袁家の種馬
さて、洛陽への凱旋は盛大に果たされた。そりゃもう盛大であった。
まあ、今回の北伐では主役は星だしな!事前の風説の流布もばっちしである。そう、常山の昇り竜はついに国士無双となったのだ……。いや、立派になって……と本人に言ってやったら何とも言えない顔をした後、盛大につねられた。解せぬ。
そんなこんなで一段落したと思った?残念。これからが本番!戦後についての綱引きが今始まるのだ……。いや、引き合うのは麗羽様と俺なのだけんども。
「改めてお疲れ様でした。二郎さん。
見事北伐を果たされ、蜀と自称し、匈奴と野合する不埒な者どもを完膚なきまでに討ち果たす。
まさに偉業。衛青や霍去病に並ぶ武勲と言っていいでしょう」
あ、はい。そういうことになってますね。その実は割とアレな感じなのですが。
「その武勲比類なし、と言う点ではあの華琳さんも同意しています。ええ。
さて、一体全体どういう褒賞を与えれば征夷大将軍は満足してくれるのでしょうかね」
くすくす、と心底可笑しげに笑う麗羽様。実に可憐である。可愛い。
贔屓目なしにスペシャル美人さんだなあとぼんやり思う。いやあ、こんなに大きくなって、と感慨もひとしおというものだ。
「ええと、それは置いといてですね。人事案についてご相談をば」
人事案件については司徒である俺の管轄なのだ。征夷大将軍という地位よりもある意味重い地位。
人事。つまり漢朝を左右する地位。
……ルーチンワークをしていないというのは、触れてはいけない。
「司徒に劉璋さんですか。権官ではなく正式な任官とするのですね。まあ、実質司徒府を仕切っていたのは劉璋さんですしね……。
ええ。問題ないでしょう。三公の要となる地位。その血筋、人品。そして能力において彼女以上に相応しい方はいらっしゃらないのでしょうね」
うむ。司徒府を実質切り盛りしていたのは劉璋ちゃんだからな!
正式な任官。何の問題もない。何の問題もない!重要なことだから二回言ってみました!
「太尉には、夏候惇さんですか」
「ええ。白蓮はまあ、地固めということですね。此度の北伐、その責任の一端我にありとばかりに太尉の地位を辞する意向を内々に打診してきました。
まあ、白蓮ならば幽州の州牧として、北方の最前線で匈奴の脅威については防ぐでしょうし。
そして次の太尉。名門夏候家。血筋の良さは折り紙つき。人品卑しからず、あれほどに竹を割ったような、そのですね。ええと。そう!汚職とかそこいらへんに縁のない人物もこのご時世においては珍しい!」
嗚呼、汚職まみれのどろどろであった宦官。その、間接的な縁者であるということを指摘されたらどうしよう!と割とヒヤヒヤしていたのだが。
「ええ、二郎さんが推挙するのですもの。そのように致しましょう」
素通り……、だと……。
こ、この信頼が重い……。
「えと。司空には引き続き華琳で。んでもって執金吾は星を充てようかと。
それで、以上です」
「華琳さんならば妥当ですわね。それに執金吾、治安を司るのですもの。天下無双の趙子龍に、補佐として泣く子も黙る張遼が就くのでしょう?
流石は二郎さんですわ。文句のない人事です」
おーっほっほとご満悦な麗羽様に俺が委縮してしまう。し、信頼がものっそい重い!
まあ、稟ちゃんさんや風と話し合って、現実的な布陣にしたし問題ないな!
ほむ、と安堵の息を吐き出した俺に麗羽様は。
「ですが、一点だけ。
――二郎さん。貴方の名前がありませんわ」
その問いに、躊躇わずに応える。
「――ええ。俺は、隠居しますから」
そう、そうなのだ。俺は隠居するのだ。しちゃうのだ。
「……何故、と聞いてもよろしいですか?」
「征夷大将軍として武功をあげました。あげてしまいました。
――大将軍たる麗羽様と俺の間に隙間風を吹かそうという輩が湧いてでるでしょう。袁家の外も、内も。
いや、それに踊らされるつもりはないですが、楔の打ち所はない方がいいです」
俺を貶める。或いは持ち上げる。どちらにしても、麗羽様への攻撃材料となりうる。俺はこれ以上表舞台にいるべきではないのだ。
「あらあら。それだけではないでしょうに」
溜息を一つ。そして、おかしげに。
くすくすと笑みを漏らす麗羽様。どうも、お見通しのようで。
「あー。あれですよ。
働きたくないでござる。絶対に働きたくないでござる!」
割と本気で。
「やっぱり!どうせ本音はそんなことだと思ってましたわ。
ずっとおっしゃってましたものね。事あるごとに、隠居したいって。
ほんと、今にして分かりました。あれは韜晦や冗談とかの類ではなく、本音でしたのね」
くすくす、と可笑しげに麗羽様は。
「漢朝の、袁家の威信。二郎さん。貴方は本当に凄いことを果たしたのですわ。その自覚ないようですけれども。
黄巾の乱、董卓の変。そして此度の北伐。
気づいてらして?いずれも二郎さんがいたから、些事と言っていいくらいに収められたのですわ」
「いやいやいやいやいや。
俺なんぞは不様を晒すばっかりで」
「あらあら。謙遜というのは時に美徳にならないというのは二郎さんから教えられたと記憶しているのですわよ?
――冷静に、二郎さんが果たした役割というもの。
淡々と、具体的に書面で、実に分かり易くいただきましたわ。
誰から、ですか?
沮授さんと張紘さんですわ。まあ、その書面の内容を理解して、ぞっとしましたわ。
ああ、もしも。
もしもですわよ?
二郎さんがいなかったらどんなことになってたろうか、って」
俺がいなかったら……。
史実通りに袁家は滅亡したろう。更にその知識を得ていた蜀がどう動いたかとか考えたくもない。
「ですから。二郎さんに報いなければいけないのです。
でも、でも。わたくしは、知ってますの」
きゅ、と抱きついてくる麗羽様を、ぎゅ、と抱きしめる。
「ええ、二郎さんの功績は比類ないモノ。だから、報いるには無茶を通して道理をうっちゃるのがいいのでしょうね。
――ええ、おかしなことですけどね。二郎さん。
貴方の武勲、武功。それを加味して、貴方の隠居を、認めます」
泣き出しそうな麗羽様。双眸に金剛石よりも美しいものを蓄えているのを見て、抱きしめる腕に力を込める。
くすり、と笑みを漏らした麗羽様がぐすり、と声を湿らせる。
「ほんとは!前線なんて出てほしくなくって!
いつだって、二郎さんが儚くなってしまったらどうしようって……。
武家の棟梁たる袁家の筆頭武官!それでなくっても二郎さんは事もなげに前線に立つのですもの。
紀家の家風、鉄則たる指揮官先頭。その意味を知っています。知っているからこそ……。いえ、知っていても……」
そして、だ。
嗚咽混じりに麗羽様は俺に縋り付いて、ぐしゃぐしゃな顔で、笑う。
「だから、ほっとしているのですわ。
もう、あのように、二郎さん。
貴方のことを思って身を削られることがなくなるというのは」
ちゅ、と唇を重ね、麗羽様はその華奢な身を震わせる。
「きっとこれはいけないことなのでしょうね。漢朝のためを思えば、二郎さんを隠居させるなんて、ありえませんわ。
でも、わたくしは。それでいいって、ほっとしていますの。
もう、これ以上二郎さんが傷つかないって思うと、それだけで……」
ぐす、とぐずりながら麗羽様が再び、ちゅ、と口づけてくれる。
ぼろぼろに崩れた化粧、体裁。それでも。いや、それだからこそ、麗羽様が、この上なく愛しい。
「――愛してます。麗羽様。だから、やはり隠居します」
「馬鹿!お馬鹿さんですわ!わたくしは、漢朝の大将軍ですのよ!
私が命じればいかなる栄耀栄華も思いのままなのに!思いのままなのに!
……分かっています。二郎さん。分かっています。
ええ、分かっていますとも……。富貴、名誉、栄耀栄華。あらゆる欲と俗に囲まれてなお、それに心を動かさない。それがどんなにすごいことかって、分かっています。そうじゃない人をたくさん。そりゃあたくさん目の当たりにしてきましたから。だから、二郎さんがどれだけ恰好よくって、素敵だったか。
そんな、二郎さんがいるから、その背中を見て頑張ってこれました。
そして、お慕い申し上げていますわ。ずっと。ずっと……。
麗羽は、二郎さんをお慕い申し上げておりますの……」
愛して、いますと耳元で囁いて、ころころと、笑い、泣く。
俺は麗羽様を抱きしめながら、思う。必ずこの人を幸せにしなくては、と。それがどういうものか分からないけれども。
そして、更に思うのだ。俺の知ってる三国志とはかなり違う着地点。
それで、俺の大切な人たちは、だ。多分――俺のいい加減な知識にある三国志よりも幸せになったんじゃないかな、と思う。
まあ、あれだ。
俺はこれで全力を尽くしたから、な。やりきった感はあるのだ。
でもきっと、これからも色々と厄介なことはあるんだろうと思う。
だけども、紡がれた物語はそのまま次世代へと受け継がれて、きっと俺の出番なんてなく。それでも絶えず紡がれていくだろう。
――蒼天は、死なず。
言ってみればそれだけのことだったのかもしれない。
逆に、その一言にどれだけの意味が含まれているのか。
まあ、そこいらへんは後世の歴史家が評価することだろうし、ましてや本来の歴史との比較なんて誰もできない。
――ちょっとぐだぐだと語り過ぎたかもしらん。
よし。俺が語る、俺の物語に一旦区切りを付けるとしよう。
これは、特に何の才能もない。名もない凡人が、それでも必死に足掻いた物語である。
それ以上でも、それ以下でもない。
――面白きこともなき世を面白く
南皮のことも夢のまた夢――
◆◆◆
真・恋姫無双【凡将伝】~ハッピーエンド「袁家の種馬」~
了




