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凡人と孫家二の姫

「す、すごい……。なんて高さ……。城壁があんなに高いなんて……」

「城壁で一々驚いてたら身が持たないよ?町はもっと凄いんだからねー

 城壁はあくまで民を守る鎧。だからその中身を見てほしいのだよ」


 呆然とした孫権の声に引率役の魯粛が笑いかける。それを苦笑交じりに見守る黄蓋。まあ、黄蓋にしたって初見の時には似たり寄ったりの反応であったのだが。しかし前回と違って今回は長い滞在になりそうだ。


「これだけの城壁を造るだけでも袁家の凄さが分かるわね……」


 南皮の入り口にも至っていないというのに萎縮してもらっては困るのだがなあ、と黄蓋は思う。人質とはいえ、孫家を背負って来ているのだ。……とは言えそれを言うのは酷というものだろう。内心そんなことを思いながら声をかける。


「権殿、今からそんなに緊張していては倒れてしまいますぞ?」

「わ、分かってるわよ!」

「穏を見習いなされ。余裕綽々ですぞ?」

「あれはちょっと違うと思うのだけれども……」


 南皮へ送られる人質については割とすんなり決まった。まずは黄蓋である。袁家――紀霊と面識があるのは彼女のみであるからして、これはいの一番に決まった。

 周辺豪族への抑え、それに軍を率いるにしても孫策が残ればまあ大過ない。暴走のきらいもあるが周瑜があればそれもある程度は制御できる。また、周瑜をもってしても制御できない事態であればそれこそ孫策の持つ、孫家独特の勘が動いた時であろう。

 次に決まったのが孫権である。流石に当主である孫策殿を出すわけにはいかない。そういう意味では人質としての価値は孫策に次ぐのだからして。甘寧は喫緊の課題である江賊対策での主戦力であるし、周泰は周辺への探りとして江南を飛び回っている。消去法で陸遜となったのである。孫権と同じく、孫家の次代を担う者として袁家から学ぶべきことも多いであろうという期待も勿論大きい。

 人質、という名目であるが孫家の十年先を見れば中々に得難い機会でもあるのだ。それは同時に十年先を思う余裕が生じたおかげでもある。そう思い、終始無言であった陸遜に目を向けるのだが。


「ほれ、穏、しっかりせんかい」

「し、失礼しましたー」


 謝罪の言葉も上滑り気味。吐息は熱く、頬は紅潮。陶然とした表情はとろりと揺れる。

 悪癖が出たか?と黄蓋は内心頭を抱える。……陸遜は活字に没頭すると困った発作――発情というのが一番相応しい――を発症する。てっきりそれは活字だけのことかと思ったが、現状を見るに知的好奇心が満たされるとそれが起きるのか……。

 これは流石に想定外である。


「ほいほーい、んじゃ、付いてきてねー。

 商会の事務所に紀霊さんがいるはずだよー」


 そこらへんを華麗にスルーな魯粛の気遣いに黄蓋は頭が下がる思いである。やれやれと頭を一つ振り、久方ぶりに南皮の城門を潜るのであった。


◆◆◆


 思えば、第一印象は良くなかった。いや、最悪と言ってもいい。


「おー、黄蓋、久しぶりー。

 ……相変わらず、扇情的な装いだな。けしからん、実にけしからん。

 目の毒、目の毒」


 にへら、と、だらしない顔でとんでもないことを言ったのだ。その男は。


「おぬしも変わらんのう。そこまであからさまじゃと怒る気もせんわ」


 答える黄蓋は落ち着いたものである。慣れっこと言わんばかりに軽くあしらい、どうだとばかりに胸を張る。それに見事につられて、男の視線は黄蓋の上半身の一部分……というより胸に釘付けだった。そしてその胸部は言うまでもなく豊満であった。

 にやにや、とだらしなく笑いながら次に陸遜に視線を移して……これまた胸を凝視している。


「随分ご執心のようじゃがな。貴殿が注目する乳の持ち主について紹介くらいはさせてもらってもいいと思うんじゃが」

「おうよ、どんとこい」

「わしはまあ、今さらじゃからいいとして、こちらが孫家二の姫、孫権殿。

 貴殿が助平な視線を向けておったのが陸遜じゃ」


 その声に男――この男が紀霊であるらしい――の目が一瞬鋭く光る。そしてじろり、と値踏みするような視線でこちらを見やる。品定めと言わんばかりの視線に精一杯胸を張り、笑みを浮かべる。

 上から下まで舐め回すような視線をくれて、やはり胸の辺りで視線が……止まらない?!

 なんだろう。ものすごく腹が立つ。ものすごく馬鹿にされた気がする。この男は敵だ。そう、全身に刻み込まれるくらいの屈辱である。


「孫権です。祭や魯粛殿から色々噂はお聞きしておりますわ。よろしくお願いしますね」


 辛うじて無礼にならない程度に挨拶をする。声が震えていなかったろうか。いくら気に食わないとはいえ、この男の胸先三寸で孫家の命運は左右されてしまうのだ。粗相をするわけにはいかない。

 

「おう、紀霊だ。よろしくな」


 にか、と笑いかけてくる。普通に好感を持てる笑みなのだろうが、さっきまでの印象が最悪だ。こちらこそ、と愛想笑いをするのが孫権には精一杯だった。


「陸遜ですー。あの、農徳新書、読ませていただきましたー」


 珍しく陸遜が自分から話し出している。ああ、そういえばあの書の著者だったか、と納得する。陸遜は随分とあの書に執心だったからして。……正直、著者本人とその著作の内容のあまりのギャップに目眩すら覚える孫権である。


「あららー、ご機嫌斜めなのかな?」


 魯粛の声に肝が冷える。いけない、態度が露骨であったかと。


「そんなことはないわよ。ちょっと緊張しているだけ」

「ふふーん?まあ、そういうことにしておこっか」


 にんまりと笑う魯粛。この娘も浅いようで読めない。見透かされているような、試されているような視線に居心地の悪さを覚える。

 何を言っても曖昧模糊ながらも当意即妙。このような傑物が留守にしても構わないほどに母流龍九商会は充実している。虞翻、顧雍などの識見には舌を巻いたものだ。

 まあ、いい。所詮は人質の身なのだ。だが、孫権は勿論それだけで済ます気はない。孫家の次代を支える者としての覚悟は完了している。袁家が繁栄しているならそこから学ぶべきことはたくさんあるはずだ。けして、遊びに来たのではない。

 私は孫家を背負って。孫家の代表としてここにいるんだ。

 決意も新たに紀霊を見やる。のだが。

 黄蓋と陸遜に挟まれて鼻の下を伸ばす彼に、一体どういう表情をしたらよかったのだろうか。まあ、少なくとも舌打ちをしてしまったのはまずかったなあ、と思うのである。多分彼には聞こえてなかったとは思うのだが。思うのだが。

出会いは最悪

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