黎明
孫家。それは生粋の戦闘集団。それを率いるのは蓮華である。そしてそれを補佐するのが戦争の天災……じゃなく天才の穏だ。トップが理性的で合理的に動くと孫家という戦闘集団がどれだけ恐ろしい存在になるか。その証左がこれだ。
そう、たった五千かいくらの兵で蜀の本拠である襄平を落とすという離れ業を、ただの一兵の犠牲もなく果たしてしまったのだ。なにそれこわい。
「まあ、戦功第一は孫家だわなあ……」
くすり、と俺の言葉に艶のある笑みで応える麗人。
……ぶっちゃけその孫家の首魁たる蓮華その人である。
「あら、そうかしら?
対面した敵将を悉く討ち取った趙雲殿こそが戦功第一なのではなくって?」
「分かってて言ってるだろ。賊軍の本拠地を無血開城させ、とんでもない手土産まで準備されたら、なあ」
ぶつぶつと言いながら手の内にある玉璽を凝視する。いやそりゃあ、あちらさんも勝って帰るつもりだったんだろうし戦陣には持っていかないわなあ……。しかし玉璽を孫家が手にするというのはね。久々に三国志というものを思い起こさせる。
「穏辺りは反対したんじゃないのか?
これは孫家で秘蔵すべきとか言ってさ」
俺の問いに苦笑する。
「いらないわよそんな石ころ。使いどころもないしね。一応言っておくけどね。穏も同意見だったわよ?
まあ、その石ころに価値を見出す存在がいるというのは理解しているけどもね。
だから二郎はさっさと新しく玉璽を造ったのでしょう?」
「そうだな」
一々的確な言である。玉璽そのものよりも、だ。これは実際の権力者が持つことによって、その権威の正統が担保される物。
単なる賊軍が振りかざしても意味のないものなのだ。こっちにしてもあれば便利だなーくらいの認識でしかない。
「ねえ、二郎。そんな石ころよりも欲しいものがあるのよ」
きた。来ましたわ。来ましたわよ。
どんな無茶ぶりをされるのだろうか。ここぞとばかりに巻き上げるつもりでしょう!帝国金融みたいに!ミナミの帝王みたいに!
「やあね。何をそんなに身構えているのよ。言っておくけど、別に無理を言うつもりはないのよ?」
身構える俺に蓮華は苦笑……というにはもっと華やかな笑みを向ける。
「ま、二郎の懸念も分かるわよ?きっと三公の一角とか求められたらどうしようかなーとか思ってるのでしょ?」
ズバリそうです。蓮華からそれを打診されたら、実際たいていのことは受け入れざるをえない。それだけの武勲である。つか、安定した政権運営のために孫家という戦闘集団との友好関係は必須なのである。
「ばかね。そんなこと言って二郎を困らせるわけないじゃない?私も、穏も……。勿論シャオも、ね?」
可笑しげにくすくすと笑う蓮華は、その笑みを悪戯ぽく変質させて俺の耳元で囁く。
「黄忠。それだけよ」
「……そりゃまた」
むむむ、と唸る。随分と軽い、或いは重い根回し。正直俺の頭では判断つかんが。
「そこまでして黄忠を求める理由が分からんな」
「あら、そうかしら?孫家の領地は荊州。そして黄忠は長らく荊州を治めていた劉表の筆頭と言ってもいい人材よ?欲しいに決まってるじゃない。
荊州を治めるのはそりゃあ孫家だけでも問題ないけどね、やっぱりその土地に通じた人材は喉から手が出るくらいに欲しいのよ。
――そういうことにしとけば黄忠の助命もやりやすいでしょう?」
無論、黄忠が欲しいというのはほんとよ?とくすりと笑う蓮華。
「んー。まあ、黄忠に関しては巻き込まれた感じだからなあ……」
ご息女の教育のために北方に居を移したらごらんのありさまだよ!という感じで同情すべきところは大いにある人物でもある。助命嘆願の筆頭は張紘だったしなぁ……。あいつが俺になんか頼んでくるとか、滅多にないというか初めてくらいの勢いだし……。
そんなこんなで黄忠については蓮華にその身柄を預けてしまうことにした。そして黄忠は孫家の下で大いに荊州の安定に力を振るうことになるのである。
ちなみに。
「ああ、そこらへんの計算は赤楽さんでしょねー」
とは俺のメイン軍師の言である。余談であるが赤楽の本名が徐庶と最近知って白目を剥いた俺である。一体何がどうしてそうなったよ。徐庶の奇妙な冒険か!ってやかましいわ。
そして、洛陽に凱旋――誰が何を言おうと凱旋である――しようとした俺たち北伐軍の足を止めたのは誰あろう麗羽様であった。




