凡人を囲む姫たち
「おはようございますー」
とってもいい笑顔で七乃が歩み寄ってくる。肩と肩が触れるか触れないかという微妙な距離感。同僚にも恋人にも、見る側の観測次第でどうとでも取れる距離。
かすかに触れる手と手。なんだこの距離感、見ようによっては、あれだぞ。
……いや、もう幾度となく肌は重ねているのだけれども、それは秘すべきものだろうに。こいつの考えてることは良く分からん。というか俺ごときの脳みそでいくら考えても無駄な気がせんでもない。
「なんだよ」
七乃の、何か言いたげな目つきに問うてみる。
「いえー、思ったよりお手が早いんだなー、と思ってですね」
ちょっと情報早すぎやしませんかねえ……。顔家の家人から漏れたのか?それはないと思いたいのだが。がががが。
「な、なんで七乃が知ってるんだよ」
くすり、と笑みを深くしてから七乃はひらひら、と手を振る。
「いえいえ、ご心配には及びませんよ?でも腹芸の苦手な人は見つかったみたいですね?」
「おい。……おい」
「安心してください。張家の網にも何もかかってませんし。 それこそ私が、かまをかけないと確認できないくらいにはですね。
そこらへんの統制はお見事としかいえませんねえ。違和感と言えば、ちょっとお幸せそうなくらいですしね」
マジか。そっからどうやって色々推察を組み立てるというのか。
「あー。そうだな。
七乃が敵でなくて良かったと思うよ」
「光栄の至りですねえ。敵だなんてとんでもない。二人三脚で美羽様を支えるって契ったじゃないですかー
あ、後はちゃんと孕ませてもらわないとなー。
よ、この種馬!利用価値がなくなったらもげてしまえー」
「使い捨てか!お前が言うと洒落にならんわ!」
そんなん聞かされたら物騒すぎて同衾も軽々しくできんわ!
いや、七乃の表情はあくまでにこやかで、口調も穏やかなんだけどね。それが逆に怖かったりするのですよ。
いや、これは話題転換が必要。
「そ、そういや最近美羽様ってますますお可愛らしいよな?」
美羽様の名前をきっかけに七乃のマシンガン賛美が始まったでござる。いや、相槌うつので精一杯である。ギスギスした駆け引きよりよっぽど気が楽なのだけんども。いや、七乃が敢えて乗ってくれたという可能性も大いにあるのだが。
まー、どうせ目的地は同じなのだから、会話を楽しまないと損だよなあ。今日はこれから会議なのだ。それも武家四家の次代を担う四人の密室会議である。参加人数は当然四名。議題については一応用意してはいる。
なお言いだしっぺは俺である。意外とすんなり開催されてしまって戸惑ってもいる。七乃とかどうせろくでもないこと考えてるのだろうなあ、と思ってたら蹴られた。
地味に痛いんですけど太腿の付け根を膝蹴りとか。歩くのに支障をきたさないギリギリの痛さとかちょっとそのスキル地味に怖いんですけど。
おお、この満面の笑みの裏で何を考えているのやら。張家の闇は深そうですねえ。
「知りたいですか?」
いえ、結構です。マジで。世の中には知らない方がいいことってあるのだと思うのです。はい。
◆◆◆
「うぃーっす」
会議室に入ると、斗詩が既に着席していた。暇潰しに阿蘇阿蘇の最新号を読んだりしている。女の子してるなあ、そう思って見てると視線が絡み合う。
どこか艶めいた視線をくれる斗詩は、なんというかこれまでにない色気のようなものをまとっていた。
「おはようございます」
そう言って微笑む斗詩はまあ、控えめに言ってすごく蠱惑的だった。ちょっとドキッとしたし。
「おはようございますー」
そう言って七乃が つ、と歩を進める。斗詩と七乃の視線が絡み合う。んー。どうしてか室の空気が凍った気がする。おっかしいなー。どういうことなんだろなー。
「張勲さん、今日もご機嫌がよさそうでなによりです」
「あらー、知らない仲じゃないんですから、他人行儀すぎますねー。
よし、この際だから七乃って呼んでくださいねー。
末永いお付き合いになりそうですしー」
「ええ、そうですね。それでは私のことも斗詩とお呼びくださいね」
うふふ、あははと笑いあう美少女達。うーん。胃が痛いぞー?口を挟めるような雰囲気でもないぞー?
なんでさ!
そして殺伐とした空気が漂う会議室に鋼の救世主が!
「ごっめーん!遅れたー!」
「猪々子!よく来た!えらい!この月餅を食らえ!」
「いや、遅刻してなんでお菓子もらえるのさ」
そう言いながらぱくつく猪々子。ありがてえありがてえ。そしてこのまま押し通す!
「はい。定刻をちょっと過ぎてますけども、参加者が揃いましたので第一回四家会議を始めたいと思います。
よし、四家筆頭の猪々子、開会の挨拶を」
「え、そこらへん無理。アニキに頼んだ!」
「いや、こういうのって序列的に猪々子がやるべきなんだけど」
一応、こういう場で仕切るというのも慣れてほしいとこなんだけど。これからそういう機会も少しずつ出てくるだろうし。
「そういう偉そうな権限でアニキにそういうのとか議事進行とかの任を移譲する!」
すごいいい笑顔だよこの子。
「あのなあ……」
「んー、まあいいんじゃないですか?」
思わぬインターセプトである。まあ、七乃が何を企んでいるかとかは考えるだけ無駄としよう。
「私たちを召集したのも。いえ、そもそも主催者は二郎さんですし、ここで形に拘っても仕方ないでしょう?
形式に拘るならここまで出席者を削る必要もなかったはずですよね」
いやまあ、そうかもしんないけどさあ。
見れば猪々子は我が意を得たりというようなドヤ顔だし、斗詩もにこりと笑って賛意を示す。いいのかなあ。
ま、いっか。
「ほんじゃまあ。四家会議、始めよっか」
我ながらシンプルすぎる開会の挨拶だったな、と後日反省したものである。
◆◆◆
「さて、議題だけど、四家で人材交流をしようと思う」
この面子だから余計なことは言わず、本題に切り込む。疑問符でいっぱいの猪々子、少し考え込む斗詩。にこにこと読めない七乃と三者三様の反応である。
「アニキー、別に反対ってわけじゃないんだけどさー。
うちにそんな余裕ないぞー?
やーっと新兵の編成が終わったとこなんだからさー」
挙手しながら口火を切る猪々子。ちなみに会議で最初に意見を言うのは結構勇気が要ったりする。だから議事進行するにあたってサクラを仕込むこともあったりする。無論猪々子がそんなことまで考えているわけがないのであるが。
「うーん、文ちゃんのとこの事務手続きを手伝うというのなら、反対ですね」
小首をかしげながら斗詩が発言する。猪々子はガビーンといった風で見事な顔芸を披露している。大丈夫、表情が崩れても美少女だぜ。
まあ、顔芸に免じてフォローしてやろう。というかこっからが本番。
「うんにゃ、そうじゃあないんだ。近くはあるが、そうじゃあない。
言わば事務手続きの平準化、だな」
「どういうことですか?」
七乃が口を挟む。
「うーん、この前、猪々子が新兵の編成に手間取っててさ。それを手伝ったんだ。
これまでは、大枠の方針とか、麹義のねーちゃんに出す報告書の手伝いばっかだったんだよね。
ほんで、初めて文家の内部の書類を見たんだわ」
「そうそう、あんときゃありがとなー、アニキ!助かったよー」
纏わりついてくる猪々子を撫で繰り回しながら引きはがす。よーしよしよしよーし。
「どういたしまして。そんで思ったんだけど、文家の内部手続きは実際煩雑すぎるわ」
「え、どういうことさ!」
「いやー、当主の承認がいる案件が多すぎるだろ……。
一兵卒の能力に対する所感とか適正評価とか、ありえねえって」
いやマジで。新兵一人一人に対する所感の項目が多いのとそれが当主自らの評価項目って。ありえん。
そのことが分かるのだろう。斗詩と七乃も驚き、戸惑っている。そうだよなー。実際俺もマジでびびったもんなー。
「猪々子の事務能力がとんでもなく低いってわけじゃあないんだ。
業務がな、ものっすごく多岐に及ぶんだ。
そりゃあ、真面目にこなしてりゃあ一兵卒まで掌握できるだろうよ。つか、文家軍の強さの一因でもあるんだろうなあ」
「星を砕くもの」とさえ言われた先々代の文家当主はそりゃあ、才媛だったらしい。多分自分用の組織運営のマニュアルを作って、後代に引き継ぐ時には変更するつもりだったんだろうなあ。それが対匈奴戦役で予想外の戦死。
兵数が少ない今まではそれでもなんとか回してたんだろうが、急な増員で処理能力がとうとうパンクしたんだろう。猪々子だからこそ、変に糊塗せずに表面化してよかったのかもしれない。
「まあ、そんなわけで、各家の無駄と思われる業務を平準化して、効率化しようというのが今回の議案の目的だ。
数千人の増員で四苦八苦してる状況はいかにもまずい。
いざ実戦になった時に混乱しか招かん。戦いは数だとは言っても、その数を有効活用できなかったら意味がない」
俺の言葉に考え込む斗詩、大きくうなずく猪々子、にこにことしている七乃。
「っちゅうわけで、ある程度業務の平準化をしようと思う。それぞれの家でやり方は違う面もあるとは思う。
だけどまあ、今のうちにやっとかんとな。どっかの家が壊滅して残存兵力を抱え込んで、そいつらが
足手まといになったら目も当てられん」
「顔家は賛成します。軍官僚からは反対があるでしょうが、押さえます」
「張家も賛成しますよー。反対する理由がないですねー」
「文家は大賛成!仕事が減るって知ったらみんな喜ぶ!」
「お、おう」
なんだ、文家は配下も脳筋揃いなのか?まあ、全会一致で一番の懸案事項が可決されたのだった。こまごまとした意見交換の後、解散することになる。
「いやー、早く査察がないかなー。楽しみだなー」
「手の内を見られるのを嫌がる人もいるでしょうけど、そこは押さえて見せますから」
「ああ、急がないと美羽さまのお昼に間に合わない!」
三者三様で会議室を後にする。
……会議室に静寂が戻り、俺は大きく溜め息を漏らす。何でって?後半戦があるからだよ!