全然違うとも。単に、つっぱねただけださ。

 俺としてはその前に仲介なり結託をするつもりだったんだがなあ。

 そうそう上手くはいかんか」


 そう言いながらも。欠片も悔しそうではなく、むしろ楽しそうな表情を浮かべる。

 何進。肉屋の倅などと貶められることの多いこの男は日々その勢力を拡大している。

 皇后たる妹、その息子である皇太子の威光を存分に使っているのだから。皇甫嵩や朱儁のような傑物を尻目に大将軍――その権は三公すら凌ぐ――の地位を十全に活用している。


「まあいい、王允を呼べ。袁家にそろそろ渡りをつけんといかんからな」


 ギラギラと覇気を撒き散らすかのごとく浮かべる笑みこそ何進の真骨頂だろう。その気概こそが漢朝を黄泉路より引き戻すのである。少なくとも華雄はそう確信している。


「クハ、面白くなってきたじゃねえか」


 史実においても権謀術数が幾重にも織られる宮中において、正攻法ではあの十常侍すら武力行使という非常の手段でしか排除できなかった傑物。

 その、ある意味政治的怪物が袁家との接触を本格的に試みることになるのである。そして、漢朝の実質的最高権力者と紀家の麒麟児が対峙するには、まだいささかの時が必要とされる。

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