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絡新婦の囁き

 顔良は、思わぬ人物の訪問を受けていた。正直、苦手と言っていい相手である。


「どもどもー失礼しちゃいますよー」

「は、はあ」


 張勲。張家の息女であり、次期当主と見なされている人物だ。紀霊とともに袁術の守役となった人物。だが、何の用なんだろう。正直、接点だってないし、と顔良は怪訝に思う。なんせ張家は言わば袁家の暗部だからして。


「実はですねー、ちょっとご報告に来たんですよー。

 実はこのたび私、紀霊さんの愛人になっちゃいましたーきゃー言っちゃいましたー」


 絶句する。一体何を言ったのだこの女は。

 頬を染めてわざとらしく、いやんいやんとくねくねする張勲。そこに顔良が感じるのは怒りでも嫉妬でもなく、困惑と混乱であった。


「あれー、反応がないですねー。

 そんなに衝撃的でしたかー?」

「し、信じられません!そんなこと!」

「ま、信じなくても結構ですけどねー」


 にこにこと笑う張勲。その笑顔は常と変らず。いっそ無垢なまでに愉しげに、ころころと鈴を転がすような声。


「ああ、安心してくださいね、身体だけの関係ですからー。

 私が一方的に言い寄って、お情けを頂いただけなのでー」

「そ、それが本当だとして何で私にそれをわざわざ言うんですか」


 辛うじてそんな問いを発する。違う、そんなことが聞きたいんじゃない。そんなことはどうでもいい。あの人は、陳蘭さんと結ばれたのではないのか。だから諦めれると思ったのだ。

 そして、四家の均衡はどうなる。紀家と張家が結ばれるなぞあってはならないことだ。いや、それが故に顔良は自身の気持ちに蓋をしていたのであるが。

 わけがわからなくなりそうだ。

 そんな顔良をみて張勲は薄く哂う。――心底楽しげに。


「いえねー、紀霊さんに想いを寄せてる方の中では一番こっち寄りかなーと思いまして」

「どう、いう、ことですか」


 問いに答えず、薄く哂い続ける。その笑みが透き通っていることに、顔良の何かが警報を鳴らす。


「だ、大体、どうして二郎さんと関係を持ったりしたんですか!」


 追い詰められた顔良はそんなことを言う。そんな顔良を見て張勲はくすり、と笑う。


「いえねー、姉妹と母娘、どっちがいいかなーと迷ったんですけど、

 絆的にはやっぱり母娘かなー、と思うんですよ」

「……一体何を、言っているのですか?」

「ですからー。美羽様と棒姉妹になるのもいいなあと思ったんですよ。

 でもね、それよりは私が産んだ子供と美羽様を娶わせたいなーと思うんですよねー。

 だから、紀霊さんに孕ませてもらおうと思ってるんですよ」


 何を言ってるんだこの人は。わけがわからない。そんなことができるはずがない。

 だって。


「そ、そんなことができるはずがないじゃないですか!

 紀家の当主と張家の当主が婚姻なんて出来るわけないじゃないですか!

 だって、だって!」

「あはー、そうですねー。婚姻関係は無理かもですねー」

「だったら!」


 激昂する顔良に張勲は変わらず、笑みを向ける。


「別に婚姻関係みたいな形式を気にするつもりもないですからねー。

 紀霊さんからは子種だけ頂ければいいんですよ」


 ぞくり、と背筋に怖気が走る。これ以上この人の言うことを聞いてはいけない。

 そんな悪寒が顔良を襲う。空気がどろりと粘り気を持ち、呼吸が苦しい。


「紀霊さんは袁家内の有力者のご息女と婚姻できません。これは暗黙の了解です。

 唯でさえ勢力の大きい紀家が他の家と結ぶと突出してしまいますからね。

 同じ理由で袁紹様や美羽様も難しいですね。

 でも、です。これにも抜け道はあります。

 さて、ここで問題です。袁紹様や美羽様の父親が誰だか問題になったことはあったでしょうか?」


 そう言って浮かべた笑みが深くなったように感じる。

 いや、お二人の権威は父親ではなく、袁逢様のご息女であるということに尽きる。当主が女性の場合、父親については不問とするのが慣例であり暗黙の了解ではある。あるのだが。

 まさか……。


「ですからー、袁家、文家、顔家の当主は女性になりますよね?

 そのうちどれかと紀家が結べば問題になります。

 均衡が崩れますから。

 でも、どうでしょう。全ての家と紀家が結んだら?

 かえって袁家の結束は強くなりませんか?

 結果として紀家の勢力、いえ、紀霊さんの力が増します。

 でも、それって問題ですか?」


 この人はなんてことを考えるのだろう。なんてことを考えたのだろう。


「いいじゃないですか。私達の代は紀霊さんに支配されても。

 外から訳の分からない婿をそれぞれ引っ張ってきてお家騒動になるよりよっぽどいいですよ。 

 顔良さんも、見知らぬ、そうですねー、皇族の係累とかにその身体を好きにされるより、紀霊さんに抱かれたくないですかー?

 紀霊さん、とっても優しく抱いてくださいますよ?」


 これは、毒だ。聞いてはいけない。でも、それでも、その響きは余りに魅力的。


「紀霊さんはあれで権勢に興味のない方です。

 もっと大きなものを見てらっしゃいますね。

 公私共に支えてあげるのもいいと思いますよー?」


 くすくす、と笑う。声が耳を抜けていく。身じろぎ一つできない。あたかも見えない糸に縛られたかのように。


「なんで私にそれを言うんですか」


 力なく問いかける。そんな顔良に張勲は優しく、囁く。


「袁家の文武の柱、田豊様と麹義様にこれを諮ってきますー。

 いえね?きっと顔家次期当主は乗り気であったというのはいい説得材料になると思うんですよ。

 それに、貴女なら誰にも漏らさないでしょうし」


 薄く哂って張勲が立ち去る。心底を見透かされ、毒を注がれた顔良は呆然と見送るしかない。悄然と立ちすくしかない。


 助けて、と思う。

 そして彼女は、たった一人で自縄自縛。泣くことすらできない。できないのだ。

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