表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/350

凡人の人生設計

「ちぇすとおおおおおおおおおおおおおおお!」


 渾身の雄叫びと共に握りしめた木剣を丸太に叩きつける。腹の底から放ち、喉を枯らすそれはもはや絶叫といっていい。むしろ猿叫か。

 更に連撃を叩きこむ。全身の筋肉の悲鳴を無視して、打つ、打つ、打つ。無酸素運動の稼働限界を越え筋肉が悲鳴を上げても尚、打つ。打つのだ。


 ぜえ、ぜえと呼吸が困難になり、意識に靄がかかるまでに打ち尽くす。それが俺の毎日の鍛錬である。三国志、つまり戦乱を防ぐと内心誓ったとしてそれが果たされるかどうかは別問題。ならば鍛えておかねば、というのはごくごく自然な発想である。

 そして、実践というか、実戦において猛威を振るったあの流派を俺は選んだ。いや、この時代、まともな武術とか流派とかないからね?

 そしてあの流派――(みんな大好き)示現流についてはちょいと道場に通ったこともあるしな!

 まあ、幼児のうちから立木打ちとかのトレーニングをしとけばきっといっぱしの戦闘力を身に付けているはずである、とか思いながらもひたすらに打つのだ。打つのである。努力はきっと裏切らない。といいな。


「二郎様、お疲れ様です・・・」


 ぜえぜえ、と息を切らす俺に陳蘭が水を持ってきてくれる。うん、生き返る。ぷはー、って感じ?

 だけんども実際、鍛錬したって気休めくらいなんだよなー。膂力で言ったら現状でも陳蘭には全然かなわんしね。とはいえ、白兵戦の能力を積み上げるのにこれ以上の鍛錬は思いつかなかった。俺が思うにこの鍛錬は自らの限界を越えてなお、相手を屠るためのもの。

 人は知らずにその振るう力にリミットを設けているという。それを取り払って発揮するのは非常時のみ。いわゆる「火事場の馬鹿力」というやつである。それを意識的に発揮することがこそが肝ではないのかな、と思うのである。いや、違うかもしれんけどね?そんなことを思いながらも腹の底から声を振り絞り、限界まで力を振るう。

 

 そんな感じで鍛錬に励む俺に思いもよらぬところから呼び出しがかかる。呼び出しの主は袁逢様。つまり、現在の袁家のご当主さまである。むむむ。まあ、否やはないのであるんだけどね。


「そんなに緊張しないで欲しいわね?」


 くすくすと優雅にほほ笑む袁逢様。そのエレガントなお姿に俺は心服するほかはない。只でさえ美人な袁逢様がエレガントなのである。これは何を言われてもハイかyesで応えるしかないじゃないですか!


「噂は聞いているわよ?紀家の麒麟児、神童、って」


 神童、長じれば凡人。はい、俺のことですね分かります。ちょっとなんか前世的な記憶によって早熟なだけなんだけどもね。もう数年したら三国志に巣食う天才、秀才、英傑、豪傑あたりがデビューするはずである。そしたら俺なんぞ普通に凡人ですだよ。やだー。


「過分な評価恐れ入ります。ですがこの身は非才故、皆の助力に頼っております」

「あら、余計なこと言っちゃったかしら。ごめんなさいね?」


 くすり、と微笑の袁逢様マジ天使。である。


「ほんと、田豊が言うのはほんとね。貴方のお父上もそうだったけど、お話ししてて安心できるのよね」


 なお、話題に上がった俺のとーちゃんはろくすっぽ政務をしていない。時折地方に出向いて歓待されるのがお仕事である。紀家の当主は俺のあこがれの役職である。とーちゃんマジ尊敬、リスペクトである。そんな地位を手放してなるものかよ!なんもなければ普通に相続できるんだし!

 という訳で、俺の目標はとーちゃんの跡目を相続すること。そしてそのためには袁家には隆盛でいてもらわんといかん。そのために全力でマッハなのだ。


「いえ、父や師父に比べると。いや、本当に非才だなと忸怩たる思いの毎日です」


 実際、俺のスペックはどう考えても凡人の範囲を逸脱できんしな。まあ、袁家というバックボーンや所々のコネがあるだけ恵まれているだろう。


「あらあら。紀家の麒麟児というのだからもっと尖っているのだと思ってたのだけれどもね」


 くすくす、とほほ笑む袁逢様マジ包容力Maxである。


「まあいいわ。紀霊。今日は貴方にこの子を任せたいと思ってたのよ」


 袁逢様は胸に抱いていた幼児を俺に示す。


「真名を麗羽、と言うの。この子をよろしくね?」


 真名。それは個人の友誼に大いに関わるが故にこうして関係性をあらかじめ結ぶためにも用いられる。政治、というやつだ。

 名門である袁家においてはそれくらいの腹芸はそこかしこで交わされている。まあ、袁逢様直々のお声かけということはとーちゃんやねーちゃんも了解済みのことだろう。

 はあ、と気の抜けた返事をする。袁逢様の豊かな胸に抱かれた麗羽様。目と目が合って――なにこの可愛い生き物。マジ可愛いんですけど。


「二郎です、麗羽様。末永くよろしくお願いしますね」


 どれどれ、とばかりに差し出した指をきゅ、と掴んで麗羽様がきゃっきゃと笑う。


「あらあら。もう仲良しさんなのね」


 袁逢様の言葉を耳にしながら俺は不思議な感動に身を震わせていた。無条件にこちらを慕ってくる笑顔。その笑顔。守りたい、この笑顔。

 俺はきっとこれを忘れることはないだろうな、と思った。そしてそれ故に覚悟を決めるのだ。もう一度。

 ――三国志なんぞ、やらせはしないぜ、と。




「ふぇえ・・・緊張しました・・・」


 まあ、袁家当主といきなりの面接とか陳蘭にしたら気が気ではなかったろう。当事者ではなかったとしてもね。陳蘭がここまでプレッシャーを受けるのもやむなしである。袁家は四世三公の名門だからして。

 そして武の名門として北方の盾となり数世代にわたり土着している。これがもたらすのは圧倒的な安定。そして発展。そして継続は力なり。豊かな資金により社会資本への投資が行われ、それが継続され蓄積される。


「社会資本、ですか?」


 俺が漏らした呟きを耳にして陳蘭が不思議そうに問うてくる。いわゆるインフラストラクチュアのことだ。後世――俺の中の人の時代で言う所の電気ガス水道や、道やら港湾やら。そういう民間では整備できない施設。ライフラインと言ってもいい。


「まあ、公共投資でないと整備できない――まあ、便利な施設ってことだな」

「は、はい。便利な施設。ありがたいです。お姉ちゃんが言ってました。袁家領内はとっても恵まれているって」


 ここで重要なのはその施設を造るのも、運用するのも人の手がいるということである。袁家の強みとは、そういった分厚い人材の層であると思うのだ。俺のあれやこれやの案も世慣れた官僚あってのことである。まあ、その官僚をまとめている田豊様マジ辣腕って感じ。


「まあ田豊様がいるからこそ俺も色々と提案できたってとこはあるよな」

「ふぇ?」

「いや。あれやこれやと思い付きを提案しているけどさ。明らかに駄目なものは除外するだろうし、惜しい案があったならば添削してくれるだろうって、な」


 何にしても方針としては富国強兵待ったなし、である。常備軍には金がかかるからな!それに糧食不足での敗戦とかは、将来前線組になるであろう俺看過できない。

 まあ、ここらへんは割と安心している。史実でも袁家は兵站についてはしっかりしていたからな。――兵糧の集積地をやられたらしゃあない。しゃあないと思うんよ。

 それさえなければ袁家は天下統一とまではいかずともいい線いってたはずなのだ。


「くく、袁家の栄光まったなし。そして俺は平穏無事に人生を終えるのだぜ――」


 早期リタイア。そして晴耕雨読どころか晴読雨読の高等遊民生活はじまるよー!である。


「じ、二郎様なら大丈夫だって思います!あの田豊様も誉めてらっしゃいましたし!」


 まあ、田豊様の後ろ盾的なものは大変ありがたいのだが。そう。だが、なのである。


「田豊様と紀家が結んだとなれば、荒れるぞ・・・」


 呟く俺の言に陳蘭が狼狽える。

 

「ふぇ?どういうことですか?」

「田豊様は袁逢様の守役だったこともあって信頼が篤い。能力も化物的に優秀というか、飛びぬけているから政権の運営にも大過ない。だがそれだけに敵も多い」

「そ、そうなんですか?」


 袁家の派閥闘争は根が深い。毒殺暗殺ハニートラップなんでもありだ。


「だから逆に紀家の武力を背後に持ったという意味合いの方が大きいんだな」

「え、それじゃ・・・二郎さまが利用されるってことですか?」

「もちろん利点も大きいがね。こちらだけが恩恵を受けるわけではないってことさ」


 田豊様に危害を加えたら紀家の武力が火を噴くぜ!ってことである。


「武力的裏づけは官僚にはないからな。それが持ってしまったんだ。安易に手は出せないだろうさ。

 もちろん袁逢様がいらっしゃるうちはいいんだが、あの方身体が丈夫じゃあないからな」


「ふぇ・・・そうなんですか」


「恐らく、だ。麗羽さまの後見人として田豊様が指名されるだろう。それを他の奴らが黙っている訳がない。下手したら血みどろの政争になる。そのために先手を打ったんだろうさ」


 袁家の知恵袋は、伊達じゃない。


「袁逢様もそこらへん分かってるから俺と麗羽様を近づけようとしたんだろうな」


 だからこそ、袁逢様は自らいらっしゃったのだ。袁家は名門故に闇も深い。麗羽様だってその地位は安泰ではないのだ。だから、袁逢様は麗羽様と俺を近づけようとしたのだろう。

 そして、恐らく田豊様はそれに待ったをかけたのだ。最近の田豊様からの引き合いの強さがそれを裏付ける。あからさまなその動き。それには頭が下がるよ。


「ふぇ?なんでです?」

「袁逢様の死後、田豊様に権限が集中されるだろうからな。だから粛清対象は袁逢様や麗羽様ではなく、田豊様となったのさ」


 その忠義には頭が下がるね、ほんと。


「他の武家も袁逢様が麗羽様に武家の後ろ盾が欲しいというのは分かってるだろう。

 文、顔あたりが接触するはずだ。張は代々諜報畑だから距離を取るだろうし、

 バランスを取って両家から一人ずつ側近を派遣というあたりかな」


 あわわ、と混乱する陳蘭に心から同意する。政治、てやつに関わりたくないものだよね。


「まあ、麗羽様が袁家を継ぐという路線はできたっぽいからそれでいいか」

「そうですね。袁紹様。とってもお可愛くらっしゃいましたもんね」

 

 えっ?


「袁紹様。だと・・・?」


 そういや、三国志における袁家のキーパーソンはその人ですよねぇ。

 だが、ちょっと待て。誰それ聞いてない。


「麗羽様と袁紹様。くそ!どうすりゃいいんだ!」


 権力の集中は腐敗まっしぐらで世紀末フラグ特盛である。


「あの・・・。袁紹様の真名って、ご確認されました?」


 そんな陳蘭の言葉で俺は煩悶することになる。


「ちょっと待て。何で袁紹様の真名が麗羽様なの?わけがわからないよ」


 ねえ。俺の知ってる三国志となんか違うんだけど。違うんだけど。

 主人公がようやく気付いたようです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ